第2話

 私は驚いて立ち上がった。

 その声の主を見ると深い緑の作業服に、同色の帽子を目深に被った背の高い男性だった。

 勿論、知らない人だ。この学校の職員でもない。

 私は怖くなって、ゆっくりと後ずさる。いきなり逃げたりすると相手を刺激するのではないかと思ったのだ。

「だ、誰、ですか?」

 警戒しながら言うと、その男性はおどおどしながらも更に私に近づいた。

「あ、あの、驚かせてごめん。ええっと……」

「こ、こっちに来ないでください……!」

 周囲を伺うと、帰宅する数人の生徒の姿が目に入った。けれど、彼らは私たちの様子をちらりと見るものの、関わりたくないらしく、無言で足早に通り過ぎていく。

 無視したい気持ちは判るけど、怪しい人が校内に入り込んでいるんだから、もう少し関心持とうよ……。

「せ、先生を呼びますよ!」

 威嚇するようにそう言うと、彼は慌てて言った。

「あ、ちょっと待って。人を集めたりしないで。僕は怪しいものではなくて」

 いや、充分、怪しいよ。

 そう思っていると、その気持ちが伝わったのか、彼は困惑しておろおろと頭から帽子を取り、それを手の中でギュッと握りしめた。

 そこで私は、はっとする。

 背が高かったから、てっきり大人だと思っていたのに、露わになった彼の顔はまだ幼くて、私とそれほど歳は変わらないのではないかと思ったのだ。

 何なの、この子。

 警戒心が少し薄れ、私は憮然として彼を見た。彼は相変わらず、おろおろしながら必死の表情で言葉を続ける。

「ぼ、僕は、ただの配達員なんですよ」

「配達員?」

「う、うん。その……誤配達しちゃって……それ、食べちゃったんだね……」

「あ……!」

 私は、自分の手の中にある飴を包んでいたビニールを見下ろした。

「ええっと……これ、あなたの飴、だったの?」

「いや、だから、僕は配達しただけで……」

「ご、ごめんなさい。その、勝手に食べてしまったことは謝ります。でも……配達って何のこと? この飴、私の傘の中に入っていたんだけど」

「ああ、そうだよねえ。だからそこ、間違えたんだよ」

 彼は、頭を抱える。

「誤配達なんてなあ。さすがにこれはまずいよなあ」

「あ、あの?」

「しかも、食べちゃったんだあ」

 そして、ちらりと私の持っている傘を見た。

「薔薇柄の傘って話しだったから」

「傘が、何?」

 思わず、顔をしかめてしまう。まったく彼の話が見えてこない。

「ちゃんと説明してくれない? 弁償するならするし」

 たかが飴ひとつでこの子は何を騒いでいるんだろう。私は、勝手に飴を食べてしまった罪悪感を通り越して、少し苛々してきた。

「いくらなの?」

 今月分のお小遣いを貰ったばかりだ。

 鞄から財布を出そうとしていると、慌てて彼は言った。

「あ、そういうことじゃなくて、君が食べてしまったこと自体に問題が」

「え?」

 私はぎくりとして、彼の顔を改めて見た。

「まさか……食べてはいけないものだったの? もしかして、毒、とか?」

「毒?」

 ぽかんとした顔で彼はくりかえし、そして、笑い出した。

「そんなものじゃないよ。それなら、こんなに困りはしない。だって、最悪、君が死ぬだけだろ」

「……は?」

 険悪な角度に眉をはね上げた私を見て、慌てて彼は笑いを引込めた。

「ご、ごめん。……うーん、しかし、困ったな。この状態をどう説明しようか。……あ、あのさ、僕はさっきから言っているように、ただの配達員なんだよ。これのね」

 そう言って、彼は斜め掛けにしている布製の鞄から、一冊の本を取り出した。差し出されて、何となく受け取ってしまう。見てみると、それはカタログだった。よくある服や雑貨を扱っている通信販売のカタログに見える。

「これが、何なの?」

「本当は部外者に見せちゃいけないんだけど、百聞は一見にしかずって言うからね。五千二百三ページを見て」

 は? 五千って……こんな薄っぺらいカタログにそんなページ数ありえないでしょ。

 何言ってんだか。そう思いながらも、興味があったのでぱらぱらとカタログのページをめくってみる。そして、ぎょっとした。

 そのカタログに載っている商品が尋常じゃなかったのだ。

「……ねえ、これ、何の冗談?」

「冗談じゃないよ」

 私の反応を予期していたように、彼は少し笑って言った。

「本当に売っているんだよ」

「売っているって……」

 私はもう一度、カタログを見つつ、言った。

「お城ひとつを?」

「うん。王国ひとつが売りに出される時もあるよ」

「は?」

 この人は何を言っているんだろう?

「あの……」

「まあ、いいよ。今はとにかく、五千二百三ページを見てくれる?」

 重ねて質問したかったけど、真剣な彼の様子にしかたなく私は黙って、ページをめくった。そして、本当にあった。五千二百三ページ。

 え? とページから目を離して、カタログの厚さを確かめる。どう見ても薄っぺらいカタログで、五千ページもあるわけない。しかし、ぱらぱらとページをめくってみると、確かにそのぐらいの、いや、それ以上のボリュームがあるのだった。

 ……このカタログ、何なの?

 少し、気味が悪くなる。

「あ、あの……」

「そのページにね、あるでしょ。君が食べちゃった商品。『飴と傘』が」

「『飴と傘』?」

 もう彼は私の疑問を無視することに決めたようで、どんなに私が「困惑しています視線」を送っても、さらりとかわして話を前に進めていく。

「そんなに高価なものじゃないけど、効能が独特だからさ」

 効能?

 その言葉に、私は嫌な予感をおぼえた。

 慌てて、彼の言う『飴と傘』という商品を、ページの中で探してみる。

 すると、いろいろな柄のカラフルな傘がずらりと並んでいる写真が目に付いた。その横に、確かにさっき、私が食べたザラメ砂糖の付いた赤い飴玉の写真もある。そして、その商品の値段を見て唖然とした。

「傘とセットで五千円。飴だけなら二千円……え? 飴玉一個で二千円もするの?! これ、ぼったくりじゃない!」

「ぼったくりって……そういう言葉、どこで覚えるの? 女子中学生くん?」

「う、うるさいなあ」

 私はちょっと恥ずかしくなって、あえて乱暴に言った。

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