【試し読み】EP2



 ――ピピピピピピピ。


「ふぁぁ」

 

 スマートフォンのアラームを止める。残念ながら起きなければならない。土曜日であってもボランティアは行われるのだ。

 

 もちろん男子寮修繕を諦めたわけではないが、大した案も思いつかない。当面はボランティアをしながら機会を待つしかないようだ。嫌ならば俺の頭脳よ! 今こそひらめくのだ!

 

 五秒待ったがダメだった。


「諦めて起きよう……」

 

 俺は渋々と掛け布団をどかした。金髪の女が潜り込んで、俺の下半身に抱き着いていた。


「おはよ、ダイリ。いい朝だね」

「……」


 外から『チュンチュン』とスズメの可愛かわいい鳴き声が聞こえる。

 

 スズメはたしかに目立たぬ野鳥で茶色の姿は地味だといえる。しかし昔話で伝わるように、妹のスズメは親の死に目に間に合うように着物も織らずに急いで出かけ、姉のキツツキはきれいな着物に固執したという。結果、スズメは間に合ったが、キツツキは間に合わなかった。だから孝行者のスズメは地味な容姿(着物)だが米を食べられて、親不孝なキツツキは綺麗きれいな服を着られるが虫だけしか食べられない一生になったのだという。


「昔話なんてどうでもいーよ」

「人の心を勝手に読むな! ていうかなんでれんがここに居るんだよ!? 男子寮だぞ!」

「関係ないよ。ダイリの居るところが私の居るところだからね」

「っく……入寮ごときで逃げ切れると思った俺がバカだったか……とにかくソコをどけ!」

「わーー」

 

 ゴロン、と布団から追い出す。棒読みの悲鳴などで罪悪感が生まれるわけもない。こいつはやたらと運動神経がいいので今もきちんと受け身を取っている。

 

 すでに猪助いすけは起きているようで部屋には俺しかいなかった。隣の部屋にも気配はない。

 

 恋は三つ指をついて頭を下げた。


みなみ恋です。よろしくお願いいたします」

「知ってるわ! 幼馴染おさななじみを忘れるわけねえだろうが!」

「ここが新居ですね」

「新妻設定はやめろ!」

 

 ギャアギャアと騒いでいると隣の部屋の金太きんたが戻ってきた。手には雑誌を持っている。どこかから週刊誌を仕入れたらしい。

 

 金太は恋に気が付くと、「なんだ。恋も来てたのか」と一言。そのまま布団に寝転んだ。


「あからさまな異常を受け入れるんじゃない!」

「んあー? なんだよ、異常って。恋が大理の傍 そば から離れるわけねーだろ。むしろ今までよく我慢してたよ。オレ、三日も持たないと思ってたぜ」

 

 恋がもじもじとした。


「筋肉ゴリラもたまには良いこと言う」

「はははは、そうだろ?」

 

 恋に関しては知的で寛容な対応ができる金太は放っておく。俺達三人は中学時代三年間を共に過ごした学友だ。恋が俺にべったりなせいか、女子相手だとバカ度マックスになる金太も、なぜか逆にふりきってものすごい紳士になるのだ。  

 俺は改めて、色褪いろあせた畳に座る恋を見下ろした。


 南恋――たった二文字で自己を証明するコイツは、俺の幼馴染である。

 

 長ったらしくなるので割愛するが、恋は俺の両親の友人の子供だ。南家は俺の実家の敷地内のアパートに娘と母親と二人暮らし。国立くにたち家とは大家と店子たなこの関係でもある。

 

 恋の姿はよく目立つ。金髪碧眼へきがんかつ圧倒的美少女だからだ。よって昔からやたらとイジメられた。いまでこそそれが恋に対する嫉妬や羨望も混じっていた行動なのだろうと想像できるが、そんなこと小学生の俺達には関係がない。

 

 恋はある日から登校拒否になった。その結果に納得のいかなかった俺は恋と契約したのだ。『お前が結婚するまでは俺が守る。だから負けるな』と。それは十六歳まで守ってやるという約束だった。法律家の親父おやじがよく『女に手を出すなら十六歳から!』と叫んでいたからだ。それもどうかと思うが、とにかく十六歳になれば恋に相手ができると思っていたのだ。そしたら今度はそいつが恋を守ればいいと思った。

 

 それがこいつの脳内では……。


「ねえ、ダイリ。これにハンコおしてね」

「一応聞くが、㊞以外の場所が隠れてるこの書類はなんだ」

「ポッ」

「ごまかすな。無表情のうえに顔も赤くなってねえだろ」

「なんでもないよ。ただの(婚姻)届けだよ」

「却下!(びりいいいいいいい!)」

「あ 、紙吹雪 」

「いい加減に理解しろ! 男は十八まで結婚できねーんだよ! 結婚は忘れろ!」

「まあまあ。先行投資だと思って。今ある資産が将来もあるとは限らないよ。手元にある時に決断をしておかないと」

 

 同じ用紙がまた出てきた。いつの間にか〈国立〉の印鑑も添えられている。

 俺は印鑑を手に取って、

「まあ確かに資産運用は大事だもんな。人生何が起きるか分からないし、投資と結婚は勢いが重要――ってだまされるかボケ! 朝からアホなノリツッコミを強要するんじゃねえ!」

 叩きつけた。

「あーー」

 

 南恋は大きな勘違いをした。約束の言葉を、こう思い込んでいた。『十六歳まで俺が守ってやるから結婚しよう』。まるで誓いの言葉のようにロマンチックに信じ込んでしまった。

 

 金太が漫画から目を離さないまま、無責任に言い放つ。


「いいじゃねえか、大理だいり。印ぐらい押してやれよ。減るもんじゃあるまいし」

「黙れ週刊ゴリラ」

 

 俺は恋の両肩に手を置いた。


「え? ダイリ大胆……見られちゃうよ、壁も直してないのに……」

「直せるもんじゃないから気にするな」

「壁崩壊プレイ……」

「あのな、恋、きちんと聞いてくれ」

 

 十六歳が一年後に控えたころ、恋の思いが爆発した。まるで一年後に結婚式が控えている新婦のように積極的になった。頷いていたらハワイで式を挙げた後、そのまま子供をつくることになっていた。調べると本当に予約が入っていた時には流石さすがに笑えなかった。

 

 それからというもの、やたらと結婚に固執する恋から逃げ続けてきた。入寮の理由の一つは恋も俺離れをしてほしかったというのもある。


「なに? ダイリ」

「本心だ。お前は確かにすごい。都心にいけば芸能事務所とかモデルのスカウトばっかり寄ってくる。地頭もいいし運動もできる。俺はお前を心から尊敬しているよ。金髪碧眼運動勉強完璧幼馴染なんて属性、くされきったラノベレーベルの企画書でも通らないだろうよ」

「ダイリ……」

「はははは!この新連載おもしれえ!! 主人公が口先ばっかりだぜ!」

「だまってろバカ金太! あとで参考に読ませてください!――恋、だからな。俺はお前のことはとても大事に思ってるんだ。昔からその気持ちは変わってない」

「ダイリ……あたし、嬉 うれ しいよ……」

「ううう。なんだこの新連載……主人公がヒロインに殺されたぞ……ヤンデレかよ……」

「だからな、恋」

 

 俺は手に力を込めた。


「ずっと友達でいよう」

「ダイリと一緒に死のうと思う」

 

 恋を布団でスマキにして逃げた。



 *



「はぁ……」

「なんだ、国立。もうギブアップか? オレとしてはそれでもいいけどな」

「いえ、なんでもありません」

 

 今日はトイレの設備点検のボランティアだった。もちろん男子トイレ側だけで、女子側は別のおばちゃん担当。なら男子もおばちゃんでいいだろ……と思っても口にはしない。

 

 それにしても、小枝葉さえばという教師。


「よし、じゃあ全部終わったらここに戻ってこい。オレはここで待機してっからな。おっさんは足腰が弱いから助かるぜ。やっぱり若者が汗を流すべきだよな!」

 

 常にこんな感じだ。どうもこのボランティアも、元々小枝葉先生に割り当てられている仕事を(営繕も兼ねているらしい)俺が代理でやらされているだけの気がする……。

 

 一度言い返してやろうと思ったのだが――。

「ん? どうした。はやく行ってこいのぞきボーイ。青春はすぐに終わっちまうぞ。それともあれか。これにサインするか?」

 

 小枝葉先生は一枚の紙をヒラヒラと掲げた。『退学届け』とある。恋とはまた別の意味でやっかいな用紙を提示してくるものだから言い返すことができない。


「黙って働くか……」

 

 俺は端末のデータを開いた。トイレといっても広大な敷地に存在する公衆トイレである。


「どのルートにするかな……」


 夜空の星座をなぞるように位置を確認していく。少ししてから、変な配置に気が付いた。


「なんだこれ、西側にやたらとトイレがあるな」

 

 姫八ひめはち学園には東西南北の四か所に外部とつながる大門が存在する。トイレは十分な数が平均的に設置されているべきだと思うのだが、どうも位置が偏り過ぎている。


「なんか意味があるのか……?――あれ、そういえばこの感覚って……」


〈女子寮潜入MAP〉を思い出す。あれも不自然な場所にあり、同様の疑問を持ったのだ。


「先生。ちょっといいですか?」

「情報は一〇〇円。写真は売らねーぞ」

「何の話ですか……」

「ん? 何のって、オレの本職は探偵だからな。迷える若者に情報を与えてんだよ」

 

 まじかよ、この教師……。


「ま、金は直接受け取らん。千円札を落としていけ。オレが拾ってやるから謝礼で一割もらう。違法じゃねえぞ。この国のルールにのっとって生きている――で、質問は?」

「いや、いいです」

 

 こんな奴に一〇〇円でも取られたらたまったもんじゃない!

 きびすをかえす俺の背中に小枝葉先生の声がぶつかる。


「西側にトイレが多い理由だろ? きっと西門をよく使う奴の腹が弱かったんだろうな」

「聞こえてたんですか……」

 

 気が抜けないぞ、この人。

 ていうかそんな個人的な理由でトイレが増えるなら、男子寮を修繕してくれよ!


「ほら、さっさと行け。日が暮れるぞ」

 

 シッシと手をふる小枝葉先生はすでにスマホに夢中だった。どうでもいいことに時間を使わずに、さっさと終わらしちまおう。

 

 結局その日のボランティアは夕方までかかった。



 *

 


 ボランティアで初めての流血事件が起きた。


「いててて……」

 

 草刈り道具の整理中、不用心にも道具箱に手を突っ込んでしまった。その結果がこれだ。

 更に不幸は続いている。最寄りの保健室があろうことか、タバ姉在籍の第一保健室。

 行きたくはないが三年間避けて通れるものでもない。血も止まらないし、腹をくくろう。

 第一保健室の扉を開けた。


「すみません……えっと、国立先生いますか」

 

 規模がでかいが設備的には普通の保健室。ざっと探してみるがタバ姉の姿は見えない。


「まあ、好都合か。消毒してはやく退散しよう」

 

 次の瞬間――パッと照明が落ちた。保健室内が暗くなる。なぜかスポットライトが落ちると、切り取られたように床が円形状に開いた。下からゆっくりとタバ姉がリフトで上がってくると同時に、機械的な声でナレーションが入る。


『やってきました、姫八学園。生まれた時から天才、生きているだけで天才。七歳で渡米、十二歳で大学院課程修了。陰で暗躍し続けた十八年目。突如として学会から去り、日本に戻った一人の少女。現代を生きる未来人とは彼女のこと――歌うのは新鋭の保健医・国立たちばな。聴いてください。真実であり本心の新曲〈モルモット以上サル以下の大ちゃん〉』

 

 最悪な新曲だった。チャーンと音が鳴ると、楽曲は始まらずに照明が再点灯。

 白衣を羽織ったタバ姉は流麗な動作で椅子に座ると、ヒラヒラのレースで彩られた服から覗く、細く長い足を綺麗きれいに組んだ。


「ようこそですわ。ここは国立橘管轄の第一保健室。用件を述べることを許します」

「待ってる間に止血できたから帰るね。タバ姉、さよなら」

 

 ドアに手をかけた。


「そうは問屋がおろしませんわ!」

 

 断頭台のような勢いでシャッターが下りてきた。


「あぶねえ!? 前髪すこし千切れてない!? あ! おでこの皮もむけてる! うわあ、血まで出てきた!」

「あら大ちゃん。指から血が出たの? でももう止まってるわよ、大げさね」

「おでこが重傷なんだよ!」

「もう。お姉ちゃんに会えたからってハシャぎすぎですわ」

「ていうか、保健室改造しないでよ……」

「だって許されてるんですもの。今の前口上も学園長に依頼されてるAIの調整ですわ」

 

 どんなAIだよ。


 この破天荒な姉は、数年の間に『日本の国立』の名を世界にとどろかせた天才だ。

 メディアいわく『天才美少女、十歳にして大発明。表彰時に中指を立てる暴挙(可愛かわいいから許される)』『天才少女、ピアスの穴の数はIQに比例すると発表(うそ)』『弟のために生きている。全ての発明は弟の監視のためと断言(大マジ)』とか、まあ、これだけ言えばどんな姉かは分かるだろう。


 原因は不明だが、とにかくこの姉は俺への愛情表現をユニークに表現してくれているのだ。女の子との俺の約束が、何故なぜかドタキャンされまくる理由が姉でないことを願う。


「大ちゃんと生活するために学園に就任したのに、なかなか会いに来てくれないんですもの。お姉ちゃん悲しいですわ。それにこの部屋、やけにケガをした人ばかり来るんですの」

「保健室ってそういうとこだからね!?」

 

 あ、いや、違うか。もしかするとタバ姉目当ての男子が増えたのかもしれない。

 この姉はマッドサイエンティスト寄りの人間ではあるが、世間どころか世界を騒がせるほどの美少女でもある。勉強をしているところなんて見たことがないのに、いつの間にか飛び級をして海外と日本の往復生活。ピアスの穴は年々増え、発明品も増えていった。

 

 近年は俺を監視するためのシステム開発に命を懸けているという話……までは妹の双葉ふたばちゃんから聞いていたのだが、なぜか今年度から姫八学園の保健医に就任していた。全く意味が分からない。それにしても――。


「タバ姉、ケガしてるのは指とおでこなんだけど。なんで包帯で全身を巻いてくるの。動けないんだけど」

「ジッケ――ちょっと試すことがあるのですわ」

「いま実験って言いかけたよね!?」

「そんな訳ありませんわ。お姉ちゃんを信じるのです。モルモット以下の弟なのですから」

「モルモット以上サル以下だろ!?」

 

 それも嫌だけどさ!


「あぁ、大ちゃんと触れ合うと本当に面白い。ほら、いつの間にか傷も治ってますわ」

「え? あれ、本当だ」

「この〈瞬間キズナオール〉を付ければ即時に傷が治るのですわ。わたくしの発明品です」

 

 ネーミングはひどいが、効果は凄い。


「――でも三日以内に下着泥棒に間違えられます……」

「心に傷ができるよね!? まだ擦り傷のほうがいいよね!?」

「噓に決まってますわ。それにしても大ちゃん。そんなこと言っているくせに、あなた女子寮に潜入しましたわね?」

「あ」

 

 やばい。マジでやばい。何がやばいって、俺が責められるのではなく、女子寮が悪者にされる。よくて爆破、最悪ロケットに改造されて月まで発射される。


「クソビッチを抹殺しないとですわね」

「中指立てないで! 俺が全部悪いんだ! 許してあげてください!」

「ま、学園長のお許しも出ているようですし、わたくしの裁量ではありませんけどね」

「あれ? 知ってるの?」

「大ちゃん監視システム(4K)のデータを提供しましたの」

「……一応聞くけど、なにそれ」

「監視カメラの映像において、大ちゃんの姿が写った瞬間、他の画質をモザイクレベルまで下げて、大ちゃんだけを4K画質で撮るという画期的な――」

「タバ姉のせいだった!」

 

 やたら綺麗に写ってたもんな、脱出劇! おかしいと思ったんだよ!


「脱出するのに必死な大ちゃん、とっても可愛かったですわぁ♡」

「中指立てながら恐悦至極しないで。とにかくもう俺帰るから」

「大ちゃん、お風呂で誰も何も見てないわね? 抹殺すべきビッチはいないわね?」

 

 やばい。背中でも分かるほどにタバ姉の体から『ぐごごごご』みたいな霊力が出ている。答え方を間違えたら、ゲームオーバーだ……!


「神様に出会ったよ。それだけ」

「……? そうですの? さすがの私も神殺しにはなれませんから、しょうがないですわね。うそ発見器も反応してませんし」

 

 よし!(うそ発見器って言った?)逃げるぞ!(うそ発見器なんてあんの!?)

 いつの間にかシャッターが解除されていたドアに手をかけて、俺は一目散に――、


「――なーんて。逃がしませんわ」

「……っ!?」

 

 地面から急に凹凸の罠 わな が現れた。まるで忍者屋敷だ。飛び越えようとしたが、咄嗟とっさのことで満足に足が上がらない。ダメだ、けきれない――ガラガラ、ボヨーン!


「ふがっ!?」

 

 ぼよん、ぼよん――ガシッ。

 な、なんだ!? 柔らかくて更に柔らかい二つの何かに顔が埋まった後に、すごい勢いで拘束されたぞ! だが不思議と不快じゃない。むしろ天国のようだ。

 耳元で聞きなれぬ甘い声。


「……うさ次郎……?」

「うおおおお!?」

 

 ハチミツのようにあま い吐息も耳にかかり、俺は思わず手で押しのけてしまう。

 と、今度は手のほうに柔らかいぼよんぼよんが! どっちへ行っても天国だ!


「大ちゃん、手を切り落としますから、こちらへ」

 

 タバ姉が反応しているということは、やはりこの柔らかさは……。

 

 激突によりぼやけていた焦点が合ってくると、目の前に絶世の美女が現れた。やけにアダルトな色っぽさが見て取れるが、学園の制服を着ているので生徒で間違いはない。学生服のリボンの色が違うが、たしかこの色は二年生の色だ。

 

 どうやら転びそうになったところで、偶然ドアが開いて、偶然女子生徒がいて、偶然俺が頭から突っ込むことにより、偶然転倒を回避したらしい。幸運の大安売りだった。明日死ぬかもしれない。


「大ちゃん、麻酔なしの右腕と麻酔なしの左腕、どちらが先がよろしいですの?」


 死ぬのは今だった。


「落ち着こう、タバ姉。そもそも忍者屋敷みたいな保健室が悪いんだ」

「選択の自由はありませんが、命までは取りません。わたくし、壊すのは得意ですの」

「おい保健医!?」

 

 嵐がやってこようとしたその時、元気な声が仲裁に入った。


「国立センセーイ! いい加減、撫子なでしこにベッド貸してあげてくださいよーう」

 

 振り返ると、先ほどのボヨンボヨン先輩の後ろから更に新しい女子生徒が顔を出していた。まるで岩の陰からこちらをうかがうウサギみたいだ。アイドルのように可愛いし、小動物系ではあるが、こちらもリボンの色からすると先輩のようだった。


「ほらほらあ、撫子もお願いしないとー。いつまでたっても安眠確保できないよう? 撫子の目標は一日十三時間睡眠なんだからさーあ」

「うさ次郎の匂い……」

「んんー? うさ次郎って、昔捨てられちゃったボロイぬいぐるみのこと?」

「ボロくない。うさ次郎は最初で最後のベッド仲間」

 

 なにその仲間。少し妄想しちゃうんだけど。

 

 俺には事態がよく分からないが、タバ姉は理解しているらしい。


「いけませんわ。保健室というのはそもそも体を復調させるための場所。趣味の睡眠をとりたいだけならば、他に行くことですわ。これは何度お願いされても許されないことです」

「あーあぁ、またこれだよう。可哀かわいそうな撫子ぉ」

 

 うさぎ先輩の見えない耳が垂れ下がった気がした。

 ボイン先輩はいまだに俺を見ている。美人に見つめられるって、ドキドキするな……。


「あれぇ、どうしたの撫子。この子、なんかあるのー?」

「うさ次郎……」

「うーん。ドリームタイムに入ってるなぁʂ! 今日はこれで退散しよーう!――しっつれいしましたぁ!」

 

 ガラガラピシャン!――勢いよく閉められたドア。タバ姉に翻弄される心配ばかりしていたら、まったく違う出会いがあった。


「まったく、最近の若い学生はなっておりませんわ」と、自分とほぼ同い年の生徒の愚痴を言うタバ姉。バカにするとひどい目に遭うので静かに退散することにした。

 追手がいないことを確認してから、俺は自分の手を見て、わしわしと動かしてみた。


「それにしても……」

 

 滅茶苦茶めちゃくちゃやわらかかったぞ……!



 *



「あれ? この子じゃないの?」

 

 ボランティアの残り日数も半ばを過ぎたころ、頭上から声が落ちてきた。しゃがんで草むしりをしていたところだったので、空を見上げるように確認。

 

 見覚えのある先輩二人が立っていた。先日の保健室で出会った二人組の先輩だ。


「あ、どうも……」


 そっけない態度もどうかと思い、立ち上がって頭を下げた。あとパンツが見えそうだったので一人で焦っていた。のだが、それ以上に焦る事態が発生。


「わ~~~~、うさ次郎だ~~~~」

「ちょ……!?」

 

 いきなり抱き着かれた。突然すぎて声も出ない。


「こら 撫子、離れなさーい!」

「んーーーーーーーー、うさ次郎~~~~~」

 

 うさぎ先輩がボイン先輩の襟首を引っ張ってくれたらしい。柔らかな体が離れていく。


「撫子! 人前で抱きついちゃダメ! この前注意したばかりでしょおー!?」

「うん。でも林檎りんご、これはが生き返った喜びの舞なの」

「舞ってないし、やっちゃダメ!」

「うん。わかった、絶対にしない――んーーーーーーーーー」

「言ってるそばからするなあー!」

 

 再び俺に抱き着こうとするボイン先輩の襟首を、うさぎ先輩はサッとつかむ。どうやらボイン先輩が撫子さん、うさぎ先輩は林檎さんというらしい。下の名前だろうか?


「ごめんねえ、君。えっと、この前保健室で会ったよねえ? 名前、なんていうの? ていうかなんで草むしってんの? あ、ちなみに私は二年雪組の小埜寺おのでら林檎で、こっちが同じクラスの西園寺さいおんじ撫子だよお。撫子先輩に、林檎先輩でいいからねえ!」

「こちらこそ、よろしくお願いします。今はボランティア中です。名前は国立大理、一年花組です。この前は色々すみません」

 

 姉の分まで、なんかすみません。


「国立? そうすると……まさか」

 

 林檎先輩は察したようだ。国立なんて珍しい苗字みょうじ 、気が付かないほうがおかしいだろう。


「お察しの通りです」

「え! ほんとに喋れる犬なの!?」

「人間! 国立橘の弟!」


 どうすればそういう話になるんだ!?


「あははー、うそうそ! 冗談でーす!」

 

 抱き着こうとしてくる撫子先輩の襟首から手を放さずに、空いている方の手で俺の肩をバシバシたたいてくる。なんだか騒がしい人だ。


「でもそっかあ! 国立先生の大好きな弟くんって君なんだねえ!――あ!  そうだ! じゃあさ、撫子がベッド使えるように頼んでくれないかなあ! 見ての通り、撫子の発育は睡眠によって支えられているんだけどさあ!  保健の先生が変わってから撫子にベッド貸してくれないんだよねえ!」

 

 そう言って林檎先輩は撫子先輩の胸をボインボインとたたいた。効果音が聞こえる気がした。それぐらい波打っている。


「林檎、やめて」

 

 やめないで! と思ったが黙っておいた。ボランティアが延長してしまう。


「あー、いや。助けたいのはやまやまなんですが、タバ姉――国立先生ですけど、彼女を説得するのは俺でも無理ですよ。昨日だって逃げてきたぐらいですし」

「うーんそっかあ! そうだよねえ。天才だもんなあ! じゃあしょうがないねえ!」

 

 あはははー、と大して気にした様子もない林檎先輩の手をすり抜けて、撫子先輩が俺の傍にくると、さっと頭をなでてきた。


「……うさ次郎……会いたかった……喜びのいい子いい子」

「あ、あの……撫子先輩?」

「うーむう?」

 

 なでる撫子先輩となでられる俺を観察しながら、林檎先輩は顎に手を置いた。


「人見知りの撫子が異常なくらいに固執している……これは地球が滅亡するか、国立くんが異形の存在なのか」

 

 俺は妖怪か。だが確かに二人とも超がつくほどの美人だ。俺レベルの顔じゃ妖怪枠でも仕方がない気もする。恋に匹敵するほどの容姿は久しぶりに見た気がするしな。

 

 いや、そういえばお風呂場で見た女の子も相当可愛かわいかったか――。


「――国立くん! いや、タッチンと呼ぼう! 君は今日からタッチンだ!」

「タッチン!?」

 

 エロ妖怪だった。


「タッチンはさ、うさ次郎の生まれ変わりなの?」

「そもそも、うさ次郎って何なんですか」

「……うさ次郎はベッド仲間」

 

 日本語が分からない。


「撫子にはね、うさ次郎っていう睡眠時専用の抱きぬいぐるみが居たんだよね。ま、今は捨てられちゃって手元にはないんだけど」

「ぐすん……ん 」

 

 やはり抱き着こうとする撫子先輩を止める林檎先輩。それでも口は止まらない。


「で、撫子が言うには、君がうさ次郎と同じ匂いがするっていうんだよね。理由わかる?」

「いや、思い当たる節はないですし、さすがに分かりませんよ」

「だよねえ! ごめんね! バイトの邪魔して!」

「ボランティアです」

「似たようなもんだよおー!」

 

 あはははー、と俺の肩をたたいた林檎先輩は、俺に手を伸ばし続ける撫子先輩の襟首をつかんだまま背を向けた。健康的な太ももは撫子先輩を引きずるだけの馬力があるようだ。


「んじゃねえ! タッチーン!」

「んーーーーーーー」

 

 途端に静かになると今までの光景が夢だったかのような錯覚に陥った。それぐらい勢いのある二人の先輩。まるで夢の中の妖精のようだった。

 

 小枝葉先生が様子を見に来た。


「おい、国立。さぼってんじゃねーぞ。まだノルマこなしてねーだろ」

「いや、おっぱいと太ももの妖精に出会いまして」

「え、おい。お前……そんなにつらいなら少し休んでいいぞ……?」

 

 急にやさしくなったおじさんの言葉を無視して(最近は小枝葉先生の扱いに慣れてきた。悪い人じゃないのだ)、俺は草むしりを再開した。



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