ブリーフィング
基地内のミーティングルーム。四〇名ほどのFES隊員が、乱雑に並べられたパイプ椅子に座っている。リアンは最前列中央に置かれた椅子の上で胡座をかいている。部屋の隅にはパトリックの姿も――壁に持たれながら他の隊員たちと同じく部屋の前方へと目を向けている。
彼らの正面にはスクリーンが設置されている。顔の腫れ上がった禿頭の中年男――先日の急襲作戦で捕縛された
その口から吐き出されるのは、現在の組織構造、取引の相手、商品の保管場所、カルテルが関わった殺しについて――
映像の中の男はなんとしてもアメリカへの送還を実現しなければならない。
メキシコ国内に存在する刑務所、その殆どは麻薬カルテルの手中にある。政府は警察職員に対してと同じく、刑務所職員にも買収を予防できるだけの給与を払えていない。
だから
金のある
ただし、ラ・カンパニアの連中だけは事情が別。大手カルテルの中では唯一、彼らだけが刑務所を領有していない――なぜなら、
仕組みはこう――組織への加盟を希望する地方のギャングに対して、彼らは特殊部隊仕込みの戦闘訓練や武器、売買ルート、そして「ラ・カンパニア」というブランド名を提供する。ギャングらは引き換えとして、売上に応じて設定される
いわゆるフランチャイズ方式。ラ・カンパニアはハンバーガーチェーンと同じ
そしてそのフランチャイズモデルにおいてはブランドイメージの的確なプロデュースこそが事業の成否を握る鍵となる。そのため、彼らは何よりも広告戦略を重視し、「恐怖」の喧伝に一際力を入れてきた。
敵対者の死体を徹底的に辱めた上で市街の中心に放置し、捕虜を斬首する映像をインターネットで配信する。荒事はあえて夕方に実行し、連邦警察や軍の特殊部隊相手に一歩も引かずに戦う様を、夜のニュースを通じて市民に知らしめる。
ラ・カンパニアは細心の注意を払い、自らが勇猛果敢で残虐非道、絶対無敵の強者であるという
その方針で割りを食うのが、この
戦いの中で死ぬ覚悟など当然持ち合わせていない。といって当局に逮捕され、敵対カルテルが支配する国内の刑務所に収監となれば三日も待たずに殺されてしまう。
だから
そして、その口からついにある男の名前が発せられる。
FES隊員らの間にどよめきが広がる。
グスタボ・アンガリータ――
なにより、あのオヒナガの事件の指揮をした――FESにとっては不倶戴天の敵。
永らくメキシコ=グアテマラの国境地帯の密林に隠れ潜んでいたため、メキシコ、アメリカ両政府ともに手を出せずにいた。しかし、つい数日前にメキシコ国内に設けられた隠れ家に移動――映像の中で
供述映像の再生が終わり、どこかの密林の衛生画像と、グスタボの顔写真――GAFEに入隊した際に撮影されたもの――が続けて映し出される。
短く刈り上げられた黒い髪。鋭く尖った琥珀色の瞳と鷲鼻。薄い唇。右の目尻から頬にかけて、小指ほどの長さの刃物傷。
部屋の隅にいたパトリックが壇上に歩み寄り、スクリーン横に立つ。
「どうも、
お得意のジョーク――グスタボの情報が飛び出たことで殺気立った隊員たちはぴくりとも反応してみせない。
「写真は、あの
衛星画像が拡大される――密林の中の小さな集落。中央に粗雑な東西に走る土道が一本あり、それを囲むように小さな平屋や民家がぽつりぽつりと点在している。南に一番大きな建物――おそらく教会。裏手の木々は伐採され、代わりに貨物コンテナとテントが整然と並んでいる。周囲には小銃を手にした歩哨や、機関銃を搭載したピックアップトラックの姿もある。
「ご覧の通り立派な軍事キャンプができている。テントの数などから推察される駐屯兵の数は二〇〇人。歩哨の配置から、正規の軍事訓練を受けた連中であることも伺える。ラ・カンパニアの中でもエリート中のエリートと思われる兵士が二〇〇人だ。さて、一体何を守っている?」
ついに宿敵を葬れるかもしれないという期待が、隊員らの胸の中で否応なく膨らみ始める。とはいえ、百戦錬磨の戦士たちは、物事が期待通りに決して上手く運ばないこともよく知っている。リモンがパトリックに疑問を投げかける。
「
「追い詰められた人食い鰐は疑心暗鬼となり、忠実な近衛兵だけで身辺を固め、組織の幹部連中にも正確な自分の居場所を知らせていないそうだ。ビデオの中の男は武器や物資の移動の痕跡から、人食い鰐の居所を密かに探りだしたらしい――当局に捕まった場合に備えて、な。つまり、隠れ家に関する情報が漏洩したという認識を人食い鰐が持っている可能性は低い」
「すべては
「その通り。だが、事実なら人食い鰐を生け捕りにできるまたとないチャンスだ」
生け捕り――その言葉が室内の空気に棘を刺す。FES隊員の発する敵意の対象が、グスタボからパトリックへと移り変わる。
男はそれを歯牙にもかけない。スクリーンの画像がまた切り替わる。市街で撮影されたと思われる、黒い服を着た男の望遠写真。その姿はまるで陽炎のようにゆらめいていて、はっきりとした相貌は読み取れない。
「忘れないで欲しい――我々の目標はあくまで、このラ・オルミガ――プリンチップ株式会社の生き残りだ」
プリンチップ株式会社――かつてヨーロッパを混沌の渦へと叩き込んだテロ支援組織。各国の法執行機関、諜報機関の尽力と、オーストリア治安当局所属の特甲児童の活躍により、エージェントを名乗る組織の中心人物、リヒャルト・トラクルは逮捕――組織は崩壊。その残党の一部がこの中南米へと落ち延び、当時急進的成長を遂げていたラ・カンパニアと結託――流入したプリンチップ社ブランドの最新兵器が、この麻薬戦争を更に苛烈なものにした。
ラ・オルミガは残党一味の現在の首魁と目される人物。パトリックはその男を捕らえるためにこの国にやってきた。
「こいつを捕らえ、
パトリックはふたつの我々を使い分けて説得する。FESとCIAを指す「我々」とアメリカ政府とCIAを指す「我々」。同じ目的を共有する同志であると強調する一方で、もし目的を違えるならばいつでも支援を引き上げるということを仄めかしている。
「
反感と不満が部屋いっぱいに充満する。パトリックは壇上から動かず、まるで舞台俳優のように涼し気な表情のままそれを受け止める。彼らの鬱憤を、この一身で丸ごと引き受けるつもり――憎まれ役に慣れきった男の配慮。
ただ一人、リアンだけが壇上のパトリックから顔を背けている。その手はカーゴパンツの裾を強く握っている――グスタボの名前が飛び出てきてからずっとそうしている。
リアンもまた多くのFES隊員たちと同じくグスタボの死を望む――彼らとはまた違う理由で。
いつかこうなることを予見していなかったわけではない。けれども楽観は捨てきれずにいた――カルテル同士の抗争や、組織内のいざこざで、あの男が自分の素知らぬ所で野垂れ死んでくれるという可能性。
この麻薬戦争による死者の名簿に刻まれた名前の数はそれこそ星の数にも劣らない。そのリストの中にあの男の名前が混じることは十分に有りえたはず。
しかし、そうはならなかった。あの男は生き延びた。そして、今、目の前の男が、FESに――自分に、あの男の生け捕りを命じている。
不都合な現実はいつも突如として鼻先に突きつけられる。世界が遠のく。
次に顔を上げたときには、壇上からパトリックの姿は消えている。周囲の隊員たちが立ち上がり、パイプ椅子を片付け始めている。
血の気の失せた顔を他の隊員たちに悟られぬよう、リアンはそそくさに部屋を後にする。
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