第20話 魔王降臨

しばらく白い光に包まれて、俺はぼんやりたたずんでいた。


そう、たたずんでいた。いつの間にかどこかに立っていたのだ。足に固い地面の感覚がある。闇を切り払った白い刀は両手に握られたままだ。


ふと背後に変な気配を感じた。さっと振り向く。

白い霧のような光の奥に黒いもやもやとした影を見た。大きい影だ。それがどんどんでかくなる。近づいてきているのだ。刀を構えた。

だが、その横から何かが飛んできた。霧を切り裂いて突風のように、黒い影に飛びかかっていった。


残像ディレイステップ、阿修羅舞あしゅらまい!」


大きな掛け声とともに影がバラバラに裁断されて散った。影を切った突風が目の前に転がるように着地する。


舞だった。さっき別れた時と同じツインテールにセーラー服で、三徳包丁を両手に一本ずつ持っている──武器は新発見だ。柄に小さく「家庭科室」と書いてある。舞は俺の顔を見て嬉しそうに叫んだ。


「いた! やっぱり霧の中にいた。大丈夫? 一体何があったの?」

「な、何から話したらいいか……それよりここどこだ? さっきの影はなんなんだ?」

「ここは屋上よ。少し前から霧が晴れだしたの。もうすぐ分かるわ」


舞の言う通り、まわりの白い霧はどんどん薄くなっていった。それと共に動く影がちらちらし始める。

舞は立ち上がって俺と背中合わせになった。俺も改めて正面に刀をかまえる。


うおおおーんと犬の遠吠えがした。それが近づいてきて俺たちのまわりをまわると、残っていた白い霧が風を巻いて吹き飛んでいった。


俺はあっけにとられた。

空を飛竜のような魔物が飛んでいる。周りはスライムのような軟体生物の魔物に囲まれている──言葉が出ない。転生前の世界にいるようだ。


確かに俺たちは屋上にいた。つい昨日、真島の悩みを聞いた場所で、さっき階段を上ったら霧に覆われていた所だ。

学校自体が丘の上にあるので、頭上には青い空が高く広がっている。そこにカラスやハトや他の山鳥が飛んでいるのだが、それが何十匹か集合すると、人顔鳥体のハーピーやこの前会ったヴァンパイアサイレンに変わっていく。ハーピーは人より一回り大きいくらいだが、数が多かった。


後ろでは、校舎の下からは透明でぶよぶよした体の犬や猫が壁伝いに飛び上がってきて合体し、核がブツブツと入っている俺より二回りも三回りも大きいスライムになって屋上の手すりを乗り越えこっちを伺っていた。


「これは、なんなんだ……」

「霧の中に立っていた光の柱が消えたら、こいつらが現れてどんどん増えていったの」

俺と背中合わせになっている舞が説明した。

「倒しても倒してもキリがない。あちこちから集まってくる。あの中で地獄の蓋でも開けたわけ?」

「そういう感じだな。そしてあれが、俺の開けた地獄の蓋だ」


俺は白い刀を構えたまま、正面を顎で指した。

俺の目の前には屋上全体の三分の二が広がっていたが、真ん中の階段室は崩れ落ち、一番奥の階段室まで丸見えだった。その階段室の壁を背にして真島が立っていた。


黒くて短い毛並みの大型犬を従え、鋭い眼光でこちらを見据える真島は、もう俺の知っている優男の表情ではなかった。

舞はちらりと振り向いて真島を確認すると、視線が釘付けになり息を飲んで固まった。


「どうしたっていうの、真島先輩……」

「そうか。舞は会ったことないんだよな。あれが第六魔王"マレク=レプカテボルカ"だよ」


ええー⁈と舞の口が大きく開いたが、あまりの驚きに声が出なかった。


「た、確かに人型のハンサムとは聞いていたけど。あれ、真島先輩じゃないわけ⁉︎」

「真島だよ。真島が魔王だったんだよ」

舞はまた絶句した後、ボソッと呟いた。

「……なんでうちのそばに転生してんのよ……」

それは俺も思った──と、俺は無言で頷いた。


突然、ピンポンパンポーンと校内放送開始のチャイムが鳴って、立川先生の声が聞こえてきた。


「ただ今、警察署の方から連絡がありました。護送中の容疑者が逃げ出して、この町内に潜伏している可能性があるとのことです。生徒の皆さんは、合図があるまで校舎から出ないようにしてください。なお、丁度いい機会なので、同時に防火シャッターの動作点検もいたします。何ヶ所かのシャッターを閉めますので、騒がないようよろしくお願いします」


ピンポンパンポーン……と余韻を残して放送が終わった。その前から学校全体で騒つく声が上がった。


「な、なにこれ。立川先生が気をきかせてくれたわけ?」

舞が多細胞スライムを包丁で威嚇しながら呟く。


「それか、騒ぎにジェイルが気づいたのかもしれない。ジェイルは刑事だ」

俺は真島から目を離さずに思ったことを言った。


「じゃあ、ジェイルもここに来て加勢してくれるって言うの?」

「来るのはどうかな。あいつは正面きって戦うスタイルじゃないだろう」

「確かにね」舞はふふんと鼻で笑いながら言った。「あいつなら、魔物の革を着て魔物のふりをしながら一撃必殺を狙うわね」

「若しくは、戦列に加わろうとやってくる魔物をちまちま片付けてくれるか、だ」


魔王さま……

魔王さま……


飛んでいたハーピー達が真島の周りに降りてひざまづいた。


魔王さま……

ご再誕、お待ち申しておりました……

魔王様が"あの世"に送られたことは口惜しけれど……

我らの心はどこの世においても変わらず……

ご命令を。我らに忠誠を示す機会を……


「そなた達の誠意は疑わぬ。控えよ」


真島は俺たちの方を見たままそう言うと、ゆっくり歩いて近づいてきた。黒い犬も少し後ろからついてくる。


「頭の中の霧を見事に払ってくれたな、アトレウス。人の世に習い、一応礼を言おう」

「気分はどうだい? 無理はしなくていいぞ」

俺は刀を構えたまま答えた。

「なんなら病院に連れて行ってやろうか。俺が目覚めた時は体が言うこと聞かなくて大変だった」


真島だった男は、立ち止まって両手をにぎにぎと広げたり閉じたりしてみたり、軽くジャンプしてみたりした。


「人の身だが、悪くない……悪くないな。魔力や体力は随分少なくなったが、人の幼い身の上にしてはなかなか鍛えられている。ここまで作ったものに声をかけたいくらいだ」


舞は今度は忌々しそうに鼻をならし、俺は息を飲んだ。

おそらく真島の剣術や身体能力は健在だろう。そこにもって、あの世界ほどではないが、魔王の力が足されていると予想される。

俺は乾いてきた口腔内で舌を動かし、唾液の分泌を促してから喋った。


「それは良かったな。さっき俺たちに礼を言うと言っていたが、礼を受け取る代わりにちょっと聞きたいことがあるんだ。答えてくれないか?」

「なんだ?」

「姫は……カトレア姫はあの後どうなった?」


舞は驚きながらも声を潜めて言った。

「ちょっと、あんたそんなこと聞きたくて真島先輩を魔王にしたの⁉︎」

俺も舞だけに聞こえるように小さな声で言った。

「ごめん。俺のワガママだ。だから、隙があったら逃げてくれ。俺が魔王は抑えるから」


魔王マレクは腕組みをして黙っている。俺はもう一度マレクに話しかけた。


「俺とお前は相打ちになった。お互いここにいるということは、あの時命を失ったということだろう。だが、あそこに着くまででヘトヘトになっていた俺の方が切り込みが浅かった。どうしても、お前に与えた傷が致命傷になったとは考えられない。俺はすぐに絶命したけれど、お前は少なくとも俺よりは長く息があった筈だ。あの時、姫の声がした。姫がそばまで来ていたんだ。あの後、姫はどうなったのだ。まさか……まさか……」


「まさか? なんだ? 貴様の考えを言ってみろ。聞いてやる」


面白そうに俺を見下ろす魔王を、俺は予想から生じた怒りで斬りつけそうになる衝動を押し殺しながら続けた。


「お前は姫に殺されたんだ。姫は俺やお前を手当てしようとしただろう。優しい姫だ。だが、お前はそんな姫を残った力を使って殺そうとした。 さすがに姫も抵抗したんだ。姫が本気を出せば、例え魔王といえど無事では済まない。お前は姫に殺された。そうなのか? それならまだいい。ざまあーみろだ。俺が本当に気になるのは……」


腹で二、三回呼吸を整え、暴れ出しそうな心音を鎮めてから、心の中で何度か叫びそうになりながら封じてきた言葉を絞り出した。


「姫は……生きているのか? お前は姫の力にやられたが、姫もお前に……。お前は、お前は、助けようと差し伸べた姫の手を……俺の血の付いた剣で握り、そのまま……そのまま、胸まで刺し貫いたんだ!」


「落ち着いて! アーティー。悪い方に想像しないで!」

舞が喚きちらしそうになった俺の口を強い口調で止めた。

「姫が死んだ証拠はないわ。あなたが悪い方に想像しただけよ。でも、私もカトレア姫がどうなったのかは知りたいわね。私もその作戦で死んだんだから。どうなの? 真島魔王様。教えてくれたら、私の最高のダンスを披露してあげてもいいわ」


舞は包丁を持ったままひらひらと腕を緩やかに振って見せた。

魔王マレクは腕組みのままでにやけた表情も変えなかった。


「想像力豊かだな、人間どもは。聞きたければ、俺のリハビリに付き合え。俺はある意味生まれたばかりだ。アトレウス、変わった剣を手に入れたじゃないか」


マレクの横に黒い犬が並んで座った。マレクはその犬の口に手を入れ、何かを引き上げた。剣の柄だった。両手で握れるほどの長さがある。そのまま上に持ち上げると、犬が裏返しだったセーターを表に返すように中からめくれ、肉や骨が濡れたようにてらてらと光る刀身となって柄についてくる。犬は黒い模様のある大剣となった。


俺はその剣に見覚えがあった。最後にマレクに会った時マレクが掲げていた剣、俺の腹に突き刺さった剣だ。俺のへそ辺りにびりびりと電気がはしった。


鬼起ききのステップ、葬送の舞」


俺の後ろで、舞がステップを踏み、しなやかに腕を動かす。体中の筋肉に力がみなぎり熱くなってきた。運動能力爆上げの舞だ。


「舞は後ろの雑魚を頼む! そして逃げろ!」

「私がそんなことすると思う? あんたは魔王の相手をしてて!」

「ははは。受け止めろよ、アトレウス!」


マレクが魔剣を片手で大きく振った。衝撃波が地を這って来る。


「受け止めるだけじゃ、物足りないだろ!」

白い刀を野球のバットのごとく構えて、振り子打法で打ち返す。


衝撃波はマレクの脇を抜けて、後ろのハーピーに当たった。ハーピーは真っ二つになって倒れた。

他のハーピーやヴァンパイアサイレンが一斉に向かってくる。後ろのスライムも動き出した。


舞のステップのリズムが変わり、分裂した舞が蝶の如く宙を舞う。

俺は正面のハーピーたちに飛びかかった。マレクは様子を見ている。殺意むき出しの奴らが先だ。


刀を上から下から振りまくり、片っ端から切りまくる。不思議な手ごたえがした。血肉を斬る感覚ではない。水かゼリーを切っているようだ。そして切られたハーピーたちは元の鳥の姿に分かれて、空へ飛んでいってしまう。


舞は苦戦していた。得意の残像ステップの分身が、更に阿修羅のように手を動かしてスライムの核を狙うが、切っても切っても新しいスライム犬猫が補充されて減らない。


俺は振り返って、スライムを斬った。斬ったところから犬、猫、ネズミ、亀なんかに変わっていき、にゃーにゃーわんわんと鳴きながら落ちていく。舞が一瞬こけたようなしぐさをした。

どうやらこの刀には元の姿に戻す力があるらしい。


巨大なヴァンパイアサイレンが爪を振ってきた。それをかいくぐり、刀で突く。そのまま聖属性の力を刀に伝える。ヴァンパイアサイレンが爆発した。黒い破片は鳥やコウモリになって散り散りになっていった。


「あははは。面白い剣じゃないか」

飛び散る鳥の残影を剣で払いながらマレクが走ってきた。

互いに脚を踏み込み掲げる剣を振るう。


ギン!と硬質の音が鳴って、交差した剣から激しく火花がほとばしった。刀の方が圧倒的に細く薄かったのに、かち合っても折れたりしない。


俺は爆上げされた全ての力を足の踏ん張りに、腰の回転に、腕の振りに注いで剣撃する。右から左から横から刀を振り払う。マレクもあらん限りの力で受け、斬撃する。


魔剣は黒い煙をまとって襲いかかり、俺は身長差を生かしたその振り下ろしを何度も受けて体が痺れてきたが、刀は打ち合う度に白い星を散らし、ねばりある刀身を僅かにしならせて魔剣をはじく。頼もしい。これならいける。俺さえ引かなければいいんだ。押して押して、この刀を喉元に突きつけ、姫の事を洗いざらい吐かせてやる──その事しか頭になかった。


魔剣が欠けてきた。刃がボロボロになっている。刀はますます白く輝いていく。

マレクは弾かれた勢いで後ろに下がると、衝撃波を放ち、距離をとって魔剣を掲げた。


「こい!」

飛んでいた鳥たちが次々に魔剣に突っ込んでいく。張り付いた鳥の血が魔剣の刃を磨いて蘇らせた。


「うあああー!」

研ぎ澄まされた魔剣に臆する事なく俺は突っ込んだ。姫の事しか頭になかった。


振り下ろされる魔剣を下から弾き返す。浮き気味の俺の体をマレクが蹴ろうとする。下がる俺の間合いにそのまま踏み込んで刃の下に捉えようとする。


俺は避けながら、マレクの後ろに別の殺気を見た。

こんもりと繁る丘の木々の葉の間、ちょうど屋上と同じくらいの高さの梢の陰に、銀色に光る点が瞬いた。


まずい──と俺が点に向かって飛び出すのと同時にパァーンと乾いた音が発射された。反射的に魔法のシールドを張ったが、マレクの背中を狙った弾は、シールドを貫いて俺の胸にめり込んだ。


ジェイル……やっぱりいたんだ。根っからの盗賊、暗殺者アサシン。常に最小の体で最大の効果を上げる男。あの時より身長は伸びても、スタンスは変わらないのだ。あいつに俺の気持ちを伝えるすべはなかったな。前世ではナイフや吹き矢、弩も使っていたが、拳銃とは現世的だ。今も確実に殺せる瞬間を、じっと待っていたに違いない。


胸の真ん中が火のように熱い。ナイフと矢じりに毒は定番、場合によって貫通・硬化の魔法を付与していた。


マレクが不意打ちで水をかけられたような顔をしている。真島っぽい表情だ。薄れそうな意識の隅で舞の悲鳴を聞いた。死ぬ時みたいだと思って、はっと気を持ち直した。ここで死んだら、何のためにマレクを庇ったのかわからない。


ふらふらと階段室の壁に背を預けた。胸の傷に手を当て、聖属性の力を集中させる。解毒と治癒の魔法。前世ほど力が強くないので、すぐには塞がらない。血がまだどくどくと流れていく。


魔剣を担いだマレクが眉をひそめて近づいてきた。

「たいした様だな。俺がそんなものでくたばるとでも思ったのか」


刀を構えようとしたが、腕が上がらなかった。まだその力は湧いてこない。

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