第8話

 その船を見つけたのは正午のことだった。十字型の砦を通り過ぎて、三時間後、右岸に白い外輪蒸気船が座礁し傾いていた。フランソア中尉が十人の歩兵とともに船を調べた。船のあちこちに矢や槍が突き刺さったままになっていて、銃弾の痕も残っていた。甲板から中へ降りると、むせるような甘ったるい腐臭と蒸し暑さに襲われた。砲甲板のあちこちに血痕がついていたが死体は見つからなかった。この腐った臭いが血が泥と混じって腐ったものだった。死体だったらもっとひどい臭いのはずだ。フランソアは考えた。既に銃とサーベルを抜いていて、時おりカーテンのように垂れた布をサーベルで切り裂くと、そこには踏み潰された医者のカバンと割れた薬瓶が散乱していた。包帯は一つも残ってなかった。

「やつらが持っていったんだ」兵士の一人が言った。「包帯は紐の代わりになるから」

 船倉に下りてみた。ここも血痕だらけだった。死体は見つかっていない。 今、気づいたのだが、階段に死体を引きずったときにできる血の跡が黒く残っているのに気がついた。インディオは死体を使って何かの儀式をするつもりだったのだろう。食料やラム酒の類が残らず盗まれているのは当然として、銃と弾薬まで全部盗まれているというのはどういうことだろう? インディオたちは銃の使い方を知っているのか? フランソアの記憶している限り、探検隊の持っていたのは最新式のミニエ銃だった。もし、インディオたちが銃の使い方を知っていたとすると――考えただけで悪寒がした。

 フランソアは大佐に報告した。死体や略奪品を密林の奥へと引きずった跡もあることもあわせて報告した。

「ヴィクスマン氏の探検隊のほとんどが森のなかでやられて、座礁した船に戻ってきたところをさらに襲われて皆殺しにされたと言いたいのだな」

「はい、大佐殿」フランソアは付け加えた。「加えて申し上げますが、インディオたちは銃を使える可能性があります。インディオたちはミニエ銃と弾薬を全て持っていっていったらしく銃は一丁も残っていませんでした」

「最初から探検隊が全銃と弾薬を持っていったのではないのか?」

「それなら船内にピストルの一丁くらいは転がっているはずです。それがないということはインディオたちは銃を貴重品とみなして全て拾い集めたということです。以上から、インディオたちは新式銃の使い方に熟知しているという可能性が生まれました」

 大佐はマッチをすってパイプに吸い込んだ。「そうなると一つ、謎が生まれてくる。誰がインディオに銃の使い方を教えたか? それに誰が最初にインディオに銃をもたらしたか?」

「冒険商人では?」

「あるいは他国の士官かもしれん」大佐はパイプを吹かした。「インディオを訓練してわしらに噛みつかせ、わしらがあきらめたところで妖精をごっそり持っていく」

「妖精にそこまでする価値があるのですか?」

「あるとも。ダイヤモンドやサファイヤと同じくらいに」

 さらに二時間上流に遡った河岸には白い帆船が横倒しに倒れていた。

「調べる気のあるものはいるか?」大佐はたずねた。誰も手を上げなかった。「では、このまま前進だ」

 午後、三隻の船はついにヴィクスマンの上陸地点に辿り着いた。そこはスペイン風にサン・ディエゴの淀みと呼ばれていて、水深は二十メートル近くあるちょっとした入り江のような水域だった。三隻はそこに碇を下ろし、荷下ろしを始めた。艀と手漕ぎボートでの往復で半日の時間を捕られたが、大佐の馬と山砲、そして膨大な量の武器弾薬と食料を無事積み下ろすことができた。そこでテントを張って夜を明かした。

 これまでのところ見たのは血まみれの船内のみ。ヴィクスマン探検隊のほとんどはインディオの餌になったに違いない。そんな噂がひそひそとささやかれると士気に影響を及ぼすので各人隊内の流言に注意するようにと通達が来た。

 連隊は朝靄のかかる密林を辛抱強く鉈で切りつけながら、道を作っていた。これにはジェスタス少尉と七人の工兵も加わり、サン・ディエゴの淀みと最前列をつなげる道を拡大してまわった。馬に乗ったセバスシアン大佐は少しずつだが、前進の目途が立っていることに満足していた。かつてこれだけの規模の伐採を受けたことがないであろうこの森は人間に降伏し道として仕えるであろう。

 フランソアは他の小隊指揮官たちと同様に伐採地点から離れたところで次々と切り取られる草や茎のぽきっという小気味良い音を聞いていた。いつのまにか他の士官たちが首元の真鍮型プレートをポケットにしまっていたので、フランソアもそれにならった。そこで今度はフランソアがフロックコートの前を開けて、飾り帯をチョッキの上に巻きなおして、チョッキの一番上と二番目に上のボタンを外した。すると、みながそれを真似し出した。兵士たちも蒸し暑さをしのごうとフロックコートを脱いで筒型にして左から右へたすき掛けにし、帽子に日除け布をつけるようになった。

「今年の雨季はまったく雨が降らないな」

「ここはかまわんかもしれんが、平地じゃ辛いだろうな」

「こりゃ旱魃になってるぞ」

「リオ・グランデ・ド・スルはどうなってるかな」

「ブラジルの最南端のことなんて、どうでもいいね。おれははやく女を抱きてえ。妖精は捕まえたら自分のものにしてもいいんだよな?」

「そうらしい。空き瓶持ってきてよかったぜ」

 密林のなかから見る夕焼け空は薄気味悪いものだった。薄暗い叢林が空の赤みを吸い取って、どんどん青黒くなっていき、最後は夜の闇と一つになる。まるで、木々が人間を敵視し、その視界を奪ってやろうとしているように思えるのだ。

 遠征隊は最前方にインディオのガイドと工兵隊、その後ろを一列に伸びた兵士たちが待っている。士官も兵士も目や口にまで這いずりこもうとする蒸し暑さに耐えかねて、軍服の着方を崩しているのに、セバスシアン大佐は伐採地点から二十メートル離れた場所で少しも服を着崩さず鞍上でまっすぐ背を伸ばして立っていた。部下たちは普段の大佐の様子からどうやってこの威厳が生まれるのか、首を傾げた。

 炊事兵は大佐のためにアロワナのバナナ葉蒸しをつくり、副官たちが相伴に預かった。兵卒は小鍋にキャッサバの炒め粉と干し肉に酢をかけて、かき回し、それを一日コップ半分のラム酒とともに食べた。

 フランソアは数人の士官とともに炊事兵がダッチオーブンで作る鶏の丸焼きや甘い玉ねぎ、肉汁をしみこませたじゃがいもを食べていた。インディオよりも蚊のほうが士官たちを悩ました。蚊帳を持ってきたものはそれをテントにかけて、その小さなスペースにランタンを引き寄せ、将来書くことになる自伝のネタを残しておこうと思って、ペン先をなめた。

 フランソアが自分のテントの支柱に剣吊りベルトをかけていると、タバークル准尉が落ち着かないようすでベルトをがちゃがちゃ鳴らしながら叢へ進んでいくのが見えた。

「准尉!」フランソアは声をかけた。「どこに行くんだい?」

「用を足すのであります、中尉殿!」准尉は恥ずかしそうに笑って、そう返した。

 そう言いながら、大きな体でのそのそと歩いていく後ろ姿にフランソアは苦笑いした。

 それが彼が見たタバークル准尉の生きている最後の姿だった。

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