第16話 ようせいさん……2

 私が世の中は平等ではないことを知ったのはいつだっただろうか。


 具体的な日時は覚えていないけど、小学生になったときにはある程度わかっていたように思う。幼い私にそんなことが理解できた理由は極めて明快だ。幼い目から見ても、同じクラスにいる私と同い年の子たちが自分とは明らかすぎるほど違っていたからにほかならない。


 その理由は簡単である。同じクラスの子たちが当たり前に持っているものを私はなに一つとして持ち合わせていなかったからだ。


 スマートフォン、ゲーム機、漫画、清潔で綺麗なかわいい服――今なら持っていて当たり前のようなものを私だけが持ち合わせていないという事実は、極めて残酷に現実を突きつける刃だった。


 それを自覚したときはまだよかったと思う。


 歳を重ね、学年が上がっていくにつれてその残酷な現実はさらに明確なものとなり、鋭さを増していった。


 みんなが持っているものを持っていない、その原因が自分にはどうにもならないことであったとしても、集団はまわりと違う者は徹底的につま弾きにする。幼い子供であってもそれは同じだ。いや、幼い子供だからこそ、それは無慈悲で残酷に行われる。


 汚くてみすぼらしい私は常にまわりの敵だった。それでも、同じクラスの子たちはまだよかったと思う。最悪だったのはその背後にいる大人たちだ。私のことを迫害していたのは同じクラスの子だけではない。クラスの担任も、他の教師も、同級生の親も同じだ。あいつらが私のことを同じヒトだと思っていないのは明らかだった。大人たちがふとしたとき私に向ける視線――あれはヒトに向ける目ではなかった。そんなこと知りたくもなかったし、理解したくもなかったが、何度も何度もあのような視線を向けられれば知らざるを得なかったし、理解せざるを得なかった。


 だから私はヒトになろうとした。

 正しくあれば、力を身につければ、私はヒトになれるはずだと思った。


 汚くてみすぼらしくとも、正しくあり、なおかつ力を持っていればきっと認めてくれるはずだと思ったのだ。


 でも、それは甘い考えだった。


 ヒトというものは一度決めた価値観を簡単には変えてくれない。人間というのはそういう生き物なのだ。幼くして私に与えられた『家畜』というレッテルはそう簡単に変わることはなかった。


 むしろ、私が正しくあろうとすればするほど、まわりは私を貶めていくのだ。


 いくら正しくあろうが家畜は家畜だ。正しくあろうとする家畜など不愉快でしかない。家畜らしくクソまみれになって地べたは這いずっていろ。ヒトになろうなど持ってのほかだ。身のほどを弁えろよゴミが――直接そんなことを言った者はいなかったが、私に対して、誰もが黙したままそのような言葉を向けているのは明らかだった。


 それでも。

 それでも私は正しくあるべきだ、と思った。


 強く、強くそう思った。もしかしたらそれはある種の願いだったのかもしれない。


 自分自身が家畜であることを認めたくなかった。いや、正確に言うのなら、それだけはなにがあろうと私自身が認めてはならないことだと思ったのだ。


 当然、それでも嫌になったことは何度もあった。

 心が折れそうになったことも数え切れないほどある。


 そんなことやめてしまおう。まわりが望むようになってしまおう。そうすれば楽になれるじゃないか。さっさと楽になればいいじゃないか――幾度となく、甘く蠱惑的な絶望の底へ落ちて諦めようとした。


 でも、私はまだそれに負けていなかった。

 甘美な腐臭が漂う谷の淵で踏みとどまっている。

 理由はわからない。


 そのおかげかどうかはわからないが、最近は私のことを認めてくれる人も出てきた。


 私が今までずっとそのような扱いを受け続けてきたことに憤慨してくれる人さえいた。高校生になってそれを初めて言われたとき、私は心の底から感動して、決して誰かに見せるまいと誓っていた涙を見せたほどだ。


 誰かに認められたいからそのようにしてきたと言われれば頷かざるを得ない。ずっとその存在すら認めてくれなかった私が、誰かに認めて欲しいと思うことが悪いことなのか? 誰だって、誰かに認めてもらおうと思うことは当たり前の感情ではないか――私にはそれすらも認めないというのかこの社会は――


 どうして人間という生き物は、自分が当たり前に考えることは相手だって考えるという簡単な事実すらわからないのだろうか。満たされた文明のせいなのか? それとも古代から遺伝子に刻まれてきた悪しき『なにか』なのだろうか。


 ときどき、すべて文明など滅んでしまえばいいのにと思う。


 核でも、隕石でも、人工知能でもなんでも構わない。

 ヒトが持つものを、尊厳をなにもかも壊してしまえばいい。


 すべて失い、生きるために奪い、貶め、這いずるようになれば、私を貶めてきた者たちが私と同じであることを理解できるはずだ。


 いや、きっと――

 きっと、そんな風になってもわからないのかもしれない。


 それが人間という生き物の救えない部分でもある。


 それでも理解できないようなやつなど生きる価値などない。さっさと死ねばいい。そのようなやつを救おうと思うほど私はできた人間でもないし、その能力もないから。


 もしも、私が満たされば――


 同い年の子たちと同じように満たされていたのなら、私の考えも変わったのだろうか?


 そんなことを想像できるような想像力は私にはない。そもそも、今まで生きてきた中で一度もまったく縁のなかったことを想像などできるはずもないのだ。


 それは想像力が欠けているからではないだろう。誰だって、自分に想像もつかないことを想像することなどできはしないのだ。


 だが、今からでも私を支配してきたものを消し去ることができるのならば――

 私はそれを望むに違いない。


 それは私が是が非でも叶えたい願いの一つに違いないのだから。

 そんなことを考えながら道を歩いていたとき、あの店が目に入ったのだ。

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