原付で走っていると、いくらか涼しい風が肌を撫でた。

 それでも、腰の辺りだけが熱いのは、後ろに乗る由梨花ちゃんが両腕をきつくまわしているからだ。

 僕は彼女と、村の外れの、小高い丘へ向かうのだった。

 今朝、いつもとは違ってやさしく肩を揺すられて、目が覚めた。布団の傍には、由梨花ちゃんが畏まって正座していた。

「兄ちゃん、今日はうちとおでかけして」

 彼女は出しぬけに言った。

 ずっと胸中で練り上げた言葉を、状況を考えず闇雲に口に出してしまったような口ぶりであった。

 驚きと眠りの余韻とが頭を抜けて落ち着いたから、僕は彼女の唐突な言葉の真意を聞いた。

 つまり、こういうことであった。由梨花ちゃんは近頃体調が良く、外を出歩くにもそう心配のいらない状態であるから、折角なので出かけたい。しかしさすがに一人では危ないので、僕に付いて来てほしい。行き先は決まっていて、彼女が昔からこの辺りで最も好きな場所である、村外れの丘……。

 僕は一通り把握してから、

「まあ、優子さんがいいなら、僕は行きたいけどね」

 と言った。

 すると由梨花ちゃんはすかさず、まっすぐ僕を見て言った。

「大丈夫。お母さんにはもう、言ってます」

「な、なぜ敬語?」

「信じてもらうため。です」

「はあ、さようですか……」

 いつもより張り切った彼女の様子に、僕は戸惑いながらも、そのひたむきさには微笑みがこぼれた。

 僕は一応、優子さんにも直接聞いてみた。

「いいんですか、本当に」

「うん。良かったら、連れてったげて」

 優子さんは、意外に軽く答えた。

 しかし、由梨花ちゃんが用意をすると言って自分の部屋に姿を消すと、僕に弱々しく微笑んで、

「ごめんなあ。たのむね」

 と、やわらかい面持ちとは似合わない、切実な声音で言った。

 突然の変貌に驚いていると、彼女は言葉を継いだ。

「ほんまは、あかんて何回も言うてんけどな。どうしてもって、いっつも大人しいのが嘘みたいに、赤ちゃんに戻ったみたいにせがむから、よう断れんでなあ。やっぱり、たまにはこういうこともさせたげんと、いっつも家で寝てるばっかりやったら、あんまり不憫やし……」

 そう話す優子さんの目は、薄らと潤んでいた。

 それから彼女は、不安を紛らわせるように、また、僕にその不安を押し付けまいと努めるように、明るく笑った。

「あの子、あんさんに懐いてしゃあないんよ。今日に遊びに行きたがんのも、紗代が登校日でおらへんからや思うねん。心配やからうちが付いて行く言うても、必死に嫌がって聞かへんし」

 登校日は由梨花ちゃんにとってもそうであるはずだが、それでも遊ばせてあげるところを見ると、由梨花ちゃんは病身ゆえにあまやかされているらしい。

 移動の手段が原付であるのも、由梨花ちゃんの体調のために、優子さんが僕に頼んだのだった。目的地の丘はバス停からは遠いし、またなにかあった時にすぐに帰ろうと思ってもバスでは本数が限られていて都合が悪い。免許は持っているが二人乗りなんてして大丈夫かと僕は聞いたが、大丈夫だと彼女は迷わず答えた。この辺りでは警察官ですらそんなことに目くじらを立てないと、彼女は言った。事実、宿を出てからすぐ、自転車で巡回中の警察官とすれ違ったが、声すらかけられなかったのだった。

 運転していると、キャップ型のヘルメットだから、風景が流れていくのが鮮明に眺められる。旅に出てから初めての運転で、この爽やかな快感が新鮮に感じられ、思わずスピードを上げる。そのたび、由梨花ちゃんは僕のシャツをぎゅっと掴む。それで僕は、慌ててまたスピードを下げた。

 そうして三十分ほど走り、ようやく目的地に到着した。

 道に沿って丈の低い草原が広がり、向こうへとなだらかに盛り上がっている。ささやかな丘で、頂点はすぐそこにある。いちめん緑の陸は、波のように高くなってはまたゆるやかに低くなるらしく、それがどこまでも続いていくようで、ここから見ていると、一番近い頂点の奥に他の頂点が浮かんでいる。そして、緑の頭に爽やかな白い帽子のように、夏の雲がかかっている。

 ゆるやかな坂もつらそうな由梨花ちゃんの、汗にしっとり濡れているのにひんやりした手を、せがまれるので時折引いてやりながら、丘の上に着いた。

 少しのぼっただけでも、暑さはやわらいだ。

 ぬるい風が吹く。

 草花の瑞々しい香りが運ばれてきて、胸がいっぱいになる。

 次の高みとの間の窪みには、可憐な花が咲き乱れていて、あるところは黄色く、またあるところは赤く染まっている。やさしい風の流れで、花々は合唱ずる子どもたちのようにつつましく揺れる。

 向こうの高みには塔型の風車が一つ佇んでいて、あくびをするように、緩慢に回っている。

 駱駝の背中のように続いていく丘の、そのずっと遠くには、山々が厳然と聳えている。その裾野に、民家がぽつぽつと並び、田園が陽に洗われて輝かしく濡れている。蝉の声はほとんど届かず、天からもれ聞こえる音のように儚い。

 うっとりとしながら風景を見回していると、ふと、由梨花ちゃんが隣で僕をじっと見ているのに気づいた。

「どうしたの」

「ううん、なんでもない」

「そんなじっと見て」

「いや、えらい感動してるなあって」

「そりゃするさ」

 僕は視線を風景へ戻す。

「僕なんかより、こっちを見なよ。絵にも描けないようなのどかさだ」

 僕がそう言うと、由梨花ちゃんがくすくすと笑った。

「そうやって言われたら、よけいに兄ちゃん見たなる」

 彼女は、悪戯っぽい微笑みを湛えた眼で、またこちらを見つめた。

 なんとなく気恥ずかしくて僕は噴き出した。由梨花ちゃんもつられるように笑った。

 丘の上には一本の木があった。その木陰に、僕たちは腰かけた。

「なあなあ、兄ちゃん」

 由梨花ちゃんが、小動物みたいに躍った表情で言う。

「もう、お昼やで。お腹空いてへん?」

「ああ。空いたね」

 僕は答えながら、そういえば今日の昼食は、彼女が朝早くから作っていたのだと思い出して、微笑みをもらした。

「やんな、早く食べよ、食べよ」

 彼女は、うきうきとバスケットを持ち、開けかけて止めた。そして嬉しそうに、

「見て、このカゴ。外国の映画みたいじゃない?」

「本当だね。こんな丘の上で、そんなバスケットから、昼食が出てくるのか」

 僕は、あまりの明るい幸福に、かえって笑った。

「サンドイッチなんか出てくれば、フランス映画だ」

 由梨花ちゃんが、ぱあっと顔を華やがせる。

 彼女はバスケットを開いて、僕に得意げに見せつけた。そこにはサンドイッチが並んでいた。具材が多彩で、色んな宝が転がっているようにカラフルだ。

 由梨花ちゃんははしゃいだ声で、

「やっぱりサンドイッチやんな、うちも同じこと考えてん。やっぱりそうやでなあ」

 と言い、思考の一致に胸を弾ませるように破顔した。

 僕は、サンドイッチの隣に、紙にくるまれている物があるのに気がついた。

「ん? なに、これ」

「ああ、これな」

 由梨花ちゃんは、それを取り出して、紙を解いた。

 二本の、透明のハーフボトルだった。片方にはあざやかな黄色、もう片方には限りなく薄い黄色の液体が入っている。

「じゃーん」

 由梨花ちゃんは瓶を芝生に置く。

「さて、これはなんでしょう」

「唐突なクイズだな」

「さあ、当ててごらんなさい」

 いつになく浮かれた様子の由梨花ちゃんに、僕は温かいものを胸に感じながら、

「まあ……」

 と少し考えてから、あざやかな方を指して、

「これは簡単だな。オレンジジュースだろ?」

「ピンポンピンポーン、じゃあ、こっちは?」

「ううん……」

 僕は、もう片方を手に取った。

「なんだろう。リンゴジュース?」

「ぶっぶー」

「じゃあ……あ、もしかして」

「なになに?」

「まさか、白ワインか?」

 僕が聞く。

 由梨花ちゃんは、力強く頷いた。

「兄ちゃん、いっつもお酒飲んでるから、嬉しいかなって思って」

「いあ、確かに嬉しいけど……」

 僕は、彼女の爛々とした笑顔に気兼ねしながら、小さく言った。

「帰りも原付を運転しなきゃいけない」

「……うん。そうやなあ」

 由梨花ちゃんは、素直に頷く。

「いや、そうやなあじゃなくて」

 僕は言った。

「飲めないじゃん、だから」

「なんで?」

「なんでって、飲酒運転だ」

「飲んだら、バイク運転したら、あかんの?」

「うん、当たり前だ」

 と、僕はきっぱり言ってから、ふと気づいた。そういえば、ここでは二人乗りすらなにも言われないのだった。

 僕は、由梨花ちゃんに尋ねた。

「このワインを持って来てるのを、優子さんは知ってるの?」

 由梨花ちゃんは、またしても素直な様子で、答える。

「うん。だって、お母さんが買ってきてくれて、瓶に移して、紙に包んでくれてんもん」

「ああ、そうなんだ……」

 ならば、ここではこれくらいのことは大丈夫なのだろう。

 僕は、由梨花ちゃんの頭にポンと手を置いた。

「じゃあ、酔わない程度にいただこうかな。優子さんが許してくれてるんだし」

 僕は、こちらを上目に見る由梨花ちゃんに、微笑みかけた。

「それに、こんなところで飲む白ワインは、格別だろうからね。由梨花ちゃんの言う通り、こんなに嬉しいことはない」

「兄ちゃんの喜ぶのなんか、お見通しやねん」

 由梨花ちゃんは誇らしげに言って、小さな唇をへなりとゆるめ幸せそうに頬を綻ばせた。それから彼女は、照れを隠すようにあどけなく笑って、

「でもな、兄ちゃん。一つ、残念なお知らせです」

「え、なに?」

「コップを忘れてしもうた」

「あ、本当だ」

 僕は、そういえばと気づき、軽く笑った。

「まあいいよ。直に飲めばいい。その方が爽快だろう」

「ああ、ほんまや」

 由梨花ちゃんは納得したように目を丸くして、

「うちもそう思って、実はわざと忘れたんです」

「嘘つけ」

 すかさず言って彼女の頭を軽く小突くと、由梨花ちゃんは高く笑った。

 僕は気を取り直して言った。

「さて、じゃあ食べようか」

「うん、食べよう」

 由梨花ちゃんが笑みを浮かべたまま頷く。

 しかし、それからすぐ、ふっと表情が強張った。

「兄ちゃん、先食べて」

 彼女は、緊張の声音で言った。

 自分の作った物が、どう感じられるのか、気が気でないのだろう。

 初心な心の動きを、僕は可愛く感じながら、

「うん、じゃあ、いただきます」

 と、サンドイッチを一つ取り、口に運んだ。

 具は、ベーコンと卵とレタスだった。食材が瑞々しいのもあるが、パンの厚みやバターとマヨネーズの量もすべてちょうど良く、小学生が作ったとは思えぬ味である。きっと、優子さんにあれこれ教わりながら作ったのだろう、そう思うと、味はさらに深くなって舌に沁みた。

「由梨花ちゃん」

 僕は、ゆっくりと咀嚼し飲みこんでから、口を開く。

 由梨花ちゃんが、こちらをすがるように見上げて、じっと黙っている。

「こんなに美味しいサンドイッチ、初めてだよ」

 僕はそう言ってもう一口かじり、その一つをすぐに平らげた。

 由梨花ちゃんの強張っていた顔が、みるみるうちに、輝く。

「ほ、ほんま?」

「うん。本当に、これはいいな」

 そう言うと、由梨花ちゃんはますます表情を華やがせて、小さくガッツポーズをする。

 彼女は、サンドイッチを一つ手に取った。そして、ワインを一口飲んでいる僕に、それを突き出した。

「もっと、もっと食べて、兄ちゃん」

「うん、ありがとう。でも、由梨花ちゃんも食べな」

「ううん、うちなんかええの。兄ちゃん食べて。ほら」

 由梨花ちゃんは燃えるような眼でこちらをまっすぐ見つめて、口元にサンドイッチを差し出した。

 そうして、ほとんどを僕が食べ、最後に少しだけ由梨花ちゃんも食べて、僕たちは昼食を終えた。

 仄かに酔いがまわり始めていた。

 まどろむようにぽかぽかした目で、どこまでも広がる清々しい青空と、ささやかな芝生と花々と、向こうの風車などを眺めていると、余計に恍惚は深まってきた。隣で女の座り方でいる由梨花ちゃんの、芝生に突いている小さな手にそっと手を重ねてしまいそうだった。

 少し食休みをしてから、由梨花ちゃんに誘われて、花々の咲き並ぶ窪みにおりた。

 離れて眺めていると総和として漠然と美しかった花々は、近くで見るとはっとするような張り切った生命だった。小ぶりなのがまた、かえっていきいきと見えた。赤と黄色の花びらが太陽にきらめいて、生命の露が舞うようだった。

 僕にも陽ざしは降り注いだ。

 熱と陶酔が溶け合い、ぼうっとする。僕は花の上に寝転がった。

「あ、行儀悪いことして。こんなとこで、汚れるよ」

 由梨花ちゃんが、母を気取るようなままごとじみた口ぶりでたしなめた。

 僕は顔いっぱいに陽の熱を感じながら、

「でも、気持ちいいよ。なんだか、神様が人間と戯れる世界の心地だ」

「ふうん、うちも寝てみよ」

 由梨花ちゃんが、僕の隣に腰を下ろす。僕は慌てて、

「いや、止めときなよ。僕みたいなのは汚れてもいいけど、由梨花ちゃんは駄目だ」

「ふふ、なにそれ」

 彼女は、女らしいあまい微笑みを浮かべた。僕は、なんとなく自分が少年に戻ったような思いに駆られて急に恥ずかしく、誤魔化すように言った。

「いや、汗をかいた髪に、土が付くから鬱陶しいんだ。由梨花ちゃんは髪が長いから、なおさらだよ」

 由梨花ちゃんは、微笑んだまま、僕の頭をやさしく抱え起こした。

 そして、後頭部の土をさらさらと払い、自分の膝に、僕の頭を置いた。

「はい、これで大丈夫?」

「うん。ありがとう」

 僕は、由梨花ちゃんを見上げながら、恥はもう落ち着いてただただ言い知れぬ安堵に浸っていた。女のあまい匂いと、花の匂いが、混じり合っている。しかし、どちらも爛熟していないまだ軽やかな香りだから、僕を包む安堵も澄んでいる。頭を支える太腿にも、少女の脆さがある。

 由梨花ちゃんがおもむろに、膝枕をしたまま、傍の花を摘み始めた。なにをするのだろうと、ぼうっと眺めていると、花冠を編んでいるらしい。白い指とあざやかな花が触れ合うのを見ていると、どちらもいじらしい小ささというのもあって、色とりどりの蝶がじゃれ合うかのようだ。

 頭のすぐ上の華麗な光景に見惚れているうちに、花冠が完成した。

「すごいな、そんなにすぐできるんだ」

「昔はよう作ったから。覚えてるもんやなあ」

 由梨花ちゃんは、でき上がった花冠を、僕の頭に被せた。

 されるがままにしていると、彼女は飾られた僕を見て、くすくす笑った。

「あらあら、可愛いでちゅねえ」

 彼女は僕の頭を撫でて、揶揄うように言う。

 僕も笑うと、由梨花ちゃんはさらに重ねてふざける。

「あら、可愛くなって嬉しいんでちゅかあ」

 僕は、身体を起こして座り、花冠を手渡した。

「はい、由梨花ちゃんも付けてみてよ」

「ええ? 今度はうちが笑われる番?」

 由梨花ちゃんは楽しげにそう言いながら、花冠を受け取り、頭にのせた。

 僕は、彼女の言う通り冷やかすつもりだった。

 しかし、その瞬間、言葉を失った。

 息をのんだ。

 しっとり黒い髪に花の彩りが添えられて、こころもち恥ずかしそうに視線を泳がせる姿は、あまりに可憐だった。僕は、あっと声をあげそうになり、あげたのかもしれなかった。太陽と酩酊と昂ぶりで、自分が消失していた。

「驚いたな」

 僕は嘆息とともに呟いた。

「咲いていると美しい花も、由梨花ちゃんがあんまり美しいから、添えるとアクセサリーにしかならないね」

 忘我のために、胸からこぼれた、真実の礼讃だった。

 由梨花ちゃんは、雷に打たれたような驚きを露わにして、そっと俯いた。それから、微かに面を上げて、はにかんだ。髪の花のうるわしい赤が、白い肌にも咲いた。それでいて、自分の姿を隠さずさらす媚びも、忍んでいた。

 僕は、無言で微笑を湛えている彼女に、心を失って眼差しを注ぎ込んだ。

 僕と由梨花ちゃんが宿に戻ったのは、烈しい夕焼けがぼんやり藍色に移ろいはじめた頃合いだった。すぐに夕飯だった。

「べえ! ぶぶい! ぶちもいびばばっばあ!」

 由梨花ちゃんと僕が、二人で出かけたことを知った紗代ちゃんが、飯を口いっぱいに頬張ったまま、大きな声をあげた。怒っていることだけは表情で分かる。

「落ち着いて、落ち着いて」

 僕は苦笑しながら言った。

 紗代ちゃんは口のなかのものを飲みこんで、

「なんで二人でそんな楽しそうなことしてんねん、うちも行きたかった!」

「まあまあ、しょうがないじゃないか」

「しょうがないことあらへんわっ」

 紗代ちゃんは鋭く怒鳴り、ぷいとそっぽを向いてしまった。

 それを見て、由梨花ちゃんが静かに笑って、

「もう、赤ちゃんみたいに拗ねて」

 と揶揄った。

 紗代ちゃんは可愛い頬をぷくりと膨らませ、

「なあ、なんでうちが学校あんのに、遊びに行くんよ」

「しゃあないやん。今日たまたま、うちの調子が良かってんもん」

 由梨花ちゃんは悪びれずに言った。

 そうなると紗代ちゃんもますますいきり立ち、それでも罵る言葉が出てこないで、由梨花ちゃんの肩を小突いた。

「これ、やめなさい、ご飯中に」

 優子さんが困り果てたような声でなだめる。

 それで紗代ちゃんは目に怒りを滲ませながらむっつり固まったが、少しして突然に、

「ああ」

 と、なにか思い出したように口を開いた。

 そして、ふん、と小生意気に鼻で笑い、

「ええもん、うち、土曜なったら、祭り行くんやもん」

 と誇らしげに言った。

「祭り?」

 さっきまで毅然としていた由梨花ちゃんが、食事の手を止めて紗代ちゃんを見た。

「なんなん、それ?」

 彼女は、紗代ちゃんから僕へ視線を滑らせた。いくらか不安の漂う。

「僕もあんまり分かってないんだけど、隣の町で花火大会があるんだって」

「兄ちゃんも行くん?」

 由梨花ちゃんのか細い問いかけに、紗代ちゃんが横から答えた。

「連れてってもらうねん、その前約束してん」

 紗代ちゃんがそう言うと、こちらをじっと見つめていた由梨花ちゃんは、どうしていいか分からないように、俯いてしまった。

「うちも行く」

 消え入りそうな、しかし切実な響きで、彼女は呟いた。

 優子さんが、憐れみの表情を覆い隠すように微笑んだ。

「うん、あんたも連れてってもらい。調子良かったらな」

 由梨花ちゃんは小さく頷いた。駄々をこねないのは、かなしみに耐えるために沈黙を欲するからだろうか。さっきの微かな呟きにも、やるせないかなしみは滲んでいた。きっと行けないと、分かっているのだろう。村の丘と、隣町の花火大会では、危なさがまるで違う。それでも言わずにはいられなかったところに、彼女の魂の烈しさも感じられた。

 紗代ちゃんは、自分だけ遊びに行けなかったことも祭りのことも忘れてしまったように、涼しい様子で米を頬張った。


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