第2話

 わたしは、昨日と同じく、個人フィールドを不可視モードにして、ひしめく人々の中にいた。これで、わたしの姿は人だということしか周りの人々には認識されない。

 フロア中央の円形ステージの周りに降りた薄いスクリーンの表面を色彩の波が高速で舐める。その内側でエクスマシンのメンバーが、透明な棒や箱にしか見えないバーチャル楽器を演奏し、リサは歌っていた。確かに彼女の口からマイクを通さず大音声が発せられている。そのことは不自然なはずなのに、腕や足を上げたり下げたり、フロアの方々に視線を送ったりしながら歌う姿は、ロックボーカリストとして違和感がなく、人間らしい。彼女の大きく口を開けた顔は、ほどよく歪んで、美しかった。

 オーケストラパートは録音を流していて、楽器もすべてシンセだから、リサの歌だけが昨日のコンサートと同じということになる。しかし、昨日と同じ曲でも、また違ったように聞こえた。環境の違い、声量の違いもあるだろうが、明らかに歌い方を変えている部分もあった。高音の倍音が多くなっている。狭い会場なので、やわらかく響かせようとしているのだろうか。

 フロアの人々は、ステージに向けて歓声を送っていた。ただ面白がっているだけの人もいれば、本当に心躍らせている人もいるだろう。わたしには、その比率を感じ取ることはできなかった。しかし、その場が熱狂していることは確かだった。

 面白かったのが、シャウトパート、ソプラノパート、テノールパートとリサが歌い方を変えるたび、初見だと思われる人々がざわつくことだった。確かに、彼女のボーカルは衝撃的だった。

 数曲の短いライブが終わると、メンバーはステージを降り、有無を言わさぬテンションで、流れだしたダンスミュージックに合わせて踊りだした。たちまち場は、ライブ前よりも明らかに盛り上がったダンスフロアと化した。

 ひとしきり騒ぐと、メンバーは、わたしがイーヴィーと一緒に飲んでいたラウンジスペースへ移動してきた。彼らと話そうとする人々もついてくるが、人数は限られている。イーヴィーの話によると、彼らに多くの人々が殺到して混乱しないように、客にランダムに制限をつけ、一部の人々の脳内には無意識警告が働いて、彼らに近づけないようにするという対策を取っているらしい。店のコンピュータが客の各個人の脳内ウェアラブルコンピュータ(BC)に干渉するのだ。わざわざこのイベントの前に当局へ届けを出し、許可を取ったという。BCは、健康管理のために、挿入が国から義務づけられているが、そんなこともできるらしい。「今後、さらにいろいろな機能をつけるらしいです」とイーヴィーは言った。わたしが疎いだけだろうか。知らなかった。

 エクスマシンのメンバーは、当たりを引いた人々と談笑した。

「ねえねえ、エクスマシンのメンバーには実は人間が混じってるって本当?」

 顔面にいくつもピアスをした、十代とみられる女の子が無邪気に言った。

「あ、ネットで噂になってるよね。本当のところ、どうなの?」

 前時代バンドのTシャツを着た青年がリサに笑顔を向けた。

「わたしたちは全員アンドロイドですよ」

 リサは気さくに答える。少女は言葉を重ねる。

「でも、ボーカルがスーパーで食料品を買ってるのを見たっていう書き込みがあったよ」

「人違いですよ。面白い噂だけどね」

「確かめさせてよ」

 青年が言った。

「えっとじゃあ……そうだ。アンドロイドって、考えるだけでネットにつながれるんでしょ?円周率をできるだけ言ってみて」

「わかりました」

 リサがすらすらと数字を口にした。青年が自分の携帯端末に目を凝らす。

「合ってる!」

 リサはまだ数字を言い続ける。

「わかった、もういいよ。きみはアンドロイドだね」

 みんなが納得したところで、少女が質問を続けた。

「みんなはどこに住んでるの?」

「事務所にいたり、スタジオにいたり、移動してたりするから、家はないんです」

「仕事してない時って、なにしてるの?」

「ずっと仕事してるかな。してない時は停止してる」

「そういう時って、誰かがそばにいるの?」

「いたりいなかったり、場合によるなあ」

 青年も割り込むように質問してくる。

「いつまで日本にいるの?」

「二日後に韓国に行く予定だけど、また戻ってきます」

「世界中回ってるんだよね?どこの国が好き?」

「もちろん日本」

「好きなバンドはいる?」

「ダイナマイト・イリュージョンが好きです。今年の夏、ダイナマイトの主催するフェスに出演するんです。あ、営業トークじゃなくて、本当に好きで。最後のアルバムが特に最高」

 慌てたように言うリサに、周りの人間たちは笑った。

 ひとしきり話したあと、五人はイーヴィーとわたしのテーブルに来た。

「いい感じだった?イーヴィー」

 女性ギタリストのジョーンが尋ね、イーヴィーはうなずいた。

「ええ、よかったよ」

 男性ギタリストのキムは、わたしに飲み物を取ってこようかと気をきかせてくれ、ベースのアシタスはドラムのカールの腕を持って上下させて遊んでいる。

「ワットモアさんはきてないんですか?」

 リサが言った。

「ワットモア?」

 わたしは思わず聞き返した。

「レオン・ワットモアさんです。ご存知ですか?」

「ええ、まあ」

「今日きてくれるっていう話だったんですけど」

「きてないみたいね。急用が入ったのかも」

 イーヴィーは言った。

「まあ、ライターがいなくても、ここのお客さんがSNSで宣伝してくれるでしょ」

「そんなこと言ったら、ワットモアさんに悪いですよ」

「そうね」

 イーヴィーとリサが笑い合う。

「剣持さんも、ダイナマイトフェスに出られるんですよね?」

 リサが話しかけてきた。気を遣ってくれているのだろうか。わたしはうなずいた。

「ええ。楽しみですね」

「影響を受けられたんですか?」

「音楽を始めたきっかけがダイナマイトだったんです」

「わお!それはすばらしい」

「あなたが音楽を始めたきっかけは?」

 わたしの意地悪な質問に、リサは笑ってみせた。

「気がついたら、音楽をやっていました。ダイナマイトはすばらしいです。作曲AIのデアが登場してから、新譜の発表は一切しないと決めた潔さも評価されてますよね」

「それまでに多くの曲を作ってきてますしね。ダイナマイトフェスで、エクスマシンの持ち時間は何分なんですか?」

「六十分です」

「へえ」

 そんなことを話していると、「ごめんごめん!」という声が聞こえた。

 レオン・ワットモアだった。

「もう終わっちゃったかあ。クソ新人バンドが取材に遅れやがって、予定の時間に終わらなくて。本当にすみません」

「いいんですよ。またの機会にお願いします」

 イーヴィーが言い、レオンは恐縮した。

 わたしは、個人フィールドを知り合い限定設定にした。

「あ、剣持さん」

 レオンがわたしに気づく。

「久しぶり」

「お久しぶりです」

「意外だな、きみがこんなところに」

 そのあと、レオンがイーヴィーとメンバーに、今後の予定やライブの感想などを質問した。みんな、日本での活動に手ごたえを感じているようだった。メンバーの話しぶりには、人間とは違うと感じる部分はまったくなかった。

 イーヴィーとメンバーたちは、そろそろお暇すると言いだした。まだ仕事があるらしい。

 六人が去ったあと、わたしも帰ろうとすると、レオンが言った。

「もう少し飲んでいかない?久しぶりに会ったんだし」

 なにをいまさら、と思ったが、余裕を見せておきたくて、わたしは少しだけ残ることにした。

「きみとエクスマシンが仲いいとはね」

 レオンは意外そうだった。

「仲よくないよ。今日初めて会ったし」

「そうなんだ。でも、いいバンドでしょ。各メンバーの設計がしっかりしてるんだろうな。特にリサの声。まさに悪魔であり、天使だね」

「そういう風に表現されたボーカリストは何人もいるよね」

「そうそう、きみもそうだったね。まあ、きみはグロウルやシャウトはやめちゃって、天使感だけが残ったけど」

「音楽性が変わるのは自然の流れだから」

 人間は心身ともに年を取る。これからも長く歌っていける曲を作りたいと思えば、叫ばなくなるのは当然だろう。

「そうだね。エクスマシンはこれからどうするんだろうな。俺は今のエクスマシンはかなり気に入ってるけど。リサの魅力をこれでもかとぶつけてくるから。やっぱり、あの声の変化がいいよね。特にパワフルなシャウトがいい。それでいて、どんな声でもきちんと同一人物感は残している。絶妙だよね」

 レオンは、黙っているわたしの顔をうかがった。

「もしかして、気を悪くした?嫉妬?」

「なわけないでしょ」

 わたしは顔をしかめた。

「なんでわたしが嫉妬しなきゃなんないの」

「今度、またアクアタワーのレストランでも行く?」

 わたしは笑った。

「もうあなたに対してなんの気持ちも残ってないから」

「それは残念」

 わたしたちはしばらく思い出話をした。

「じゃあ、わたしは帰るわ。仕事頑張ってね」

「うん、きみもね。フェスの時に会おう」


 わたしが自宅マンション前のエアカーステーションに降り立つと、植え込みの陰から、小柄な人影が飛び出してきた。

「わっ!」

 と驚かされ、わたしは思わず悲鳴を上げてしまった。よく見ると、満面の笑みを浮かべた鏡乱だった。

「なに、もう!」

 わたしは心の底からの怒りを込め、鏡乱をにらみつける。冴えない外見の少女は、おかしなゴーグルのようなものをつけていた。

「なにそれ?」

「個人フィールド透視ゴーグル!わたしが発明したんです。これがあるから、不可視モードでも叶宇さんだってわかりました」

 そういえば、きちんと不可視モードにしているはずだった。

「あんた、ストーカーなんかしてないで、自分の技術を使って稼ぐとかしなさいよ」

「わたしが興味あるのは叶宇さんだけなんで。わたしはただ、叶宇さんとお話がしたいだけなんです」

 このわたしの熱狂的ファンは、数か月前から、わたしにつきまとっている。SNS上では、熱心なファンとして数年前から存在を知っていたのだが、たまたま、彼女が某有名大学の機械科を飛び級で最年少卒業したことを知り、その記事を、気まぐれなちょっとしたサービス精神でファボったところ、舞い上がって狂人化したのだ。

 鏡乱というのは本名ではない。しかし、わたしにとっては、いつだってそのハンドルネームが彼女を示すものだった。わたしのアカウントに送りつけられた、悪夢のような量のメッセージ。姿の見えない敵が実体化したのだった。

「叶宇さん、今日こそおうちに入れてもらえませんか?」

「だめに決まってるでしょ」

「もしかして、誰かと同居してるんですか?彼氏ですか?大丈夫です。わたし嫉妬したりしませんから。わたしは、アーティストって、家族よりも恋人よりも、ファンのほうが大事なはずだっていう揺るぎない信念を持ってるんで」

「家に帰りなさい」

「ええー、冷たいですね」

 マンションの入り口へ向かうわたしの背中に、言葉が追いかけてくる。

「わたしと話したくなったら、いつでも連絡くださいね。わたし、叶宇さんのためなら、なんでもしますから」


 わたしのアカウントには、毎日長文で鏡乱からのメッセージが届く。今日はこんなものを作ったとか、こんな映画を観たとか、こんな本を読んだとか、こんなことを考えたとか。パルスという名前の飼い猫の写真が添付されていることが多い。強制的ブログマガジンだ。

 悔しいのだが、無職者の平凡な日常のわりには文章が面白くて、ついつい読んでしまう。返信することは絶対にないのだが、ブロックすることができないでいた。

 ストーカー行為も、通報したことはない。彼女なりに、ある一定のラインは超えないように配慮している節があるし、彼女の経歴に傷をつけたくないという気持ちもあった。

 わたしは、優秀な人間には甘いのかもしれない。

 今日は、家にこもって作曲作業だ。デアに、BPMや曲のイメージを打ち込む。デアの作った曲の音数や音色などを調整する。歌詞もテーマを与えてデアに書かせ、気に入らなければ、与える条件を変更。わたしの声のデータの集合体である、バーチャル叶宇に仮歌を歌わせる。

 もちろん、最新バージョンのデアを使っているけれど、実は、格段に性能がアップした未発表バージョンがこっそりと一部の作曲家に配布されているという噂が流れていた。あくまでも噂にすぎないが、いい気持ちはしない。AI開発会社とコネクションを持つと、最新のものを試験的に使わせてもらえるだと。冗談じゃない。

 数年前、わたしはカオティックポップスという新ジャンルを築いたソロアーティストとして脚光を浴びた。単に、ロックでポップで新しいものをやろうとしたら、そのような名前をつけられたのだ。軽快な音に激しいボーカルが乗っているのが、その特徴とされた。

 現在は、より自分のルーツミュージックに近づいたロックをやっている。売り上げは年々、少しずつ落ちている。大衆は新しいものが好きだから。でも、まだまだやれるし、新たに気づいてくれる人もこれからたくさん出てくると信じている。

 十曲ほど作ったところで、休憩をとることにした。飲み物を淹れ、テレビをつけ、音楽チャンネルに合わせる。

 ある音楽ライターがMCを務める番組にレオンがゲストとして出ていて、わたしはどきりとした。別に驚くことでもないのだが、突然視界に飛び込んでこられると。

「今最もクオリティの高いバンドといえるだろうね」

 ソファに腰かけたレオンは、ニッと口角を上げた。画面の上には、「エクスマシン、新曲MV公開」とテロップが出ている。MCの男がうなずく。

「確かに。レオンと僕はさっきも言ったとおり、十数年の付き合いで、彼は本当に様々な音楽を聴いてるから、彼が言うなら間違いないね」

「実は昨日、エクスマシンがクラブに乗り込んだところに居合わせたんだよ。そこでのパフォーマンスもとてもエネルギッシュだったし、お客さんも大喜びだった」

 さも自分が直接見たかのように平然と言った。そうだ。レオンは嘘つきなのだ。

 以前、彼に言われたことを思い出した。

『今日、レコード会社の人と会って、剣持叶宇は、幼い頃から才能の塊だったらしいってPRしてきたよ』

『小さい頃のことなんて、まったくあなたに話したことないけど』

 わたしが言うと、彼はニッと笑った。

『でも、嘘をついたわけじゃないよ。きみには才能があるに違いないんだから』

『そんな屁理屈。嘘は嘘でしょ』

『わかったよ。白状する。俺は、好きな人のためなら、平気で嘘をつくんだ。絶対にきみを最高の形でデビューさせるからね』

 テレビの中の彼から目をそらし、わたしは熱いジンジャーティーをぐっと飲んだ。

 エクスマシンの新曲MVが流れ出した。幻想的なイメージらしい。水中に、ガラスの球の中に閉じ込められた火が舞っていて、それらに囲まれたメンバーが演奏している。リサの髪が広がり、口からは空気の泡が噴き出る。やがて球が割れ、別の場面へ。今度は火の海の中での演奏シーンだ。

 わたしはじっと曲を聴いた。曲も映像も、斬新さには欠ける。しかし、リサの声のデティールを聞き取ろうとしてしまう自分がいる。

 番組を消し、エクスマシンのネットでの評判を検索した。おおむね好意的に受け入れられているらしい。それはそうだろう。自分の目で見た。

届いているメッセージをチェックした。鏡乱からも届いていた。

『昨日はお会いできて嬉しかったです。今朝、パルスが死んでしまいました。家の庭に埋めました。また明日連絡します』

 いつもの十分の一くらいの文章量だった。

 わたしは数分迷った末、鏡乱に返信した。

『大丈夫?』

 たった一言だが、これに鏡乱から返信がきた時、次にどんなメッセージを返すか、わたしは心の中で決めていた。

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