第23話 主計長の企み

「「隊長ーーっ!」」


 愛海は後部で叫ぶ隊員の声に驚いた。パイロットには下の様子は全くわからない。だから救難士からの細かい指示に従って操縦しているのだ。副操縦士が後ろを振り向くと、要救護者の収容は終わっていた。が、隊員の人数が合わない事でハッとした。


「五十嵐隊長は!」


 愛海はその問いに心臓がギュと縮まるようだった。後部からの指示は、現場からの離脱と収容先病院の確認をしろと叫びに近い声が帰ってくるだけだ。それで察する。


ーー隊長はまだ、下にいる!!


 風の方向が変わり今も飛行を維持することは難しい。これ以上は流石に無理だと愛海も感じていた。しかし!


「リトライします!」


 一人残らず連れて帰るのが私の使命と、愛海は握る操縦桿に力を入れた。


(まだ、まだ、これくらいの風に煽られるマシーンではない!)


「ダメだ! 隊長命令だぞ! 要救護者を病院へ、急げ!」


 自分たちは機動救難士。後ろでぐったりしているであろう一般市民が最優先であり、絶対に護らなければならない命。たとえ、身内隊員を犠牲にしても。

 時に彼らには厳しい判断を強いられることがある。マシーンのパワー不足で全員を吊り上げられない時は隊員を捨てて帰ることはたびたび起こる。しかし、当然それも捨てても問題ない状況に限ってだ。救出困難と判断されれば、救護断念して作戦を練り直すのが基本である。場合によっては自衛隊に委ねる事だってあるのだから。


『受け入れ病院を確認。ヘリポートあり。直行せよ!』

「了解!」


 愛海はその間もずっと考えていた。病院に搬送したらすぐにでも隊長を拾いに戻りたい。海面からの高度さえ気をつければ、まだ飛べるはずだ。問題は燃料が足りないのと、整備なしでまた現場へ戻ることを許してもらえるかどうかだ。


「隊長の件は!」

「本部には連絡済だ。対馬に向かって泳ぎ始めたのを確認している。ただ、雷鳴と波が激しくて管轄の巡視艇がうまく近づけない」

「雷、ですか!?」


 病院に到着すると救命士の資格を持った隊員が、病院スタッフと一緒に降りていった。引き続きが完了すれば一旦、基地に戻らなければならない。無線から現在の状況が流れてきた。どの船も今はその海域に近づくことが出来ない。二次災害を防ぐために、天候が落ち着くまで待機せよと本部から指示が出た。

 このまま天候が変わらなければ、今度は日が落ちて捜索が明朝にもち越されてしまう。


「隊長っ……」

「愛海。焦っても仕方がない。本部からの指示を待て。隊長は大丈夫だ。あの人は簡単に死なない」

「分かってます。分かってますけど」


 握りしめた拳から嫌な汗が出るのは止められない。そして、無情にも帰還命令がくだされる。


『福岡はまちどり02、帰還せよ』

「了解」


 愛海は管制に従って、航空基地に向けて離陸した。


 そうこうしている間に、報道が嗅ぎつけて夕方のニュースに流すだろう。


ーー 海上保安官、救難士遭難!!


 それは避けて通れない事だ。愛海は唇を噛みしめて、やるせない思いを胸に帰還した。





 航空基地に戻った機動チームはいつでも出動出来るように準備を整えた。天候はまだ回復しない上に、日の入りまであまり時間がなくなってしまった。本部からの指示も来ず焦りだけが積もっていく。

 日の入りが確認されれば、もう救難ヘリコプターは飛ぶことができない。


「やしまなら少々の波でも出せるんだけどな。あれは簡単に出てくれないよな」


 誰かがそう呟いた。やしまはヘリコプター2機搭載型の大型巡視船で、七管区で一番大きな船艇となる。やしまと組んで捜索ができるなら、燃料が底をつく心配はしなくていい。しかし、そんな思い通りには行かないのが現実だ。まだ五十嵐を見失ってから半日も経っていない。 


 そんな時、信じられない無線が入った。天候が落ち着きしだい、巡視船やしまが出動するといえ。


「マジかよ......」


 全職員が驚きの声を漏らした。機動チームにはいつでも合流出来るように整えよと指示が入った。海上保安庁総出で五十嵐の捜索に当たるろうというのだ。七管区には航空自衛隊の救難隊もあり、海難事故が起きた場合も出動する。まさか身内で起きた事で、彼らに泣きつくわけにはいかない。そんな意地が保安部から見えた気がした。



     ◇



 七管区海上保安部は慌ただしく動いていた。本部ではたった一名の救難士のために、大型巡視船やしまを出すという事に、様々な意見が交わされたからだ。

 本来、みずほ型と呼ばれる大型の巡視船は遠洋などで治安の維持や海難救助にあたったり、海外派遣任務なども担っている。これほどの船を管轄内での捜索にあてるのは異例中の異例だった。

 実はそのやしまを操るのは、勝利が前任で率いていた乗務員たちだったのた。勝利のもとで主計長、航海長を務めていた者たちがそのやしまに異動となっている。彼らが動いたのかは定かではないが、保安部長の一声でやしまを出動すべきと決まったのだ。




「まったく、このような重大な任務をなぜ私が……。確かに何度かお会いしているが、荷が重い」


 重い気持ちで、ある人物の帰りを待っているのは勝利と共に主計長として乗務していた荒木だ。海上保安部が保有する車内でブツブツと愚痴をこぼす。


「主計長、来られまたよ」


 ハンドルを握った部下が、バックミラー越しにそう言った。


「ああ、分かっているよ。ふぅ……行ってくる」


 もう、ニュースで知っているかもしれない。だとしても、どう切り出したら良いのか。

 荒木は勝利から、両親は高齢のため何かあったら婚約者である海音に連絡をと言われていた。海賊対処に出発することが決まったあの日も、自分の不在中は彼女のことをよろしく頼むと言われていた。


(彼女は強い。大丈夫だ!)


 荒木はそう言い聞かせて、彼女の姿を追いかけた。


「カノンちゃん!」


 荒木が親しみを込めて海音にちゃんをつせて呼び止める。振り向いた彼女を確認し、手を上げながら走って行った。海音が荒木の姿を見て明らかに驚いた顔をし、直ぐに表情を曇らせた。おそらく、荒木が制服姿だったからだ。


「荒木さん?」

「カノンちゃん。今、帰りかな」

「はい」


 荒木はできるだけ表情を柔らかくしようと心掛けた。しかし、どうしても早口になってしまう自分に、この場では話せないと判断した。


「少し話せるかな、あの車の中で」


 荒木が少し後ろに止めてある車を指すと、海音は「はい」と小声で頷いて静かに荒木のあとについていった。中には海音は会ったことのない男性が運転席に座っている。その人物も海上保安庁の人間だ。


「あのっ」

「カノンちゃん。落ち着いて聞いてほしい。と言ってもなかなか難しいお願いだとは思うんだが……今日」


 荒木は海音の顔色をうかがいながら言葉を探した。できるだけ心を乱さないように、きちんと事実を受け止められるようにと。すると海音は恐る恐る言葉を紡ぐ。


「さっき、ニュースが流れていて海上保安官が行方不明だと言っていました。それって、もしかして勝利さん、ですか」


 海音から先に言われて、荒木は顔色を変えた。先程までのにこやかさを保つことはできず、ハンドルを握る部下さえも見た事もないような苦い顔をした。


(やはり、知っていたか……)


「もう、知っていたのだね」

「やっぱり、勝利さんっ」


 海音の顔色は一気に引いて青くなった。どこかで違うよという言葉を期待していたのかもしれない。しかし、彼女が望んでいたものとはほど遠い言葉だったのだ。


「カノンちゃん。五十嵐はね最後の撤収時に、自分から安全フックを外したそうだよ。あの時、海は突然荒れ出した。海面は様々な方向から風が巻き上げて、ヘリコプターのホバリングが厳しくなったんだ、要救護者の救出を最優先にするために、自分が上がるのを諦めて帰還命令を出した」

「うっ……」


 荒木が状況説明をすると、海音はこみ上げる涙を袖で押さえながら震える声で言う。


「私が救難に戻ってって、言ったから、だから。オレンジの制服を着た姿を見たいって、わがままを!」


 海音はただ、自分を責める言葉を繰り返していた。こう言う事が起こり得る。だから勝利は陸に上がろうとしていた。海音はそれでも勝利に救難に戻って欲しいと願った。勝利は海音の言うことならなんでも聞いてくれる。それを逆手に取って、海音は勝利のオレンジが見たいと言ったのだ。まさか勝利がこんな目にあうとは想像していなかった。海音は想像力の乏しい自分を恨んだ。


「わたし……どう、しよう。勝利さん……勝利さん」


 自分を責める海音を見て、荒木は胸が張り裂けそうだった。なんとか希望を持たせてやりたい。荒木自身もその希望を胸にここへ来たのだから。


「カノンちゃん。今は悲しんでいる時ではないよ。五十嵐が対馬に向かって泳ぐ姿が確認されている。伊達に特殊救難隊を名乗っちゃいない。アイツらは絶対に生きて帰る集団だ」


 今はそんな事で泣いている時ではない。まだ何も決まってはいないのと荒木は訴えた。


「知っているだろう? 特殊救難隊は発足してから一度も」

「殉職をしていない。勝利さんは絶対に、死なない!」


 荒木の言葉が届いたのか、海音の眼がしっかりとしてきた。


「ああそうだ! 我々も全力で捜索にあたっている。辛いだろうけど信じて待ってやってほしい」


 荒木がそう海音に告げると、あふれる涙を必死に堪えながら、「はい!」と大きな声で返事をした。


「あのっ。私も勝利さんを探します! お願いです。それが駄目ならば、せめて港の近くで、彼にいちばん近い場所で待ちたいです」

「いや、それはさすがに」

「お願いします!」


 海音は車内に響き渡る声で叫んだ。運転席の保安官がビクと肩を揺らすほどだ。

 荒木は困り果ててしまう。さすがに一般の人間を捜索現場に連れていくことは出来ない。かと言って興奮した海音をひとりにしておくのも心配でならない。そんなふうに決断しかねていると、何か閃いたように海音が声を上げた。


「私! あの海域に詳しいんです! クジラの生態調査を何年もしてきました。高速船との衝突事故も研究しましたし、海流も読めます! これを見てください!」


 海音がバッグから出したのは自分の名刺だ。それを荒木に押し付けるようにして渡した。


「私、役に立ってみせます!」


 とにかく気迫が凄かった。押されるがままに荒木がその名刺を確認すると、思ってもいなかった肩書の持ち主だった。


「こ、これがカノンちゃんの仕事!?」

「はい! ただのお遣い係じゃありません。調査船にも乗っています!」


 荒木は、てっきり海音は事務をしているとばかり思っていた。いま思えば対馬からの高速船に彼女が乗っていたのは、研究員として島に渡っていたからだ。本庁に調査の申請に来ていたのは、彼女自身が参加していたからかと。


「そうか! 君も海のプロか!」

「海洋生物調査をしていたので、この辺りはかなり詳しいです。先日は豊後水道から瀬戸内海にも行きました。今は春です。水温も上がり始めています。ダイバースーツを着ているんですよね! 勝利さんなら一晩くらい平気なはずです」


 海音の話を聞いた荒木は何か思いついたように、車を出ぜと部下に言う。


「ダメもとだ。 至急、福岡海上保安部まで行ってくれ」

「了解しました」


 荒木は腕を組んで考えた。これからどう動くのがスムーズだろうか。巡視船やしまが捜索に参加することが決まっている。おそらく救難ヘリコプターと偵察のヘリコプターを伴っていくだろう。海上保安庁の意地と誇りにかけて全力で捜索をすると聞いている。


(ならば……)


 温厚で穏やかなおじ様は、眼鏡の奥に火を灯らせた。

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