第26話 誘い

 しばらくぼんやりとしていた。

 あちらの世界の知り合いと、こちらの世界の知り合いの顔が交互に浮かぶ。

 どちらが大事で、どちらを捨てられるかなんて、とても判断できない。


 舞も紅茶を飲みながら、一方向にじっと視線を固定して、何やら考えている風だ。


「なあ、舞。お前は残るよな。子供が二人もいなくなったら、父さん寂しがるだろう」


 舞は顔をしかめて、明らかに不快感を現した。


「なにそれ。残った方は何て伝えればいいわけ? それに、勝手に指図されたくないな。行くか残るかは自分で決めるわ。例えあんたほど役に立たなくても」


 しかし、しばらく経ってもお互い何も思い浮かばないので、帰ることにした。


 マグカップを立川先生の机の上に置きにいくと、座っていた先生から「担任の先生からプリント類を受け取ってから帰ってね」と言われ、そこで舞と別行動になった。


 靴を履き替え校舎の外に出ると、俺はどこからか強い視線を感じた。


 あたりを見渡すと、近くの植木の間からいきなり黒い大きな犬が出てきた。

 ダロスである。


 頭が俺の腰よりも高く、尖った顔に耳も三角にピンと立っているタイプで、俺の知っている犬種に例えると、真っ黒なジャーマンシェパードという感じだ。

 がっしりとした太い四つ足でタタタタッと軽やかに歩みよってきたので、うわわわ……と情けない声を出して、三、四歩後ずさってしまった。

 よく見る抱っこされた愛玩犬と比べると迫力満点だ。


 だが、俺が後ずさると、ダロスは二メートル手前でピタリと足を止め、俺を見上げて鼻をピスピス鳴らした。

 口元からスーッと垂液が筋を引いて、食われるんじゃないかとビクッとしたが、首を少し傾げてじっとしている。


 改めてまじまじと見ると、澄んだ目や垂れた唇など、怖い中にも可愛らしいところがある気がしてきた。

 腰は引けたままだが、なるだけ平静を装って意思疎通を図ってみる。


「どうしたんだ、ダロス。真島は……マレクは先に帰ったぞ。ウロウロしてると、通報されて保健所に連れてかれるぞ」


 ダロスがオンッと一声吠えた。そして引き返していく……いや、止まって振り向いた。またオンッと軽く吠える。


「ど、どうしたんだ? ついて来いって言ってるのか?」


 返事をするかのようにピスピスと鼻を鳴らし、オンッと吠える。


 どうもほっとけない感じがしてきた。


 辺りに人がいないことを確認して、ダロスの方に走り寄った。

 ダロスは俺がついてくるのを見ると、前を向いて進み始めた。


 ダロスは、学校裏の金網フェンスと地面の隙間に大きい体をねじ込むようにくぐって竹やぶの中へ入って行く。

 俺も身長より高いフェンスをよじ登った。


 湿り気のある地面一面を覆った枯れた笹の葉の上を、滑りそうになりながら慎重に進んでいくと、一本の竹の、俺の頭より少し上に、刀身が白く光る刀が突き刺さっていた。

 屋上で、先生たちがくる前に投げ落とした俺の刀だ。

 嬉しくて声をあげながら駆け寄った。


「おお! こんな所にあったんだー」


 竹の根元では、ダロスが得意げに背筋を伸ばして座っている。


「探してくれたのか。ありがとな。お前、怖そうだけどいいやつじゃん」


 刀を抜こうと背伸びをしていると、カサカサと枯れ葉を踏む音がして、真島将道がのっそり現れた。


「ダロスは真面目で忠実だからな。俺がお前に知らせるようにと命じたんだぞ」


「直接知らせたダロスが一番偉い。まだ何も決めてないぞ。何しに来た」


「何しに来たって、せっかく入れ物を持ってきてやったのに、そんな言い方はないだろう」


 真島は不満げに口を曲げながら、細長い袋みたいなものを投げてよこした。

 ナイロン製の竹刀袋を二重にしたものだった。背負い紐もついている。


「さすがに部室に鞘は置いてなかった。面白い刀だよなぁ」


 真島が物珍しそうに近づいてくるので、俺は真島に背を向け、刀を見せないようにして袋を開けた。

 切っ先が袋を破かないように慎重に入れる。

 真島は肩越しに俺の手元を覗き込んだ。


「重ね厚く反りも少なく、飾りも殆どない剛刀だ。お前の刀って感じだな。あえて当てはめるなら肥後同田貫だが、テレビにもよく出てくるからな。銘なんて入っているかなあ」


「じろじろ見るな。俺の剣だ」


「その袋は俺の。返してくれ」


「ありがとう、ありがとう。じゃあな」


 適当に返事して離れようとすると、担いだ袋をガシッと引っ張られた。ダロスが袋を噛んで踏ん張っている。

 真島がにっこりと微笑んだ。


「ダロスも俺のだ。いい子だろう?」


 天使のような笑みだが、中身が魔王と知っているとそのちぐはぐさが不気味さを醸し出す。

 ああ、その笑顔の似合う以前の純真無垢な真島に誰か戻してくれ!──俺は天を仰いで誰ともなく祈りを捧げた。

 こうしてしまったのは確かに俺だが、すんでしまえば後悔ばかりだ。


「なあ、何を迷っているんだ? 姫が呼んでいるんだぞ。お前だけでいいんだ、来いよ」


 ダロスと袋を破かない程度に引っ張り合いをしている俺に、真島が語りかけた。


「家族が気になるのか? だったら、この刀で斬りつけてみたらどうだ?」


 なんだって⁈ 真島が魔王だとしても信じられない言葉を聞いて、目をむいた。


「その刀は魔物を元に戻す力があるようだが、以前の記憶を無くす効果もあるようなんだ。お前に斬られた元魔物の生き物は、魔物だったころの記憶をすっかり忘れて飛び回っている。

 そうなんだろう、ダロス?」


 ダロスは袋をくわえたまま頷いた。


「だから、俺を斬った時のように、お前の父さん、母さんを斬ってみなよ。俺の時は上に被っていた呪術の方を斬ったようだが、お前の父さんたちなら記憶が斬れて、お前のこと忘れて、はれて縁も切れるということになるかも」


「……それ以上言うなよ」


 自分でも不思議なくらい腹の底から力のこもった声が出た。


「世の中にはいろんな奴がいるさ。この世だって、前の世界だってそこは同じだ。

 記憶を斬る話が本当なら、もし、俺の父さんや母さんがどうしようもないダメ人間で、働かないで金ばかりせびるとか、俺に暴力ふるうとか、俺のことほったらかして遊んでばかりとか、そんなやつだったら俺は喜んで斬る、斬ってやる……一回包丁でぶすぶす刺してから記憶を斬るかもしれない。

 だけど、この世の父さんたちはそんな人じゃなかった。俺が事故から目が覚めた時、よかったよかったって泣いて喜んでいた。普段だって優しくしてくれる。

 前の世界で『生きていたら、こうだったかもしれない』って思っていた父さんと母さんなんだ」


 真島がバツが悪そうに頭をかいた。でも、俺の口は止まらなかった。

 今までモヤモヤしていたものが、ようやく形になった気がした。


「前の世界では、親は小さい頃に魔物に襲われて死んだ。本当に襲われて死んだのかも憶えていないくらい小さい頃だったんだ。

 保護されて、近くの村の親戚だっていうところを回って、最後にその親戚のじいさんってところに落ち着いたんだ。

 そのじいさんにひどいことをされたとか……いたずらが過ぎて、ひっぱたかれたことはあるけれど、それ以外なにかされたわけじゃない。でも、今の親と比べたら扱いが雑だったな。年寄りってこともあるだろう。あのじいさんも嫌いじゃない、悪くなかった。

 でも、やっぱり考えるだろ、もし生きていたらって。母さんがレグルスで舞が妹っていうのは、うわぁ!って思ったけどさ。それでも楽しくやってきた。

 そんな人たちなら、そう簡単に縁切りたくない、大事にしたいって思うだろう」


 いつのまにか、ダロスは竹刀袋を口から離していた。

 座って俺を見上げている。

 真島も黙って俺を見ている。

 青ざめた顔色、噛み締めた唇から懺悔の言霊が出てきそうだ。

 俺はその言霊が、真島自身の理解を司る脳部位に吸収されるよう願った。

 真島を責めるつもりはなかったから。


「ついでに言うと、姫もさ、確かに可愛いんだけど、もう小さい頃から世話しているせいか、どっちかって言うと“妹”か“姪っ子”に近いや。そういう“大事さ”なんだよ。

 まぁスタイルいいし可愛いし、好きだって言われて悪い気はしないけど。

 じゃあ付き合いましょうかってなると、王妃様は優しいからいいけど、王様やレティシアや他の取り巻きたちの顔が浮かんで落ち着かないよ。兄の王子たちもいるからな、もう絶対頭上がらないし」


「なるほど。奉公人の悲しいサガだな」


 真島が肩をすぼめた。

 こわばっていた顔が少し緩んで、調子を取り戻してきたようだ。


「魔王をこっちに送って祈りを捧げている姫も心配だけど、エヴァやベルンドもどうしているか心配だな。

 ライカ将軍なんてもう年だよ。レティシアが補佐したって、あいつ子持ちになったからな。将軍が子守やって、レティシアに任せてくれたらまだいいんだけど。

 あの世界には、男が子守するっていう発想がないからな。この世界に生まれた者として意見したいよ」


「そういう意味では、レティシアってやつは過酷な環境にいるな」


 真島はレティシアが気になるようだが、俺はバッサリ言ってやった。


「レティシアは代々騎士の家に生まれて、騎士道に徹底しているくそ真面目なやつだ。その一本気には、俺も尊敬の念を持ったよ。

 あいつはお前に言うだろうな。『人を誘うのに、女を使うなんてサイテーだ。騎士道に反する』って」


 真島がハッとして、ハハハと軽く笑い声を上げた。


「そうか、そうか。俺は色々と間違っていたんだな。失礼したな、勇者どの」


 俺も言いたいことを言えてスッキリした。しかも真島を謝らせてやって、なおスッキリ。

 今度こそ帰れる。刀を入れた竹刀袋を背負って、真島の横を通ろうとした──できない。ダロスが引っ張っている。


 深呼吸をして気分を改めた真島が、近くの竹に寄りかかりながら言った。


「俺がここで待っていた一番の理由は、実はその剣で切ってほしいものがあるからなんだ」


「なんだよ。切ってほしいものって」


「俺のここでの母親だ……そう怖い顔をするな。正しくは、母親の前世の記憶だ。あいつの正体は、このへんを荒らし回っていたヴァンパイアサイレンなんだ」


「そいつを退治するっていうのか」


「本来、俺は産まれた時に記憶も持っていて、動けるようになったらすぐにお前たちとコンタクトが取れたはずなんだ。

 だが、俺を魔王だと気づき、暗示をかけて記憶を封印し、ダロスも動けないようにしていた奴がいる。それが俺の母親だ。

 あちこちで生気を吸い取り、力を付け、一人で一匹の姿を保てるまでになった。たぶん父親も犠牲者だろう。

 俺は自分を取り戻したばかりで、魔力も弱い。でも、俺の邪魔をこれ以上してほしくない。ダロスに食わせて存在を消すには、ちとめんどくさい地位にいるしな」


「もしかして、俺を襲ったり、安永を操ったのも……」


「恐らくそいつだ」


「そういうことなら、承知した」


 ダロスはすぐに離してくれた。そして竹林の奥へ消えた。

 首輪もしていないので、一緒に歩くと注目を浴びるから、その方がいいのだろう。

 どこでおち合うかはわかっているようだった。


 俺と真島はフェンスを登って学校に戻ると、連れ立って真島の家へ向かった。


「そう言えば、話を聞いていて、気になることがあったんだけど」


「なんだ?」


「なぜ、一の魔王だけを“一の兄”と呼んでいるんだ? 他は“魔王”なのに」


 真島はああ……と小さく呟いた。

 気づいていなかったようだ。


「一の兄……もとい一の魔王とは異父兄弟なんだ。同じ親の腹から産まれた。だいぶ年は離れているが。会って初めてわかったことだ。魔物では、似ても似つかない血族でもなんとなくわかるんだ」


「そうだったのか」


「恥ずかしい話だが、その呼び方はご機嫌取りの一つだ。気に入られているからって、相手を気に入っているとは限らない。

 いつか、俺が食らう。まずそうだが」


 真島から鬼気迫るものを感じて、俺は何も言えずただ頷いた。

 まだ日は高かったが、雲がさしてきて、次第に薄暗くなっていく道程だった。



× × × × ×



 吉留舞が校舎を出た時は、兄の勇也や真島先輩どころか、生徒の姿は一人も見なかった。

 担任の女の先生と話し込んでしまって時間をとったからだ。


 今日は疲れたし天気も悪くなってきたので、夕方のダンス教室は休むことにした。

 こっそりカバンに入れているキッズスマホから、教室へ欠席の連絡を入れた。


 住宅街のスクールゾーンをのんびり歩き、その奥の山の開発に取り残された木々が茂る影が見えてくれば、自宅兼店舗の緑林亭までもうすぐだ。


 角を曲がって家までまっすぐというところで、見慣れない男が道の脇でタバコを燻らせていた。

 細身の体をヨレヨレの黒いスーツで覆っている。髪もボサボサだ。


 目が合わないように顔を伏せて早足で進んだ。

 ちょっとヤバそうな雰囲気だが、うちのお客が外で待ち合わせているのかもしれない。

 父さんに尋ねてみてから考えようと思った。


 舞が男との間を空けて大回りで通り過ぎた時、男がタバコを口から外し、煙と共に舞に話しかけた。


「JCのお嬢ちゃん、おじさんにちょっと付き合ってくれよ。そこの喫茶店でも、別のいいとこでもかまわないぜ」


 ヤバい奴だった。うちに帰って通報だ──舞が駆け出そう手を勢いよく振った時、また男が空を見上げながら低い声を出した。


「お代は……そうだな。今はピチピチのJCだから、三万ロクシアギニルでどうだ?」


 舞の足はピタリと止まり、男の方にゆっくり振り向いた。

 頬のこけたにやけ顔の男とはっきり目を合わせる。

 ロクシアギニル──懐かしいワード、ロクシア国の通貨単位だ。


「そのお金が出るんだったら……そこの喫茶店でおごれって言う訳にはいかないわね……」


 舞の声色には威圧感がたっぷり含まれていたが、男はニヤついた顔のままタバコを踏み消し、背中を丸め気味で舞に対峙した。

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