血盟

 シナロア――シエラ・マドレ山脈とカリフォルニア湾、そして太平洋に挟まれた、メキシコ北部の州。地理の教科書によればその地域の主要産業は――有機農業、畜産業、そして漁業。

 だがそれらを全て合わせても、罌粟ケシと大麻の栽培、そしてコカイン密輸が稼ぎ出す収入には到底及ぼない――シナロアはこの国の麻薬禍の中心地。

 罌粟ケシや大麻の栽培に適した乾燥した高地。商品の出荷のための港の存在。そして世界最大の麻薬消費国であるアメリカとの国境まで僅か六〇〇キロという立地。あらゆる地政学的条件が、この地における麻薬産業の勃興を必然のものとした。

 州都であるクリアカンもまた、無数の大物麻薬密売人ナルコたちを輩出してきたいわくつきの街だ。街は麻薬マネーによって整備されており、あちこちの角には濃い緑の建物――麻薬密売人ナルコの聖人ヘスス・マルベルデを祀る礼拝所が建立されている。緑は大麻の色であり、同時にドル札の色でもある。

 その街の南のはずれに、広大な敷地を持つ庭園墓地がある。

 庭園の正門に、黒いSUVとピックアップトラックで構成された物々しい車列が乗り付ける。ピックアップトラックの車体側面には「POLICIA警察」の文字。荷台にはAR15自動小銃を手にした警官が乗り込んでおり、更にそのうちの一人は銃架に取り付けたM2ブローニング重機関銃の銃把を握っている。

 車列の先頭から三台目のSUVのドアがスライドし、黒いドレスを来た女が降りてくる。その日は生憎の雨――ドアの前で待機していた護衛らしきスーツの男が、手にした傘をすばやく女に差し出す。

 長い黒髪。浅黒いつややかな肌。高いハイヒールがそのすらりとした脚を一際長く見せている。歳は五〇代前半――若い頃から身体維持に情熱を注いできた成果もあり、エキゾチックな美貌はいささかも衰えていない。

 女が庭園の中へと歩き出す。五名の護衛がその後に続く。

 正門をくぐると、まず芝生に整然と並べられた石造りの十字架の列が目に入る。女は十字架には見向きもせず、足早に横を通り過ぎていく。

 庭園の奥へ進んでいくと、その十字架の列の中に大理石造りの小さな礼拝所の姿が混じり始める。更に先へと進むと、ついに十字の墓標の姿が消え、一回り大きな礼拝所だけが寄り集まる一角へと出る。

 それぞれの礼拝所の門の上部には、ポスターサイズの遺影が飾られている。遺影に写っているのはカウボーイ風麻薬密売人ノルティーヨファッションに身を包んだ男たち。拳銃や小銃を構えたり、セスナ機やトラックを背にしてポーズを決めたりしている――まるで映画スター気取り。

 ここは麻薬密売人ナルコたちの眠る墓所。

 麻薬はこの世界で石油に次ぐ高利潤の商品であるが、欠点がないわけでもない――取扱業者たちの寿命が極端に短いことだ。

 この業界の玉座や、円卓の椅子に座れる時間は長くて十年。ほとんどの麻薬密売人ナルコたちは、夜空に一瞬だけ煌めく花火のように、短い生涯を送る。

 人生が短いのであればこそ、その煌めきを永遠のものにしようと、麻薬密売人たちは自らの眠る墓に贅を尽くす。

 そうして完成するのが、この石造りの白い円屋根まるやねをした建物の集まり――まるでミニチュア版エルサレム。

 その中でも、一際豪華な――二階建ての一軒家ほどはあろう礼拝所の前で、女は足を止める。アーチ型の扉の上枠には、こう彫り込まれている――EL PATRON首領の中の首領。二人の護衛が礼拝所の扉を開け、中へと入る。数分後、安全を確認した護衛が女を礼拝所の中へと招き入れる――入れ替わりで護衛は外に。

 中は涼しい。故人が暑さに悩まされないよう、空調が二十四時間稼働している。奥の祭壇には、大人の背と同じ高さの巨大な遺影――青いスーツを来た白髪の男。表情は柔和――銃も車もなし。麻薬密売人の遺影といより、政治家の選挙ポスターのよう。

 その遺影の正面には、三人がけの長椅子が横に二列、縦に三列並んでいる。左側最前列の長椅子に学生服を来た少女が座っている。女は先客の後ろの長椅子に腰掛ける。

 女と少女――どちらも口を開かない。暫くの間、屋根を叩く雨音だけが場を支配する。

「――そちらの要望通り、FESは排除した。営頭イントウは商談の続きを望んでいる」

 少女――ルシアが振り向かず、正面を向いたまま言う。女はすぐに応えない。焦らすようにじっくりを間を空けてから、返答をする。

「こちらの要望はFESと特甲児童の排除。残念だけどまだ半分しか応えてもらっていない」

「そちらもすぐに片付く」

「へぇ……それなのにこう急かすだなんて。あの鰐を慌てて切り捨てたのもそうだけど、貴方のボス――そのイントウさんも、相当追い詰められているのね」

 女が鼻で笑ってみせる。ルシアは挑発を無視する。

「――いいわ。商談をしたいというなら、してあげてもいい。だけど、その商談には直接イントウ――ラ・オルミガに出向いて貰う必要がある。でないとほかの首領パトロンを説得できない」

「……営頭イントウに伝えておく」

「お願いするわ、お嬢さんセニョリータ

 ルシアが長椅子から立ち上がる。こつこつと足音を立てながら出口に向かう――速すぎず、遅すぎず、同じ歩幅を正確に維持した歩み。扉の前に辿り着いたところで、女が再び口を開く。

「馬鹿だと思わない?」

 扉に手をかけたまま、後ろにいる女に顔を向ける。

「何の話だ」

「男っていう生き物の話。麻薬密売はあくまでビジネス。でも男どもはすぐにこのビジネスを戦争にしたがる。その結果が、この馬鹿げた墓の群れ――間抜けな旦那や息子が早死するものだから、妻や母、娘が裏稼業ピスタ・セクレタを継がざるを得なくなる」

 女が長椅子から席を立ち、遺影の前へと歩み寄る。そして白髪男の顔を見上げながら言葉を続ける。

「賢い男を選んで結婚したつもりだったけど、彼も結局は商売を戦争に変えて死んだ。あの人食い鰐もそう。殉職したFES隊員の葬儀を襲撃して、あまつさえ参列した村の人間を皆殺しにするなんて――ゲリラとの戦いが忘れられないのかしらね」

「……」

 女がくるりとルシアに向き直る。

「会談の時間と場所はまたこちらから指定する。それと、こちらも誠意を見せてあげる――ほんの少しばかりね。特甲児童の排除に協力するわ。軍人崩れごときには真似できない、我々“血盟”のやり方でね」

 ルシアは女の申し出に応えない。黙って礼拝所を後にする。

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