第3話 昭和二十年八月十五日水曜日 乙

 映画館の名は餅川キネマと言った。入口の隣にカマボコ断面型の受け付け窓があるこじんまりとした映画館だった。足元からときどき騒々しい音と震動が来るところから考えると、どうも真下の階層には懸垂電車が通っているようだった。そのため看板を照らす電球が時おり電車に電気を吸い取られて、頼りなく明滅していた。

 上映プランによれば、先週は赤松千鶴主演の恋愛映画がやっていて、今週かかるのは二時間もののような長いのではなく、ニュース映画とアメリカのアニメが主のようだ。別に見たいとも思わなかったが、道を往く狂犬病持ちの野良犬を避けたり、コークス混じりの泥を踏んだりしながら、木炭自動車が走ってくる道を一時間もぶらぶらするのもぞっとするので、チケット代を払って、さっさと中に入ることにした。それに何よりも煙草が欲しかった。

「チェリー二つ」映画館に入ってすぐ有川は売り場の少女に言った。

「すいません」少女はぺこりと謝った。「煙草は今売れないんです」

「えっ、どうして?」

 カウンター上の丸っこい見本瓶の中にはスターやチェリー、エアーシップといった煙草の箱が立っていた。

「子ども向けのプログラムを流す日は煙草の販売を禁じるよう条例が出たんです」売り場の少女は、法律でそう決まってるのですから仕方ないって分かってくれますよね、と窺うような目をして有川に言った。

「そうなのかい?」

「そうなんです」

「ひどい条例だなあ」

 そう言って、有川はしばらく考えて、

「フーム。じゃあ、ラムネ一本」

「はい、十銭になります」

 赤いビロードをかぶせた両開きの扉の向こうへ足を踏み入れる。中は薄暗い。最後列左端の専用席から監査役の憲兵がじろりと有川をねめつけた。有川はその視線に気がつかないふりをして、席を選んだ。既に席は半分以上埋まっていた。たいていが子ども連れで有川のように大人一人で見に来る人はいないようだった。

 前から五番目くらいの席の左端に陣取った。まわりを見ると、父親と名のつくもの全てが皆仲良くカンカン帽を団扇代わりにして顔を仰いでいた。一方、母親と名のつく人はきちんと桃色か浅葱色の団扇で顔を仰いでいた。有川は帽子を脱いだ。ソフト帽のリボンに汗の染みた跡が残っていた。くそっ。有川は心の中で毒ついた。こうならないようこまめに帽子を脱いで内側の汗をぬぐってきたのに。これでは帽子の洗い屋に渡さないといけない。そもそも何で俺はパナマ帽やカンカン帽じゃなく、フェルト地のソフト帽なんてかぶってきたんだ?

 有川のくさくさした気持ちを吹き飛ばすようにして、ブザーが鳴り、幕が空き、スクリーンがあらわれ、部屋の照明が絞られた。

 暗闇の中で観客たちが息を呑む。そして、映写室が光を放ち、音が、輪郭が、意味を持ち始める。トランペットの音。目はスクリーンへ――

《帝国ニュース》

 まずはお決まりのニュース映画だった。

《製作 社団法人 帝国ニュース配給会社》

 音の割れたテーマ曲が流れて、

《第二五五号》

《脱帽 聖上陛下陸士航空学校行幸》

 最後列の憲兵を意識したのかパタパタ動いていた団扇やカンカン帽がピタリと止まる。有川は脱いだ帽子を隣の座席に放った。若干早口気味のアナウンサーが読むニュースが聞こえてきた。

《大元帥陛下には八月六日、神奈川県高座郡座間の陸軍航空士官学校に行幸。護国平和の使命ひとおしく重く無敵陸軍航空隊の精鋭として、相武台の同校を御卒業あそばされる西俊宮永彦王殿下をはじめ奉り、第五十九期生と卒業式に親しく臨御あらせられ、御挺乗、御凛然たる御英姿にて粛々と御閲兵あそばされました》

 抜刀隊行進曲が流れ、次々と通り過ぎていく戦闘機や攻撃機に御用飛行船のデッキから天皇が敬礼を送り続ける。最後に空中戦艦朱雀がその甲板に敬礼する卒業生を満載して通り過ぎていく。

《かくて陛下には、観兵式場を発御。相武台の陸軍航空隊士官学校に行幸あそばされ、優等卒業生の講演を御聴取あらせられた御後、午後一時三〇分、《朱雀》艦上に設けられた卒業証書授与式場に臨御あらせられ、広田校長より西俊宮永彦王殿下をはじめ奉り、卒業生と総代に対し、卒業証書を授与。次いで松永侍従武官より優等生に対して恩賜品を伝達し、一同はただ皇恩のありがたさに感泣。一死奉公の誠を固く固く誓いました》

 棒でも飲み込んだように真っ直ぐ立った卒業生たちが礼をしながら、恩師の銀時計を受け取っている。

 お上に関するニュースが終わると、またパタパタと仰ぐ音が聞こえてきた。有川もラムネの栓をポンっとあけた。泡が流れ落ちるに任せて、指の先で甘い泡の粒がはじけていくのを感じながら、兵隊時代のことを思い出した。南京陥落で蒋介石との講和もなって支那事変が決着したため、甲種合格の有川は満州の装甲列車部隊に放り込まれた。そして、そこでいまだ帝国政府に帰順しない馬賊を殲滅するというのが装甲列車部隊に与えられた任務だった。

 そこでラムネを一口。

 さらに思い出す。ひび割れた粘土から枯れ草が点々と生えている平野。泥壁の家。泥色の空を横切る渡り鳥の群れ。装甲列車が敵一人見当たらない荒野をゆく。機関銃と十二センチ砲を突き出して。有川の仕事は機関銃手に三十発入りの保弾板を手渡す作業だったが、ただ一発の鉄砲を撃つこともなく、兵役が終わりそうだった。ところがある日、後一時間で夜が明けるというところで、馬賊たちが線路にダイナマイトを仕掛けて……

 ラムネをもう一口。

 そして――

《決戦! サクラメント》

 流れる音楽が《抜刀隊》から《星条旗》に変わる。

《一進一退の攻防を続けるアメリカ内戦も十二年目に突入しましたが、両軍ともに矛を収めるつもりはありません。八月一日、アメリカ人民連合軍は西部で唯一合衆国に残留したカリフォルニア州を征服せんとして、ルイジアナ州より精鋭師団を抽出し、サクラメント攻撃部隊に加えさせてサクラメントの北と東から計二十万が攻撃しました》

 地図。黒い矢印が北と東からサクラメントと表示された白い丸をにぶつかろうとしている。

《西部に孤立し、陸と空からの怒涛の攻勢により嗚呼カリフォルニアの運命も決したかと思われるも、合衆国カリフォルニア方面軍司令官ジョージ・パットン陸軍中将は不安に萎縮する麾下の八万の士卒に対して、「撤退も篭城もしない。全軍出撃。ザリガニ食いどもを元の沼地に追い返せ」と勇ましく訓令し部下たちの不安を吹き飛ばして徹底抗戦を命じたかと思うと、次の瞬間には天よ避けよと対空砲の猛烈な弾幕を張って、敵空中砲艦を後退させ、空の安全を確保するや敵兵を迎い撃つべく麾下主力の鋼鉄軍団をサクラメント東部に進出したアリゾナ州兵に突撃させました》

 映像――燃える果樹園、焼け落ちるオレンジ。(映画会社が入れたらしいダダダ、ダダダという機関銃の効果音)二人一組になって機関銃と弾薬を運ぶ兵士たち。攻撃機から見た地上攻撃の映像――五発に一発は混じっている曳光弾が砲兵隊の陣地に吸い込まれていく。

《わずかなれども最精鋭の攻撃機を集中使用しアリゾナ軍砲兵隊と装甲車部隊を完全に無力化させるや――》

 機関銃を撃ってくる農家が数軒ある野原を多砲塔重戦車が進み(ゴロゴロゴロ……)、自動小銃を手にした海兵隊員は匍匐前進するか戦車の後ろに隠れるかしながらついていく。一度に五つの砲塔が火を吹き、草原に散った小さな家屋が隠れていた機関銃兵もろとも火柱になった(ドカーン)。くすぶる黒い木片が回転しながら落ちていく。

《陸の戦車軍団は火力の支援を失った敵を徹底的に叩き、アリゾナ軍は三時間ともたず、砲を遺棄して三十キロ後方へ撤退。兵は神速を尊ぶ諺の通り、パットン率いる戦車軍団は一気に反転し――》

 モンタナ帽をかぶったパットンが徴発したハイウェイ沿いの簡易食堂で部下の師団長たちと地図を指しながら、次の目標を決めている。そして、戦車と歩兵を乗せたトラックがハイウェイを疾走していく。

《八時間後にはサクラメント北部で堡塁突破に手間取っている人民連合軍主力の背後を脅かせば、人民連合軍は慌てて陣を捨てて総崩れとなって対サクラメント攻略陣地から撤退しました。この勝利はサクラメントはもちろんのことロサンゼルスやサンフランシスコ、そしてワシントンにおいても歓喜の声で讃えられました。カリフォルニア州政府は公式発表として、敵の遺棄死体は二万、鹵獲した砲は三百門を数え、破壊した敵装甲兵器は六十両、撃墜した敵砲艦は二隻を数え、それに対し、カリフォルニア軍の損害は微々たるものであり、州民は継戦に強い意欲を示している、と全世界に発信したのであります》

 戦争、戦争、戦争。ひどいもんだ。そう思って、胸ポケットに手をやって煙草がないことを思い出す。ちぇっ、つまらんもんだ。有川はふてくされた。

 銀行と農民、共和党と人民党、トーマス・デューイとヒューイ・ロング、ワシントンとバトンルージュ、そしてアメリカ合衆国とアメリカ人民連合国。アメリカ内戦はルーズヴェルト大統領がフロリダで人民党員の凶弾に倒れてから、かれこれ十二年間続いている。

 そして、ニュース映画は飽きもせずに必ずこの戦争に関する映像を流す。人気があるのだ。先月は人民連合軍の通商破壊用空中軽巡空艦「ネイサン・フォレスト」と「ジョン・ハント・モーガン」がミッドウェーで撃墜され、海の藻屑となったというニュースを大々的に流していた。

 有川の幼馴染で新聞社の政治部に勤めている田島という男がいるのだが、その田島曰く、庶民にとって自分たちに火の粉がかかる心配のない戦争は最高の娯楽なのだそうな。戦線に大した動きがなく、現地に派遣した記者からも特に報告がなかったのでアメリカ戦争の記事を載せなかったことがあったのだが、すると社に苦情の手紙が何十通と舞い込んでくるという。国際社会が注目するアメリカ内戦について御社が紙面を割かないのは何故か? 仕方なく、それからは政治部の田島がアメリカ内戦については何かしらの記事を必ず書かされることになり、両軍の死者合わせて五名の小さな小競り合いをターナーハウス・ジャンクションの戦いと尤もらしい名前をつけて、大きく紙面を割いたりしてみるのだが、すると購読者たちは大いに満足なのだそうだ。ターナーハウス・ジャンクションなどという地名は、日本人はおろか当のアメリカ人だって知っちゃいないのにだ。

 そんな話をどこかのビヤホールでしたのだが、そのとき篠宮は火の粉のかからぬ戦争もそうだけど、僕はあらゆる時代、あらゆる国の民衆が好む最高の娯楽を知っているよ、と言いだした。何だそれは、と訊けば、当ててみてくれ、と子どものようにいたずらっぽく笑うので有川と田島はひとつ真面目に考えた。花札や麻雀、ちんちろりんは人気のある娯楽だが、西洋では通じまい。逆にブラックジャックやポーカーだって日本や支那で通じきるとは限らない。酒かな、とも考えたが、回教徒は酒を飲まない。美食はどうかと思っても、生まれつき胃腸の弱いものにはこれは当てはまらない。女性はというと、娯楽として括るには少し重過ぎるし、これも生まれつき苦手とするやつがわずかだが存在する。

 ダメだ、分からん、と田島がうなると、

 篠宮は、降参かい? と嬉しそうに重ねてたずねてくる。

 悔しいが降参だ、と有川が言うと、

 すると、篠宮は人を惑わすようなあの悪魔っぽい微笑を浮かべて、こう言った――あらゆる時代、あらゆる国の庶民が熱狂する娯楽、それはね――偉い人間が落ちぶれていくのを見ることなんだ。偉ければ偉いほどよし。非業の最期を遂げればなおよし。

 数秒ほど絶句したが、そのうち田島が、道理でカストリ雑誌がよく売れるわけだ、あいつらはそんな記事ばかり書きやがるからなあと出版で食っている人間らしいことを言って笑い出した。一方、篠宮は暢気に笑いながら塩茹での枝豆の鞘を剥いている。そんな篠宮を見ていると、有川は背中に冷たいものを感じつつ思う。実は篠宮は何百年と生きている悪魔の一種なのではないか、と。そして、世界のあらゆる時代、あらゆる国で権力者の寵愛をいいことに専横のかぎりを尽くした寵臣が突如その寵を失って凋落しその首が胴から離れ、民衆から歓声が沸く瞬間を常に目撃し続けてきたのではないかと思うのだ。

 馬鹿げた空想なのは分かっているが、そう考えたくなるほど篠宮は悪魔じみた相貌をしていた――白磁のようにキメの細かい白い肌、睫の長い涼しげな眼差し、よく微笑が浮かぶ口元、少し長くてわずかに癖のある夜色の髪。初めて篠宮と会う人は少女のように華奢な篠宮のことを最近華族の社交界で流行っている男装の麗人と勘違いする。本人はそれについて、いろいろ不平を言っていたが、有川は仕方のないことだと言ってやった。実際にそう見えるのだ。

《空前絶後! カリフォルニア特需》

 ニュースが国内に移って、音楽がラデツキー行進曲に変わり、溶けた鉄が熱く火花を散らしながら炉から流れ出ていくシーンを映し出した。そして、アナウンサーの上ずった声。

《皇紀始まって以来の類を見ない好景気に日本経済は活性化し、鉄鋼、石炭、造船、綿製品製造業はいずれも前年度と比較して三十パーセントの成長率を維持しております。またセメント、砂糖、化学肥料に代表される三白景気も好調で、高階商店を始めとして――》

 全ての産業の成長を示す右肩上がりの棒グラフ。

 北東部諸州を治めるワシントンDCの合衆国大統領はパナマ運河を通じて、陸の孤島と化したカリフォルニアに支援物資を送り続けた。しかし、人民連合軍の北上攻勢が本格化すると、その余裕もなくなり、敵の包囲下にあるカリフォルニア州は二つに一つの選択をしなければならなかった。人民連合の軍門に下るか、黄色い猿と取引するか。カリフォルニア州を事実上支配しているカリフォルニア軍総司令官ジョージ・パットンは後者を選んだ。「どちらか一つ選べと言われれば、ジャップと取引だ。ザリガニ野郎どもをフライにできるのなら、悪魔とだって取引する!」

 そしてカリフォルニア特需がやってきた。欧州大戦特需以来の大きな戦争特需。作ったものは何でも売れた。マッチ、メリヤス、砂糖、鋼材、梱包爆薬、貨物船、そして三〇・〇六弾を発射できる全ての火器。出来上がったそばからカリフォルニア州が買い取った。あの『国民ラジオ』ですら『加州ラジオ』と名を変えられて輸出された。カリフォルニアはオレンジとジャズとハリウッド映画を輸出して稼いだ外貨を全て戦争につぎ込んでいた。通商破壊艦も潰えて、横浜とサンフランシスコを結ぶ線のあいだには、障害はなくなった。カリフォルニアに向けて、日本中の造船所と製鉄所が狂ったように生産を続けることを妨害するものは何一つなかった。内戦が終結する見込みはなく、特需はまだまだ続くだろう。経済学者たちはそんな楽観的な観測を出している。二十年前、大戦特需の反動で手痛い不況を食らったことなど、コロリと忘れて。

《戦慄! 赤色ギャング団》

 ジャジャーン。曲名は分からなかったが、なにやら不穏な雰囲気の曲が流れ始める。

《またもや共産主義者より成る赤色ギャング団が帝都を戦慄せしめました。昨日午後二時、拳銃と散弾銃で武装したギャング団は帝国銀行椎名町支店を襲撃、一万二千円の現金を強奪した後、凶行に及び、出納係の鈴木三津次郎氏と居合わせた利用客の斉藤キヌさんを銃撃、二人は間もなく死亡しました。赤色ギャング団が行内に残した犯行声明文によれば、これからもプロレタリアートによる腐敗堕落したブルジョワジーへの攻撃は続くであろうとさらなる犯行を予告しています。赤色ギャング団は今年だけでも、一月の実業家横山千津夫氏の誘拐事件や三月の高階商店本社ビルへの機関銃による銃撃事件、さらに六月には二件の銀行強盗事件を起こしておりますが、特別高等警察の安藤警部は赤色ギャング団への捜査は順調に進んでおり、街塔区奥地への封じ込め作戦が功を奏せば、ギャング団は一斉に検挙されるであろうと自信を持って宣言しました》

 赤色ギャング団の壊滅? 特高のボケ。婆さんとガキどもが手作業で仕切っている闇タバコの作業場だって、ろくに挙げられないくせに何言ってやがる。有川は心の中で毒ついた。

 ニュースが一通り終わると、本番が始まる。

 ルーニー・テューンズのテーマが流れ、ワーナー・ブラザーズのWBと印された盾形のロゴの上でバックス・バニーが寝そべってニンジンをかじっている。総天然色。筋書きはバックス・バニーとダフィ・ダックが手を組んで、デブで赤ら顔で醜悪な酔っ払いとしてカリカチュアにされた人民連合国大統領ヒューイ・ロングを徹底的にやっつける。ロングがバックス・バニーを吹き飛ばすために仕掛けたアクメ社製時限爆弾はどういうわけだかロングの元に舞い戻ってからドカンと爆発する。その後、ヒューイ・ロングは崖に落ちたり、汽車にひかれたり、ザリガニに鼻を挟まれたりして、最後はマーシャル陸軍参謀総長の爆撃機による集中爆撃を食らい、焦土と化したバトンルージュでロングは〈アフリカ・チョコレート〉の自販機みたいに真っ黒になって降参の白旗を上げる。そこで〈星条旗よ永遠なれ〉がかかっておしまい。

 次は猫のシルベスターとカナリアのトゥイーティが手を組んで、デブで赤ら顔で醜悪な酔っ払いとしてカリカチュアにされた人民連合国大統領ヒューイ・ロングを徹底的にやっつける。ロングがトゥイーティを焼き鳥にするために仕掛けたアクメ社製カミナリ雲発生装置はどういうわけだかロングの頭をしつこく追いかけて、ロングの頭にカミナリを落とす。その後、ヒューイ・ロングは崖に落ちたり、汽車にひかれたり、ザリガニに鼻を挟まれたりして、最後はアイゼンハワー陸軍総司令官の戦車による集中攻撃を食らい、焦土と化したバトンルージュでロングは〈アフリカ・チョコレート〉の自販機みたいに真っ黒になって降参の白旗を上げる。そこで〈星条旗よ永遠なれ〉がかかっておしまい。

 三本目はロードランナーとワイリー・コヨーテが手を組んで、デブで赤ら顔で醜悪な酔っ払いとしてカリカチュアにされた人民連合国大統領ヒューイ・ロングを徹底的にやっつける。ロングがロードランナーをぺしゃんこにするために仕掛けたアクメ社製投石器はどういうわけだか、物理の法則を一ダースほど無視してから、ロングの頭に大きな岩を落としてくる。その後、ヒューイ・ロングは崖に落ちたり、汽車にひかれたり、ザリガニに鼻を挟まれたりして、最後はニミッツ提督の空中艦隊による集中攻撃を食らい、焦土と化したバトンルージュでロングは〈アフリカ・チョコレート〉の自販機みたいに真っ黒になって降参の白旗を上げる。そこで〈星条旗よ永遠なれ〉がかかっておしまい。

 有川は二番目の話の途中からいびきをかいていたが、三番目の話の終りで突然、目が覚めた。というのも、最前列の席に座っていた観客の一人が、女房子どもが止めるのも聞かず、段に上がって「労働者諸君!」をやり始めたのだ。

 男の言っていることを端折って説明するなら、このアニメーションは唾棄すべきアメリカ拝金主義の権化である共和党政府のプロパガンダであり、ロング率いる人民党は農民や労働者の立場に立って戦っている。心あるプロレタリア階級は当然このことに気づいているはずであり……

 そこから先は言えなかった。客席から空になったラムネの瓶が飛んできたからだ。憲兵が警告の笛を吹く手間もない。男たちは、引っこめ馬鹿野郎、俺たちは金を払って映画を見に来たんだぞ、アジるんならどっか余所でやれといった具合に、罵声とラムネ瓶を浴びせ続けた。

 もっとも誰もこんなアニメを本気で見ていたいとは思っていない。それに銀行を優遇するアメリカ共和党にシンパシーを感じているわけでもない。そうではなく、彼らはただラムネの瓶を人に向かって力いっぱい投げたいだけなのだ。子どもたちは大人の事情には一切構わず、割れたラムネ瓶からビー玉を回収してはポケットに入れる作業を黙々とこなしている。

 後ろから投げられた瓶の飛距離が足りずに、有川の二つ隣に座っていた男の頭に当たった。いてえ、いてえ、畜生め、とうめく男を尻目に有川は潮時だと思い、ラムネ瓶が頭上をかすめる劇場から命からがら逃げ出した。

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