【33】不十分なら、補えばいい。

 まさか、ブルーノ王子自ら告白してくれるとは思ってもみなかった。それだけ、ブルーノ王子も犯人を捕まえたいと願っているのだろう。もしかしたら、事件は急速な展開で終えることができるかもしれない。しかし、そんな甘い期待はすぐに裏切られた。


「――ただ、君たちに教えるつもりもない」

「どうしてですか?」


 思わず反論してしまった。少し怪訝けげんな表情を見せたブルーノ王子は、小さくため息をついてから答えた。


「教える義理がないと言っているんだ。僕と君たちの関係は軽薄。何も見返りも無しでお金や情報を得ろうなんて考えが甘いんじゃないか。――そうだろ」

「お言葉ですが、今回の件は、単なる窃盗や傷害事件ではないのです。一国の王子の殺害。これは一級戦犯。国の存亡を揺るがす事件です。犯人を知っているのでしたら、一刻も早く犯人を捕まえて王の前、国民の前で報告すべき事案。あなたも時期王子としてのご自覚があるのであれば、国の平和を一番に考えていただかなければ……」


 ちょっとしたもどかしさから王子に対して、語気を強めて言ってしまった。首を切られてしまうかもしれない。しかし、犯人を知っていながら、それを打ち明けずに内に秘めたままでいる理由がわからなかった。自分の考えに自信がないだけなら、まだいい。ただ、先程の「知っている」という言葉には、ほぼ確信めいた自信が窺えた。それにもかかわらず、誰が犯人なのか教えようとしない理由は何なのか。


「それなら、ビリーフ。その犯人を捕まえることで、と思うのか?」


 最初、その言葉の意味がよくわからなかった。しかし次にブルーノ王子が続けた言葉でようやく理解できた。


「犯人が捕まることで、さらなる混乱が国中を巻き込むとしたらどうだ。真犯人を捕まえることが、本当に国の平和に繋がるとも限らない。逆に国民に不安をさらに植え付けることになったら……どうする?」


 “どうする?”という問いには、個人的な感情は一切含まれていない。つまりお前なら“どうする”ではなく、として“どうする?”という意味だということが胸に響くように伝わってきた。

 諷喩ふうゆを用いてブルーノ王子は、犯人が誰なのか。はっきりと言葉にできない。その理由わけを伝えようとしている。本当は、教えるつもりがないのではない。言葉にしてはいけないと、彼の立場がそう口に鍵をかけているのだ。

 だからこそ、俺は確かめるようにゆっくりと訊いた。


「王子。それは、いつから知っていたのですか?」

「……兄様の事件の夜。それ以上は言えない」


 全てを語れないブルーノ王子。

 その様子を見る限り、本当は誰かに打ち明けたいけれど、大きな何かが壁となり立ち塞がった状態で苦しんでいる。そう感じられた。

 俺は、この人のことをただの噂だけを信じて勝手な想像をしていた。一番疑わしき人物。兄のレン王子が亡くなることで、自然と自分に地位と権力が舞い込んでくる立場。それだけを理由に、まるで真犯人ではないかという疑念を抱いていた。その罪悪感から、やはりしっかりとした証拠があって真犯人を捕まえることに意味があるものだということも、改めて思わせられる。

 しかし、真犯人を暴くことで、国がさらなる混乱を招くことになった場合、それは誰も望まない未来となってしまう。それをわかっていたからこそ、ブルーノ王子はこれまで目立った行動ができずいた。そして昨日。ブルーノ王子は、何かしらの行動に出たのだろう。恐らくそれは、ブルーノ王子にしかできない何か。


「すみません、あたしからも良いですか?」


 ここでとうとうクレイスが口を開いた。

 クレイスにはずっと前から、抱いていた疑問か何かがあるのだろうか。それとも一国の王子と対面し、何か事件について重要な何かを見抜くことができるというのだろうか。

 人間に対して魔法は使えない。その誓約がある限り、ブルーノ王子に自白させる様なことはできないはず。それに嘘をついているかを判断することも――。


「ブルーノ王子は、魔女の存在を知っていますか?」


 思わず、声が出そうになった。

 いきなりとんでもない質問をぶつけたクレイス。今まで魔女の存在を隠し、ひっそりと暮らしてきた張本人が、よりにもよって国の王子に対してする質問なのだろうか。それに今はイローナの姿のまま。その真意はまだわからないが、俺は黙って王子の返答を待った。


「……魔女? 噂や書物の中の世界しか、知らないが」


 他の国民と変わらない当然の返答だ。俺もクレイスたちに会っていなかったら、同じ返答をしたに違いない。


「わかりました。それではこれを見てください」


 クレイスはそう言うと、おもむろに立ち上がり右手を大きく前へとつきだした。

 まさか、と思った瞬間呪文の様な言葉を唱えたかと思うと、クレイスのてのひらから眩い光りが放たれた。その眩しさに一瞬だけ目を閉じる。そして再び目を開けたとき、クレイスの右手には一冊の分厚い本が握られていた。

 いったい何が起きたのか訳がわからないといったブルーノ王子。目を丸くして、口まで開いてしまっている。どう説明すれば良いのか、そんなことを考える前にクレイスが自ら言った。


「これは魔法です。書庫の本をここに召喚させました」

「魔法!」


 当然の反応。これはホワイスがいっていたクリーチという魔法だろう。確かにそのクオリティは高い。初めて見た人間にとっては驚くのも当然だ。しかし、これで変身している意味がなくなってしまった。

 頭を抱えている俺に、クレイスは耳元で囁くように言った。


「大丈夫。イローナさんとは打ち合わせ済みです」

「ん?」


 いったいどういう意味と聞き返したかったが、すぐにクレイスはブルーノ王子に向き直り言葉を続けた。


「ずっと隠していたのですが、私は魔女の血を引いています。だから魔法が使えるのです」

「き、君は魔女だっていうのか?」

「ええ、信じてもらえたでしょうか?」


 クレイスは手に持っていた本をブルーノ王子に手渡す。まるで初めてみるこの世のものではない代物をながめるかのように、ブルーノ王子はその本を軽く叩いてみたり天に掲げてみたり、最終的には一ページごと捲って確かめている。


「これは、確かに書庫にある薬草の事典だ。僕も勉学の際に使ったことがあるから間違いない。こんなに分厚いものを隠し持つことも難しいだろう」

「信じてもらえたようでなによりです。さて、王子。ここからは単刀直入に伺います」


 ブルーノ王子は返事をするというよりも、相手の出方を警戒するような視線をクレイスにぶつけていた。


「レン王子とあなたは事件の夜お話ししていますよね。そこで何を話し、その後どうしたのか、教えていただけませんか?」


 俺がずっと聞きたかったことを、こんなにもあっさりと言葉にしてしまうところ、クレイスのことがますます本物のイローナのように思えてきた。

 モラーリからもらった写真の存在は、クレイスに事前に教えてあった。とはいえ、この写真の証拠としての不十分さは伝えていたはず。それにもかかわらず、直接本人に向かって問い質す行動に出たクレイス。その真意を理解するのに少しばかり時間がかかった。


 素直に話してくれるはずがない。その思いがあったからこそ、俺はずっと聞けずにいたのだ。レドクリフに対してさえ、写真を見せつけることができなかった。

 写真を撮ったのが誰であり、その人物からの証明がなければ“造りもの”と言い逃れてしまう恐れもある。とっておきの切り札とは言いにくい。決定的な証拠を見せつけてこそ、相手の心を折ることができる。そう信じていた。

 ただ、クレイスの考えは違ったのだ。証拠が不十分なら、補えばいい。欠けている証拠に新たな信憑性を植え付ける。それが嘘だったとしても構わない。相手を信じ込ませられれば。相手が自白さえしてくれれば。そのために自らが魔女であること、魔法を使えることを、リスクを承知で明かしたのだ。

 これは卑怯な手なのかもしれない。俺は思いつきもしなかった。だからこそクレイスも、黙っていたのだろう。

 人知を越えた力。どんなことでもできてしまう。魔法にかかれば、人の心を操ることも。そういった未知の力を目の前にした時、普通の人間なら興味よりも恐怖が勝る。特に自分自身に恨めしいことがあれば尚のこと。その心理をついたクレイスの奇策。

 俺はそこに申し訳ない程度に添える形で、ポケット中にある写真を取りだすことしかできなかった。

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