第14話 楽しい時間


 エプロンがなければ店番が出来ない。そういった理由から追い出されそうになった私に、みこっちゃんはエプロンを貸してくれた。そしてこの時間に、私は店番をすることになった。


「藤生さんさまさまだね」

「ほんとに」

 騒がしくなってきた校門付近で、甘い香りをたてながらクレープの生地を焼いていく。

「アイスは何味にしますか?」

 そう訊くのは中筋くんだ。

「それじゃあストロベリーで」

「かしこまりました」

 似合わない言葉遣いで、50代半ばと思われるお客さんに対応する。

 薄く引き伸ばした生地がこんがりきつね色になるまで焼き、裏返す。そして、同じ色になるまで裏側も焼く。それから一旦お皿に移し、真ん中にストロベリー味のアイスを落とす。

 最後にパタパタと生地を畳んでお客さんに渡す。

「ありがとね」

「はい、またお待ちしております」

 中筋くんは短く告げ、頭を下げる。これに似たやり取りを何十回と繰り返した頃。

 チャイムが鳴った。


「ただいまを持ちまして、午前の部の演目を終了致します」

 それとほぼ同時に、体育館からわらわらと人が湧いて出てくる。

「今から大変だよ」

「みたいだね」

 高らかな笑い声や甲高い話し声と共に、通りはみるみるうちに人で埋められていく。

「うわぁ、なんでこの時間選んだんだよ」

 同じ時間でお金を貰う役を担っている長井くんが嘆く。短く切りそろえた髪、少し赤みがかった瞳が特徴的な、高身長の男子。バスケ部でエースと言わんばかりの活躍をしていることもあり、かなりモテるらしい。

「失敗だよね」

 ガスコンロの上に乗ったフライパンで生地を焼きながら、額に球の汗を浮かべる美羽ちゃん。視線を生地から離さないのは、生地を裏返すタイミングを計っているのだろう。

「着いていくとか言ったけど、着いてこなきゃ良かったかも」

「そう言うのこと言うのナシだよー」

 桃色の口先をとがらせる明石さん。同性から見た私でも分かる端麗な顔立ちは、中筋くんの横に並ぶとかなり目立つ。

「だって、こんなに大変だとは思ってなかったし」

「それがお店よ」

 大きく、この世の全てを呑み込んでしまいそうなほどの瞳が私を覗く。漆黒の瞳孔、アンバランスな薄茶色の虹彩。筋の通った、歪みのない鼻。もちもちと、弾力感のありそうな頬。そのどれをとっても明石さんは一流。私にはとっても勝ち目が無い。だから、なんだか中筋くんの隣にいるのが何だか少し癪で、嫌だ。

「分かってるよ」

「それならよーし!」

 明石さんはその美しい顔立ちを鼻にかけることはなく、裏表の無さそうな楽しげな表情で私に視線をくれる。

「そんな表情かおで言われたら頑張るしかないじゃん」

「そうだよー。この日々が楽しいんだよー」

「そうだね。この普通の日々が楽しいんだよね」

 明石さんの言葉に大きく頷き、私は美羽ちゃんの隣に立つ。

「ちょっと狭いね」

「分かる。ひっくり返す時、手当たらないように気をつけないとね」

 私の言葉に美羽ちゃんは微笑を浮かべる。

「だねー」

 同じように私も笑う。そうすることで、少し前の自分が降りてきたように感じられた。

「話はその辺にしてくれ。てか、チョコ味、バニラ味まだ?」

「もうちょっと待ってよ」

「お客さん結構待ってるんだって」

 長井くんは屋台の天井スレスレのにある頭を振りながら、お客さんと私たちの方を交互に見る。

「ごめんって」

 謝辞を零しながら、練習をしていないことも手探り感が否めない手つきで美羽ちゃんによって焼かれた熱々の生地の上にアイスを落とす。

「もう少々お待ちくださいね」

 甘い顔立ちの長井くんだからこそ、その言葉だけで済んでいるのだろう。それを理解しているからこそ、長井くんは受付と出来たクレープを渡す役の中筋くんではなく、彼自身がその言葉を放っているのだろう。

「あ、出来たみたいです」

 その言葉と共に、怒りを露わにしていたお客さんの顔は穏やかなものに変化する。そしてその間に、手馴れた手つきで明石さんはクレープを畳む。

「お待たせ致しました。チョコ味になります」

 それを視界の端で確認した中筋くんはそう言い、穏やかな表情になったお客さんにクレープを渡す。

「長井くん、ありがと」

「いやいや。お客さんにうだうだ文句言われる方がめんどいっしょ」

 爽やかな笑顔で中筋くんに告げる。

「それもそうだけど。助かってる」

「いいって。あんまり気にすんな」

「うん」


 そうこうしているうちに時間は経ち、次の店番の人たちがやってきた。私たちはエプロンを脱ぎ、店番を交代した。


「ねぇ、美羽ちゃん。行こ?」

 正門の前。エプロンを脱ぎ、人で賑わう通りで言う。

「いいけど、本当に私とでいいの?」

 美羽ちゃんは同じ時間に店番をしていた長井くん、明石さん、それから中筋くんを一瞥する。

「おれ、部活のヤツと回る約束あっから。んじゃな」

 私が返事をする前に、長井くんは颯爽とその場を立ち去る。人混みに紛れても、頭一つ分大きい長井くんはよく目立つ。

「私も友だちと約束あるから」

 チロっと舌先をのぞかせながら明石さんもその場を去った。

「中筋くんは?」

「予定はない、かな」

「なら3人で回ろっか。それでいい?」

「う、うん」

 中筋くんが一緒に回るメンバーになるのは少し予定外だったが、嬉しい誤算。

「女子二人の中で一人ってのは」

「なに? 美少女二人で回れるなんて幸せんだよ?」

「自分をそう言えるのもすごいけど、サラっと私を含むのはやめてくれる?」

 美少女なんて恥ずかしすぎる!

 顔を紅潮させながら言う私に、美羽ちゃんは悪戯な笑顔をうかべる。

「いやってわけじゃないけど、二人は楽しいかなって思って」

「私たちがいいって言ってるの! 細かいことは気にしなーい!」

 さぁさぁ入った、そう言わんばかりに美羽ちゃんは私と中筋くんの背を押して校舎の中へと入っていった。


 北校舎の2階にある渡り廊下に差し掛かる。渡り廊下の窓には、写真部が撮った写真や美術部が描いた絵などが飾られている。

「あ、これ」

 美羽ちゃんはその中の1つ。ある写真に視線を寄せた。

「どうかしたの?」

「これさ私が撮ったんだ」

「うそ!?」

「ほんとに?」

 私の驚きと中筋くんの驚きが重なる。

「美羽ちゃんって写真部だったの?」

「えっ、違うけど?」

 純粋な瞳で返される。

「じゃあ、なんでここにあるの?」

 私の抱いた疑問を中筋くんが代弁してくれる。

「インスタにでも上げようかなって思ってたまたま写真撮ってたら、写真部の人に見られてコンテストに出されたの」

 少し照れくさそうに、でもどこか誇らしげに美羽ちゃんは言葉を紡いだ。

「で、最優秀ってスゴすぎだよ」

 写真の下に貼られている文字を読み上げ、中筋くんは目を見開く。

「うん。才能の塊だよ」

「そんなことないよ!」

「そんなことあるよ」

 そう言った瞬間、美羽ちゃんの恥ずかしさは限界値を超えたのだろう。

「もういいから! 早く行こうよ」

 一人スタスタと歩き出す美羽ちゃん。その背中をみて私と中筋くんは顔を見合わせ微笑を浮かべた。そして美羽ちゃんを追いかけた。


「2年1組はここだよね」

 美羽ちゃんは入口に掲げられているプレートに目をくれて呟く。

「うん。それに噂通りだね」

 校舎に入ってすぐ、耳にした噂。──すごい怖いお化け屋敷がある。

 それを体験しようと目の前に来て、その噂は本当だったのだろうな、と思う。普段はどの教室も代わり映えのしない扉が、今は赤と黒の入り交じったダンボールで覆われており、禍々しさが伝わってくる。そして、時折中から聞こえてくる悲鳴は高校生が上げる悲鳴とは思えないほどに本気度が伺えるものだ。

「これ、入らなきゃダメなの?」

 この様相を前にして怖気付いたのか、中筋くんが頼りない声を上げる。

「いや、男の子なんだから入るでしょ」

 その様子を楽しそうに見る美羽ちゃんは笑みを浮かべながら言う。

「まぁ、とりあえず並ぼうよ」

 既に5組程が並んでおり、その後ろに並ぶ。窓には装飾として赤い絵の具が飛ばされている。後で落とすのめんどくさいだろうな、なんて思考が過ぎるも、それがあることにより、一層この教室の異様さが際立っている。

「どこまで怖いんだろ」

 楽しみ半分、恐怖半分といった声音で呟くと、美羽ちゃんが小悪魔じみた笑顔を見せる。

「もしかしてビビってる?」

「そ、そんなこと、あるわけないじゃん?」

「この顔、絶対怖がってるでしょ。中筋くんもそう思うでしょ?」

「えっ!?」

 突然振られる話に、困惑するも中筋くんは首を縦を振ることで答える。

「次の方」

 そんな会話をしているうちに、自分たちの番が来た。

「中に置いてあるものには触れないでください」

 そう、注意を受けてから私たちは禍々しさが滲む教室へと足を踏み入れた。瞬間、外気とは違うひんやりとした空気が頬を撫でた。

「なに?」

 一番平気そうだった美羽ちゃんが上擦った声を上げる。

「冷房だろ」

 もちろん電気はついていないが、締め切った部屋で涼しいなんてのは冷房がついている時くらいだろう。そう予想を立てたのだろう。中筋くんが冷静に言葉を放つ。

「わ、分かってるし。ウチらの教室にもあるしね」

 強がっていたが一番お化け屋敷が怖いのは美羽ちゃんだろうな。

「い、行くわよ」

 入口で止まっていてはいつまでも次の組が入ることはできない。それに、自分たちも出れない。美羽ちゃんは言葉と共にゆっくりとした足取りで先へ進む。

 普段は綺麗に並べてある机でルートを作り上げられている。その机の上には所々、赤い液体が溜まっており、そこから床へとポツポツ、と音を立てながら落ちている。

「なんか不気味」

 そう美羽ちゃんが呟いた瞬間だった。ぴちゃ、という音がし、美羽ちゃんの断末魔とも呼べるほどの悲鳴が轟いた。

「ど、どうしたの?」

 慌てる私に、あまりの悲鳴こえに耳を塞ぐ中筋くん。

「な、なんか。冷たい、なんか。ここに、ここに、つ、ついた」

 過呼吸でも起こしたのかと言わんばかりの荒い呼吸で、美羽ちゃんは必死に言葉を紡いだ。

「お、落ち着いてよ」

 二番目でゴールを目指していた私には何も触れていない。だから一体全体何が起こったのか理解できない。

「だ、だから、何か触れたの!」

「何かって──」

 何よ、と言おうした瞬間。私の足に何かが触れた。

「え……」

 異様に冷たい何かが足首を、私の足首を掴んでいる。声にならない、掠れきった声が微かな音となる。

「どうかしたの?」

 その身に何も起こっていない中筋くんはキョトンとした顔で訊く。

「いやぁぁぁぁぁ」

 片足首だった。しかし、中筋くんの言葉が終わると同時にもう片方の足首が掴まれた。今度はびっちょりと濡れている。私は美羽ちゃんのことを笑えないほど酷く大きな悲鳴を上げたのだった。



「ありえないでしょ」

 お化け屋敷を出るなり、私はそう零していた。足首掴みからあとも、理不尽な怖がらせは続き、精神は疲労困憊。

「わかる。もう帰りたいレベルだよ」

 げんなりと、この数分で少し老けたようにすら思えるほど疲れた様子の美羽ちゃん。

「そんなに怖かった?」

「「最後に着いてきてて何も味わってないでしょ!」」

 私と美羽ちゃんの言葉が綺麗に重なる。それを聞いた中筋くんは少し笑顔をうかべる。

「何笑ってるの?」

 そう追求する美羽ちゃんに、中筋くんはごめんごめん、と呟いてから

「でも、二人ってほんとに息ピッタリだなって思って」

 と言った。


「あ、いたいた」

 そこへ透き通るような白くキメの細かい肌、それと相反する漆黒の瞳が特徴的な小柄な女性が近寄ってくる。

「あ、塚本さん。お久しぶりです」

「あ、御影さん。来てくれたんだね」

「はい。あの、私……」

「大丈夫。中筋くんから聞いてるから」

 業務的な表情、声色でそう放ち、それでね、と続ける。

「これから見回りが中筋くんのクラスになるんだけど、御影さんも回る?」

「はい、私も委員なので」

「そっか」

 私の返事に満足したのか、塚本さんは先程とは違う優しさのある笑顔を浮かべ、「気をつけて頑張ってね」と告げた。


「ごめん、美羽ちゃん」

 二人でいるって、約束したのに。自分から反故にするんなんて……。

 それがあまりに申し訳なくて、視線が自然と下に向いてしまう。

「いいよ。正直言って、お化け屋敷苦手で、だいぶんやられてるんだよね」

 ぐったりとした態度で分かってはいたが、本人の口からも洩れた。

「じゃあなんで入ったの?」

「なんで中筋くんはそう言うこと言うかな」

 ため息混じりにそう呟いてから、美羽ちゃんは私を見た。

「嬉しかったから。澪ちゃんが私と居てくれるって言ってくれて。だから文化祭っぽいことやりたくて。回るだけじゃなくて、ちゃんと心に、思い出として残るように」

 そう言い、美羽ちゃんは私に抱きついた。呼吸の音すら聞こえる距離で、囁くように美羽ちゃんは続ける。

「ウチ、澪ちゃんのこと大好きだから」

 ドクン、と胸が強く打たれる。そして、意識をしないうちに私の手は美羽ちゃんの体に回されていた。

 距離は一層縮められる。背中に感じる手の温かさ、触れる胸と胸からは互いの鼓動が伝わる。生きてることが伝わる。二人の生が交わる。

「私も、大好き」

 美羽ちゃんと同じように、私も想いを伝える。

「これからも友だちでいてくれる?」

「これから、お見舞いに来てくれる?」

「これからも一緒にいてくれる?」

「これから、何があっても会ってくれる?」

 美羽ちゃん、私、美羽ちゃん、私の順番で未来これからを語り、二人声を揃えて、未来これからを約束した。

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