第11話

「そうか、お目当ては花街か。どうだい、その前にここに来て一服しては行かねえか? 今夜はいいモノが入っているんだ。いい夢を見られること請け合いだ。安くしとくぜ」

「やめておくよ。夢はこれから可愛い人が見せてくれるからねえ」

「そりゃそうだ。こいつは野暮を言っちまった。足を止めさせて悪かったな」

 男の姿はムシロの奥にすっと引っ込んだ。

 コー・リンはそれと気付かれないよう小さく安堵の息をつくと、また何事もなかったように歩き始めた。数人で立ち話しをしたり、座り込んで煙草をふかしている者の前も幾度となく通り過ぎたが、彼らはコー・リンに視線は送るものの、誰も通行を咎め立てはしなかった。

 ……何とか行けそうだな。だが、問題はここからだ。

 この辺りまではコー・リンも何度か来たことがあった。しかし、ここから先は未知の領域となる。

 彼が思わず足を止めたのは、ずっと向こうまで続く闇がこれまでのものより深く濃厚に見えたからだ。

 なかなかいい雰囲気じゃないか。

 自分を奮い立たせるように軽く笑うと、コー・リンは再度歩き出した。そして数歩も行かないうちに、向こうから一人の男がやってくるのに気が付いた。白く長い上衣が、彼が歩くたびに後ろにたなびき、この暗闇の中でもその姿ははっきりと目立っていた。

 すれ違う時、わずかに緊張したが、白衣の男はちらりとコー・リンを見ただけで何も言わず、そのまま歩き去って行った。

 薬品の臭い……?

 しばらくして、コー・リンは肩越しに男を振り返った。何か嫌なものを感じたのだ。

『どうした?』

 碧い剣から少年の声がした。

『知っている人?』

「いや、そうじゃないが」

『何なの?』

「うん。臭いがな。すれ違った時、薬品の臭いがしたんだ」

『ふーん、それじゃ、あの男、医者なんじゃないの? 白衣を着ていたし。こういう場所で非合法の薬を売買する医者なんて珍しくないよ。闇医者かもしれないしね』

「そうだな……」

 コー・リンは自分でもよく判らない胸騒ぎを抑えつつ、また闇の中を歩き出した。

 空気が変わったと感じたのは、水路の緩いカーブを曲がった時だ。今まで淀んで重かった空気が、すっと軽く甘いものになった。

 暗い貧民窟の中でも、人が集う場所には灯りがともっている。しかしそれはぼんやりとした暗い灯りでしかないのだが、今、コー・リンの目の前にあるのは、昼間のように明るい照明の下、鮮やかに広がる花街の景色だった。

 ここが貧民窟の最深部らしく、今までの狭い水路から一転、ひらけた空間が奥まで続いている。

「これは……想像以上だ」

 さすがのコー・リンも息を呑んだ。

 水路の両側には、本物だろうか、天井まで届く背の高い木が植えられており、薄い桃色の花が満開に咲いていた。どこからかあでやかな音楽も流れて、その中を慣れた様子の男たちが、世話役らしい年嵩の女や男衆に連れられて行きかっている。女たちのいる娼館は奥にあるらしく、耳をすませば弾けるような嬌声が聞こえてきた。

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