第16話 後夜祭


 文化祭は五時を以て終了の時刻となった。太陽はすっかり西に傾き、喧騒に満ちていた学校中は少し疲れた空気感が漂っている。病院への帰省時間である八時まではあと三時間。今から店部門、舞台部門、展示部門、有志部門の優秀賞と最優秀賞が発表されるらしいので、後夜祭が始まるのはまだ少し先だ。


 しかし生徒たちはもう既に後夜祭モードに切り替わっている。私がまだ学校に通って実行委員会に顔を出していたとき、会議を仕切っていた男子生徒はグラウンドへ木を運んでいるのが視界に映った。

「土木工事でも始めるの?」

「そんなことあるわけないじゃん」

 私の疑問に、隣に立つみこっちゃんが苦笑を浮かべる。

「今年から後夜祭でキャンプファイヤー的なことをやるようになったんだって」

 みこっちゃんの隣にいる美羽ちゃんがそう加える。

「そうなんだ」

 そう呟き、ボウルにこびり付いた液状の生地をスポンジでこする。


 ここは調理室。各シンクに食べ物を提供していたクラスメイトが集まり、洗い物をしている。

「女子が洗い物で男子が店の片付けって超昔的だよね」

 洗い落としが無いかボウルルと向き合う美羽ちゃんが呟く。

「それ言えてるかも。でも実際あの重たいのを持てって言われるときついけど」

 自虐的にそう言うみこっちゃん。

「洗っとく方が楽かもね」

 ここ数週間、ここまで長く立っていたこと、歩くことがなかった私にはかなりの疲労感があった。でも、それを上回る楽しさがここにはあった。


 今日あったこと、体験したことを話す楽しさ。

 同じ時間を共有することの素晴らしさ。

 自分の脚で動いて、未体験を経験すること。

 学校に行くこと。

 友だちも話すこと。

 心の底から笑うこと。


 そんな当たり前のことが、当たり前じゃなくなってはじめて有難いことだと、他に代えられないものだと気づく。

 日常がどれほど貴重なのものか。それは失われないと気づかない。

「どうかした?」

 と、美羽ちゃんが。

「体調悪くなった?」

 と、みこっちゃんが。


 当たり前のことに気づかせてくれたことは感謝してもしたりないくらい。だから──

「ありがとね。今日、すっごく楽しかった。また絶対、戻ってくるから! その時は、仲良くしてね?」

 と言った。自分でも驚く程に涙で濡れた声。目尻には熱い何かが込み上げてくるのがわかる。それが零れてしまわないように、私はぐっと力を入れた。

「何言ってるのよ。私たちはずっと友だちでしょ?」

 みこっちゃんは私と美羽ちゃんを交互に見て口にした。美羽ちゃんはそれに大きく頷く。

「待ってるからね」

 そして熱い音で、美羽ちゃんは零した。


「お待たせ致しました。只今より各部門における優秀賞、最優秀賞の発表を行います」

 ちょうど洗い物が終わり、蛇口を捻ったところだった。可愛らしい声で校内アナウンスが鳴り響く。

「店部門、優秀賞は3年5組の焼きそばコロッケパンです」

 発表があると同時に、入口付近のシンクを使っていた女子5人組が手を挙げて、歓声をあげる。どうやら彼女らが3年5組のようだ。

「続きまして最優秀賞。3年3組のアイスクレープです」

 うそ……。私たち最優秀賞?

 発表された事実を受け止めきれず、美羽ちゃんとみこっちゃんの顔を見る。美羽ちゃんもみこっちゃんも私と同じようで、3人が互いに顔を見合わせる形となる。

 そして一瞬遅れで抱き合った。

「やったね!」

「うん!」

「みんなのおかげだ!」

 みこっちゃん、美羽ちゃん、私。それぞれが思いの丈を述べる。

 あまりの嬉しさに言葉が上手く出てこず、ただ3人で抱き合ったままだった。

「舞台部門、優秀賞は2年4組のkissな悪魔。最優秀賞は1年5組のロミオとジュリエットです」

「やっぱりロミオとジュリエットかー」

 抱き合いを解き、美羽ちゃんは言った。

「私見れてないんだよね」

「そっか、当番だったもんね」

「うん。澪は見た?」

「ロミオとジュリエットは見たよ。普通に面白かった」

 みこっちゃんの問いに、純白のドレスを身に包んだ女子生徒を思い返しながら答える。

「だよね。でもウチ的にはkissな悪魔でも良かったんだよね」

「それって誰が原作なの?」

 私が聞こうと思ったことを先にみこっちゃんが口にする。

「オリジナルらしいよ」

「「オリジナル!?」」

 私とみこっちゃんの声が綺麗にハモる。それがおかしかったのだろうか。美羽ちゃんは微笑を浮かべた。

「主人公は嘗てあらゆる犯罪に手を染めた極悪人なんだよ。まぁ何らかが原因で死んじゃった主人公は地獄に落とされるんだけど、そこで堕天使ルシファーと出会うの。主人公はそこでルシファーと契約をして人間界に戻ったの」

「何その話」

「うん。全然入ってこない」

 恐らく美羽ちゃんの説明したのは物語の冒頭だろう。しかしまぁ、言ってることが中々に理解できない。

「まぁまぁ。人間界に戻った主人公はあくまで死人であって、悪魔の遣いなの。だからある誓約があったの」

「へぇー」

 適当に相槌を打っているのがバレバレのみこっちゃんに美羽ちゃんは視線を鋭くしながら続ける。

「恋に落ちちゃだめってね」

「なんで恋なの?」

「それは原案者に聞いてよね」

 みこっちゃんの疑問に美羽ちゃんはあっけらかんに答え、更に続けた。

「嘗ての自分に優しくしてくれる人なんていなかった主人公は、人間界にやってきたばかりで困っていた自分を助けてくれた女子高生に少しばかり惹かれたの。でも主人公もそんなことで惚れるほど馬鹿じゃない。でも運命は彼女と何度も引き合わせ、彼女はその度に優しくしてくれた。段々と彼女に恋心を抱き始めた主人公は、誓約を破った罰が何かも知らずに彼女に告白しようとした」

「で?」

 少し興味を抱き始めたのだろう。みこっちゃんの声に少しばかりの熱がこもる。

「いつも会えるはずの場所に彼女は現れなかったの」

「どうして?」

 今度は私が訊いていた。

「彼女は死んじゃったの」

「嘘でしょ? そんな要素どこにもなかったじゃん!」

 物語に熱くなるみこっちゃんに、美羽ちゃんは落ち着いてと窘める。

「運命は常に見張られていてね、思いを伝えようとしたことがルシファーに伝わったの。あくまで主人公は悪魔。人間のように振る舞うことは出来ないってね」

「そんな……」

 みこっちゃんの言葉には悲しみが含まれているような気がした。

 でも私も可哀想だと思う反面、仕方がないことなのかもと思ってしまう。自分の行いは自分に返ってくるとはこういうことを言うのだろう。

「主人公は泣いて喚いて、救いを求めた。かつての自分に懺悔をし、赦しを乞った」

 そこまで話した美羽ちゃんはおしまい、と結んだ。

「何だか名前以上にキャピキャピしてないんだけど」

 みこっちゃんはそう感想を告げた。

「うん。私ももっとイチャイチャとかあるのかなって思ってたけど、全然違ってた」

「だよね」

「ウチも見た時はそう思ったけど、それが逆にギャップで良かったっていうか」

 美羽ちゃんが感想を述べたところでちょうど優秀賞、最優秀賞の発表が終わった。

「これから30分後、18時00分より後夜祭を始めたいと思います。また19時からはキャンプファイヤーの点火が行われます。奮ってご参加してください」

 アナウンスが終わった。いつの間にか時間は17時30分になっている。楽しい時間ってのはほんとに早くに過ぎちゃう。

「病院、戻るんだよね?」

「うん」

 みこっちゃんの言葉に小さく返事をする。

「また会いに行ってもいい?」

「うん。待ってる」

 美羽ちゃんから放たれた言葉に、私は小さく微笑んだ。



 後夜祭は直ぐに始まった。最初の1時間はおおよそ文化祭でやってもいいような男女のミスコンが行われ、その後にキャンプファイヤーの点火となる。

 私はそれに興味を示すことなく、ある場所を目指していた。

 音楽室だ。

 中筋くんに呼び出されたそこに、私は足早に向かっていた。今日1日文化祭を楽しんで疲れていたはずなのに、いまはそれを全く感じさせない。

 それどころか逆に足取りが軽いとさえ感じる。

 校舎の外からはガヤガヤと話し声が聞こえ、ミスコンを始める旨の司会が始まっている。

「長井くんとかミスターコンテストに強そうだな」

 体育館での一幕を思い返し、不意にそんなことを思った。


 音楽室前。北校舎の4階で沈み始めている陽光はほとんど届いていないため、かなり暗くなっている。

「ほんとにいるのかな」

 教室から溢れ出る光の類は見て取れないため、思わず口に出る。

 静まり返った校舎内には異様な不気味さがあり、正直に言うと少し怖い。

 ふぅ、と短く息を吐き捨て扉に手を掛ける。ひんやりとした金属に触れたと理解させる温度が手に伝う。

 そして勢いに乗り、扉を開けた。

「来てくれてありがとう」

 瞬間、表情こそ見えないが中筋くんの声が鼓膜を撫でた。

「うん」

 扉を閉めてから、ゆっくりと中筋くんの方へと歩み寄る。一歩近づく毎に、張り詰めた空気が肌を刺す。冬の日のように、空気が尖っているようだ。

「何か用かな?」

 そんな空気の中、どうにか言葉を絞り出す。

 教室には南校舎との隙間から僅かに届く陽光が落ちるだけで、表情を読み取れるほどではない。規則的に並ぶ机、五線譜が書かれている黒板。それらに背を向け、窓の外に顔を出している中筋くんはゆっくりと振り返る。

「ちゃんと伝えておくべきだと思って」

 そう告げた中筋くんの声は震えていた。弱々しく今にも消えてしまいそうな程だ。

「うん」

 短い返事で、続きを待つ。

「僕は──君が、御影さんが好きだ」

 あまりの衝撃に紡ぐべき言葉が分からなくなる。私が中筋くんに伝えたかった言葉で、私が一番欲しかった言葉。

 何からどう伝えればいいか分からない。伝えたいことが頭に浮かぶも、それは形になる前に泡沫になる。

「え、えっと」

 あまりに無反応の私に、中筋くんはオドオドとした口調で放つ。

「き、聞こえてるよ。ちょっと、びっくりしてね」

 その言葉を聞いた中筋くんは項垂れ、少し残念そうに見えた。

「ち、違うよ。わ、私も……」

 決めてきたはず。中筋くんに想いをぶつけるって。

 それを中筋くんは先にやってくれた。本当に嬉しくて、今でも胸の高まりは収まっていない。目を閉じれば、何度でも先程のシーンが蘇り、脳内で何度もリピートされる。

「私も中筋くんのことが──」

 言葉が詰まる。この先を言えば、もう戻れないから。言うべきかやめておくべきか逡巡する。

「──好き」

 でも、やっぱり後悔するのは嫌だから。私はその言葉を口にした。

「ほんとに?」

「うん」

「ほんとのほんとに?」

「うん」

 疑い深い中筋くんに私は何度も頷く。何度も頷いて、私は一歩彼に近づいた。中筋くんも何も言わずに私に歩み寄る。

「キャンプファイヤーの周りでフォークダンスやるらしいんだけど、良かったら」

「うん。一緒に踊ろ」

 そう言って、私は中筋くんの手を取った。昼間に触った手と同じのはずなのに、互いの感情が交錯した今は何だか少し違っているように感じられる。

「何か恥ずかしい」

「えぇー、そう?」

 窓際に並んで立つ。見上げると照れくさそうにしている中筋くんの顔が目に入る。

「こんな青春っぽいことが出来るとは思わなかった」

「僕もだよ」

 しみじみと話す雰囲気に似ても似つかない声がグラウンドの方から聞こえてくる。

「すごい盛り上がってる」

「だねー」

「御影さんも出れば優勝いけたんじゃない?」

「そんなことないよ。それよりもさ、御影さんじゃなく澪って呼んでよ」

 二人の気持ちは分かった。分かったのだから他人行儀な呼び方なんてしなくていい。

「え、じゃ、じゃあ澪さん?」

「さんはダメ」

「うぅ。じゃあ澪ちゃんで」

「仕方ないからそれで許してあげる」

 シュー、と音を立てそうな程に顔を真っ赤にする中筋くん。暗くて分かりにくいはずなのに、その赤さ加減はすごく分かってしまう。

「私はなんて呼べばいい?」

「好きに呼んでいいよ」

中筋智之なかすじ-ともゆきだから智くんってのはどう?」

「……べ、別に。いいんじゃない?」

 捲し立てるようにそう言うと、中筋くんもとい智くんは私から視線を逸らす。照れているのだ。

「じゃあ智くんね!」

「う、うん」

 それからしばらく。私たちは黙って聞こえてくる歓声、司会に耳をすましていた。

「そう言えば僕の家に来た時、病院の帰りだったよね」

「そう言えばそうだったね」

 思えばかなり印象が悪かった。どこかツンとして、取り付く島もないって感じだった。

「僕のお母さん入院しているんだ」

「え、そうなの?」

「うん。乳がんでもう長くない」

 知らされた新事実に私は二の句が繋げられない。

「困るよね、急にこんな話されても」

 嘲笑を浮かべる智くんに、私は何も言うことができない。

「あの日ちょうど長くないってのが言われた日で、イライラしてたんだ。だから御影さん……じゃなくてみ、澪ちゃんに冷たく当たったと思う。今更ながらだけど、ごめん」

「そうだったんだ。でも、全然平気だよ。てか、さっきまで忘れてた」

 重たい話を一層するかのように、私は思い切りの笑顔を浮かべた。智くんもそれにつられて少し笑う。

「あ、そう言えばさ」

「何?」

「朝起きたら私の家に来てた時あったよね。どうして家知ってたの?」

 文化祭の出し物を何にするかを決めていた時だ。私がまだ病気とちゃんと向き合うことができてなくて、ひねくれてて、智くんに当たった次の日。

「み、澪ちゃんと別れてから学校に戻ったんだ。そしたら武中先生が教えてくれたんだ」

 武中先生って先生向いてないでしょ。何でもかんでも生徒に教えちゃダメだと思うだけど。

 そんなことを思いながら、そっか、と呟く。

 あの時は本当に驚いて、苛立ちさえしたけど、今となっては凄いいい思い出。

「ミスターコンテスト優勝は3年3組の長井くんです!!」

 司会をしていた人の割れんばかりの声が音楽室にまでハッキリと届いた。

「長井くんってやっぱり凄いイケメンなんだ」

 智くんの一言に私も同調する。それと同時に、同じく割れんばかりの黄色い歓声が上がる。

「あ、もう7時前だ」

 音楽室に掛かっている時計で時間を確認したのか、智くんはそう呟いた。

「じゃあもうすぐキャンプファイヤーだね」

「だな」

 そう零すと、智くんは扉に向かって歩き出した。

「待って!」

 そんな智くんを私は何故だか引き止めていた。

 このままみんなの前に行けば、たぶん何も変わらないような気がした。だって私たちはまだ思いを伝えあっただけだから。思いを伝えあっただけで、付き合ってすらないから。

 だからたぶん、智くんはこの1時間弱のことなんてなかったかのように、私を御影さんと呼び過ごす。

 そんなのは嫌だった。だから体が無意識のうちにそう言ったのだと思う。

「なに?」

 そんな思いなど露知らず、智くんはきょとんとした顔で私を見る。私はそんな智くんに歩み寄って、そしてそのまま唇を奪った。

 どうしてこんな行動に出たのか、自分でも分からない。分からないけど、体が勝手に動いていた。

 触れた唇はカサカサに乾いていて、少し痛いように感じた。触れた瞬間は驚いた様子だった智くんも直ぐに受け入れてくれた。

 行為がしたい、とかそんなことは思ってない。けど、思い出が欲しかった。智くんと私との想い出が。

「急にごめん」

 時間にすれば三秒ほどだ。短い口付けの後に私は呟く。

「驚いたけど、嬉しかった」

 智くんは責めることなく、そう言ってくれた。

 それがまたたまらなく嬉しくて、鼓動が早くなる。恥ずかしさからだろうか、じわりと汗まで掻いている。

「私もすごく嬉しゅい」

 あれ? どうしたんだろう?

 嬉しい、と言ったはずなのに舌が上手く回らずに言葉がおかしくなる。

「そんな言葉で噛むかな?」

 少し笑いながら智くんは私を見る。瞬間──

「大丈夫!?」

 切羽詰まったような声が遠くから聞こえた。待ってよ、私までここに居るんだけど。

「……」

 何言ってるの、大丈夫だよ。

 そう言おうとしたが、荒い呼吸が邪魔をして言葉が音にならない。ここに来て声が出ないことに気づく。

「ねぇ、大丈夫!? 澪ちゃん!!」

 焦りが滲む声は遥か彼方。

 その言葉を最後に、私の意識は途切れた。

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