第3話 ファイナルファンタジーⅥ(GBA)

 夏が終わろうとしている。


 夕暮れは猛烈に夜を連れて空を覆い、季節を追い出そうとする。


 アパートの室内に残ったどんよりとした熱が、存在感を示すかのようにもがいていた。


 俺は帰るなりエアコンの電源を入れ、ドライ運転に切り替えた。テレビ台の上のデジタル時計を見ると、湿度は六十一度だった。十分もすればこの蒸し暑いとまでは言わないまでも、なんとも言えない湿った温もりも消え失せるはずだ。


 腹は減っていなかった。飯は同居人が帰ってからで良いだろう。


 適当にテレビを点けると、東京の行列ができるラーメン屋を特集していた。夕方のニュース番組になぜこのようなコーナーが必要なのか、常々疑問に思っている。しかも大体が東京の店だった。北関東在住の俺にはあまり関係がない。見てもすぐには行けないし、週末にわざわざ行こうとも思わない。完全に東京近郊の人しか相手にしていないことに、誰も何も感じないのだろうか。


 おそらく、そのうちテレビ番組も進化して、住んでいる地域のグルメ情報をAIが自動選別して流してくれるようになるだろう。その映像は店側が配信するようになるかもしれないし、店内の至る所にカメラが設置されて、AIが自動で編集して番組を作るかもしれない。


 恐ろしい考えが過り、俺は早々にテレビを外部入力に切り替えた。ゲーム機の電源を入れ、起動するのは、GBA版のFF6だ。


 FF6が発売したのは一九九四年。俺は中学生だった。ジョブチェンジシステムが無かったことに落胆しながらも、魅力的なキャラクター達と重厚なストーリーに引き込まれた。


 ただ、どんなゲームでもそうだが、初回が一番楽しかった。どんなに拙いプレイでも、取り返しがつかない失敗をしても、二回目が初回を超えることはそうは無い。このゲームは、それが特に顕著だった。


 二回目は初回の失敗を踏まえ、なるべくレベルを上げないように進めていくことになる。とても窮屈で、これはゲームをしているのか、精神の修行をしているのかわからなくなってくる。それでも、そうせざるを得ない。ただ自然にレベルが上がってしまうことに耐えられない。そうなると、もはやゲームとしては楽しめていないとも言える。


 そんなゲームを、俺は先週から始めた。PS版もスマホ版もプレイしていない。完全にSFC版以来で、そうなると、二十年以上ぶりということになる。


 きっかけは些細な会話だった。夜のファミレスで、同居人の爼倉尊宣といつものゲームの話をしていた。そんな中で、どう転がったのか、FF6の話になったのだ。


「なんか、FF6って夜のイメージある」


 俺が何気なく言ったその言葉に、爼倉は強く共感を示した。


 おそらく、最初の魔導アーマーに乗って行進するムービーの印象が残っているのだろう。ただ、二人の記憶では、夜のフィールドを歩いていた。夜に移動するシーンがあったかどうか、それを確かめるために、起動したのである。


 しかし、その会話はほぼ二か月前に遡る。FF6をプレイするというハードル、つまり「面倒くささ」は、相当なものだった。


 現在、データはオペライベントを終えて飛空艇を手に入れたところである。まだまだ序盤だ。しかし、すでに俺の精神は崩壊寸前で、少しだけレベルが上がってしまっている。もはや、ほとんどのキャラがデータ上最強になれない状態になっていた。


 FF6をプレイするということは、低レベルプレイが前提となる。低いレベルのままストーリーを進め、終盤で手に入るレベルアップボーナス値の高い魔石を手に入れる。そこで初めてレベル上げをし、キャラクターをできるだけ強くしなければならない。


 もちろんそんなことをしなくても充分クリアできるし、はっきり言って気にしないほうがゲームを楽しめる。だが、その要素がある以上、無視するわけにはいかない。


 できるだけ敵を倒さないで進めることが必要で、ほぼ全ての戦闘を逃げる必要がある。しかしそれが精神的に苦痛であった。元々戦闘から逃げるという行為が嫌いな俺にとってはなおさら辛いものがある。


 そして俺は、その状況から逃げてしまった。FF6は総勢十四名のパーティキャラがおり、その中には、いわゆる俺にとっては「どうでもいい奴」もいる。そこまで苦労して育てなくてもいいや、と思うわけである。序盤で言えば、チャラ男のエドガー、筋肉ダルマのマッシュ、けものフレンズのガウがそれに当てはまり、俺は、彼らだけレベルを上げてしまったのである。


 具体的には、彼ら以外のキャラを戦闘不能状態にして戦闘を終わらせることで、レベルを上げたくないキャラに経験値が入るのを防ぐ。そうすることで「どうでもいい奴」は強くなり、攻略のスピードも上がる寸法だった。


 しかし、それが罠であることを、俺は忘れていた。


 中学生の頃の記憶が一瞬で蘇った。発売当時初回プレイを終え、そのまま二週目に突入した俺は、同じ挑戦をし、同じように失敗した。


 戦闘不能のキャラには経験値が入らない。そこまではいい。だが、新しいキャラや一度パーティから離脱して再加入するキャラは、現パーティの平均レベルまでレベルが引き上げられてしまうのだ。


 つまり、俺にとって一番重要であるはずのティナ、セリス、リルムが、初期レベルを保てないのである。


「……これ続ける意味あるんかな」


 昨夜、そのことに気づいた俺は、横にいた爼倉に言葉を投げた。


「え、別にいいじゃないすか、最後までやりましょうよ。懐かしいし」


 奴は簡単にそう言った。


 結局、昨日はあまりのショックに続行できず、俺は「うーん」と唸りながらゲームを終えた。中学生の頃と同じ過ちを犯してしまった自分に嫌気がさしていた。眠りにつくまでは悶々と後悔の念と格闘していたが、夜が明け、仕事をし、昼休みにはスッキリしていた。


 俺はゲームの続行を決めた。もちろん、これからは極限までレベルを上げずにプレイするつもりだ。そのための道標として、ネット上では攻略法が確立されている。最初からそれに従ってプレイしてはいたのだが、その場その場で必要な部分しか読まなかった。先の方までよく読んでいれば、レベル調整のミスも防げたのだが、いまさら仕方がない。


 やってみてわかることだが、このゲームは低レベルでもなんとか進めるようにうまく調整されている。もちろん攻略法を編み出した先人たちの努力は素晴らしいが、作り手側は、低レベルでのプレイを見越して製作していたのではないかとさえ思える。


 ゲーム画面がテレビに映し出され、フィールドの曲が流れ始めた。曲名は「ティナのテーマ」だったように思う。一人のキャラクターのテーマ曲がフィールド曲になっているゲームは他にはないのではないだろうか。画面上のフィールドは昼間だが、この曲のイメージはやはり夜だ。


 懐かしい。


 当時はCDを買って繰り返し聴いていた。


 ストーリーはほとんど覚えていないのに、音楽だけは鮮明に覚えている。


 あの頃の、中学生だった俺は、失敗に気付き、そこで投げ出した。言い訳も思い出した。


「敵から逃げるなんてプライドが許さない。そこまでして強くなって、何の意味があるんだ?」


 でも、俺はその時までは必死に逃げていた。


 失敗していなければ、逃げ続けていただろう。


 そして、そこでやめてしまったことで、逃げっぱなしになっていたのだ。


 プライドもクソもない。


 大人になった今、もはや守れもしないプライドなどとうに捨てた。小さな小さな自分の欠片を握りしめるだけで精一杯だ。


 それでも、いや、だからこそ、逃げたままにはしたくない。


 結果的に得られるキャラクターの強さは、確かに何の意味もないかもしれない。その時点では、挑むべき強敵はもういないだろうし、そもそも理論上の数値には届かない。


 だがやり遂げれば、結果が残る。


 失敗はしたけれど、投げ出さなかった記憶が残る。


 くだらないかもしれないが、つまらないとは思わない。


 人間は、そんなことさえも強さに変えることができる。


 俺たちは、もうそのことを知っている。


 玄関の鍵が開く音がした。予想よりも早く、少し慌てる。焼きそばの準備に取り掛からなければならない。


 部屋の湿度は大分下がったが、エアコンは止めなかった。機械が作り出す冷気もまた、夏の名残だろう。あと少しの間だけ、その余韻を感じていたい。

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