第06話 雨の日は鍋とともに

「宝来星首都防衛軍、第一方面連隊中央基地付き、少尉阿具京一郎」

「はっ!」

 阿具は伊崎にぴしっと敬礼した。

「中央総合科兵学校所属。予備役、1号機から5号機」

「はっ!」

 特機達が敬礼をした。

「今回、中央方面隊、第2師団、第2混成団。第72特科間接支援大隊に第62雑役小隊を新たに発足し。貴官らを配属する。以後、小隊は阿具小隊と呼称する。以上」

「了解致しました!」

 全員が息を揃えて言った。

「よし休め。何か質問はあるかね?」

「冗談じゃないってんだよコノ野郎!」

 伊崎の言葉と同時に阿具が怒鳴った。

「何か問題が有るかね?」

「おいおいおい!オイ!冗談じゃねえぞ!俺が補給部隊!?冗談かソリャ?笑えねえんだよ!」

「落ち着きたまえ阿具少尉。おつゆが飛んでるぞ」

「うるせえ!テメェらも何か言え!このままじゃ窓際も窓際。何もすることねえ部隊に飛ばされるんだぞ!」

 阿具は特機達を振り返って怒鳴った。

 特機達は言葉に困った様子だった。1号機は愛想笑い、2号機は無表情に、3号機は困ったような顔をしていた。4,5号機はそれぞれ眠たそうな顔をしていた。

 やがて、2号機が真っ直ぐに阿具を見た。

「阿具少尉」

「おぅ!何だ2号機!」

「おつゆを飛ばさないでください」

 ぽつりと2号機は言った。

 阿具はしばらく動きを止めて、それから途方も無く長いため息をついた。


 夕刻という時間もあって、食堂には殆ど人が居なかった。

 特機達は落ち込んだ表情の阿具を中心に、静かに座っていた。

 1号機は何度も阿具の顔を繰り返し見て、それからやっと口を開いた。

「落ち込まないでください。隊長殿。ほら、名前も付いたんですよ!阿具小隊!」

 1号機は無理に明るく言った。

「ふつう、小隊は全部隊長の名前付いてんだよ。普通だ普通」

 阿具は面倒くさそうに言った。

「うう。でも、補給が無いと軍は生きないで有ります」

 1号機は苦し紛れに言った。

 阿具はぼんやりした顔でしばらく1号機を眺めた。それからおもむろに1号機に手を伸ばした。1号機はびくっとした。阿具は1号機の頭を握るとぐしゃぐしゃとなでた。

「悪いな。気遣わせて」

「なな。そんな。恐縮であります!」

「俺が糧食科の雑役小隊とはな」

 阿具は呟くと肩の隊章を取った。

 盾の形をした隊章は濃紺の地で、表面には白い十字架が斜めに描かれていた。

「前の小隊の隊章ですか?」

 2号機が訊いた。阿具は頷いた。

「辺境第一突撃小隊の伝統のデザインだ。隊章ってのは、軍人の誇りみたいなもんでよ。この隊章も、機械虫どもの墓標って呼ばれてたんだ」

 阿具は自嘲気味な笑みを浮かべた。

「今じゃ。隊章もねえような新設部隊かよ」

 2号機はしまった、という顔をした。

 館内に静かに蛍の光が流れ始めた。

『6時です。お疲れ様でした。非常勤部隊は業務を終了して下さい。繰返します…』

 阿具はアナウンスを聞くと立ち上がった。

「少尉殿?」

 3号機が不安げに言った。

「お前らも帰れ。俺たちは非常勤の兵隊さんなんだよ」

 阿具はそういうと食堂を後にした。

 全員押し黙っていた。

「隊長殿、落ち込んでるみたいだったね」

 1号機が言った。

「あの人が落ち込むって言うのが驚き。でも、大丈夫かしら?」

 5号機は目を細めた。

「この配属も、一時的なことだとは思うから」

 2号機が言った。

「何か。励ましのパーティとか」

 3号機が言って、考え込んだ。

「パーティなんて隊長殿喜んでくれるのかなあ?」

「俺。帰るよ」

 4号機が立ち上がった。

 1号機が不思議そうな顔で4号機を見た。

「ちょっと寄る所有るんだ。ご飯とか先に食べちゃって良いよ」

「どこいくの?」

 3号機が訊いた。

「ん。ちょっと」

 4号機はにっと笑うと食堂から出て行った。

「どうしたんだろう?」

 1号機が言った。

「さぁ」

 2号機は窓の外を見ていた。

「雨、降りそうだね」

 3号機がぽつりと言った。

 2号機が頷いた。


 夕刻から降り始めた雨は、夜が深くなってからも続いていた。

「雨は今夜半にかけて降り続き。早朝、5時頃に上がる予定です」

 卓上に浮き上がった画面ではゆっくりと天気予報が流れていた。

 阿具はうんざりした表情で、焼酎をコップに注いだ。つまみの煮干をごりごりと噛んで、阿具は酒を飲んだ。

 すぐにグラスは空になって、阿具はまた酒を注いだ。

 阿具はグラスを持ち上げようとして手を止めた。そして、コップを持ったまま立ち上がると台所の引き出しから拳銃を取り出した。

 すっすっ、とすり足で阿具は玄関まで近づいた。コップから酒を一口飲むと、阿具は思い切り扉を蹴飛ばして銃を構えた。

 阿具は眉を吊り上げた。

「おい、大丈夫か?」

 阿具は言った。

 扉の外側では、ずぶぬれの4号機がうずくまっていた。

 4号機は顔を上げて、目を丸くした。

「だいじょぶ。怪我してないもん」

「じゃなくて。お前随分前からそこに居ただろ?」

 阿具は銃を腰にさして、手を差し伸べた。

 4号機は阿具の手に掴まって立ち上がった。他方の手には紙袋を持っていた。

「たいちょ、誤解しないで欲しいんだけど、俺は」

「いいから中入って服乾かせ。結核で死ぬぞ」

 阿具は鼻声の4号機に言った。

 阿具が部屋に入ろうとすると、隣を4号機が倒れて行った。阿具は4号機を支えた。

 阿具は4号機を抱えると部屋に入り、扉を閉めた。それからごくりと酒を干した。

「前の部下より手がかかりやがる」

 阿具は呟いた。


 4号機が目を開けると、阿具が4号機の頭をタオルで拭いていた。

 4号機はベッドの上に寝かされていた。そこは寝室らしかった。

「たいちょ」

「知ってるか?」

 阿具はずぶぬれの4号機の顔を拭った。4号機は迷惑そうな顔をした。

「雨が降った時の為に、傘ってもんがあることを」

「知ってる」

「なら使え。濡れない」

 阿具はタオルを4号機の鼻先に付き出した。4号機は怪訝な顔をした。

「体も俺が拭いてやろうか?」

 4号機の顔が熱のせいだけでなく、真っ赤になった。

「いいよ!俺がやるから」

 4号機はタオルをひったくって、同時に頭痛を感じてこめかみを押さえた。

「ひどい熱だ。俺の服で良ければ着替えると良い」

 言うと阿具は立ち上がって繋がった居間まで歩いた。

「俺、人前で着替えたり。出来ないもん」

 4号機が小さな声で言った。

 阿具は冷蔵庫から顔を出した。手にはコップとマグカップ、口には干物をくわえている。

 阿具は扉のひとつを指差した。

「なに?」

「風呂だ。誰が俺の前で着替えろって言ってんだよ」

 阿具は干物を手に取ると居間のテーブルに戻った。

「着替えろ。本当に死ぬぞ」

 阿具は焼酎をコップに注いだ。4号機は頷いた。


 阿具はほんのりと顔を赤くしていた。

 いつもより少し熱い息を吐いて、阿具はまた酒を飲んだ。

 チャイムが鳴って、阿具はゆっくりと玄関まで歩いた。扉を開けると、居たのは由梨だった。阿具はにや、と笑った。

「いい所に来たな、補給部衛生兵」

「なによ急に。酔ってるの?」

 由梨は顔をしかめた。阿具はゆったりと笑みを浮かべていた。

「どうだろうな?何しに来た?」

 由梨は両手に持った白い袋を付き出した。

「落ち込んでるんでしょ?鍋しに来たよ」

「そりゃいいな。温まるし体に良い」

 由梨はもう一度顔をしかめた。

 と、阿具の後ろで熱に浮かされた表情の4号機が阿具のシャツとジーンズを履いて出てきた。4号機はふらふらと台所の椅子に腰掛けた。

 由梨は声を立てずに悲鳴を出すと、阿具の胸元を掴んだ。

「ももも、もしかして」

「んん?」

「アンタ。隊員に手出したんじゃないでしょうねっ!?」

「手ぇ?」

「4号機を、少女から女にしたとか…ああ!もう言うだけで恐ろしい」

 由梨は勝手にぱにくって腕を振った。

 阿具はにやぁと笑った。由梨は息を呑んだ。

「そんなコトばっか考えてっから、由梨ちゃんは少女のままなんだぞ」

「ぬぁ!」

「いいから。風邪で迷い込んできた少女に鍋作ってやってくれ。少女由梨」

 阿具はぐしゃぐしゃと由梨の髪をかきまわすと、部屋に戻った。

 由梨も釈然としない表情のまま、部屋に入って行った。


「だぁいたい。アンタはいつだって人を馬鹿にしてんのよぅ」

 由梨は阿具に酒臭い息を吐きかけた。阿具は頬杖を付いたまま表情を変えない。由梨は阿具の隣に座っていた。二人の前の鍋では水だけがぐらぐらと煮立っていた。

「私はね。そりゃ確かに根暗だし。研究所にこもって外にも出ないモグラだわさ」

「だわさ」

 4号機はぼーっとしたまま繰り返した。

「モグラかね」

 阿具が呟いた。

「モグラよう。でもねえ、色々考えてんのだ。地下にだって色々あるのだ。アンタが考えてるほど単純じゃないなのだ!」

「なのだ」

 4号機はまた繰り返した。

「そんじゃ、由梨ちゃんは何考えてるんだ?」

 阿具は頬をかいて、由梨のグラスにビールを注いだ。

「なにって。何故機械虫なんかが生まれたのか。とか、特機たちの将来の心配とか。好きな人のコトとか…」

「ひゅー」

 4号機が言った。

「好きな人ねえ」

 阿具は口の端をしたに向けて言った。

「そーいうとーこーが!馬鹿にしてるってのよう」

「モグラはいかにして、他の個体に出会うか」

「もう出会ってるもん」

「そりゃ大層なこった」

 阿具は口の端を下げたままの表情で自分のカップに酒を注いだ。

「きしゃま」

「貴様」

 4号機が正しく言った。

「通訳サンキュ。なんだ准尉。口の聞き方に気をつけろ」

 由梨は軍人口調に一瞬ひるんだ。

「少尉殿!私が好きな人は!」

「大変です!」

 叫び声とともに激しく扉が叩かれた。

「3号機だ」

 4号機が呟いた。

 阿具は玄関まで出て行って、扉を開けてやった。

 3号機は扉が開かれるとパニックの表情であたふたとした。

「大変です!大変であります!ええと。緊急事態で有ります!」

「言い方はどうでもいい。どした?」

「それが、4号機がいなくなったのであります!」

「なんだとう!?」

 阿具は大げさに驚いた。

「そうであります!大変であります!」

「一大事だ。お前たち特機は軍の機密なんだぞ!どうして4号機を1人にしたんだ!」

 阿具がしかりつけると、3号機は涙を浮かべた。

「申し訳ありません。ごめんなさい。ごめん、4号機…」

「もういい。お前一人のせいじゃない」

「でも」

「気にするな。鍋でも食べていけ」

 3号機はぽかんと口を開けた。

「な、鍋?」

「そうだ。勿論、鍋自体を食べるわけじゃない。鍋って言うのはだな、色々な具材を」

「そ!それは知ってます!」

「ほら、4号機も来てるぞ。ただ鍋奉行が酔いどれだからまだ水しか煮てないけどな」

 そう言って阿具は席に戻った。

「んで。由梨ちゃんなんだっけ?」

 阿具が言うと、由梨はビールを飲み干して、くるくる頭を回した。

「なにが」

「お前の好きな人」

「少なくともお前じゃねえ!」

「そうか。良かった」

 阿具は頷いた。

「俺腹減った」

 4号機は空っぽの鍋を前にして呟いた。

「ああ。俺が作る。俺はもともと糧食科の調理係だからな」

 阿具は立ち上がって台所に向かった。

「なにしてんだ。早く入れ」

 阿具が玄関に向かって言った。

 3号機は口をぱっくりと開けたまま立ちすくんでいた。


 2号機はレインコートを着ていた。

 2号機は不機嫌そうに頬を少しだけ膨らませて、眉を下げた。

「パーティの招待状がこなかったのは、99.999%の信頼率を誇る”セカンドワールド”上で、メール配送に障害が発生したとでも言うことでしょうか?」

 阿具は眉間に皺を寄せると、下唇を舐めた。

「待ってたよ」

 阿具はそれだけ言った。2号機は一瞬笑みを浮かべそうになってうつむいた。

「都合の良い言葉です。うそっぽい」

「言い訳より、マシだろ?」

「ですね」

 2号機は顔を上げてにっこりと笑った。

「しかし、皆が良く俺の家に居るってわかったな」

「公共通信網をハッキングして、街中の定点カメラをくまなく」

「努力家だな」

「見付からなくても、ここに来ましたよ。私たちに、他に頼れる人なんて居ないから」

 2号機は玄関口でレインコートを脱ぐと、部屋の中に入った。

 阿具は、目を細めて少し複雑そうに顔をゆがめると、自分の席に戻った。

「お酒呑みませ♪呑みませい♪らんららんらんらららんらん♪」

 由梨が陽気に机をばしばし叩いて熱唱していた。4号機はそれを眺めながら、鍋を黙々と食べていた。

「おい、酒渡してないだろうな?」

 阿具が3号機に耳打ちした。

「大丈夫です。麦茶を振って渡したら、納得してくれたみたいです」

「日頃ストレス溜まってんのかな、アイツも」

 阿具は呟いて酒を飲んだ。

「少尉殿は、ストレス溜まってないんですか?」

 3号機が聞くと、阿具は考えた。

「そうだな。欲求不満は溜まってるが、この職場はそう悪くねえ。綺麗どころも多いし、部下たちも可愛いしな」

 阿具は言った。3号機は目を大きく見開いた。

「何だよ」

「しょ、少尉殿の言葉とは思えないです。少尉殿は物凄くこの部隊に不満を持ってるものかと、思ってましたから」

「ま。少しはな。男臭さとか、気心の知れた仲間も無い。だが、お前たちは良い部下だ。良い軍人かどうかは別にしても、皆、良いコたちだ」

 3号機はじっと阿具は見た。阿具はのほほんとした顔で酒を飲んでいた。

「酔ってますか?」

「そうだな。少し」

 3号機は微笑んだ。

「嬉しいです。少尉殿が、そんな風に思ってくれてて」

 3号機は嬉しそうに言った。

 阿具は肩をすくめた。

「良いコ達を危険な戦闘に引っ張り出さなきゃならないのは、つれえな」

 阿具はぽつりと呟いた。3号機は何かを言おうとして、何もいえなくて、黙り込んだ。阿具は3号機の肩をぽんぽんと叩いて、何も言わなかった。

「補給部隊のまま終わるのも、そう悪くねえかもな」

「少尉殿…」

「風向き良好!砲は響く!機甲兵が飛びぬける!我ら陽気な兵隊さん♪」

 由梨は軍歌を歌っていた。

「普通科一般最強隊♪機甲師団を乗り越えてぇ~♪」

 2号機が一緒になって歌った。

 阿具は呆気にとられて、頬をさすった。

「呑んでないよな?」

「2号は意外に歌好きで」

 3号機が言った。2号機と由梨は嬉しそうに肩を組んで歌いつづけていた。阿具は納得したように頷いた。それから、ぐるりと、人数の増えた部屋の中を見回した。

「後は1号機と5号機か」

 阿具は言った。

「連絡しましょうか?」

「いや。そのうち来るだろう」

 阿具が言い終わると同時に、室内に黒い影が窓ガラスが突き破って飛び込んだ。

 全員が一斉に黙って動きを止めた。阿具だけが弾かれたように、跳んで、流し台の上の銃を掴むと同時に構えた。

 8号装備と言われる、拠点侵入用の特殊装備をまとった兵士は、小さな突撃銃を抱えていた。一瞬おくれて、2号機が由梨を抱えて机の下に飛び込んだ。4号機は反応の遅い3号機に机を越えて飛びついた。

「警告は一度だ!動けば撃つ!銃を捨てろ!」

 阿具が怒鳴った。兵士は動きを止めて、銃を手から放した。

「ゆっくりマスクを取れ!」

 阿具が続けて怒鳴った。兵士は言う通りにした。金属製のフェイスマスクがごとりと床に落ちた。

「ギャグなら笑えないぞ。オイ」

 阿具は静かに言った。

 兵装をまとった1号機はきょとんとした顔で、阿具を見つめていた。

「あれえ?隊長殿」

「”あれえ”じゃねえ。何してんだテメエは」

「えと。おやすみを言いに行ったら、皆居なくて。事件かと思いまして」

 1号機は立ち上がって、室内を見回した。全員が呆然とした表情で1号機を見つめていた。

「生体センサーで調べたら、一部屋に複数の特機が居て。隊長殿も居て。私に連絡無いのもおかしいので、事件かって。あれ?何で私に連絡無いんでありますか!」

 1号機が鍋を見て、おもいっきり頬を膨らませていった。

 阿具は銃で後頭部をかいた。

「怒るなよ。鍋はお前の分も有るぞ」

「わあい」

 1号機はころりと表情を変えると、椅子についた。

 他のものも気にする様子も無く、また席に戻った。

「1号機」

 鍋をつつきながら阿具が言った。1号機が顔を上げる。

「何でありますか?」

「こういう”ウッカリ”を戦場でやったら坊主にして、基地に吊るすからな」

 阿具は無表情に言った。1号機は少し怯えて3号機を見た。

「少尉殿は本気です」

 3号機がぽつりと言った。

「え。えへへへ」

 1号機は愛想笑いをした。

「あと窓を弁償しろ」

「えへへへ、えへへへへへ!」

 1号機はいつまでも笑っていた。


 阿具は両手にスーパーの袋を下げて、夜道を歩いていた。

 両方の袋には追加の食材がぎっしりと詰め込まれていた。袋の一番底には、酒瓶が有った。阿具は酔いを感じさせない足取りで家に向かっていた。

 そして、自分の家の入り口の前で、阿具は足を止めた。

 どこからか、女のすすりなくような声が響いてきた。阿具はうすら寒いものを感じて、まわりを見回した。とても小さいが、人の気配が感じられた。それは、気配を消そうとしている人間のものだと阿具はわかった。

 反射的に、阿具も気配を潜めた。それから、目を細めて、声の位置を探すと、その位置をじっと凝視した。街灯の明かりのちょうど横の影、一番暗い部分に何かがうずくまっていた。

「怪談かよ」

 阿具は口の中で呟くと、地面を蹴って一気に間合いを詰め、影の中に飛び込んだ。

「きゃあああああ!」

 闇を切り裂いて、何かが叫び声を上げた。

「うぉ」

 阿具は驚いて、後ずさった。

「こないで!こないで!お化けこないで!」

 影の中に居たのは5号機だった。5号機は顔を伏せたまま阿具の方に拳銃を向けていた。阿具の顔が驚愕に変わった。

「うぉ!」

 銃声とともに阿具が転がった。立て続けに銃弾は阿具の動く位置に向かって放たれた。阿具は猫のように跳び避けながら銃を構えて撃った。

「きゃっ!」

 5号機の手元から銃が吹き飛んだ。だが5号機は腰からまた他の銃を抜いた。

「俺だ!阿具だ!お前の隊長の阿具だぁっ!」

 阿具が怒鳴った。5号機はぴたりと手を止めた。

「隊長さん…?」

「俺だ。ほら!」

 阿具が街灯の下に出て、両手を広げた。と、どしんと5号機がぶつかってきた。

「こわかったですの!とてもこわかったですの!起きたら皆居なくて、探しに出たら暗くって!」

 5号機は涙で顔をぐちゃぐちゃにしていった。

「そりゃあ夜だからなあ」

「よる、嫌いですの!お化けがでるですの!」

 5号機は阿具の胸に顔をうずめていた。

 5号機はそれからふと顔を上げた。阿具は表情に困りながら、肩をぽんぽんと叩いていた。

「…お化けなんて本当は信じてませんのよ。ちょっとした冗談ですもの」

 5号機は精一杯大人ぶって言った。

 阿具はうんうんと頷いた。

「お化け信じててもいいが、銃の乱射は良くないよな?」

「なんですの!?その子供見るような目つきは!心外ですわ!」

 5号機は顔を真っ赤にして叫んだ。

「わかったわかった。お前は大人だ。だからこれから大人の夜更かしに付き合えよ」

 阿具はにっと笑った。

「大人の夜更かし!」

 5号機の顔が輝いた。

「皆来てるぞ、ほら、ここが俺ん家だ」

 阿具は5号機の肩を抱いて歩き出した。

「…夜更かしで喜ぶのは子供だよなぁ」

 阿具はとても小さい声で呟いた。

「何かいいました?」

 5号機は不思議そうな顔で言った。

 阿具は黙って肩をすくめてみせた。


 キッチンには小さな明かりがひとつだけついていた。

 隣の部屋には騒ぎ疲れて大の字の由梨の周りに、特機たちが猫の親子みたいに寄り添って眠っていた。阿具はまた視線を手元に落として、酒をコップに注いだ。

「こういうのも悪くねえ。驚きだな」

 阿具は苦笑をかすかに浮かべて酒を飲んだ。

「たいちょ」

 隣の部屋への引き戸のところに、4号機が立っていた。

 阿具は口元を拭うと、向かいの席を指差した。

「座れよ」

「うん」

 4号機が座ると、阿具は身を乗り出して、4号機の額に手を当てた。

「熱は下がったみたいだ。体強いな」

「うん。健康なのが取り柄だから」

「そっか。眠れないのか?」

「ちょっと」

 阿具に見つめられて、4号機は照れくさそうな笑みを浮かべた。阿具は立ち上がると、冷蔵庫から牛乳を出してレンジに入れた。すぐに音がして、阿具は中からホットミルクを取り出した。

「ありがと」

 ホットミルクを手に取って、4号機が言った。

 4号機が一口ホットミルクを飲んだ。阿具も酒を飲んだ。

「たいちょが、こんなに優しい奴なんて思ってなかったぜ」

 4号機はぼそりと言った。阿具は少しして、意味を理解してからむせた。

「…あほか。風邪の奴にミルクだしたくらいで優しいと思うなら世の中善人しかいねえぞ」

「それだけじゃなくて。訳も聞かずに俺を部屋に入れてくれたし」

「自分の部下が来てんだぞ?追い返す訳ねえだろ」

「んん。でも、何か優しいって思うぜ。俺」

 阿具は首を振った。

「戦場の悪魔って言われるんだぞ、俺は」

 誰に向けた訳でなく、阿具は呟いた。

「んじゃ。悪魔にしては優しい、かな」

「別に優しいって言われるのがいやな訳じゃねえんだが。俺は実際に優しくねえんだが」

「自分で気付いてねえだけなんだって」

 4号機はにっこりと笑った。

「そういうことにしとくか」

 阿具は酒を飲み干した。

 4号機もホットミルクを飲むと、足元から着たときに持っていた紙袋を取り出した。

「これ。皆に秘密だからな」

 4号機は強く言った。阿具は眉をひそめた。

 4号機は紙袋を机の上で逆さにした。盾をかたどった布きれがバラバラと落ちた。

 布切れは全部で6つ有った。阿具はそのうちのひとつを手にとった。

「これは。隊章か」

 隊章には、トラ猫のキャラクターがヘルメットと銃を持って敬礼していた。

 阿具はじっと隊章を見て、それから4号機を見た。4号機はじっと阿具の言葉を待っていた。

「やっぱり、ダメかな。こんなの」

「お前が作ったのか?」

「うん。俺、裁縫とか得意だから」

「デザインもお前が?」

 阿具が聞いた。4号機は黙って、ほんのりと頬を赤くした。

「可愛いものが、スキなんだ」

 しぼりだすように4号機は言った。

「なるほどね」

 阿具は言った。4号機はきゅっと唇をかんでいた。

 二人とも何も言わずに、沈黙が訪れた。

「…どうなんだよ!俺の隊章を使うのか!使わないのか!」

「ん?使うに決まってるじゃねえか」

「へ?」

「お前がわざわざ作ったんだろ?」

「そうだけど。いいの?戦場の墓標とか。血塗られた赤い星とかじゃなくて」

「いいさ。戦うトラ猫補給小隊。可愛い部下がわざわざ作ったんだ」

 阿具は隊章をじっと見つめた。

「えっと。それで」

「お前が作ったって言わないで欲しいんだろ?大丈夫だ」

 阿具が言うと、4号機はほっとした顔をした。

「可愛いものすきなんて。俺に似合わないからな」

「俺は良いと思うがね。前の隊のハンスって大男もぬいぐるみを集めてた」

 4号機は少し考えた。

「やっぱ、たいちょ。優しいよな」

「まだ言うか。ほら、ガキはそろそろ寝ろ。ケツ蹴っ飛ばすぞ」

「うん。おやすみ」

 4号機は言った。

 阿具はしばらくしてから、もう酒を飲むのを辞めた。

 そして、隊章を眺めて、なんとなく笑った。



「我が阿具小隊は正式に発足した。各員、気を引き締めてコトに当たるように」

 阿具はいつもよりキチンと軍服を着ていた。白い軍服が後ろからさしこむ朝の光に、輝いていた。

「はっ!」

 応じる特機たちも綺麗な軍服を着ていた。

「まだ雑多にやることはあるんだが、とにかく形だけは軍隊だ。そこで隊章を用意した」

 阿具がポケットから隊章の束を取り出した。

 特機たちはそれぞれ隊章を受け取った。

「かわいい!」

 1号機が声を上げた。そして、その後各々が好意的な印象を示した。阿具は満足げに頷いた。4号機はほっとしたような表情で微笑んでいた。

「良し!じゃあ補給科雑役隊の任務について授業する。自習!質問有る者は俺のところに来い!」

 隊章をつけ終わったあとで、阿具が怒鳴ると全員自分のデスクについて、それぞれ教科書を開き始めた。阿具は自分のデスクについた。

 1号機がすっと阿具の横にきた。

「4号機のデザインですよね。これって」

 1号機は耳打ちした。阿具は驚いて眉をひそめた。

「あは。4号機が可愛いもの好きだって。本当は皆知ってるんであります」

「なるほど。仲間のことは良く知ってるか」

「家族ですから」

 1号機は微笑むと自分の机に戻った。

 阿具は肘を立てて両手を机の上で組んで、額をそこにつけた。

「そっか悪いはずねえよな。どこでも同じ家族だ」

 阿具が呟いた。

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