3 清河八郎の策略と隊士募集


―――


 文久二年(1862年)、この頃京都を中心に攘夷論を掲げる浪人たちの行動の荒さが目立っていた。


 何時何処で何をするかわからない。

 勤王もあれば佐幕もあるという状況で、手がつけられなかった。


 この状況下で何とかしようと、「浪士募集」という事を画策した者がいた。

 それは、幕府の政事総裁でいわば大老格、越前の松平春嶽だった。


 春嶽は庄内藩郷士、清河八郎の提案を受け、将軍・徳川家茂の上洛に際して将軍警護の名目で浪士を集める旨の沙汰を下した。


 つまり「危ない奴らは今すぐ集めて、まとめて監視下に置こう」という裏の思惑があったと思われる。



 翌年(1863年)二月、集まった200名余りの浪士たちは将軍上洛に先がけ「浪士組」として一団を成し、中山道を西上する。



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