十六.

 薄く目を開くと、朝の日差しが俺を照らしていた。

 草むらの中で眠っていたようだ。

 朝露が身につけた装束に付いて冷たく感じる。

 あたりをゆっくりと見渡して俺は首を捻った。

 なんだ。

 俺は何故こんなところで寝ている?

 そもそもここはどこだとあたりを見渡してみるが荒れた畑やあぜ道だらけのそこは当然見覚えなどあるはずもない。

 どれほどか前までは都にいたはずだが、その記憶さえも朧気でここに来た頃の記憶となると、全くといっていいほど思い出せない。

 しばらく考えた後、俺は思考を放棄した。

 まあいいか。

 時間など、半永久的な時を生きる俺には些末な問題だ。

 どうせ都を離れこの地に来たのもいつもの気まぐれだろう、と勝手に結論づける。

 筋肉が凝り固まっているので伸びをしながら辺りを見渡すと丁度馬に乗った輩が現れた。


「あれ、お侍さんかね」


 俺の腰に差してある刀を見て、己も腰に刀を帯びた野武士らしい男はそう言った。


「まあそのようなものだ」


 下手に興味を持たれるのも面倒くさいのでそう答えながら俺は聞く。


「時にお前、ここはどこだか知っているか?」


 いきなりの俺の珍妙な質問に目を見張ると男は言った。


「こりゃあまたけったいなことを聞くね。ここにはまあ前まで『神隠村』つう集落があったんだが、ありゃ駄目だね。流行病はやりやまいのせいか急に荒れて人も出て行っちまったよ。人っ子一人いやしねえ」

「そうか」


 そうとだけ頷いて俺は立ち上がる。


「よかったら付いてくるか?これから隣町に行くところでさ。道連れがいりゃあ有難いんだが」


 そう言う男に俺は首を振って答える。


「生憎と、独りが好きな性分でな。供が欲しいなら他を当たれ」


 俺がそう言い、背を向けて歩き出すと「そうかいそうかい。そりゃあ残念」と、あまり残念そうじゃない口調で武士は言った。

 俺は森を抜けて歩いて行く。

 すると、干上がった枯れ池のような場所に突き当たった。


「なんだ、これは……」


 一瞬関心を持ったが、このところの異常気候のせいだろうと思い軽く流して通り過ぎようとする。

 すると目の前でかさりと草むらが揺れた。

 寄ってみると一匹の黒猫が生えた草の合間から顔を覗かせていた。


「猫か……」


 俺はその身に手を伸ばすと抱き上げてみる。

 猫は温かった。

 草さえまばらに生えているだけで生き物が死に絶えたようなその地に反して、猫は生きているものの暖かさがあった。


「人っ子は一人もいないかもしれないが猫はいるじゃねえか」


 まあ、人より獣の方が余程可愛げがある。

 腕の中でむずがるので下ろしてやると、猫はさっさと森の奥に駆けて行ってしまった。

 俺はその姿を見送り、ふと思い立って村のあったという方に引き返してみた。

 村は一言で表すならそう、非道い有様だった。

 人がいなくなっただけでこんなに荒れるのかというほど庭の草木は荒れ放題であるし、丸ごと引っ越したのか家の中には物もない。

 まるで、最初から誰もいなかったかのように。


「金でもあればかっぱらおうかと思ったんだけどな、期待外れもいいところだ」


 俺はそう独りごちる。

 面倒だが、また野の獣を狩り、野宿する日々が続きそうだ、と思ったその時庭先に実が成っている木があることに気づいた。

 時期も時期であるということもあってかその柿の木にはいかにも美味そうな真っ赤な実が成っている。

 近寄っていき、一つもいでそれを口に運んだ。

 仄かな甘みがある熟れた実を飲み込む。

 すると、胸にわずかに痛みが走った。


「なんだ……」


 痛みは一瞬で治まったが、違和感があった。

 成っている柿なんて久方ぶりに食べたのにまるでつい最近も同じようなことをしたような。

 そんな奇妙な既視感があった。


「まあそんなはずはないな」


 記憶違いだろう。

 よくあることだ。

 そう思い、柿の種を吐き出す。

 そのまま、俺は歩き始めることにした。

 行く当てなんて特にないが。

 俺は今日も、明日も、おそらく次の年の今頃も。

 一人で野を歩き、何かを探し続けるのだろう。

 ……何か、な。

 まあ、目的があるに超したことはないのだろうが。

 一人そぞろ歩くのが、俺にはお似合いだ。


 村を去ってしまった赤鬼、いや新たな名前を得たつくるは預かり知らぬことだったが、物語には続きが存在する。

 何かに引き寄せられるように先ほどの猫が、枯れ池のような場所に戻ってきた。

 そこは、先日まで神の棲まう沼が在った場所であり、わずかながらであるが、乾ききっていない赤黒い血が垂れていた。

 獣の血であるとでも思ったのだろうか。

 猫がそれに舌を伸ばし、舐め取る。

 その瞬間に何かがその猫の中に転移した。

 見つめるものなどなく、猫本体でさえ気づいていない。

 血の記憶がその中に蓄積される。

 ふいに空を仰ぐと、猫はその場から立ち去った。

 後には、人がいなくなったことで死に絶えた村と、かつて神を隠していた沼の涸れ地だけが残った。

 これから何が起こるかなど知るものはおらず、それでも運命が動き出すのを誰にも止めることは出来ない。

 ここから新たな物語が始まる。

 終わりは何かの初めでしかなく。

 こうして初めが、終わっていく。



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