急襲作戦

 メキシコ――タマウリパス州。深い闇の中、東シエラ・マドレ山脈シエラ・マドレ・オリエンタルの険しい山肌を撫でるように、二〇名ほどの完全武装の特殊部隊員を詰め込んだMi−17ヘリコプターが飛行していた。

 機内では隊員たちが硬い長椅子に身を寄せ合い、装備の最終点検を行っている。夜間戦闘用にセットアップされたSIG516自動小銃や、予備拳銃セカンダリーのSIG P226、小銃弾をも受け止めるレベル4のプレートキャリア、暗視装置NVGを装着したへルメット等々――総重量は三〇キロにも及ぶ。

 隊員たちは皆一様にバッファローを思わせる分厚い体躯をしている。だが一方で、装備を扱う手付きは意外なほど柔らか――自らと仲間の命を護ってくれるであろうそれぞれの装備に対して、敬意を惜しみなく注いでいる。

 無骨さと繊細さを同時に持ち合わせた屈強な水牛の群れ。

 その群れの中に、場違いにも十代アドレスセンテとおぼしい少女の姿がある。長椅子の隅を陣取り、安全手すりに腕や足をひっかけ、機体の揺れを物ともせず器用にストレッチをこなす――水場から戻る群れを間違え迷い込んだ子鹿という風情。

 サラサラの黒髪。切れの長いエキゾチックな黒瞳こくとう。滑らかな浅黒い肌。カーキ色のミリタリージャケットとカーゴパンツをラフに着こなしており、露出した首や前腕から、すらっとしなやかな体つきであることが伺える。他の隊員たちとは違い、装備らしい装備も身に着けていない。

「なぁ、姫様ラ・プリンセサ、機械の体でストレッチして、何か意味があるのか?」

 対面に座る隊員がヘルメットの下に装着した通信機器ヘッドセットを調整しながら、少女に尋ねる。首からぶら下げた認識票ドッグタグによると隊員の名はリモン――機内ではおそらく少女の次に若い。

「あー……気分の問題かな。つーか、あたしのこと姫様ラ・プリンセサって呼ぶな。ちゃんとリアンって名前があるんだから」

 むすりとした調子で少女が返答する。

「おっとこれは申し訳ないミル・ディスクルパス――リアン姫様リアン・ラ・プリンセサ

「だからやめてってば……」

 少女の困惑を余所に、周りの隊員らがクスクスと笑いを漏らす。

 まるで学生エストディアンテの掛け合い。

 会話だけを切り取れば、彼らがこの国で最強の兵士ソルダード――メキシコ海兵隊特殊部隊FESの隊員たちだとはとても思えない。


 ほどなくしてヘリは、高級材木であるマボガニーの森林の中に標的の姿を見つける。森を切り開き造られた農園フィンカ――麻薬カルテル「ラ・カンパニア」のアジト。

 その中央に位置する二階建ての母屋の上でヘリは空中停止ホバリング――貨物ドアから垂れ下げたファストロープを通じて、次々とFES隊員を吐き出していく。屋根に着地した隊員が素早く索敵クリアリングを実行し、周囲の安全を確保する。

 そして最後に、少女がヘリから――ロープも使わず飛び降りる。空中で顔と四肢がエメラルドの輝きに包まれる。《転送を開封》――少女の全身が、漆黒で流線型の〈特殊転送式強襲機甲義肢〉、通称〈特甲〉に覆われる。

 リアン・ルナ・クルス――FES所属の特甲児童。

 片膝立ちで屋根に着地。落下の勢いを乗せた右腕――超振動型雷撃器と化した拳を思い切り振り下ろす。鉄球クレーンもかくやという一撃が、建物の天井に大穴を開け、崩落した瓦礫が室内にいた敵の一人を押し潰す。すかさず投げ込まれる閃光音響弾フラッシュバン。突貫してくる黒い突撃手。それを援護する二点射撃。母屋はたちまち死線ゾナ・デ・ムエルテに変貌する。

 リアンらがヘリから降下するのと同じタイミングで、別ルートで予め浸透していた地上班が農園を囲む塀を爆破――一列縦隊で敷地内になだれ込む。その中には、他の隊員の倍近い背丈を持つ黒い巨人――米軍が開発した軍用アームスーツ、サテュロスの姿もある。脚部からホイールを展開し、素早く散開――手にした大口径の対物ライフルで遊撃を開始する。

 空と地上、両面からの急襲に慌てふためくカルテルの警護人シカリオ――殺し屋たち。

 銃を手に果敢に飛び出した者たちが、暗視装置NVGを装備したFES隊員の狙撃によりたおされていく。屋内に籠城して応戦する者も閃光音響弾フラッシュバンの発する強烈な光と音であぶり出されてから撃たれるか、サテュロスの対物ライフルによって遮蔽物ごと撃ち抜かれる。

 まるで予め定められた演目を淡々とこなすかのような、正確無比で一方的な制圧。しかし相手はこの国でも屈指の武闘派犯罪集団――生き残り同士が連携し、次第に統制の取れた反撃を試み始める。

 そして突如、離れのひとつが爆散する。建物の壁を突き破り飛び出してくる、農園フィンカの護衛隊が持つ虎の子――軍用機体。扁平な装甲・機銃が設置された六対のアーム兼脚・背に兵員輸送用の籠。鋼鉄の蜘蛛アラニャ――ロシア製の山岳用駆逐兵器。機体側面に刻印――Princip Inc.プリンチップ株式会社

 素早く反応した三頭のサテュロスが対物ライフルを怪物に向け発砲――タングステン製の弾芯が、分厚い装甲に弾かれ砕け散る。

 攻守交代――怪物の機銃が唸りを上げる。

 後退するサテュロス。手近な遮蔽物に身を隠す隊員たち。弾痕が四方八方に穿たれる。

 機銃の制圧力を盾にして蜘蛛アラニャが前進を開始する。爆発に吹き飛ばされ、地面にうずくまっていたリモンが、その脚に踏み潰されそうになる。

「――そいつはあたしの獲物だ!」

 FESの虎の子特甲児童も負けじと母屋の窓をぶち抜き、蜘蛛アラニャの真正面に着地する。機銃掃射を避けるためにジグザグに突進。突然の乱入者に瞠目する蜘蛛アラニャ――前進を一時停止――リモンは間一髪圧死を免れる。サテュロスたちの援護フォロー――疾走する突撃手に向けられた機銃を的確に撃ち抜き、弾幕を届かせない。数瞬で肉薄――敵の正面懐に潜り込み、渾身のアッパーカット。

 衝撃で鋼鉄の躰が大きく浮き上がる。

 リアンの誤算――機体下部に設置された機関銃ミニガン。毎分三千発の速度で発射される銃弾の嵐が顔面に直撃。抗磁圧にチタン、何重にも織り込まれた衝撃吸収素材が、その打撃に耐えかね、頭部を覆う装甲の上半分が瞬く間に砕け散る。

 リアンはギリギリで鉛玉の噴流から頭部を反らす。突撃手の度胸――反応がコンマ数秒でも遅れていれば脳が吹き飛ばされていたにも関わらず、怯まず、止まらず、アッパーカットでひしゃげた装甲をめがけて追撃の左ストレート。

 装甲を貫いた衝撃が、蜘蛛アラニャの内部構造を撹拌かくはん――巨体の動作が停止。脚部が脱力し、胴と頭が地面に倒れ込む。

 沈黙した機体を足蹴にして、頭部にあるトラックボールのような視覚センサーに向けファックサインを掲げてみせるリアン――その視覚センサーがまだ赤く点滅していることには気づいていない。


 母屋の正面玄関の前にビニールシートが広げられ、死んだ警護人シカリオたちが一列に横たえられている。手足を縛られた生き残りが、死者たちの脇で膝立ちのまま並ばされている。

 見張りの隊員は拘束された警護人シカリオたちがまぶたを閉じるのを許さない。仲間の死体を直視させ、FESに歯向かえばどうなるかをじっくりと教え込む。

 リアンは特甲を解除し、制圧された母屋の中をぶらついている。

 高価そうな石材でできた壁、高価そうなソファー、高価そうな大型テレビ、高価そうな冷蔵庫、その他高価そうな家具や家電――どれも漏れなく弾痕が穿うがたれている。穴だらけとなった部屋部屋で、手すきの隊員が机や戸棚、クローゼットなどを物色している。

 軍用機体をノックアウトした王者チャンピオンの姿に気づいた隊員らが、一斉にリアンに群がる。。彼らが手にしているのは指輪やネックレス、腕時計などの貴金属や宝飾品。どれも彼らの給料数カ月分に相当するような代物。

 麻薬密売人ナルコが扱う商品は莫大な富を生み出す。この国の麻薬産業の年間総売上高は推定で三〇〇億ドル――この国の基幹産業である石油産業に次ぐ規模であり、小国の国内総生産GDPにも匹敵する額。

 だから彼らを取り締まる司法機関は資金力の圧倒的な非対称性に悩まされることになる。

 この国の内部安全保障に費やされる年間予算額は二億五〇〇〇万ドルに過ぎない。

 個人レベルの比較となると、その差はさらに悲惨なものとなる。

 経済誌は大手カルテルのボスの資産総額をおよそ一〇億ドルと見積もっている。一方で選りすぐりのエリート兵士であるFESの隊員たちですらその年収は四万五〇〇〇ドル。末端で働く地方警察の警官や職員たちについては数字を上げるまでもない。

 日々の生活費に家族の養育費、保険に税金――毎月郵便受けに届けられる請求書の束に頭を悩ませている公務員たちに対して、麻薬密売人ナルコは他人の人生――それも無数の――を買えるだけの資産を持っている。

 買収の横行――麻薬密売人ナルコを取り締る法執行機関の人間にはもれなく封筒エル・ソンブレが届く。

 そしてカルテルの買収に応じる/応じないという選択は、個々人の経済的な事情や道義心の問題に留まらない。買収を拒んだものには封筒の代わりに、AK47自動小銃――その形状から山羊の角クエルノ・デ・チボとも呼ばれる――から発射される鉛玉が送られる。

 金か弾丸かプラタ・オ・プロモ

 カルテルが突き付ける選択肢――理不尽な二択。そうして多数の警官や役人が、本人の望む望まざるに関わらず買収されていく。

 FESはこの国最後の正義の剣。だからこそカルテルによる買収に対抗するべく、特別な施策が取られている――麻薬密売人ナルコに対する略奪行為の容認。

 奪う側であれ。

 類まれな能力を持ち、その能力と自らの命を国に捧げると誓った隊員たち――彼らを忍び寄る腐敗から守るために下された命令。

「これはさっき俺の命を救ってくれた礼だ、姫様ラ・プリンセサ

 貢ぎ物で無節操に飾り立てられているリアンの首に、リモンが金のネックレスを更に追加する――スマートフォンでその姿を撮影する。口笛や拍手が彼らを囃し立てる。

「もう、だからそれはやめてって……」

 FESにおける紅一点――かつ特甲児童という特異な立場にあるリアンは、他の隊員らとって格好の弄りの的で、作戦後の作業では女性物の装飾品やドレスなどを両手いっぱいに貢がれるのが通例となっている。

 男所帯にありがちな男根主義マチズモ的コミュニケーションと云えばその通りだが、隊長を始めとした娘を持つ一部隊員の厳しい監視と圧力によって、一線を踏み越えた下卑た冗談やセクハラ紛いの行為は固く禁じられている。おかげでリアンも彼らと一緒にいて不快さを感じたことは一度もない。

 とはいえ、この手の扱いはやっぱりこそばゆく、いつまでも慣れそうにない。適当なタイミングを見計らって隊員たちの輪から抜け出し、母屋の外に出る。

 外にはアメリカ人グリンゴが使うヘリが到着していた。

 リアンはの姿を探す――自分が粉砕した軍用機体の残骸の傍らに、の姿を見つける。

 金髪。白い肌。青い目。くぼんだ頬に淡い髭。鋭く尖った精悍な顔つき。年齢は四十を越えているらしいが、三十代中盤とまだ言い張れそうな容姿。安物ではないが、悪目立ちするほど高価そうにも見えない灰色のスーツ。

 パトリック・イングラム。CIAザ・カンパニーから来た男。

 男がリアンの気配に気づき振り向く。

「これはこれは、随分と綺羅びやかで、リアン姫プリンセス・リアン

「――っ!」

「なのに機嫌はよろしくなさそうだ。どうした、黒犬ブラックドッグ?」

「……何でもない」

 姫扱いに抗議しようと思った矢先に今度はペロ呼ばわり。この男と会話をしていると、いつも感情の起伏を巧妙にずらされる。

「作戦の映像はヘリの中で確認させてもらった。特甲があるとは言え、軍用機体相手に正面からの殴り合い……まったく、たいした闘争心だよ」

「……そうかな?」

「とはいえ“カニクラーブ”の情報は予めこちらから提供していたはずだ。どういった機体構造で、どのような攻撃能力を持つのかも。事前にブリーフィングで確認したはずだろう? とすれば、最初のあのアッパーカットは大きな減点だ」

 ほらきた。褒めたと思ったらお説教。だが反論らしい反論も思いつかず、リアンはただそれを聞き入ることしかできない。

「勇敢と蛮勇は似ているようで全く違うものだ。もうお前はカルテルの殺しシカリオじゃない。見境のない突撃はしなくていいし、するべきでもない」

「……でもあんたがくれた情報と違って、事業部長エル・フェレンテはここにいなかった」

 事業部長エル・フェレンテ――ラ・カンパニアの筆頭幹部ペス・ゴルドの一人で物流網の構築・管理の担当者。

 買収された軍人たちが中心となり結成されたラ・カンパニアは粗野な暴力集団と思われることを嫌っており、商社ラ・カンパニアという組織名の通り、幹部らには会社組織の役職が割り振られている。この急襲は事業部長エル・フェレンテの捕縛を目的とした作戦だったが、その姿はまだ確認されていない。

 言われるがままでいるのが悔しくて、相手の不備を突くことで話を逸らそうとする。しかし目の前の男はその余裕ぶった態度を崩さない。

「そうでもないらしい」

「え?」

 パトリックが母屋に向けて顎をしゃくる。振り向くと、後ろ手に縛られた禿頭の中年男――事業部長エル・フェレンテがちょうど玄関から現れたところだった。

「大方、緊急避難部屋パニック・ルームにでも隠れてたんだろう」

 事業部長エル・フェレンテは隊員たちに取り囲まれて、すっかりと怯え縮こまっている。作戦目標の捕縛に農園フィンカのあちこちから歓声が上がる。

「残念だがこっちは減点なしのようだ」

 パトリックが勝ち誇ったように涼し気な笑顔を向けてくる。リアンは苦い顔でそれに応える。

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