追憶
――思い出すのは、うなじに感じる、金属のひんやりとした感触。
その時、リアンはレールを枕にし、線路のあいだで横になっていた。
視界いっぱいに広がる満天の星空――それを見上げている。
どこかで脱線事故が起きたせいで、リアンたちを乗せていた列車は途中駅で足止めをされていた。そのためほかの乗客たちと一緒に、夜の駅舎で列車が再び動き出すのを待っている。
夜空に向かって手を伸ばす――まだ生身だったその手。星の光に触れられそうで、触れられない。
「……ニュージャージーまであとどれくらいかな」
隣で、自分と同じように線路に寝転んでいる少女が尋ねる。リアンは毛布代わりに体にかけているパーカーのポケットから、折り畳まれた地図を取り出す。その地図は中米を大きく写したもので、
少女の親族が住んでいるというニュージャージーは載っていない。
「
リアンは地図を夜空に掲げる。見知らぬ土地の在処について思い描き、大体の見当をつけて地図からはみ出た先の、宙を指差す。
「――多分この辺だから、きっとあと二週間か、三週間……」
リアンがグアテマラからメキシコに密入国してから既に三週間が経過していた。
自分に同じようなことを言っていた叔父さん《ティオ》はもういない。道中で彼はリアンを置いて姿を消した。はぐれしまっただけなのか、事故や事件に巻き込まれたのか、それとも自分が捨てられたのか――真実はわからない。
「わたしたち、無事に
少女が不安そうな声を漏らす。リアンは地図から隣の少女に視線を移す。
長い黒髪。メスティソらしからぬ白い肌が星明りに照らされて、ほのかに青みを帯びている。目を離した隙にでも、そのまま闇夜の中に溶けて消えてしまいそう。
「……行けるさ。あたしがきっと連れてってやる」
彼女――ルシアと出会ったのは、つい一週間ほどの話。
彼女は、そのシェルターでリアンに充てがわれた二段ベッドの先客だった。上段を陣取り、マットレスの中に縮こまりながら、日がな一日泣きはらしていた。
第一印象――気が滅入りそう。その泣き声にうんざりして、最初の晩に上段のベッドに向けて下から抗議の蹴りをいれる。静寂は数分続いたが、すぐにまたしくしくと泣き声が漏れ出し始める。
後日、ほかの同室者から事情を聞く――彼女もまた連れである父と別れたという。なんでも全身に刺青を彫り込んだ男たち――
シェルターの滞在期限は三日と定められている。その三日が過ぎ、リアンは自分の荷物をまとめる。ルシアは食事と手洗い以外はマットレスから離れない。シェルターを運営するシスターたちは、一向に出ていく素振りのないあの
彼女はすでに一週間ほどシェルターに居座っていた。無理やり追い出せば犯罪組織の餌食になるしかない。当局に引き渡せば強制送還。だからといって次から次へと押し寄せる移民たちの手前、いつまでも彼女だけを特別扱いすることはできない。
リアンは、彼女を国境の
何故、そんなことをしたのか――自分と似たような境遇ゆえ、彼女に同情したのは確か。そして自分と似たような境遇だからこそ、泣いてばかりいる彼女に苛ついたのも事実。
でも一番の理由は――きっとその時の自分がこれから何をすればいいのか分からなかったから。
手のかかる
だからリアンは、ルシアをマットレスから引き剥がし、その手を引いて歩く。
わずか半年ばかり早く生まれただけにも関わらず、姉貴面をして。
ルシアは不思議に思っていた。彼女――このリアンという少女の行動が。
何故、赤の他人である自分に手を差し出すのか。聞いた話では彼女もまた
彼女は捨てられた――それが客観的な事実だった。
本人もおそらく薄々は気づいている。その明るい口ぶりの中にも、時たま不安の色が垣間見える――それなのに、何故こんなにも迷いなく突き進めるのか。
自分は家族を失った時、ただ殻に籠もることしかできなかった。
彼女の強さが羨ましかった。彼女が指し示してくれる場所まで辿り着ければ自分も変われるような気がした。
だからルシアは差し出されたその手を強く握り返す。
二人は、アメリカへの玄関口である国境の街――レイノサへと向かう。そこまで辿り着ければ、あとは国境を区切るリオ・ブラボー河を渡るだけだ。
アメリカを目指す密入国者たちのうち、実際に国境まで辿り着けるのは、全体の三分の一程度。残りは
国境を目前にして、二人の心の中で期待と不安が同時に膨れ、せめぎ合う。
翌日、列車の運行が再開する。二人は急いで側溝に溜まった水をペットボトルに汲み、列車の屋根へと飛び乗る。
結末は説明するまでもない――二人が国境に辿り着くことはない。
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