湖の夢
一
居間のテレビでは、高校野球の決勝戦が流れていた。
けたましい応援歌が、部屋の隅の扇風機の羽音や、外から漏れ入る蝉の鳴き声と、溶け合わずに重なっている。
団扇を扇ぐ音もある。
紗代ちゃんが扇いでいるのだ。彼女は、自分の部屋から勉強机の椅子を持ち出して来て、座っている。そして、両足を氷水を入れたバケツに浸している。身体には、ほとんど裸のような薄いタンクトップと水色の下着しか纏っていない。
あまりに涼しげな格好なので、僕は畳の上にだらりと寛ぎながら、
「ねえ、団扇くらい僕にくれよ」
と言ってみた。
しかし、答えはない。
紗代ちゃんの視線はじっとテレビのなかの熱戦へと注がれている。
よくもまあこんな暑い時にこんな暑苦しいものを見れるものだと、僕はいくらか感心しながら、なにげなく紗代ちゃんの身体を眺めた。
細長い首筋は、微かに汗が浮くのか輝いている。色の浅黒さもあって、見ているだけで晴れ晴れと胸を透かす美しさだ。
肩やちらりとのぞく腋のあたりは、骨ばっていながら、すこやかに瑞々しい。ぴちぴちと張り切っている感じがする。
尻はさくらんぼのような可憐な丸みで、しかしたるんでいない。太腿も、女の丸みの予感すらない筋肉質な細さである。青いバケツに刺さっている足は見えず、時折のぞくふくらはぎは水滴を弾いていてあざやかだ。
由梨花ちゃんの身体とは、かなり違う。双子の姉妹なのに、こんなに異なるものか。
僕は、紗代ちゃんはまだしばらく、処女であろうと思った。少女といえども女だと驚かされるような、やわらかいしめつけや、かなしく震える吐息は、紗代ちゃんには想像できない。
「なあ、あんさん」
突然、後ろで優子さんの声がした。
澱んだもので熱く狂ってきていた頭が、不意に醒める。
「どうしたんですか」
僕は横になったまま振り返った。
優子さんは、いつになく清潔な感じのする洋服に身を包んでいた。
「ちょっと、由梨花の薬貰いにお医者さんとこ行ってくるわ」
「あれ。もうなくなったんですか。ついこの前も行ってませんでした?」
「せやねんけどな、あんまり良くないから、他の薬も増やさんならんのよ」
「はあ、そうですか。心配ですね」
「いや、この前まで良かったから、その揺り戻しがきてるだけやと思うねんけどな。いっつもやから、こういう波あんのは」
優子さんは、いくらか無理に見える笑みを浮かべた。
「ほんなら、もう行ってくるから、あんさんごめんやけど、お昼ごはんは自分でやってくれる?」
「ああ、そんなの、全然大丈夫ですよ」
「ほんま、ごめんなあ。ほんまは紗代にやらせなあかんねやけど……」
優子さんはそう言って、名を呼ばれても聞こえていないようにテレビを見つめ続ける紗代ちゃんの方に、力なく笑いかけた。
僕も、紗代ちゃんの様子に笑いをこぼしながら、
「いや、お気遣いなく」
「ありがとうなあ。作ってはあるから、お皿に盛って食べて」
優子さんは、僕の笑ったので安心したように顔をやわらがせた。
「はい。適当にやりますんで、ご心配なく」
「あらら、うちがお客さんみたいなあ、これやと」
優子さんは微笑んで、
「ほな、お言葉にあまえて、行ってきます」
「ええ、お気をつけて」
優子さんがいなくなってから、かえって、彼女の言葉が蘇ってきた。
彼女は由梨花ちゃんがこのところ良くないのを、最近まで良かったことの揺り戻しだと言った。
しかし、僕にはそうは思われなかった。
初心な恋の激しさのせいではないだろうか。
夜のたびに、暗がりのなかで由梨花ちゃんの青白い肌は、せつないほどあざやかに赤らむのだ。
まるで、消えゆく炎が、最期に高く燃えるように。
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