第8話

彼女は大きく深呼吸して、ゆっくりと噛みしめるように話し始めた



「主人は私と娘を愛してくれた。


彼が亡くなった時、私が美香を守っていかなきゃって思った。

私のすべてをかけて、娘を守っていくことが、これからも主人を愛していくことだと。


……だから、私は女であることを捨てたの」



「もう…誰も愛さない」


「それで?」


彼は握っていた手を離して私の腰に添えた


「それで…って」


「だから、それで、今もそう思ってるんですか?」


「そ、そうよ」


「俺のことは男だと思いませんか?」


「思わない」


目を見ていれなくて俯いた私は一瞬で彼の腕に包まれた


「これでも?」


「離してください」


暴れる私を更に力強く抱きしめる


「俺を先生じゃなくて、ただの男と思ってくれませんか?」


切ない声が耳元に響く


「それは無理だって、あなたもわかって…ンンッ」


勢いよく胸を押して彼の顔を見上げた瞬間に降りてきた強引なキス


再び、離そうと振り上げた腕にはもう、力が入らなかった


何度も角度を変えて重ねられる唇


主人とは違う自分勝手な彼のキスに心が溶けそうだった

.

.

.

.

.

真っ赤になって、涙をいっぱい溜め、俺を突き飛ばした彼女。

はっと、我に返った


「ごめんなさい、俺、止まらなくて」


へなへなとその場にしゃがみこんでしまった藤咲さんの頬を撫でた


堰を切ったように溢れ出した涙


拭っても後から後から溢れてくる彼女の温かい涙が愛しくて、

今度は遠慮がちにそっと抱きしめた

.

.

.

.

.

彼が私の頬に触れた瞬間、

ずっとoffにしていた涙のスイッチがonになった


先生は私が泣き止むまで背中を優しくさすってくれた。

涙ってこんなにも出るものなの?ってぐらい泣いた。


しばらくして少し落ち着つくと、

身体を離して彼は辛そうに見つめて言った



「藤咲さんを…こんなに泣かせるつもりはなかったのに…」


私は何も言えず首を横に振った


「帰りましょう。送ります」


また、手を取り、ゆっくりと大通りまで歩いた

タクシーを止め、私を乗せると、静かに言った。


「じゃあ…気を付けて」


「先生は?」


「俺はいいんです。おやすみなさい」


動き始めた車の窓から反対方向へトボトボと歩いて行く彼を見つめてた。

その背中を見てると…

心の奥底にしまい込んでいた思いに胸の内側からグリグリと押されているようで…

痛かった




「すみません、止めて下さい。降ります」


居たたまれなくなってタクシーを降り、

遠くに小さくなっていく彼を追いかけた


早く辿り着かないと、消えてなくなってしまいそうな気がした必死で走った



「先生!」


私の声にびっくりして振り向いた彼は

すぐにこちらに向かって来た


「はっ、はっ…」


「どうしたんですかっ!」


「はぁ、あの、私…」



あなたをなくしたくなくて

去って行ってしまうのが怖くて


そう言いたいのに言葉がうまく出てこなくて


彼の胸に思い切り飛び込んだ

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