《勇者》ト《眷属》ノ物語

鎌太郎

第一章 始マリノ刻

プロローグ/始まりは血の中で







 血の海。

 そんな言葉を思い出してしまう程、オレの眼前は血と肉で色が付き、むせるくらいの鉄錆の臭いが辺り一面に広がっていた。

 オレが今まで見た事もない化け物達。普通の動植物が大きくなったような姿もあれば、まるでそういう物語に登場するような姿だったり、見た事もないようなものまで種類は様々。

 でも、状態は同じ。皆死んでいた。

 遺骸が何十、もしかしたら何百とあって、オレを中心に山を作り、血は小さな湧き水のように溢れている。

 当然だ。

 だってこれはオレが作ったから。

 人間の血の川を、人間の死体の山を作らない為にオレが作ったから。その証拠にオレの体には魔獣の血と肉片で紅く染まっていた。

 夜になって、魔獣達が村を襲ったから。

 村を守る為に、殺した。

 きっとこの魔獣達だって自分達に恨みがあった訳ではなかったのかもしれない。

 村長の話では、今の山は魔獣どころか普通の野生動物も食べ物に困ってしまう程実りが少なく、気が立っていた。目の前で死んでいるこいつらだって、食うのに困っていて、否応なしな状況になっていたのかもしれない。

 生き残るための虐殺。

 魔獣達の足では山を越える事は難しかったのだろうし、一番手近で簡単に餌を得られる場所を求めたなら……結局ここになるだろう。

 でも、オレにはそれが許せなかった。

 例え魔獣に罪がなかったとしても、生き残る上で仕方がなかったとしても。

 唐突に現れたごく潰しに貧しいながらも世話してくれて、家族のように接してくれて、優しさをくれた人達を、犠牲にする事は出来なかった。

 例えそれが魔獣達には必要な事だったとしても、人間はそれを許容出来ない。

 だから剣を取った。

 剣というにはあまりにも古くボロボロで、普通に振っても斬れる筈がないと思ってしまうような、研ぎもされていない鉄錆の剣で戦った。

 五体から先は躊躇いが消えた。

 十体から先は罪悪感が消えた。

 二十、三十と倒していくうちに感情が無くなっていった。

 四十体目で、殺した数を数えるのをやめてしまった。

 そこから何体戦ったのかは……正直、分からない。山からは細かい数まで察する事は出来ない。


「こりゃあ、凄いねぇ。お前さん一人でやったのかい?」


 ふいに声が聞こえて、そちらの方を振り返る。

 綺麗なローブを纏い、そのフードを深々と被った一人の人間がそこにいた。深々と被り過ぎていて、少し距離が離れている上に夜明け前の薄暗さで顔を見る事は出来ないが、声を聴く限りそう歳を取っている訳でもないのだろう。

 四つの奇妙な形の輪を付けている錫杖を持っている。そこから、妙な感覚をオレは覚えた。そこから温い風でも吹いているような奇妙な違和感を。

 それだけじゃない。その周りには、黒い服や鎧を着ていて、景色の中に溶け込んでいる人間が二、三人。


「……へぇ、驚いた。お前さん私の周りの奴が見えるのかい?」

「? かくれているのか﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅?」


 思わずそう答えると、少しローブの女から戸惑う雰囲気を感じて――、


「……ふふ、アハハハハハハ!

 隠れているのか!? 隠れているのかだって!? ハハハ、あたしの眷属が形無しじゃあないか!!」


 そのままなぜか大笑いし始めた


「……アンタ、オレが怖くないのか?」

「アァン? なんでお前さんみたいなガキンチョにあたしが怖がらなきゃならないんだい?」

「……このせかい﹅﹅﹅﹅﹅では、こどもはこんなこと、しないだろう?」


 魔獣の死体を指さし、それから自分の血と肉片で染まった体がよく見えるように手を広げる。


「……『この世界』なんてわざわざ言うって事は、アンタは渡世者エグザイルって事だねぇ。

 ハァやだやだ。山の異常を調査するっていう簡単な仕事が、なぁんでアンタみたいな厄介もん見つけにゃならんのか」


 芝居がかった大きな溜息と憂鬱そうな声。

 どうやらオレという存在は、よっぽど質が悪いらしい。


「……『えぐざいる』って、なんだ?」


 オレの言葉にローブの女は嫌がっている割にはスラスラ答える。


渡世者エグザイル。その話をするとちぃと長くなるがね。

 世界っちゅうもんにはそれぞれ〝壁〟があるんだよ。基本的に世界から外に出る事は出来ず、魂はその世界の中で流転する。そもそも肉の器があろうがなかろうが、その壁には気付かない。

 だが壁と表現したが、何も一つの隙も無いわけじゃあない。〝穴〟や〝亀裂〟があってね。極々たまにではあるが、そこから人間の魂や、肉の器ごと世界の外に弾き出されちまう事があるのさ。

 普通に戻れる時もまぁあるがね。大半は、そのまま別の世界に流れ着く。

 魂だけの存在は、やってきた世界で肉の器を得る。前の世界の記憶はそのままだったり断片的だったり、まぁ色々さね。

 肉の器ごと来ちまう奴ぁ……これは魂だけより色々だねぇ。何せ普通は通れない所を通っちまうんだ。身体になぁんも影響を与えない、何て事はあるわけがない。

 この世界はね、どうやらお前さんらのような連中が集まる……なんだろうね。壁に穴がたくさん開いてるのか、世界の外に流れでもあって其れがここに導くのか、あるいは神さんがいるのかは、分からないけどね」


「……つまり、何も分からないわけだな?」


 長々しく話をした割には、何も分かっていなかった。

 オレの期待外れだという気持ちがそのまま声に乗ってしまった所為なのだろう。

 ローブの女は機嫌悪そうに鼻を鳴らし、近くの魔獣の死体の血をどうやってなのか払い取って、綺麗になった死体の上に座る。

 綺麗とは言え、死体は死体だ。よくあそこまで恐怖心も忌避感もなく座れるのか、理解出来なかった。


「そりゃあ、私は神様じゃないし、この世界の中にいる誰にだって分かりはしないさ。分かるのは、世界の外側で理性を保っていられる存在だけ。まぁそんな存在いやしないがね。

 で? お前さんはどっちなんだい?」

「……分からない。でも死んでいないと思う。きおくはないけど、ちしきはある。しかも、からだがちぢんで、かおもかわっていた」

「ああ、だったら後者。肉の器ごと来ちまったんだねぇ。

 さぞ苦労したろう。その身体じゃ仕事もまともに出来ないから、生きていくのも難しい」

「……この村の人が、救けてくれたから」


 まるで記憶の中にあった家族のようだった。

 温かかったし、暖かさの中に入れてくれた。


「それで、こんな事をしたわけかい。それらを守る為に。

 でもねぇお前さん。なら他の村人はどこに行ったんだい? あんた一人置いて逃げちまったっていうのかい?」

「……オレが、たたかえるって分かって、それで、」

「お前さんに任せて逃げたんだろう?」


 オレがその言葉に頷くと、ローブの女はまた不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「お前さん、そりゃあ体良く押し付けられたんだよ。

 お前さんは戦える、しかも身内もいないから悲しむ連中はいない。心のどっかでお前さんを犠牲にしても良いと思ってわざと置いていったのさ﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅




 お前さん――ようは、生贄にされたのさ」




 ……ああ、そうなんだろうな。

 ローブの女の物言いは極めて辛辣で残酷だったが、その通りなんだろうなとオレは思った。

 オレが魔獣を殺して、村人を守っていた時。あの人達の顔を見た。

 恐怖と、喜びだった。

 魔獣とオレを同じように怖がって、でもこれで自分達だけは救かると喜んでいた。

 悲しむべきなんだろう。怒るべきなんだろう。

 オレが守ったのに、命をかけたのにそんな目を向けて、しかも見捨てた事を。少なくとも、ローブの女はそれを望んでいるんだろう。

 理不尽に遭ったなら悲しめ。

 不当を受けたなら怒れ。

 言葉にはしなかったけど、そう言われているような気がした。

 だから、


「……ありがとうございます」


 そう、オレはお礼を言った。

 相変わらずフードで顔が見えなかったけど、女は少し動揺してから、怒っている風だった。


「なんでそんな言葉が出てくるんだい? あたしはアンタが愚かだって言ったんだよ? そんな善行振りまいて、それでいて捨てられているんじゃ世話ないってね」

「でも、アンタはそれを言わずにオレを利用することだって出来たかもしれないのに、それをしなかっただろう?

 アンタは、わるい人ではないんだと思う」


 ……暫し静寂がその場を支配した。

 女が何も言わないから、オレは話を続ける。


「それに……オレは別に、かなしんだり、おこったりしないよ。


 だってこれは、オレがかってにやった事なんだもん」

 もしそういう目で見られたくないならば、最初からこんな事をしなかった。村人達と一緒に逃げれば良かった。わざわざ古びた剣を持ち出して戦う事をしなかった。

 でも、そうした。

 オレに少しの間だけでも、偽物だったとしても優しくしてくれた人達を守りたかったから。


「良かったよ。ぜんいんを、オレには守れなかったけど……たくさん守れて、良かった」


 毎日の食事をくれたおばさんも、

 仕事の仕方を教えてくれたおじさんも、

 出自も分からないのに仲良くしてくれた子供達も、

 文句を言いながらそれでも文字を教えてくれた先生も、

 先の事を考えて武術を教えてくれた、元兵士のお爺さんも、

 みんな、みんな、みんな、




「生きてて、よかった……」




「……お前さん、ぶっ壊れているよ。そいつは人間の考え方じゃない。

 理不尽も不当も気にしないってのは、とどのつまり自分を大事にしないって事なんだ。先は短いよ。そういう奴はすぐ死ぬ。

 自分を大事にしない奴は、自分の命も二束三文で捨てちまうからね。

 お前さん、前の世界で何かあったのかい?」


「……分からない」


 嘘ではなかった。

 オレの記憶は穴だらけ。家族はいたのは覚えているがどんな家族だったかも覚えていないし、学校に通っていたのは覚えているが学校の名前を忘れている。

 知識はあっても記憶がない、と言った方が正しいのかもしれない。

 ハッキリしているのは、自分が何も出来なかった、他人に迷惑ばかり掛けて生きてきたという漠然としながらも、確かな確信。


「なにも、できなかった人生だった、気がする」


 困惑して言ったオレの言葉には、女は溜息を吐いた。


「そいつは、なんともまぁ。

 どうせこの世界にやってきちまって、しかも若返っちまったんだ 忘れて新しい人生送った方が良いと思うが……それをあたしがどうこう出来るわけじゃないし、言ったところでお前さんは変わらない。

 そいつは、お前さんはこれから生きてちゃんと気付かなきゃいけない事だからね」


「みつけたほうが、良いか?」


「それも分からない。お前さんの幸せがどういうもんなのか、納得出来るもんなのかは、自分自身で探さにゃいけないからね。

 でも、そうだね……手助けは出来るかもしれない」


 そう言うと女は近づいてきて、オレの右手を取った。

 血で汚れてしまう。そう思って身をよじったが、子供の体ではそれを払いのける事が出来ない。少し皺がある、でも優しい手付きのそれがオレの手を包む。

 何かブツブツ女が口走ったが、小さくて聞こえない。

 何を言ったのか確認しようとした瞬間、手に鋭い痛みが走った。

 攻撃されたのか。そう思って慌てて手を引っ込めると、傷一つついていない手に、発光するナニカがあった。

 青白く輝く綺麗な、天秤の紋様。

 でも、どこか複雑で、これではどんなに均衡を保とうにも保てなさそうな。


「約束手形みたいなもんだ。もっとも、力も何にもない。ちょっと小我オドを流しゃ光る程度のもんだ。

 そいつが本来の力を発揮するのはそうさね……これから十年は先だろうねぇ。あたしは、まだ引退する気もないし」


「……ずいぶん、先のはなしだな」


「しょうがないだろう? お前さんみたいな餓鬼を眷属にするような余裕はあたしにはない……なによりお前さんにもこっちにも準備ってもんがある。

 その間にお前さんを鍛える。今だってなんで戦えたのか、どうしてそんなボロボロの剣で魔獣を斬れたのかだって調べにゃならないし、後継者を育てんのだって簡単じゃない」


「むずかしいん、だな?」

「分かってもいないのに労うんじゃないよ、餓鬼のくせに……いや、内面は大人なんだっけ?

 あぁ、もう。これだから渡世者は嫌なんだよ。面倒だからね」


 そういってローブの女性は、とうとうそのフードを取って、その顔を晒した。

 聖女。あるいは、天女という表現が正しいのではないかと思えるほど、綺麗な女性だった。

 金細工のような髪の毛に、宝石をそのまま使っているんじゃないかと思える程綺麗な蒼。子供の体躯をしているからか、身長も高いように思えてくる。

 でも、違和感があった。

 本当の姿はそうじゃない。そうオレの心の中のナニカが感じていた。


「……それ、ほんものか?」


 そうオレが訊くと、女は眼を大きく見開いて、苦笑する。


「やれやれ、本気で隠れているあたしの眷属を見つけたり、そういう本質を見抜いたり……まぁ、渡世者なんていうのは、総じてギフトの一つや二つ持っているもんだがねぇ。戦う力に見抜く力か……こりゃ、良い眷属になりそうだ」


 広いもんだね、と言いながらオレの手を掴んで歩き始める。


「さて、まずはお前さんの引き取り先だ。鍛えてくれて多少でも良いから本物の暖かさっつうのを教えてくれる奴が良いね。そうすると、あいつか。

 まぁこれから引き合わせる奴はとっても、凄く、めちゃくちゃ偏屈な奴だが、腕は良いし口に出す言葉とは裏腹に優しい奴だ。お前さんも気に入ると思うよ。きっとぶん殴りながらでも、ありきたりな幸せってのが何か教えてくれるさ」


 矢継ぎ早にという言葉はこういう時に使うんだろう。有無を言わせず、と言ってもいいかもしれない。まるで急き立てるようにオレを引っ張る。

 何度も何度も思っているのだが、本当に不思議なもので。

 オレはそれが嫌だとは全然思わなかった。

 むしろ、安心したくらいだった。

 だから、

 これからどこに連れて行くの。

 オレは何をするの。

 そんなありきたりな言葉より先に、


「なぁ、オレ、アンタの名前を聞いていない」


 そう聞いていた。


「名前? ああ、そうか名前ね。最近は訊かれなかったから忘れていたよ」


 女は振り返って、こう名乗った。

 勝気で、

 自信満々で、

 恥ずかしげもなく、

 誰かに遠慮する事もなく、

 大真面目に、

 堂々と。






「親しい奴は、アンクロって呼ぶ。

 通りの良い名は――《勇者》だ。お前さんは「勇者様」とお呼び」






 聞いた事がない響きの名前と、

 聞いた事があり過ぎる通り名を。







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