第26話

 じりじりと後ずさりながら、コー・リンは部屋の出口までの距離を目で測る。

『リン、この美人は本気で僕らを殺す気だよ』

「そのようだな。あんな訳の判らない薬液なんかを体に注入するから、こんな狂暴な仕上がりになるんだ」

「残念だがそれは違う」

 冷静な声でトーイが横から口を挟んだ。

「ダイナは生まれつき、こういう性格だ」

「そういうこと」

 不意に後ろからエリナの声がした。いつの間にか意識を取り戻していたようで、彼女はのんびりとベッドの上で半身を起こし、他人事のようにコー・リンたちを見ていた。

「荒事はダイナの担当。私は裏でこそこそと何かしらの算段をするのが主な役目だ」

「はあ、なるほど。何事も得意分野はあるということですね」

「そういうことだ。気を付けろ、コー・リン。ダイナは剣の達人だ。死なないようにせいぜい頑張れ」

「……お姉さんをなだめてくださると助かるんですが」

「自力でなんとかしろ」

 にっと意地悪く笑うとエリナはついでのように言った。

「だが、姉をここまで元気にしてくれたことには感謝するよ。ついさっきまでは干からびていたからね」

「人を干物のように言うな」

 姉妹は同じ顔を見合わせると微笑み合った。それだけで二人の絆の強さが判る。

 コー・リンはその様子を見ながら、出口の方へとそっと体を移動させた。そして、ふたりに釘を刺すのも忘れなかった。

「……言っておきますが、無理は禁物。私は解毒をしただけで、病が治ったわけではありませんから」

「ふうん。解毒か。何だかよく判らんが、そもそもお前たちの目的は何だったのだ?」

「ダイヤモンド・エルの蜜を盗みに来たのですが、さて、盗めたのか盗めなかったのか……」

 苦笑しつつ、コー・リンは傍にいる少年に囁いた。

「お前はとりあえず、剣に戻れ。そこにいられると邪魔だ」

『はいはい』

 ひとつ肩をすくめると、少年は碧い炎を揺らめかしつつ空中に霧散して消えた。

「ほう」

 ダイナは感心したように目を眇める。

「その子供が幽霊というのは本当らしいな」

「ええ。私が花盗というのも本当ですよ」

 コー・リンはダイナに柔らかく微笑みかけた。

「たかが花泥棒に、ダイヤモンド・エルともあろうお方が、本気で剣を振り回すなんて沽券にかかわります。どうです、ここはひとつ、この泥棒めを逃がしてやるという深いお心を見せていただくというのは」

「残念だが、不安要素は取り除いておくのが私の主義なのでな」

 言うや、ダイナは剣を構え直すと滑らかな動きでコー・リンに迫った。

「やはり、お前には死んで貰う」

「それは困ります」

 彼女の動きに呼応して、ステップを踏むように背後に下がるとコー・リンは耳の後ろに手をやった。そして針のような小さな木の棒をするりと取り出す。

『おい、それってまさか』

 剣から少年の呆れたような声が響く。それにコー・リンはにやりと笑って答えた。

「おう、『物干し竿』だ」

『またそんな役にも立たないものを仕込んでいたのか……』

「何を言う。これは闘う『物干し竿』だぞ。普段はなんと洗濯物も干せるという優れものだ」

『物干し竿だからな』

「見ていろ。……『物干し竿』、伸びよ!」

 コー・リンの言葉に竿はすぐさま反応した。きゅんと小さな音と共にそれはしなやかに伸び、たちまちコー・リンの身の丈ほどの長さに変化する。

「奇妙なものを出して来たな」

 恐れよりも滑稽さが先に出て、ダイナは思わず小さく笑った。

「そんな棒切れで何をしようというのだ? こちらは剣を持っているのだぞ?」

「こういたします」

 コー・リンは慣れた様子で『物干し竿』を頭上で鋭く一回転させると、その勢いのまま、ダイナの持つ剣を軽く跳ね飛ばした。

 突然のことに、体のバランスを崩したダイナの、その隙をついてコー・リンは脱兎のごとく駆け出し、一気に部屋から外に飛び出した。

「このまま、逃げるぞ」

『どうやって? ここは迷路のような地下だぞ。あんたはただでさえ目立つ格好をしているんだから、みんな放って置かない。すぐ追っ手がかかる』

「それを言うなよ……」

 コー・リンはうんざりと溜息をついた。

 娼館の長く狭い廊下を女装した男が血相変えて走っているのだ、運悪く出くわした男衆や客がぎょっとして足を止め、中には悲鳴を上げる遊女もいた。

「おい、お前、何だ? そんな格好で何をしている」

「ちょっと待て! 何者だ! 止まれ!」

 そう言われて止まる馬鹿はいない。男衆の誰何(すいか)を無視し、走り続けた。止めようと手を出してくる者には小さく縮めた『物干し竿』でその腹を突いて押しのけた。

 こうして何とか娼館を脱出すると、そのまま走りながらコー・リンは暗い地下道の天を仰ぐ。

 方向はこっちでいいはず……地図が正しければ、だが。

『なかなかやるじゃないか。『物干し竿』も使いようだね』

 思案顔のコー・リンの様子に気が付かず、碧い剣の少年は呑気に言った。

『だけどさ……何だって物干し竿なんだよ? それって本当に洗濯物を干す竿だろ? 前にサリに術を掛けて貰った』

「……ああ、そうだよ。便利だろ。洗濯物も干せて武器にもなる」

『いくら便利でも、やっぱり物干し竿は物干し竿だよ……どうしてもっと殺傷能力の高い武器を持たないんだ。あんたは自分の身を守ろうという意識が低すぎてこっちはいつもハラハラするよ』

「そんなことはない。ちゃんと考えているさ」

『どうだか』

「……嫌なんだよ」

『え?』

「もう血は見たくないんだ。それを連想させるものは触りたくもない」

『お言葉ですが、僕もその血を連想させる剣という存在ですけど?』

「お前はなまくらだろ」

『ちぇ、何だよ』

「そう拗ねるな。……なまくらのお前だから私は愛せるんだ」

「……な、何言ってんだか」

 少年は不機嫌そうにぐっと黙り込む。しかし照れて赤面している様子が簡単に想像できて、コー・リンは声もなく笑った。

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