Overgeneralization,









 その日は確か、縁を切られたのです。自分を取り巻く乏しい人間関係のなかでたったひとり、少女がそれなりに信頼を置くことのできていた相手に。

『話しかけないで』

『あなたといると生きるのが楽しくない』

 叩きつけるように告げられた言葉に少女はうなずきました。どうして切られてしまったのかはやっぱり分からなかったけれど、従わなければもっと残酷な結末が待っているような気がして、それはとても、とても恐ろしかったのです。

 少女はまたひとり、かけがえのない存在を失いました。

 東へ伸びる自分の影を踏みながら歩きました。普段のように足が公園の方を向いて、ああ、とむなしい息が漏れました。

(もう、ずっと、こんなことばかり繰り返しながら生きていくんだろうな)

 仲良しの人が新たに増えるわけではない。なのに今ある人間関係はどんどん壊れてゆく。そんな、右肩下がりに何かを失うばかりの人生。

 悲しいことがあるとブランコに身を委ねて、濁った心を空へ打ち上げる。それで何かが解決できるわけではありません。誰かに好かれるわけでもありません。少女はただ、その時々の悲しみを無理やり忘れようとしているに過ぎないのです。

 ブランコは今日も空いていました。腰かけて、ひとりで静かに漕ぎ始めます。錆び付いた音が響き始めて、そこへ“元”友達になってしまった子の言葉が重なります。

『話しかけないで』

『あなたといると生きるのが楽しくない』

 どうしてそんなことを言うの。私、あなたになら話しかけられたし、あなたといると楽しかったのに──。浮かんだ思いを少女は打ち消してしまいます。それはあくまで少女の主観。少女がどんな文句を並べ立てようとも、あの子にとって少女は長い間ずっと、苦しみの種だったのです。

 日が落ちても、夜になっても、少女はブランコを離れることができませんでした。やがて力が抜けてしまって、ちっとも足を蹴り上げられなくなりました。地に墜ちた視界はたちまち水滴におおわれ、こらえられなくなった涙があふれ出しました。

(死にたい)

(消えたい)

 何度も、何度も、己を呪いました。この世でいちばん残忍な方法で命を落としたいとさえ思いました。けれど悲しいかな、涙をこらえる力がないように、臆病な少女には自死を選ぶ力もないのでした。


「泣いてるの?」

 と、声がかかりました。

 少女が顔を上げると、そこにはひとりの男の子の姿がありました。

 以前から公園の中で目にしていた、あの男の子でした。

 こんなに近くで目にしたのは初めてで、少女は一瞬、彼が誰なのかが分かりませんでした。どうして、ここに。どうして少女に気付いたのでしょうか。

 男の子は重ねて尋ねます。

「大丈夫……?」

 優しい目でした。言外に何かを企んでいるようにも、不純な動機を抱えているようにも見えませんでした。

 心配されている。

 そのことに気付かされるのに、そう長い時間は必要ありませんでした。

 大丈夫じゃない。助けて。そんな具合に訴えられたら、どんなによかったでしょう。しかし悲しいかな、少女はやっぱりどこまでいっても臆病なのでした。

「ごめんなさい。……大丈夫です」

 かすれた声を残して立ち上がり、逃げるようにブランコをあとにしました。

 待って、と男の子が声を発しかけましたが、足元を睨んで聞こえなかったふりを決め込みます。知らない人に気を遣わせてしまった。心配をかけちゃった──。力の抜けた足を叱咤しながら、燃え盛る後悔と羞恥心で心の中はぐちゃぐちゃでした。

 男の子は追ってきません。

 呆れ果てているでしょう。

 せっかく声をかけたのに、逃げられてしまったのですから。

 心配をかけた上に、かけてくれた心配を踏みにじった。自分はどれだけ人に不愉快な思いをさせればいいのだろう。止まらない嗚咽を必死に隠しながら、少女は家を目指して夜道を歩きました。

 なぜ、こんな時間に男の子が公園にいたのかになど、思い至ることさえなく。




 滅入った気分に沈む時間が尾を引けば引くほど、不幸の神様は嬉々として少女に群がります。次の日は、学校で過ごした半日もの間、ついに誰にも声をかけられませんでした。次の次の日は、雨の道で蹴つまずいて転んで、カバンも服も泥まみれになりました。グループワークの面倒ごとはみんな少女に押し付けられ、買おうとしたノートは目の前で売り切れ、不審な身なりの人に何十メートルも付いて歩かれました。

 泣きっ面に蜂とばかりに、今日は両親にしこたま怒られました。ぼうっとするな、勉強をしろ、さもなくば家の手伝いをしろ、誰が面倒を見てやっていると思ってるんだ──。あんまりな言いようでしたが、思わず口答えしてしまった少女には手痛い平手打ちが用意されていました。出ていけ、しばらく帰ってくるなと怒鳴られ、軒下を追い出されました。

 外はとうの昔に、夜闇の支配下に落ちている時間帯。

 行く宛もなく、おぼろな月明かりの照らす下を、少女は半泣きでさまよいました。どんな風に謝ろうか、どうすれば許してもらえるか。そんなことばかり考えていたら、目の前にいつもの公園が現れました。

(結局、ここに来ちゃうんだな)

 つくづく単純なものだと思いました。うなだれて、ブランコへ向かいます。疲れて傷んだ目元を拭って、そっと、座面に腰掛けます。慣れ親しんだその場所は、普段と代わりのないひんやりとした温度で、もろい少女の身体を受け止めてくれます。逃げ込み先を求める孤独な少女を、少しの逡巡しゅんじゅんもなく受け入れてくれます。

 ため息をついた、その時。

「……また、君だ」

 声がしました。

 飛び上がらんばかりの勢いで驚いた少女の目に、あの男の子が映りました。少し離れた場所に立っていた男の子は、見る間に公園を横切ってこちらへ歩いてきます。

「大丈夫?」

「あ……う……」

「泣いてたよね?」

 少女はついに言葉を返せませんでした。また、いつかのようにブランコから立ち上がって、男の子に背を向けてしまいました。男の子が悲しそうな声を上げます。

「あっ────」

「なんでもないです!」

 少女は強がりました。強がる必要なんて少しもなかったはずなのに、強がってしまいました。──そう。なんでもない。よその人に心配をかけなければならないようなことなど、少しもないのです。

 そっか、と男の子の声が響きます。それを確認して、そっと、公園をあとにしました。気まずかったし、それ以上その場にとどまっていたら、男の子にいっそう心配をかけてしまう気がして。

 これではまるで世捨て人のようです。

 家もダメ、公園もダメ、思いつくような行先はなし。目をこすり、こすり、少女はとぼとぼと目の前に続く道をたどりました。頭の上で丸くかすんだ月を見つめていると、言い様のない疲労感がどっとあふれ出して、少女はやっぱりため息をこらえられませんでした。

(二回も心配してくれたのにな、あの人……)

 申し訳ないと思う相手が、また増えてしまいました。





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