第3話

 村長の家を後にした三人はふらりと村を見回ってみた。前回来たときよりも村は広くなっていった。よく見ると新しく広がった区画の粗末な家に住んでいるのはヨーロッパ人だった。

「ナポリ人です」三人についていた通訳の青年が言った。「この二ヶ月前から住み始めました」

「畑がないようだが」タバークル准尉がたずねた。「連中は何を食べて暮らしてるんだ?」

「イタリアの植民地協会から送られてくるグラッパで生きています。わたしたちの村では彼らのグラッパは大変人気ですから、一本で大量の魚やキャッサバと交換できるわけです」

「あいつらはここで何を作る気なのかな?」フランソアがなにげなくつぶやいた。

「たぶんインゲン豆だと思いますが、もう一つ、妖精狩りに来たのだと思います」

「妖精? このへんにいるのか?」

「いえ、いませんよ。妖精はさらに上流でレダンゴ族の住んでいる区域を通らないといけません」

「そのことをナポリ人に伝えてやったかい?」フランソアが言った。

「まさか」通訳の青年が言った。「イタリア語は話せませんから」

 村落を後にしようと谷へ通じる道を歩こうとすると、眼下の谷からみゃあみゃあと鳴き声が聞こえてきた。

「これはこれは」まるでゴヤの風刺画から脱け出してきたような、でっぷり太ったイエズス会士の猫が現われた。「守備隊の方々ではございませんか」

「こんにちは、トマス神父」フランソアは心のなかで面倒なものに捕まったと思いながら、挨拶した。

「こちらの若い方は? たぶん始めてお会いすると思うのですが」

「工兵少尉のジェスタスです」フランソアが答えた。「すいません。先を急ぐので」

「兵舎で説教を行うという話についてはご了承いただけましたか?」去っていく三人の背にそう呼びかけた。人狼の若い士官はふりむいたが、フランソアとタバークル准尉は振り向かなかった。

「兵舎で説教というのは?」士官用兵舎の休憩室でジェスタス少尉がたずねた。

「うちの兵士をイエズス会に引き入れるための説教をさせてくれって言ってるんだよ」フランソアは壁にかかっている革袋から水を含み、窓から外へ吐き出した。「一応、うちの隊は宗教に関しては共和主義派の考え方、つまり好き勝手に信仰しろ、ただし隊務に支障をきたすな、が基本方針だ。ただ、あの猫野郎はあの手この手でうちの兵士たちをイエズス会に引き入れたがる。たぶん信者の数が増えれば、ここら一帯が新しい管区になる。そうなったら、あの猫が間違いなく管区長になれる。まあ、あの猫も猫なりに出世を考えているわけだ。植民地士官は嫌なことばかりだが、勤務年数は倍に加算されることになっている。しかも北アフリカ植民地は一・五倍だが、南アメリカなら二倍の年数だ。若くして少佐になりたいとか、そういった野望があるやつは植民地にくればいい。ただ、陸軍省ってのはひねくれものが多いから、そういう野心に燃える士官を机に縛りつけ、ぼくのような平凡な士官を南米のそれも奥地の守備隊に送り込む。きみは野心はあるかい?」

「一応、人並みには――」

「人並みじゃ駄目だよ。十人分の野心がなければ、ここじゃやっていけない」

「でも、中尉殿は士官候補生のころから、ここに勤務しておられるわけですよね」

「そうだな。生きて母国に帰れば、階級は少佐で大隊長にしてもらえる。第一フュージリア連隊とか第二二擲弾兵連隊とか、まあ、ないと思うが近衛連隊もありうる。ぼくはここに八年、つまり十六年軍に奉仕したことになっているわけだから、大隊長少佐は堅い。ただし、これは帰ることができたらの話だ。今のところ、帰国の目途は全くたっていない」

 そこまで言うと、フランソアはジェスタス少尉をじっと見た。そして、ピンと来た。ジェスタス少尉は自ら望んでノヴァ・アルカディア勤務を申し出たのだ。そして、それをへそ曲がりの陸軍省がどういうわけだか、そのまま通してしまった。そして、いま、士官候補生の時代から泥の河と密林と退屈な村を巡る暮らしを八年も続けているフランソアを見て、自分の決断が失敗であったと悟ったのだ。

「ここからの――」ジェスタス少尉は言葉に突っかかり、何か不安なものをごくりと飲んだ後に続けた。「こちらからの転勤願いを出すことは可能なんですか?」

「それについての答えはぼくがここに八年もいるということを答えとしておこう」

 ジェスタス少尉は少し気落ちした様子でサーベルの柄をいじり始めた。それには房飾りがついていた。後一週間もしないうちに泥だらけのよれよれになり、切り取ってしまうだろう。ジェスタス少尉はやってきたときは真鍮の頸甲までしてきたが、今では気候に合わせて、軍服を着こなしている。つまり、規則馬鹿ではないということだ。フランソアはそれにホッとした。タバチェンゴという地図にも載らない小さな村で自分の女房子どもよりも規則を大事にしたがるクソマヌケを送られた日にはつまらなさに新たな苦役が加算されることになる。フランソアはこうして軽々とふるまっているが、体のなかには正体のつかめない〈何か〉がぐつぐつと沸騰していて、ひょんなことからその〈何か〉が爆発するのではないだろうかと常日頃警戒していた。

 グラン河は人間を狂わせるもので武装した悪魔の河だ。蚊、ピラニア、鰐、雨季の鉄砲水、蒸し暑さ、川幅を狭める分厚い叢林、泥に隠れた暗礁、そして目に見えない疫病。これに対して、人間たちは鉈と銃とロザリオの祈り、インディオ直伝の薬草軟膏で戦いを挑む。戦いは一進一退。人間が熱病や毒蛇に噛まれるなどして、多くの脱落者を出したのち鉈で勝ち進み、サトウキビ農園を創り出したこともあれば、迫りくる密林に負けて河に突き落とされた移民団もいる。彼らが築こうとした家々は密林の一部として取り込まれ、緑の底でもはや陽の目を見ることはなく、移民団のほうは祖国に帰る金がない上に帰れたとしても、大地主に小作料を納めながら必死に土地を耕すか、硝石鉱山で体が真っ白になるまで白い岩を削るかしなければいけない。移民団は結局、ピエーテルバルクの貧民街に寄り集まって、港の荷揚げや荷下ろしといった日雇い仕事、それに商売や学術研究のために密林へ行く一隊の荷物運びとして暮らしていくしかないのだった。

 フランソアは守備隊陣地のなかを歩き回った。広場に指した国旗と二つの大砲のあいだを哨兵が行ったり来たりしている。フランソアとすれ違うたびに敬礼してくるので、フランソアも敬礼をし返さなければいけない。それがうっとおしくなってきたので彼は船着き場のほうへ降りていくことにした。干からびた川底の上にサンパン舟が三隻、一本マストの帆掛け舟が一隻、思慮深い人間のように傾げた姿勢をしていた。

 三人の子どもが現われた。彼らはみな上は裸で下も短いズボンのみ、靴はおろかサンダルも履いてなかったが、もう物心着く前からそうやって暮らしてきたから、彼らの足の裏は革のようにかちんこちんになっていた。子どもたちは舟の下に住む蟹を捕れるだけ捕ると、蟹を入れた魚籠と釣り糸、それに貴重な釣り針を小さな革に刺して首飾りのようにして身につけて河に入り、対岸の大きな枝が河へと伸びて、大きな木陰を作っている場所まで泳いでいく。子どもたちは枝にしがみつき、蟹を刺した釣り針を水のなかに落としていく。フランソアは陸に残された船の縁に腰掛け、子どもたちの釣りを見ていた。彼らはあの釣り針を買うためにトマス神父にタダ同然でこき使われ、掃除だの洗濯だのをさせられてきた。しかも、その手間賃はピエーテルバルクやセント・アリシアの十分の一だから、トマス神父は食えない聖職者なのだ。他人には気前のいい喜捨を望むくせに出すところではひどく出し渋る。それでよく信者が獲得できると信じているなとある種の関心さえ生まれてくる。

 そのとき、対岸の緑樹から伸びていた釣り糸がピンと張り、左右に細かく震えた。魚が食いついたのだ。他の二人が糸が絡まらないように手早く自分の釣り針を手繰り寄せると、じりじりと後退し始めた。魚をかけた子どもも魚の動きを制して疲れさせながら、じりじりと後退した。そして、水に洗われている木の根元まで魚を手繰り寄せたら、素早く片手に持った棍棒でガツンと魚をぶんなぐった。子どもたちは慣れたもので、その魚の喉に縄を通して、それを背負って、フランソアのいる岸辺に戻ってきた。馬のように長い顔をした縞模様のあるナマズで大きさは六十センチを軽く超えていた。子どもはフランソアの前を横切り、タバチェンゴ村に通じる隘路へと歩いていった。他の子どもたちもそれに続こうと蟹付き針の糸をスルスルと水のなかに垂らしていた。

 午後四時にはそれぞれ歩兵、砲兵、工兵の責任者が守備隊指揮官であるフランソアに対して、報告を行うので指揮官室にいなければいけない。フランソアは十五分前に指揮官室に入った。指揮官室とはいってもあるのは飾り気のない事務テーブル、書類用の戸棚が一つ。長持ちが一つ。椅子が二つ。壁際に固定された長椅子が一つ。執務用テーブルから見て左の壁にはメイベルラントの青赤青の共和国旗が、そして、フランソアの背後には二つの窓があり、窓と窓のあいだにはキリストの磔刑像がかけてある。問題は右の壁だった。前回、ここで勤務した際、右の壁にかかっていたのは大統領の彩色画だった。たしか大統領は頭が禿げていてその分を取り返そうとばかりに頬髯を生やし、また側頭部の髪の毛を上向かせて少しでも禿げている場所を小さくしようという涙ぐましい努力が目立つ絵だった。ところが今そこにかけられているのは大統領ではなくて、ジェルジェ・ガフガリオン将軍の多色刷りの絵だった。ただ彩色はインディオに渡しているものよりも凝っていて、きちんと額に収めてあった。フランソアは立ち上がると、勤務日誌を取り、この二ヶ月間に勤務した中尉たちの名前をめくった。二ヶ月前、フランソアが引き継ぎを任せてセント・アリシアに帰った際、守備隊勤務はベケ中尉に任された。それから四週間して、ベケ中尉はヴィンセン・エラン中尉に引き継いでいる。そして、ヴィンセン・エラン中尉は四週間後――つい今さっき、フランソア・デ・ボア中尉に勤務を引き継いでいる。

 犯人はヴィンセン・エラン中尉に違いない。伯爵家の出の由緒ある狐でやや享楽的なところのある男だ。話していると気さくで面白いのだが、酒が過ぎると面倒なことになる。この男が酔っ払った状態でレスラーの一団に喧嘩をふっかけて、危うくピラニアだらけの河に放り込まれそうになったのを、フランソアが銃を抜いて相手に突きつけて事無きを得たことがあった。また、セント・アリシアにある士官たちが集まる酒場でガフガリオン運動について好意的な演説を一席ぶっていたのも見たことがあった。

 一方、ベケ中尉は正反対の蛙人だった。士官学校生時代に様々な学生を集めて行われた社会主義サークルに参加し、また、その社会主義的傾向が軍務に励むのに支障がきたすのではないかと疑われて、二度、憲兵から任意で取り調べを受けたことのある筋金入りの左翼だった。そして、セント・アリシアの士官用酒場でガフガリオン運動をけなしていたこともあった。

「独裁者だって? みなナポレオンやシーザーを持ち出すが奴らは最後にどうなった? みじめったらしく死んでいったじゃないか。それも巻き込む必要のない人々を無益な戦争に駆り立てた末にだ。自称愛国者たちは倒れ腐り果てた兵士のしゃれこうべから咲いた花を栄光という修飾語で隠そうとしていやがる。自分たちは暖かい暖炉のそばで熱病の心配もせずにコニャックを飲みながら、おれたちのような馬鹿を戦地へ送るための愛国的文句とやらを書き連ねているんだぜ。国民よ、クソッタレ。目を覚ましやがれ!」

 デュシェーヌ親父も眉を顰める激しい攻撃に対して、ガフガリオン派士官が何か言おうとするが、ベケ中尉を支持する士官の一団が彼を担いでそのまま通りを練り歩いたものだから、ガフガリオン派は反撃の機会を逸してしまった。

「中立なんてのは――」ベケ中尉がかつてフランソアに言ったことがあった。「相手に利するようなもんだぜ。おれたちははっきり声を大にして、否と言ってやらなくちゃいけないんだ」

「面倒事はごめんさ。それにぼくらはブラジルじゃなくて、ノヴァ・アルカディアにいるんだ。母国の政体が変わったからって独立できるだけのものをこの土地は持っていない。母国あっての植民地だ。ガフガリオンが母国を支配下に置いたら万事休す。植民地もガフガリオン派で固められていくよ」

 ガフガリオン派と反ガフガリオン派の数は士官では半々だった。四六年にフランス軍に対して一歩も退かなかったその英雄的行為に魅了され、軍人なら第二のルイ・ナポレオンとなるかもしれないこの男にメイベルラントの未来を託すのは当然のことだと言った。

「叔父を破滅に追い込んだロシア軍を逆にぎゅうぎゅう言わせている。あれは立派な男だ。我らもガフガリオン将軍を立てて、その栄光に続こう!」

 すると、ベケ中尉がサトウキビ焼酎を一息に飲み干してから、ガフガリオン派の連中をねめつけて(この蛙人はカエルの癖に蛇のように鋭い目を持っていた)、重い声で言った。

「お前らが支持しているガフガリオンとやらは植民地拡張主義者なんだぞ。それが何を意味しているか分かってる上でガフガリオンを支持してんだろうな? ガフガリオンが独裁官になったら、おれたちは間違いなく、さらに奥地へ遠征を命じられるだろうな。そうなりゃ、ここにいる半分は密林の泥のなかで死ぬことになる。そのときはお前ら愛国者が真っ先に死んでくれよ。おれは嫌だからな。お前ら愛国者と来たら、国のために死ぬって聞くと、深手の傷を負いながらも早馬で駆けて、司令官に敬礼しながら味方の勝利を伝えて、そこで倒れて、国家に最高の忠誠を示して見せた若き士官のために落涙する司令官の腕のなかで死ぬことを夢想するのだろうけどな、ここじゃそんな死に方望めないぞ。大蛇に丸呑みにされるとか、インディオの毒矢で泡を吹きながらひっくり返るとか、代わる代わるやってくる高熱と悪寒にうなされた末に黒いゲロと黒い下痢糞にまみれながら死ぬとかそんな死に方しかできねえんだからな。そこのところをよく考えてガフガリオンとかいう山師を支持しとけよな!」

 対立が深まると、セバスシアン大佐は王党派、共和主義、自由主義、ガフガリオン派、社会主義など全ての政治活動を部下に禁じた。

「軍人の全うすべきは政治ではなく、軍務であり、政治を語って隊内に不和をもたらすことは許されるべきではない」

 大佐は簡単な布告を出して、士官たちを黙らせることに成功した。しかし、実際にはイエズス会も裸足の水面下での政治運動が展開していて、両派が先任士官のフランソアを引き込もうとしていた。そのたびに彼はどちらかの派閥に加勢するつもりはないと何度もいい、セバスシアン大佐の訓令を思い出せというのだが、両派ともそんな訓令はもうすぐ無効になるといってせせら笑うのだった。やはり、馬一頭もいないアフリカ猟騎兵連隊の連隊長というのはなめられやすいのか、両派は大佐の警告を無視して、パンフレットをまわし読みし、酒に酔った勢いでテーブルの上に立ち上がり、カミーユ・デムーランを気取るのだが、脳みそがたっぷりラム酒に浸かってしまったせいか舌がうまくまわらず、ちょうどどもり癖があったカミーユ・デムーランと同じように演説がなかなか進まなかった。

 こうした違反者に対して、セバスシアン大佐はただ口頭で注意するにとどめ、政治好きの士官たちは事実上野放しになっていた。大佐はあと二年で退役する。自分の任期中に波風を立てたくなかったし、それを力ずくで押さえ込む気力に欠けていた。こうなると新しい大佐がどんな人物かでセント・アリシアの士官たちの政治抗争に決着が付けられることになる。

 午後四時になり、二つの歩兵隊を預かる二人の軍曹、タバークル准尉、ジェスタス少尉が現われて、兵員数、健康状態、弾薬その他物資の備蓄などについて報告した。タバークル准尉だけを残して他のものを帰らせると、フランソアは壁にかけられたガフガリオン将軍の絵について意見を求めた。

「こいつはよくありませんね」准尉は難しい顔で言った。「外したら、反ガフガリオン派。そのままにしたらガフガリオン派です」

「エラン中尉の仕業だよ。長持ちを軽く探してみたが、大統領の絵はなかった。きっと持ち帰ったに違いない」

「つまり、外すか外さないかの問題なわけですね」

「そうなんだ。ぼくとしては今度セント・アリシアに行く船に大統領の彩色画を持ってくるように頼むつもりだ」

「それだと反ガフガリオン派だと思われませんか?」

「大統領と陸軍大臣の絵が並んでかかっているだけだ。問題ない。政治信条は関係ないと言い切れる。准尉、きみの隊で一番要領のいいやつを一人選んで、明日の朝一でセント・アリシアへ派遣して額縁入りの大統領の絵を手に入れてきてくれ。たぶん要塞に腐るほどあるから、絵自体は手に入れるのは難しくはないはずだ」

「わかりました。今夜中にインディオの小舟を手配します」

「頼むよ、准尉」

 タバークル准尉が部屋を出ると、フランソアはまるで蚊の湧く沼のように次々と湧き出す面倒事にため息をついた。蒸し暑い守備隊暮らしだけでなく、自分の政治的中立姿勢を保つためにせっせと苦労しなければいけない。

フランソアは呼び鈴を鳴らした。十秒後には従卒がやってきて、踵をあわせて直立不動の姿勢をとった。

「海綿と冷たい水を入れた洗面器を持ってきてくれ。うんと冷たい水だよ」

 従卒は三分後にカミソリのように冷たい水と沿岸地域の雑貨屋で売られている海綿スポンジを持ってやってきた。従卒を下がらせると、フランソアは両足を机の上に置いて、上体をのびのびと後ろに反らし、海綿スポンジをゆっくりと楽しむように水につけた。それを引き上げると軽く握って水を絞ってから、自分の顔の上に持ってきて、服が濡れるのも構わず、ぎゅっと絞った。冷たい水がフランソアの顔を打つが、それは最初だけですぐに水は優しく撫でるように彼の頬や首筋を冷やし、襟に吸い込まれていく。また、海綿を水に沈める。顔の上で絞る。これを三度、繰り返してから、麦藁帽をかぶり、士官用兵舎の中庭を通り過ぎて、上縁の丸い扉を開けると、ジェスタス少尉と七人の工兵隊が近くの木を伐採しているのが目に入った。

 もうすぐ夕食の時間だから、その時間まで伐採は続くのだろう。何を作る気なのか気になったが、あえて聞かず、出来上がってからのお楽しみにすることにした。

 食事が始まる数分前に守備隊指揮官は兵卒用の食事の味見をすることになっている。炊事場ではすでに出来上がった豆の煮込みとキャッサバの炒め粉、それにラム酒はコップ一杯(もう半分は食後に出されることになっている)を盆の上に置いた二人の炊事兵がフランソアを待っていた。豆の煮込みを食べてみたが、塩味が薄く、またベーコンも少ない気がした。

「塩とベーコンが少なくないかね?」

「申し上げます、中尉殿。我々が辿り着いた際、塩とベーコンの貯蔵が通常の半分だったのであります」

「それなら着いてすぐにいってもらわないと」

「申し訳ありません、中尉殿」

「とりあえず、しばらくはこれでしのぐしかないな」

 夕餉の合図の鐘が鳴った。歩兵たちは窓に蚊帳を張った食堂に集まり、木の椀に豆の煮込みとキャッサバの炒め粉を盛ってもらった。全員に食べ物が行き渡ると、一日で最も厳粛な行事がなされる。ラム酒の配給だ。大きな陶器製で注ぎ口が茶色、胴がベージュ色の瓶を持った二人の炊事兵の前に兵士たちがコップを持って並び、ラム酒を注いでもらうのだ。この紅茶色の液体がタバチェンゴで許される最大の娯楽であり、兵士たちの無聊をかこつ唯一の楽しみなのだ。

 兵卒用の食事はタバークル准尉の監督の下で行われる。一方、士官の食事は士官用宿舎にある小さな食堂でとることになっていた。士官は兵卒よりも先に食事を配給されていたし、塩とベーコンも多めに入っていた。さらに望めばラム酒のおかわりもできたが、フランソアはその特権を使ったことはなかった。

 フランソアはジェスタス少尉とともに食事を取った。

「あの」

「なんだね」

「我々はずっとこの守備隊にいなければいけないのでしょうか?」

「いや、実をいうと二週間に一度、川を遡って、不帰順インディオと帰順インディオの棲み処の境界線まで行き、異常がないかどうか調べなければいけない」

「ひょっとして、そこにも兵士が?」

「ああ、いるとも。独立した守備隊がね。少尉が一人に兵卒が十人だ」

「てっきり、この村が守備隊の最前線だと思っていました」

「あてが外れて残念だったね。まあ、話が出たついでだ。明日、そこまで行ってみよう」

 ジェスタス少尉は余計なことを言ってしまったと後悔したらしい。言ってしまった言葉は撃った銃弾同様、元に引っ込めることができないのだ。

 フランソアが言った。「気が乗らないのなら、やめにするが――」

「いえ、いきます」ジェスタス少尉は熱心さを強調するように毛を若干逆立たせて言った。「少しでも多くの業務に慣れておきたいですから」

 フランソアは豆をすくって口に運びながら、外の夕暮れを見た。瘴気で霞んだ青白い空が怒りの夕焼けに焼き尽くされ、菫色の灰が空に残る。やがて、陽が沈むと菫は闇に席を譲り、一面にガラス玉を撒いたような星空が現われる。樹木が密に茂った森からひっきりなしに蝉やコオロギの鳴く音が聞こえてくる。

 食事の後、二人はポーカーをした。やがて、それにも飽き、二人で外に出た。満点の星空などフランソアはもう見飽きていたし、ジェスタス少尉も田舎の生まれだから、特に星空に感慨深い思いをすることはなかった。結局、彼らの関心は守備隊陣地に向けられた。哨兵の持つランタンが大砲のあたりに動いていたが、肝心の兵士の姿が完全に闇に溶け込んでいて、まるでランタンがひとりでに浮かんで動いているように見えた。その向こうには入口にハリケーン・ランタンを吊るした兵舎があり、さらに向こうには満ちた潮に根を浸からせる森が広がり、匍匐植物に纏わり疲れた崖が空に向かって突き伸びていた。

 視線を反対側に移すとタバチェンゴ村の家々が目に入った。月明かりで蒼ざめたインディオたちの居住区は静かだったが、ナポリ人の開拓村落は篝火を焚いてギターやアコーディオンを盛んに鳴らして、地中海の思い出を忘れまいと陽気に騒いでいた。

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