招く海

 翌朝。朝食を済ませ民宿を出ると、俺たちは潮神社へと向かった。

 潮神社は、港から少し離れた岬の先端にある。そこから先に海を隔てて小さな島がある。その島までの距離は、思ったよりも長い

 陸地になっていれば、結界も張れるが、儀式の前に、島までの道に結界を張るのはほぼ不可能だ。

 神社で待っていたのは、磯田空と空の妹の華だ。

 空はともかく、華は初対面である。磯田の家系は女性に能力者が出ることはないと聞いていたから驚いたが、霊能力者としては、それほど力があるわけではないらしい。

 もっとも、体の動きはしなやかだ。

 彼女が連れてこられた理由を「男衆ばっかりでは、着付けとかお風呂とかの手伝いは無理だから」と、華は言ったが、それだけではなさそうだ。

 満宮の儀式が始まるころ、俺は船を使って干宮と向かった。

 儀式が気にならないわけではなかったが、まだ日は高く、満宮にいる限り、結界は強固である。空と田野倉がいれば、問題はないだろう。

 結界の準備と、干宮までに至る道の下見だ。空はともかく、俺と田野倉は土地勘がない。

 呪術というのは、土地の力を借りて行う方が効率的だ。土地の力を見るのは、坊主の田野倉より、俺のほうが向いている。

 蝉の声がうるさい島に上陸すると、俺は、干宮へと続く階段を登った。

 もともとは神域であるだけに、土地の力はかなりある。しかも、神域の領域は思ったよりも広そうだ。弱くはなっているとはいえ、拝殿そのものだけでなく、島の全域に神の力を感じる。

 島そのものの形は、こんもりとした小山という感じで、浜というのも、それほど広くはない。釣りびとがおとずれるという海側は大きな磯になっていて、海蝕で空いた洞穴もある……もっとも、今は海水に満ちていたが。

 海と違い、陸側は魔の侵入を許さない結界を張ることは難しくなさそうである――ただし、隼人本人が襲ってきた場合は、話が違う。

 小さな島ではあるが、木々が生い茂り、いくらでも隠れることができる。海が引き始めればすべて潮がひかなくても、船を使わずとも渡ることはできそうだ。相手は一人とはいえ、油断は禁物である。

 そもそも、海では、誰にも使役されていない闇のものが、彼女を狙って襲ってくるのは間違いないのだ。島に着いて、油断した隙を狙われる可能性が高い。

 隼人はいつ来るのか。どう狙ってくるのか。まったく予想がつかない。

 俺は、船に戻りながら、海の向こうにある満宮を見る。

 既に儀式ははじまっているだろう。清めの儀式からはじまり、彼女の身体に神が降りる。

 生身である彼女に、神が降りることはかなりの負担であろうが、今の彼女であれば可能だ。

 しかし。もはや、彼女に安息の日は戻ってこないだろう。

 力を封印するというのは、簡単に言えば、本人の意識と、潜在する力をつなぐ糸を切ることに近い。

 おそらく、彼女に施されていたのはその糸に本人が気付かないようにする術だ。気づかなくても、糸はつながっているから、守護は働く。しかし、決して外には向かない。

 優樹菜の母は、娘に昏い世界を見せたくなかったのであろう。

 もちろん、俺がやったことは、間違ってはいないと思う。あれだけの暗霧をかかえ、生きていくことはどう考えても優樹菜のためにはならない。

 しかし、優樹菜のことを思うなら、彼女の霊力が活性化する前に、もう一度術を施すべきであったのかもしれない。

 波しぶきに頬を濡らしながら、俺は潮の味をかみしめた。

 今はそれより、儀式に集中すべきだ。感傷に浸っている暇はない。俺は、満宮へと急いだ。



 干潮まであと一時間程度となった。

 神を身体に宿した優樹菜は、ぼんやりとしていて、熱っぽいらしく、足がふらついている。

 磯田兄弟が干宮へと移動したため、今、ここにいるのは、優樹菜と俺と田野倉だ。 

 優樹菜は巫女衣装、俺は狩衣だが、田野倉はいつもの法衣に錫杖である。

 まあ、儀式に衣装を神式にあわせたところで、田野倉の術は仏法系なのだ。違和感は変わらない。

 俺と田野倉は懐中電灯を手に持ち、外へ出た。

 神体である玉は桐箱に入れられ、優樹菜がしっかりとその腕に抱いている。

 海風は湿気をはらみ、生暖かく、粘りついている。

 夜の闇で見えないはずである波が青白く発光しており、島までの海が二つに割れ始めていた。

 暗く沈んでいるようにみえるのは、潮が引いてできた中洲である。

 夜空には、満天の星。海と空の境目は闇の彼方に溶けている。

 島には小さな明かりが干宮まで続いていた。

「綺麗」

 優樹菜がため息をつく。

「夜光虫だ」

「海が……招いているみたい」

 夢を見るようにうっとりと優樹菜は海を眺める。

 ほのかな青い光を宿したゆっくりと引いては寄せる波が、道を作っていく。同時に『気配』が引き寄せられてくる。

 彼女の言うとおり、たくさんのものが、彼女を招いているようだ。

「幻想的な光景だね。ただし、結界を出たら、そうも言っていられない感じだ。おれが先導する」

 田野倉がゆっくりと、石段を下りていき先導する。俺は優樹菜の後ろから後を追う。

 神社の神域を出ると、大気はびりびりと張り詰めたものに変わった。

 のしかかるような圧迫感が四方から感じる。

 砂浜のむこうにある闇がぐにゃりと立ち上がり、ずるずるとこちらに近寄ってきた。

「暗霧だ――昨日の奴らとはずいぶん『力』が違うが」

 俺の言葉に、優樹菜が頷く。

「俺から離れるな」

 俺は優樹菜の腕を引き、引き寄せる。

 ジャリン と、錫杖が音を立てた。

 田野倉だ。

 ずりずりと遠い海から這うように近寄ってきた黒塊が、うねる。


 ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン


 田野倉の不道明真言とともに、銀色の光が錫杖から生まれ、黒塊にぐるぐると巻き付いていく。

 黒塊が大きく震えると、ざわざわと闇のかなたが呼応するように吸い込まれて、そいつがでかくなっていき、赤銅色の鈍い光を僅かににじませ始めた。

「……結構、多いな」

 さすがの田野倉も苦戦している。

「細かいのは、こっちでやろう」

 俺は、小さな刀を懐から取り出した。

 田野倉の相手をしているもののほかにも、 暗い海の向こうから、『気配』がどんどんと近寄ってくる。

 それらは、海面を水音一つたてずに走ってきた。

 虫のようなもの。さかなのようなもの。人のような体を持つもの。

 それらは激しい執着で優樹菜を目指す。飢餓と、執着の念を滴らせ、どんどんこちらへ集まってくる。


 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前


 描いた格子から生まれた光が、それらを薙ぎ払うも、彼奴等は諦めない。

「きりがないな」

 俺は闇をにらむ。

 沖からぞわぞわと何かがどんどん押し寄せてくる。

「鬼頭、お前はいちいち相手をするな! 神域へ行け」

 田野倉が叫ぶ。

 確かに、結界のないここで戦い続けるのは得策ではない。

「わかった」

 俺は、彼女の腕を引いた。

 不意に。

 強烈な気配を感じた。近くはない。かなり離れている。隼人だ。


 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前


 俺は九字を斬った。

 が。

「まずいっ」

 ザザァという音ともに突然、暗い海面が沖からせり上がってきて、人の高さをはるかに超える波が、俺たちの前に現れた。

 妖魔ではない。術本体はここにはない。これは、ただの波だ。返しようがない。

「中島さんっ」

 俺は必至で手を伸ばす。

 しかし、優樹菜はあっという間に波にのまれた。

 波は、生き物のようにするすると沖へと彼女を飲み込んだまま退いていく。止められない。

 間違いなく、島へと運ばれていく。

「島へ行く! 後は頼む」

 俺は、田野倉の答えを待たずに、島へと走った。

 異形のものが体にまとわりつく。しかし、それどころではなかった。

 隼人の気配は、間違いなく島からだ。

 あれだけの力を見せつければ、空も気が付いたはずだ。

「空!」

 俺は、大声で、奴の名を呼んだ。暗闇のなか、闇雲に探すのは得策ではない。

「鬼頭さん! こっちです!」

 船着き場があったあたりから、華の声がした。

 拝殿への道から外れ、俺は声のほうへ向かうと、藪の前で、座り込んだ空と華がいた。

 血の匂いがする。

 懐中電灯で照らすと、華の押さえている空の肩ぐちに赤いシミがにじんでいる。

「悪ィ。ちょいとやられちまった」

 口調はそうでもないが、顔色は青ざめている。

「いや、こっちも優樹菜をさらわれた」

 俺は、そう言いながら、空の傷口を見る。刀傷のようだ。それも、かなり広く深い。

「どいて」

 俺は、華の手をどけて、自分の手を空の傷口に当て、布瑠の言ふるのことを唱えた。

一二三四五六七八九十ひとふたみよいつむななやここのたり布留部由良由良止布留部ふるべゆらゆらとふるべ

 一説には死人を生き返らせるという呪文ではあるが、そこまでの力はない。

 ただ、止血作用くらいにはなる。

「隼人の行く先に心当たりは?」

 俺の問いに、華が藪の奥の方を指さした。

「その藪を越えると小さな道があるの。それをたどっていった先に、岩窟がある。もともとは干宮の儀式はそこで行われていたらしいから、そこだと思う」

 儀式を行うだけなら、海蝕でできた岩窟で可能だ。ただ、常日頃の信仰の場所には不向きであるから、拝殿が現在の位置に作られたのであろう。

「わかった。ふたりは、手当をして、儀式の準備をしていてくれ」

「ひとりで、大丈夫か?」

 俺の言葉に、空がうめくように言った。

「じきに、田野倉が来る――なんとかするさ。それより、戦えるように、しておけよ」

「負傷者でも、容赦しねえなあ」

 にやりと笑う空に頷くと、俺は藪へと入った。躊躇している暇は、まったくなかった。

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