第25話 「死んでねえな」「死んどらんよ!」

 日の出と共に捜索は再開。愛海まなみは救難士を連れて飛び立ち、睦海はオレンジ色の救命胴衣を身に着け、海音を救難艇に乗せた。


「出発します!」


 機動性に優れた救難艇が走り始めると、潮風が顔を叩くように吹き抜けた。海音が言う島は釣り人に人気があり、船着場ふなつきばがきちんと整備されている。島の周辺は浅瀬になるため大型船のやしまは近づけなかった。空からは愛海が操縦するヘリコプターが見守るように飛行している。


「間もなく着岸します! 揺れに注意してください」

「海音さん、大丈夫ですか」

「はい。私も、上陸します」


 海音が言うように、本当に勝利はこの島にいるのか……。







 一方、勝利はみんなの心配をよそに体力温存のため、岩の窪に躰を預け静かに夜明けを待っていた。

 まぶたの裏が一気に朱色に染まり夜が明けたのだと知る。薄っすらと目を開ければ痛いほどの光線が脳みそを突き刺した。


 対馬に向って泳いでいたのは覚えいる。しかし、自然の力にはどんなに鍛えた躰も及ばず、途中で逆らうのを諦めて海面を漂った。時に潜水し、海流に身を委ねたりもした。勝利はすでに対馬と反対に流されているのは分かっていたが、藻掻いても無駄なことはよく知っている。

 ぷかぷかと流され気付くと岩に足がぶつかった。そこが島であると知り、助かったと確信したのは約6時間も前になる。


「うわぁ。なんだ、今日の空はやけにご機嫌だな」


 海も空も日が昇り始めると昨夜とはまるで逆で、朝日でキラキラ海面が揺れ、空は雲ひとつない藍色の空が広がっていた。間もなくこの世界は夜明けを迎え、海も空も区別がつかないほど澄んだ青に染まるだろう。

 勝利は起きあがると縮めていた躰を大きく伸してみた。


「はあーっ、いい空気だ!」


 そしてゆっくりと首、肩、腕、腰と順に動かして、負傷した箇所がないか確認をした。無駄な抵抗をしなかったからか問題はなさそうだ。


「我ながら自分の躰に惚れそうだ。どこも痛くない。まだまだイケるな」


 命もある、自慢の躰も問題ない。そう思うと、次に気に留めるのは海音のことだった。


「きっとニュースでこの事は知っているはずだ。察しのいい海音ならそれが自分のせいだと気に病むに決まっている。俺は生きているぞ! 海音っ!」


 ショウさんのオレンジが見たい。そんな彼女の声が脳裏で蘇る。そんな事を言った自分を海音は責めているかもしれない。


「そうじゃない! 本当は俺が戻りたくて仕方がなかったんだ。それを後押ししてくれたのが海音だったんだ」


 家を出る前に伝えておけば良かった。胸の奥をえぐられるような後悔の痛みが走った。とにかく早く、戻らなければならない。勝利は島の周辺を確認しようと歩き始めた。


「ここって、アレだろ! 俺が海音を助けたあの島じゃないのか! だったら」


 勝利は岩場から這い上がって振り向いた。


「やっぱりそうだ。これなら、泳いで帰れるな」


 遠泳訓練で足ヒレもつけずに20キロ泳がされたことがある。それを思えば楽勝だ! などと元トッキューは思っていた。もう波は穏やかで視界も良好だ。もう飛び込むしかない! そう決心した時、勝利の耳に届いた音。ライトをチカチカさせながら救難ヘリコプターが向かってきていることに気づいた。


「ああ、待ってたほうが早いな」


 勝利は出来るだけ目につくようにと高い場所に移動して、両腕を上げ大きく手を振った。

 勝利は自分の捜索にヘリコプターだけでなく、巡視船やしままで出動しているとは思ってはいない。ましてや、婚約者である海音も向かっているなどもっての外。家に帰ったら海音にはなんと言おうかと、そればかり考えていた。


(海音、ただいま。じゃねえな.....。海音、心配かけてすまなかった。いや、もっと気の利いた言葉をだな)


 だから背後に迫る危機に気づくはずがなく……。


「ショウさんっ!!」

「ああっ!?」


 空耳か、幻聴かと混乱しながら聞き慣れた声の方に躰を捩る。振り向いた時にはオレンジ色の塊が目の前まで飛び込んできて、ドンッという衝撃で頭は真っ白になった。


「なっ、おわっ」

「きゃっ」


 勢いに押されて後ずさり、そのままドスンと尻もちをついた。勝利は何がなんだか分からないままオレンジ色の塊を抱きとめる。


「痛ってぇ」


 顔を上げ、目に入ったそれを見て勝利は固まった。


(何だ、どういう事だ! 夢か? 俺はまだ夢を見ているのか……え、死んだ!?)


「ショウさん! 勝利さんっ! うわぁぁぁん」


(なんてリアルな夢なんだ。海音が目の前で泣いているじゃないか。なんか、いろいろとすまん)


「ねぇ、何か言ってよ! ショウさんっ」


 勝利は自分に馬乗りになって泣き叫ぶ海音の、涙で濡れた頬に手のひらをあてた。


(柔らけぇな……ちゃんと涙で湿っているぞ。それに、温かい。夢なのにめちゃくちゃリアルだな)


 勝利がぼんやりと見ていると、海音が叫んだ。


「しっかりして! 夢じゃないとよっ!」

「え、なんだとっ。ん? んん!?」


 海音が勝利の両頬を手で挟んで、噛み付く勢いで唇を奪いにきた。潮風に晒されてカサカサになっていた勝利の唇を海音が丁寧に食む。勝利に抵抗する間を与えまいと、海音が舌を口内にねじ込んできた。

 すると今度は違う意味で朦朧としそうになる。なんて情熱的なキスなんだと。


「っ、ハァハァ。戻ってきて、ショウさん! しっかりして!」


 海よりも深い海音の群青色の瞳が勝利を見つめた。頭上ではヘリコプターが撒き散らす風が吹きつけ、海音の肩越しに見覚えのあるオレンジ色の隊員が立っていた。よく見ると海音も海上保安庁の紺色の作業服を着て、オレンジ色の救命胴衣をつけている。


「俺、死んでねえな」


 そんな一言しか出てこなかった。


「死んどらんよ! ショウさんは死んどらんっ。見つけたっ。やっとショウさんを見つけたぁ!」

「海音っ」


 子供のように泣きじゃくる海音を勝利は寝転がったまま、ぎゅうっと強く抱きしめた。よしよしと海音の背中をさそっていると、部下たちも駆けつけてきた。


「たいちょーっ!」

「隊長、よくご無事でっ」


 こうして勝利は仲間の手によって救出された。未来の嫁が自分を救いに来るなんて、若かりし頃の勝利には夢にも思わなかったことだ。



◇ 



 メディカルチェックを受けた勝利は幸いにどこにも怪我はなかった。あえて言うなら軽い脱水症状だと診断されたくらいだ。特別な治療は必要ないとのことで、事故報告などの書類をまとめ本部に提出した。


 勝利が今回、最も驚いたのは巡視船やしまが出動していた事と、それの指揮をとっていたいたのが七管区の保安部長だったと言うことだ。根っからの海の男だと噂では聞いていたが、椅子に根が張ったように動かない部長が立ち上がったと知って、勝利は違う意味で震えた。しかもその部長から、一週間の自宅療養という名の土産までもらってしまう。


「部長! この度は誠にっ申しわけありませんでした!」

「いやぁ、今回は久しぶりに肝が冷えたね。君があのとき海に落ちてくれなかったらヘリコプターごとドボンで、今頃はやり玉にあげられていたところだったよ。いやぁ助かった。あの救難ヘリも随分と値がはるからな、税金が飛んで行かずにすんだよ。君の判断は素晴らしかった」

「え、あ、はぁ。ありがとう、ございます」


 期待していわけではないけれど、機材の心配をされて複雑な気分になる。しかし、そんな勝利の顔色を見て、部長は真剣な顔つきになり椅子から立ち上がった。


「と言うのは冗談だ。五十嵐くんの勇気ある判断に大変感謝をしている。尊い市民の命と、機内の隊員の命を守ってくれたのだからね。礼を言わせてくれ。この度は」

「やめてください」


 勝利は自分に頭を下げようとする部長を見て慌てる。


「自分は、当然の事をしただけです! それに部長は、こんな私の為にやしまを出してくださいました。大変恐れ多い事です」

「あれもたまには出さんと、錆びつくだろう。海外派遣前の、いいウォーミングアップになったよ」


 困難であろうと言われる環境でも、彼ら救難士は怯むことなく立ち向かう。その救難士の命を守ることが保安部長の役割だ。絶対に殉職などさせない。家で待つ家族に、無傷で返してやることが上に立つ者の使命である。


「こう見えても上に立つ者としては、それなりの責任とプレッシャーを背負っているよ。それに耐えながら椅子に座っているというわけだ。いずれ君もそうなるさ。というわけでだ。海音くんとの結婚式には呼んでくれるんだろ?」

「はい! はいっ?」


 焦る勝利を見て、豪快に腹を揺さぶりながら笑う。あの真剣な流れからの変わりように勝利の頭はついていかない。


「やしまごと呼んでくれたまえ」

「!!」


 もはや言葉は出てこなかった。

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