第23話 魔王の告白②

 舞が座ってニヤニヤしている。充血した俺の目を気にしているのだ。


 俺はイスに深く腰掛け、腕を組み目を閉じ俯いてじっとしていた。こうでもしていなければ格好がつかない。

 本当は赤みが取れるまでどこかに隠れていたい気分なのだが、大事な話の最中だ。


 給食の食器も返さないといけないのだが、舞に「持ってきたのは私なんだから、返すのはあなたたちでしょ」と言われた。

 でも、こんな顔で外に出たくない。


 真島も俺の斜め前に座り、膝上で組んだ手を机下で動かすのを見ながら、こちらの様子を伺っている。


 立川先生がマグカップに紅茶を入れてきた。子猫はどこかに置いてきたようだ。

 スプーンをさした柄の違う三つのマグカップとスティックシュガーのボトルを並べると、先生は真島の隣にすっと立って言った。


「真島君。今日の真島君の話、ファンクラブの人には言わないから。他の誰にも言わないからね。三人とも私の生徒だから。だから、真島君の味方でもあるからね」


「はあ、どうも」

 真島が曖昧に返事をすると、立川先生はそそくさと保健室へ帰っていった。


 重々しい空気が流れた。

 二人とも俺の言葉を待っているのがわかる。真島の言葉を「信じる」という俺の言葉を。


 でも、自分を殺そうとした魔王の言葉を鵜呑みにするなんて人が良すぎる。何も確たるものがないのに、素直に言う事を聞くなんて、それだけで負けた気分だ。


 真島が嘘をついていないという実感はあるのだが、それでも「わかった」と言う気になれない。


「証拠は?」

 俺はさっきから繰り返している言葉をもう一度繰り返した。

「なんか、お前の言うことが本当だっていう事を証明できるものはないのかよ」


 舞が呆れたようなため息をついた。


「証拠ねぇ……」

 真島は呟きながら天井を見上げた。


 俺は目を閉じたまま動かない。

 でも、胸の中では小躍りしていた。さあ、何かあったら出してみろ。俺を納得させてみろ。なければ、手をついて「頼む」と頭を下げろ!


「あ、そう言えば……」

「何かあるのかよ」

「姫から左手薬指にキス……された」


 証拠になるか! 見えないだろう! と突っ込もうとしたら、隣りの保健室から「きゃっ」という小さな悲鳴が聞こえた。

 立川先生の、ハートマークが付いてそうな甘い悲鳴だ。

 思わず突っ込むところが変わった。


「なんでお前が魔王だってバレてるのに、ファンが減らねぇんだよ! 先生、 萌え萌えじゃねーか!」

「俺が知るか」


「やっぱり『魔王』ていうアイコンかなぁ」

 舞が俺たちに顔を寄せて声を潜めた。

「さっきからずっと聞き耳たてているみたいなんだけど、どうする?」


「うーん……回復スライムにも動じない人だから、こういう話を聞いても騒いだりしないと思うけど……」


「目障りになったらダロスに食わせよう。丸呑みにすれば血もこぼれないから証拠も残らない」


「さすが魔王だ」と俺と舞は拍手した。

 コソコソとドアから離れる気配がした。

 俺たち三人は互いに親指を立てた。


「じゃあ、話を元に戻すが……」


「戻るんだ……」

 舞がまたため息をついた。


「それに、俺はまだ魔王を疑うべき案件を持っている」

「なんだ、それは」

「お前、胸の話をした時、全体像はまだ見てないって言っていたよな。貴様と姫の親密度にダウトだ」


 舞の視線が冷たい。

 あんた達のモノの尺度はそれしかないのか、とでも言いたそうだ。だが、納得のいかないことはよしとしたくない。


 真島が何か考え込みながら答えた。


「親しくはなったぜ。姫が俺を見る眼差しは期待で潤むようになり、背中を向けていても俺の抱擁を待つようになる。俺と一緒にいる奴は皆そうなる」


 真島はそこで腕を組んでうーんと唸った。


「でも、いざ期待通りにしようとすると、俺でも破るのに手こずりそうな''力の壁''が現れるんだよな。何故だろう……」


 俺は爆笑してやった。

「それはお前の思い込みだ! 貴様の煩悩が期待しているように見せているんだ!」

「そうかなぁ」

「そうなの、まぼろしなの! 目も胸も背中も誘ったりしない。『抱いて』なんて言ったりしない。俺は口から出る言葉だけを信じている」


「ずいぶん力説したわね。身に覚えがあるんじゃないの?」

 舞が声も冷ややかに言う。


「なんとでも言え。姫は厳しく教育されているからな。身持ちは堅いぞ」


 悔しいことに真島は顔色も変えず、上を向いてちょっと考えていたが、すぐ何か思いついたように俺の顔を覗き込んだ。


「そういえば、姫から聞いたんだが、お前より剣の腕がたつ奴がいるんだってな。噂と違ってほんとは一番じゃないって」


「誰のことだ?」

「姫の親衛隊長のレティシアって奴だ。試合で一度も勝ったことがないそうだな」


「確かにその通りだけど、秘密って訳じゃない。姫以外にも知られている。剣技は天下一品なんだ。捕虜にした奴からでも聞いたんじゃないのか?」


「そうか……でも見たかったな、お前より強い女。そいつも俺の砦に連れてくればよかったのに」


「無理だよ、身重だったんだから。それでも馬に乗れるようになってすぐ、一と二の魔王連合軍を抑えていたライカ将軍の軍に加わってくれたんだぞ」


 俺は首を振った。この話では姫と親しいとは言えない。


「じゃあ、これはどうだ?」

 真島はペロリと唇を舐めた。俺も身構える。


「お前には『アトレウスの腹筋愛好会』があるんだってな。時々観賞会が開かれていたそうじゃないか。会員数は125名!」


「うわっ、そうなの? 何をする会なのよ」

 舞が目を丸くして素っ頓狂な声を出すので、なんだか恥ずかしくなった。


「そ、そのままだよ。腹筋自慢が集まって酒を呑みながら見せ合ったり語ったりするんだよ。ベルンドが俺の腹筋めちゃめちゃ褒めるんで酔った勢いで見せびらかしていたら、ベルンドが会員募って結成した……て、この話姫から聞いたのか? こっそり開いていたんだぞ」


「お前は姫の花婿候補なんだろう? お陰で身辺をいろいろ調べられているんだ」


「でも、この話も会員から聞けば分かる話だしなぁ。会員数もベルンドじゃないと分からないから真偽の判断ができない。ダメだ」


 舞が大欠伸をしながら伸びをした。

「私もう疲れたー。ちょっと休憩しようよ。食器も返さないと行けないしさ。昼休み中に返してって言われているのよねー」


 舞はマグカップの紅茶にスティックシュガーを一本入れて、スプーンでかき回してからゴクリと飲んだ。

 俺も真島も同じようにして一口飲んだ。

 だいぶ冷めていた。


 俺と真島でジャンケンして食器を返す係を決めようと構えたら「もう、二人で行きなよ」と舞からかなり不機嫌に言われたので、真島は自分の食器、俺は舞の分の食器も持って、二人で部屋を出た。


 昼休み中の廊下は、生徒で溢れていた。


 警察から通達された厳戒態勢は解かれ、防火シャッターも元に戻っていた。

 みんな緊張から解かれてホッとした顔をしていて、今日の異常事態の憶測や帰ってからの楽しみを話しているようだ。


 俺と真島が食器を盤に乗せて並んで歩くと結構注目されたようだったが、誰も何も言わなかった。


「そういえばさあ」

 真島が歩きながら話しかけてきた。


「お前の好物、ミートパイなんだってな」

「別に内緒にしている事じゃないぞ」

「それを姫が知ったのは、姫が小さい頃、町の祭りにお前がお忍びで姫を連れ出した時だってよ」

「ああ。その話か……」


 俺が聖属性の力を引き出されてしばらく経ち、国が落ち着きを取り戻した頃、王と姫は周りの人間の諸国に招かれて外遊した事があり、俺も何度か同行した。


 主な目的が、強力な聖属性の力に目覚めた姫と俺の紹介と、諸国の王子や騎士に姫を会わせることだ。

 姫から力を引き出される人が他にもいるのではないかという理由で。


「なぜこっそり連れて行った?」


「ある国で姫がベッドから出てこなくなったんだよ。ご飯も食べなくなった。疲れたんだろうな。まだとおにもならないのに、毎日毎日自分より大きな王子やごつい騎士と話をしないといけなかったしな。俺も疲れたわ。妬みも言われるしさ。姫になんか言ってやりたかったんだけど、レティシアが近づけさせてくれないしさ」


「なぜ、彼女が?」


「当時あいつが一番俺を意識していたんだよ。どこの馬の骨ともわからん奴が、姫と同じ力を持ちやがってって感じで。試合の気合も俺とやるとほぼ殺意だしな。俺、試合で死にたくないし。ああ、あいつが強いのは本当だよ」


「なるほど」


「そんな時に近くの町で収穫祭をやっているって聞いたから、夜中にこっそり連れ出したんだ。ちょっと変装させて。俺も気晴らししたかったし。何日も食べてなかったから、夜店で売っているものをうまそうに食べていたっけ。ミートパイもな」


 だいぶ昔の話だ。バレると叱られるからお互い誰にも言わないと約束したことだった。

 俺はすっかり忘れていた話だが、姫は覚えていたらしい。魔王には話してしまったが。

 なんだか肩の力が抜けてしまっていた。


「なんでそんなに姫はお前に話をするんだ? まさかの尋問か?」


「いやなに。捕虜にした人間の中から姫の世話のできそうな者を選んで、身の回りを整えてやったのさ。仕立て屋やお針子、コックとか演奏家とか。それから一緒に食事をしたり、散歩をしたりだ。落ち着いてくると、なんとなく話をしたくなるもんだろう?」


 真島がぷっと吹き出した。その時初めて自分が口を開けた変な顔をして真島を見ていたことに気づいた。慌てて口を結んで前を向く。

 真島は話を続けた。


「ある時パティシエを見つけてな、姫のおやつを作らせた。そのパティシエに姫がミートパイの作り方を教えてほしいというから、この話が出た。向こうに行ったら食べてやれよ。俺はもう試食したが」


 黙って頷いた。嬉しいやら恥ずかしいやらで、何も言葉が出ない。


「そして、お前は翌日は一人で祭りに行ったんだな」


 真島の話の続きがあったことにドキッとした。


「ミートパイ、いや、ミートパイを売っていた女ロザリーが忘れられなくてな。その国にいる間、お前は何度かロザリーと逢瀬を重ねる。そして、それがお前の''初体験''だな」


 なあーにぃー⁉︎

 さっきまで火照っていた顔からさーっと血の気が引いていった。


「ちょ、ちょっと待て! まさか、その話も……」


「カトレア姫から聞いた」


「なんで姫が俺の……その話を知ってんの!」


「お前、身辺をいろいろ調べられているってさっき言ったろ。適齢期になった姫に調査報告がされていたようだ。主にレティシアから」


 レーティーシーアーー!

 引いた血の気が集中したように拳が熱くなってきた。

 今ならものすごくいい試合ができる。

 この心の絶叫と共に渾身の一撃を叩き込んでやれそうだ。


 真島は笑気で肩をぶるぶる震わせながら語り続けた。


「最初は機嫌よくパイを作っていたんだが、だんだん思い出してきたみたいなんだ。俺も怖くなってきた。パティシエも怯えて可哀想だったよ」


 後ろから誰かが近づいてきた。


「おお。吉留、真島。こんな所にいたんだ」

「やあ、安永。聞いてくれよ。吉留のやつロザリーって女と」

「わー! わー! わー!」

「ど、どうしたんだ、吉留。でっかい声出して」


 給食センターの食器置き場の前にいた俺たちに声をかけた安永が、目を丸くして立ちすくんだ。


「な、なんでもない。や、安永こそどうしたの。なんか用?」


「今日は午後から休みになったろ? 部活もないからデスメサやれないかなぁなんて思ったから」


「あ、ごめんね。俺、今日できないわ」

 真島が穏やかに断った。


「吉留は?」


「お、俺もやる事あって、多分できない」

 顔面を引きつらせながらも何とか笑顔を作って言った。


「そうかぁ。残念だな」

 安永はつまらなさそうに戻っていった。


 持ってきた食器を所定の位置に片付けたはずだが、何をどう置いたのかも覚えていない。


 姫が俺の女性関係を知っている……ミーナならともかく、あの可愛らしい天然だと思っていた姫が。しかも怒っている……頭がグラグラしてきた。どうしたらいいんだ。どうしようもない事だが、どうにかしたい。


 そういえば、いつだったか廊下ですれ違った王様が、いきなり「このバカもんがー!」と杖を振り上げ追いかけてきたことがあったが、これもその事と関係あるのだろうか。


「さて、姫がどこまで知っているか、教えてやろうか」


 真島がまた話し始めた。俺は足早に廊下を進んだが、真島はピッタリついてくる。

「廊下を走るんじゃないぞー」という先生の誰かの声が聞こえた。


「お前はその国を離れた後にロザリーを城に呼び寄せ、ロザリーは城の小間使いになるが、お前が遠征している間にロザリーはさる騎士の奥方に収まる。やるなあ、ロザリー」


 息が詰まる。でも足は止めたくない。古傷がザックリとえぐられ、重たくなった胸がシクシク痛みだしていた。

 そんな最悪状態の俺を、真島は不気味な笑顔で観察していた。


「いい顔するなあ。俺の話、楽しいか? 俺、新しい能力が開花した気がする」


「いいから、もうやめろよ。ついてくるな」


「さっきこの俺を疑い慌てさせたお返しだ。もう少しその顔見せろ」


 真島はほくそ笑み、俺の後ろからまだ話を続けた。


「傷心のお前は、次々に他の女と付き合いだすが……ええと、何人出てきたっけ……とりあえず、エイダ、リンディ……最後がエヴァ。合ってる?」


「エヴァとはうまくいってる!」


「じゃあ、姫は最近の事も知っていたわけだ。ミートパイを怒りながら食べた後、パティシエにベリータルトを1ホール作ってもらってな、むしゃむしゃ食べてたぞ。『こんな食べ方をすると皆が心配するから、城ではできないんですけど』って泣きながら」


 収穫祭に連れていった時も、最初「お父様のバカ、レティシアのバカ」とべそをかきながら屋台の饅頭をやけ食いしていた。あの調子か……。

 実は、姫は城の暮らしが窮屈になって抜け出そうとしたんじゃないだろうか──。


 真島は今度は姫の口調を真似し始めた。


「『あの者はわたくしのことなどどうでもいいのです! 私の大事な思い出を不埒なものに変えた大バカ者なのです! 私は王家の者なので皆に平等に接しなければなりませんから、スレイト騎士夫人に恨み言も言えません。アトレウスなんて、アトレウスなんて、魔王様のような方にやっつけられてしまえばいいのです!』……やっつけてやろうか?」


「もうやっつけられて、死んだじゃないか」


 ふと恐ろしい考えが頭をよぎってハッとした。


「まさか、姫からそう言われて俺たちの前に立ちふさがったのか⁈」


「まさか! 魔王マレクとあろう者が、そんな小娘のそんな愚痴で戦などするものか」


 ハハハと真島は天を仰いで笑った。


「お前たちが進軍してきたからだ。一の兄からの催促もきた。俺はもう少し時間が欲しかった。配下の兵の中には二の魔王の間者もいるようなので、騙さなければならなかった。姫にはお前たちが来ることは伝えなかった。離れた場所でティーンに相手をさせていたのだが、結局気づかれてしまったんだよ」


 それならこっそり知らせてくれたらよかったのにと一瞬思ったが、あの頃、魔王から「戦うふりをしろ」なんて言われても、俺は信じなかっただろうな。

 でも、剣を支えに俺を睨む殺気──訝しむ俺を察してか、真島は少し大人しい口調になった。


「そうだなあ、アトレウス。俺は戦の単純で明白な結果がでるところが気に入っているんだが、物事全てがそうはいかない。敢えてそこを解きほぐすとしたら、やっぱりお前、この俺の目の前で、姫の口から名前が出すぎたんだよ……」


 さっきの推測は当たらずとも遠からずか。

 恋愛下手だと思っていた自分が、まさかそんなものを──嫉妬に駆られた一撃なんてものをくらうとは夢にも思っていなかった。


 相談室に着くと、サッと戸を開けて素早く入った。

 もう真島と二人はこりごりだったから早く舞に会いたかった。しかし、真島も当然の顔をして入ってきた。


 中では、舞がパイプ椅子に思いっきり背中を預けて、溶けたアイスのようにだらりとくつろいでいた。


「お帰り。あれ? 食器返しに行くのに、なにそんなに疲れてるのよ」

「疲れたよ。気分が悪いくらいだ」


 俺はどかっと椅子に腰を下ろして机に突っ伏した。マグカップから湯気が立っている。


「今日は午後休みになったんだって。しばらくいてもいいって言われたよ」

「知ってる。さっき安永から聞いた」


 俺は机に顔を伏せたまま答えた。

 真島は黙って向かいに座り、素知らぬ顔で紅茶を飲んでいる。


 舞は俺と真島の様子をしばらく眺めると、急にニコリとして、勢いよく背中をまっすぐにして真島の方に座りなおした。


「じゃあさ、話の続き。姫が一の魔王に何を言いに来たか、肝心のやつ教えてよ」

「また真島の話きくの? もういいよ……」

「知りたくないの? 私はまだ謎だらけだよ。あんたたちはなんだか仲良くなったみたいだけど。なにがあったの?」

「秘密だよ」

「観念したんだね」


 イシシシシと舞が笑った。

 真島もマグカップから口を離して、ふむ、と口の片端を上げて言った。


「それじゃあ、ご期待に応えようかな」

「イエー! なんだかわかんないけど、前向きに考えましょー!」


 舞がテンション高めに叫んで片手を上げた。明るく振る舞っているが、ちょっと自暴自棄になっているようにも見える。


 真島はまた紅茶を一口飲んでマグカップを置き、おもむろに口を開いた。

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