第3話 ハゲとボイン

 椅子に座ったはげ親父が、ほれぼれするようなスタイルをしているスーツ姿な金髪美人の尻に顔を埋めていた。

 移民弁護士のオフィスドアを開けた時の光景だ。

 さすがに僕は固まったが、金髪美人はというと僕を見てもいやがるそぶりもせずににこりと笑って、ハスキーな声でいらっしゃいませと応対した。

 そしてはげた中年男にお客様よとささやく。

「尻から離れたくないー。……もう仕事したくないー、ケイティーとまったりしたいー」

「そう言わないで。私はあなたのがんばる姿を見たいわ」

 優しい目とともにセクシーでハスキーな声がはげ頭にささやかれると、中年男がびくりと震えた。

「愛してるわ、あなた」

 その言葉でついに中年男のはげ頭が尻から勢いつけて離れた。

「ケイチィー、おかげで元気出た。よし、やろう!」

 言葉とともにはげた中年男の明るく丸い眼鏡をかけたブラウンの瞳が僕を射る。 

 くたびれたワイシャツのはげ親父が椅子ごと体をこちらに向け、にやりと笑った。

「嫁の尻は最高なんだよ。まあ嫁はどこもかしこも最高なんだか、尻は一番最高なんだ」

 僕にできたのはひきつった愛想笑いだけだった。


 移民弁護士は、アラブ系コーカソイドの中年男性だった。

 眼鏡をかけ頭は見事にはげ上がっていて、くたびれた感じがするが、目が陽気さと高い知性を示して輝いている。

「ネットでは会ってるがこうして直に会うのは初めてだな。よろしく。まあ、座ってくれ」

 僕はデスクの前の椅子に腰掛けた。

 金髪美人が奥からミルクティーを一つ持ってきて座った僕の前に置いた。

 ありがとうというとけぶるような優しい笑みを浮かべ、そのままはげ親父のすぐ側に座る。

「ソーシャルワーカーからの紹介状は読んだよ。病院の治療費明細も見た。なかなかごつい額の負債になってるぞ。私に相談しておいて正解だったな」

 はげ親父はディスプレイを注視していた。ホロじゃない2Dだ。

「はあ。やっぱりかなりおおきい借金なんでしょうか? すいません、僕はお金の価値がわからないんです」

「ああ、長期冷凍睡眠からの復帰者だったね。えーと……」 

「聴取された病歴、言動からの分析を送ります。アンドロイド革命以前、産業革命以降で、ワンプラネット終期、太陽系内惑星帯開発初期。プラネタルネットワーク発展期で、電子デバイス発展初期から中期での、物価指標になりそうな品です」

 金髪美人がハスキーな声ですらすらと答えると、2Dのモニター表示が変わった。

 見事なまでのできる秘書っぷりで、なにもかも最高だと豪語する理由もうなずけた。

「ふーむ、インスタント食品類に自家用車……貴金属の金。うーむ」

 しばらく中年親父はうなっていたが

「君の周囲で電気自動車は多かったか?」

「……ハイブリッドカーなら結構ありましたが」

「OK、それで絞れた。……よし、じゃあ始めようか」

 弁護士は一口紅茶を飲んだ。


「今日来てもらったのは、しっかりと話を聞いてもらいたいからなんだよ。なんせ、君の負債は結構でかい。生半可な理解では君の人生を壊しかねないんでね」

 そうやって少し笑うと弁護士は顔を引き締めた。

「では率直に言おう。君はだいたい君の時代の通貨で約240万ドルの負債がある」

「……240万ドルということは、2億8000万円ぐらい?」

「円?」

「西暦20世紀後半からの日本円と推測されます。西暦21世紀初頭のドル円レートが合致します」

 弁護士の疑問に金髪美人ロボット秘書がフォローを入れる。

「ふむ、君は東洋系だから日本人なのかな? ケイティー、円に換算して彼に伝えてやってくれ」

「わかりました。あなた」

「さてと、このケイナンでの生涯年収の6割ほどの額になる負債だが、正攻法での返済は言うまでもないが無理だ。普通なら破産を選んで、クレジットヒストリーを傷つけても、負債をなくすのが常道だ」

 僕はうなずいた

「だが、私が示す方法なら、クレジットヒストリーを傷つけず、負債を返済することが可能だ。しかも20年ほどでね。信じられないかも知れないが、からくりを説明しよう」

 言葉とともに、僕の前に乳白色の四角いホロディスプレイが浮かぶ。

「第一は、君の借金をケイナン政府に肩代わりしてもらうことだ。超長期冷凍睡眠からの復帰患者ならば、ケイナン国籍の所得で条件が満たされる。この場合債権は病院からケイナン政府に移り、返済条件は無利息で返済期限も10年ごとに延長して40年まで延長可能となる。無利息はでかいぞ」

 ホロディスプレイに、根拠法と思われる法律条文が強調文字で浮かぶ。

「へぇ……」

「ところで君、帰化テストはどうだ?」

「あ、はい。今は無重力訓練をやってます。一般テストは合格しています」

 ネットで受けた一般テストは、練習模試を数回こなして大して難しくもなく合格した。

「ならいい。国籍を取らないとどうしようもないからな」

 弁護士がうなずき、ホロディスプレイが明滅し表示が変わる。年ごとのインフレ率がグラフで出た。

「第二にケイナンでは年5%台のインフレーションがある。これがあれば20年で通貨価値がざっと……」

「現価値の約38%です」

 有能な金髪秘書のフォローが入る。

「今の価値の4割ほどに落ちる。これは一切の返済無しでも時間だけで負債が実質6割減るってことだ。こういう環境がないところで負債は返そうなどとは考えないことだ」

「えーと、つまりケイナン以外で借金を返そうとは考えるなと?」

「そう。人生が借金を返すだけになる。嫌なら先ほど言ったように自己破産すれば良いんだが、そうなると君のクレジットヒストリーが悲惨なことになる。クレジットヒストリーが悪いと帰化や永住申請でも厳しくなる。ましてや君は独身男性だからな。独身男性が移民できるのは、ケイナンを除くと銀河中心方面の新規開拓星系群だけだよ。そして残念だがここより生活しやすく安定してインフレ率が高いところはないのさ。今のところはね」

 弁護士は肩をすくめた。そしてまたティーカップを傾ける。

「そして第三に、ケイナンでは政府が推奨する職に就き一定の条件を満たすと借金を減額する制度がある。指定中核技能資産職種における公的負債減免法というやつだ」

「中核技能資産?」

「国家の運営に必須の技能をもつ人的資産のことだよ。この国では言えば、防衛関連職、治安防災職、運輸関連職、AI電子技術職、インフラ関係職、医療職そのほかにもいろいろある、そういった職に就き仕事をしている人たちの事をそう呼ぶ」

「なるほど」

 僕が相づちをうつと、弁護士は眼鏡の位置を直し、僕を真剣な目で見つめた。

「で、ここからが重要だ。中核技能資産職種でのキャリアコースを君が選ぶと、負債は勤続年数で減額され、しかも収入は負債返済で引かれない」

「?」

 僕の表情から、理解できていないのを読み取ったのか、弁護士はにやりと笑った。

「一定年数勤めれば借金が減っていくし、給料は返済で引かれず全額もらえるってことだ」

「ええええ!?」

「例えば星系防衛軍に入隊するなら……ケイティー?」

「もっとも昇進が遅く、一等宙兵で退役するとしても、計算では20年弱。下士官、士官に進めば15年と少しになります」

 金髪ガイノイドの計算に、弁護士はうなずいた。

「ということだ。いっておくがこの計算は最低のダメ兵隊ダメ士官の想定でだぞ」

 僕はミルクティーでむせるほど驚いた。 

「……2億8000万円の借金が、兵隊やるだけで20年で消える? 年収1400万円? 嘘でしょ?」

「年収ではないよ。収入は別に保証されるが、それとは別に君の対政府債務が政府によって消される額だ」

「僕の借金を国が消してくれる? どういうことですか?」

「説明すると長くなるが……」

 弁護士はもう一度紅茶を飲む

「要は、国民となった君を返せない債務で破産させるぐらいなら、国が望む重要な仕事に就いてもらって、安全かつ計画的に債務削減を行うことで仕事と生活に邁進してもらいたいということだ」

 理解が追いつかない僕の顔に、弁護士は苦笑をもらした。

「難しいかな? じゃあこう考えよう。君の借金はどこからきた? 冷凍睡眠&復帰医学研究センター病院だろう? 彼らだって好きでこんな高額医療費をふっかけた訳じゃない。君の治療に必要だった、材料費、設備維持費、職員への給与、それに加えて技術料という報酬を請求しただけだ。しかも病院は給料を払わなきゃいけないし、材料も購入しなきゃいけないから君に請求を突きつけざるを得ない。ほかに請求しようがないからね」

 当然のことだ。僕の体の治療費を僕以外の人がそうそう払ってくれる訳がない。

 生き返らせてもらいたかった訳じゃないという言葉は飲み込んでおいた。

「しかしそもそも復帰者にこんな額を返せないのは皆わかっている。当たり前だな。職歴学歴皆役立たずになって、係累友人もいないのだから取り立てる方法がない。このままだと病院が貸し倒れてしまう。だからソーシャルワーカーが動いて、私に仕事がまわされた」

 弁護士はまたゆっくりと紅茶を味わった。

「君の負債を代替してくれるところは、ただ一つ。ケイナン政府だけだ。他国での同様の制度を調べたが、条件が合わず、君には利用できない。利用できても負債額に見合わない額しかない。ということで話をまとめるとだな……」

 ホロディスプレイが明滅し、三つの条項が浮かび上がった。

「君には三つの選択肢がある」

 一番目の条項が線で囲われ黒く強調される。他の条項がグレーアウト。

「一つは、他国に行くことだ。ただし今のままでは破産を余儀なくされて悲惨なクレジットヒストリーで生活する羽目になる。女性が身近に存在するがクレジットヒストリーが悲惨な君と交際してくれるかどうかはわからないな」

 一番目の条項を囲っていた線が消えて文字がグレーアウト。二番目の条項が囲われ、グレーアウトしていた文字が濃くなって強調される。

「二つ目は、このケイナンで国籍を取るが、指定中核技能資産職につかず、負債を返済していく方法だ。これは悪くないが、しかし返済で収入がかなり消えるので、やはり少し苦しいだろう。ただし返せない場合は、次のプランに移行してしのぐことができる」

 二番目の条項を囲っていた線が消えて文字がグレーアウトするが、太い矢印が二番目から始まり三番目の条項を指すように表示された。

「三つ目、これがベストだと思うが、国籍を取り指定職に就くことだ」


 選択肢は示された。けれどどうにも冴えない選択肢ばかりだった。よくわからないままに借金ができて、よくわからないままに三つのうちのどれかを選ぶことになっている。

 ただこのはげた中年の移民弁護士が、誠意をもって説明してくれていることもわかった。

 おそらく本当にこの三つしか選択肢がないだろうことも僕は直感していた。

 とはいえ、僕は迷っていたのではない。自分で選びたくなかったのだ。

 自分で選んだ選択肢は、どれもこれもくそだったからだ。冷凍睡眠すれば、借金を背負い孤立無援で生き返る。女を助ければ冤罪かけられ、引きこもりだ。まるでダメだった。

 失敗したくなくてわからないのなら、人にお勧めを聞くしかない。

 僕はホロディスプレイをにらむのをやめて顔をあげた。

「弁護士さんが僕の立場なら、どれを選びます?」

「うん? そりゃ三番だな。がんばれば30才台で負債が消える。そうすれば後は好きなように生きていけるからね。軍、警察、防災や輸送関係は辞めても再就職先はいくらでもあるしね」

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