第五章 五日目・三重の防壁(三)

 次に正宗は電子情報生命体の発注を正式に依頼すべく、グッドマンに電話した。

 電話の向こうから、グッドマンの緊張したお礼の言葉と、湧き上がる歓声が聞こえてきた。歓声に混じって、クラッカーや、楽器やパーカッションの音すら聞こえてきた。


 電話の向こうの祭りのような騒ぎに、正宗は不安になった。

「だ、大丈夫なのか。こいつら?」

 グッドマンから興奮した口調の返事があった。

「それでは、すぐに御要望をお伺いに向かいます」


「ああ、それなら、メールで送るから」

「ありがとうございます。何分にも期間が短いので、よろしくお願いします」

 正宗はメールで自分の要求を書いた項目、仕様書をA4書式にして二十枚ほどを送信した。すると、グッドマンからリアルタイムに近い間隔で回答が来た。

『仕様の概要は、お受け取りしました。詳細をお待ちしています』


 詳細? 送ったので全部だが?

 正宗は再びメールすると、すぐにグッドマンから電話がかかってきた。

「惑星開発事業部の正宗様でしょうか。要求仕様書の件ですが、他のものは、いつ頂けますか?」

「いえ、それで全部ですけど」


 電話の向こうのグッドマンはシーンとなった。

 正宗は沈黙の意味がわからなかったので、尋ねた。

「足りませんか? 必要なら、追加しますが」

「あのー、ですね。これほどの規模のプログラムを組むとなると、もっと詳細に記入していただけないと、作業を進めるのが難しいのですが」


 詳細に記入? どれくらいだ? あと二十枚くらいか? まあ、それなら残業すれば、明日じゅうにはできる。

「目安として、どれくらいの枚数になりそう?」

「そうですね……。今回のプログラムだと、仕様書の規模は二千枚くらいになるでしょうか」


 がーん!

 正宗は吹きそうになった。俺の作った資料の百倍以上! 最低でも、残り千九百八十枚だとー。やっぱり、こいつはグッドマンじゃなくてバッドマンだ。いや、ワーストマンか。


 正宗は腹を立てつつ、即座に言い返した。

「や、でも、送ったので、だいたいはわかるのでしょう?」

 グッドマンは歯切れ悪く、

「あ、いえ、あの。ハッキリ言えば、無理です。ひょっとして、仕様の策定段階からのお仕事ですか?」


 仕事の形がお互いに見えていないのを理解し合った瞬間だった。

 二人の間に、嫌ーな空気が流れた。

 商売上、グッドマンが先に口を開いた。

「失礼ですが、お客様、プログラムの調達をなされたご経験は?」


 正宗は惑星開発事業部ずーっと一筋だ。そもそも、惑星開発にプログラムなんて必要ないから発注したこともない。これは危険な香りが。

 正宗は正直に答えた。

「ない」


「技術審査をなさる方は、いらっしゃいますか?」

 自分の考えだけで作った。

「私です」


 グッドマンは、おそるおそる尋ねてきた。

「失礼ですが、プログラムの経験やスキルは、どの程度お持ちでしょうか?」

「表計算ソフトのマクロ機能とワープロぐらいです」


 嫌ーな空気は、夏の終わりの雨上がりの空気のように、濃度と粘性を増した。吸血蛭でも大発生しそうな、湿気た空気……。

 今度は正宗のほうから率直に尋ねた。吸血蛭だらけのジャングルに踏み込んでいくような勇気を奮い起こして。


「あの、仕様書から作成する打ち合わせが込みだと、間に合いませんか?」

 正宗はいっそ「無理」と言って欲しかった。そうすれば、これから来るであろう、砂漠で行う持久走並みの苦しみからは逃れられる。


 しかし、グッドマンは胸を張ったような声で答える。

「いえ、大丈夫です。作れるところから、順に作りましょう。作りながら仕様書を固めていけば、間に合いますよ」

 幾多の業者と接してきた正宗は、直感的にグッドマンの言葉に嘘の匂いを嗅ぎ取った。嗅ぎ取ったが、相手が「間に合う」と言い張るなら、それが現時点での真実だ。


 次の日から、電子情報生命体の打ち合わせが始まった。正宗はグッドマンの言葉が嘘ではないことを思い知った。ただ、グッドマンの言葉が足りなかったのだ。

 そう、グッドマンの言葉には「貴方が一日につき十六時間ぐらい働けば」という〝但し書き〟が抜けていた。やはりグッドマンは正宗にとってはワーストマンに違いなかった。


 正宗はグッドマンとのやり取りに時間を取られ、観介の誠意ゼロの対応にイラつきながら、仕事をした。

 どうにも時間が足りない。だが、時間はなくとも、歴然と仕事はある。

 正宗は忙しすぎて、限界に来たと思った。正宗はガバッと立ち上がると、自分しかいない部屋で大声で怒鳴った。


「もうダメだ。限界だ。やってられん。最初から無理だったんだよー、俺一人じゃ。そんなの、上もわかっていたじゃないかー。皆、現実を見ろー」

 しかし、部屋には正宗一人しかいないので、誰も答を返さない。それでも、正宗の演説は停まらなかった。


「惑星開発の担当者が一人なんて、おかしいだろう。それに、あまりにも斬新すぎる革命的な星だぞ。いや、本当に星なのか? 星と呼んでいいのかー。先頭に立って指示している奴の頭は、芸術的どころか、幻術的だろうがよ。奴には、しょせん夢さ。夢なのさ。そう、全ては夢なのさ。今さら俺が、夢なんて見られるかー」


 正宗は感情が高ぶり、手ぢかにあったペン立てを掴んで壁に投げようとした。

 けれども、振りかぶったところで中止し、拾い易いペン立ての隣にあるプラスチック・ソーサに持ち替えてから、壁に投げつけた。

 ボワンと間の抜けた音がして、ソーサーが壁に当たり、跳ね返った。

「ワーーーーーー」


 正宗は大声で叫ぶと、机に突っ伏して叫んだ。

 次第に声が低くなり、声が止まった。そのまま正宗は死んだように動かなくなった。


 数分後、卓上の時計のタイマーがピロピロリンとなった。

 正宗が顔だけ横を向くと、時計が目を留め、腕を振り下ろし、タイマーを停めた。正宗は大きく伸びをしてから、自分が投げたソーサーを拾い、席に戻った。

「日課のストレス発散の運動は、これで終了と。あと三十分で退社時刻だけど。どうせ、今日も残業は八時間くらいしなきゃならないんだろうからな」


 正宗は仕事にかかる前に、メールをチエックした。すると、惑星開発課の村上課長から職員宛の、的を射ていない訓示のメールが入っていた。正宗は一瞥し、ドラッグ&ドロップで捨てた。

「上は気楽でいいよな、正論ばっか言ってりゃいんだ」


 正宗はそこで、しばらく顔を合わせていない直属の係長である猪瀬のことが頭に浮かんだ。

「宝くじでも買うつもりで、窮状を相談してみるか」

 正宗は最近どうも仕事に身が入らなかった。運動をやると、いくぶんか、やる気になる。だが、近頃では飽きが来たのか、すぐに仕事に戻る気がしなかった。


 正宗は上司に相談するという思いつきから、散歩がてらに、猪瀬係長に相談に行った。

 猪瀬係長のいる部屋は閉まっており、留守だった。

「何だ、座っているだけの会議か? いいよな。座っているだけで仕事したことになる奴は。俺も早く偉くなって、そうなりてえな」


 正宗は帰りに売店で食事を買い、部屋に戻ると、端末から猪瀬係長のスケジュールをチエックした。猪瀬係長は『大規模開発長期出張』となっていた。

 正宗は乾いた苦笑いを浮かべた。

「おやおや。猪瀬係長は、現場が好きなのか。部下を信用しないのか、いつもいつも、自分で仕事をしたがるな」


 猪瀬係長のやっていることは、管理職というより切り込み隊長だ。まあ、隊員は置き去り気味だが。

 正宗は猪瀬係長に会えないので、食事しながら「助けてくれ」という内容のメールを打った。

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