七.

 それからの数日間、俺はあかつきの元を訪れて日々を過ごした。

 喰うつもりだったことを忘れたわけではない。

 だが、あかつきの屈託のない態度と長らく忘れていた誰かと過ごす日々に居心地の良さを感じていないといえば嘘になるのかもしれなかった。

 ああ、くそ。

 柄ではない。

 こんなまどろっこしい言い方になってしまうのは俺自身曖昧な自分の感情をどう言っていいか決めかねているからである。

 そんな間延びした状態のまま日々は通り過ぎていった。

 そんな一日の中のある日、座敷に訪れるとあかつきが座敷の外の一点を見つめて動かないので何かと見れば、屋根の辺りに鳥が巣を作っているのを見つけた。


「赤鬼……。あの子を巣に戻してやってくれないか」


 そう言うので下を見ると、鳥の雛が転がっている。おそらく巣から落ちたのだろう。


「放っておけばいいんじゃねえか。そのうち親鳥が巣に戻すだろ。死ねばそれもそうなるように決まっていたってことだ」


 俺はそう言ったが、固い声であかつきはもう一度繰り返した。


「赤鬼。……頼むから」


 俺としてはどうでもよかったが、そう言われてまで無視するのも後味が悪いので庭へ出る。と、先ほどの雛の陰になって見えなかったがもう一匹小さな鳥が落ちているのが目に入った。

 こちらは、冷たい肉となってもう動かない。

 俺はもぞもぞ動く方を摘みあげると巣に戻した。

 座敷に戻り、俺は軽い調子であかつきに言う。


「ああいう鳥の類は人のにおいがついたら親から相手にされなくなるもんなんだけどな。まあ俺は鬼だからそうでもないだろ」


 少し血生臭いかもしれんが。


「……ありがとう」


 あかつきは床に目を伏せたまま礼を言ったがいつもの元気はない。

 そして独り言のように言った。


「歯痒いものだな。一匹が冷たくなっていくのを見ていても私は座敷から出ることもできなかった。今は田畑が忙しい時期だから家人もここには立ち寄らないし……」


 そう言ってかぶりを振るので俺は冷めた口調で言った。


「あんな獣が死ぬことでいちいち悲しんでいるのか。そんなのいくらあっても足りないし何にもならねえぞ」


 生き物とは死ぬものなのだから。

 それだけが唯一決まっていることなのだ。


「そうではない」


 あかつきはきっぱりとした口調でそう言った。


「死を是とするつもりはないが、死するべき時に死ねることは良いことだ……。老いたものや病んだものにとってはそれが救いでさえあるかもしれない。現に、先に落ちた方は病を得たらしく既に痩せ細っていた」


 確かにすでに死んでいた方の鳥は骨と皮という感じだった。死んでから風化でそうなったのかと思っていたが、どうやら生きているうちからすでに弱っていたらしい。


「だが、飛べる翼を持っているものがそれを使わずに死んでいくのは私にはどうもな……」


 そう言ってあかつきは黙る。

 言いたいことはよくわかった。こいつは至極まっとうなのだ。死するべき時に死ねることは良いことだという点には俺も賛同するところであり、ふと考えてしまった。

 振り返って、俺はどうなのかと。


「……赤鬼?」


 沈黙する俺をあかつきは見つめている。


「すまん。今日は帰る」


 そう言って一瞬合った視線を振り切ると、返答も聞かないまま俺は座敷を飛び出す。



 頭上で鳥が驚いたように羽ばたいた。

 森の中を駆け、跳び、また走る。時々で眼前に立ち塞がる木を気まぐれとばかりに蹴りや拳で薙ぎ倒す。

 ずん、と森全体が揺れる。鳥や獣がおののいているのが伝わってくる。その瞬間だけ少し爽快な気分になれた。

 身の内に暴風が吹き荒れていた。

 時々こうなる。暴れ回ると少しは収まるが、すぐに空虚な気分になる。そしてまた荒れる。その繰り返しの渦中にいる区間が近頃、だんだん短くなってきている気がする。

 そんな気分の時は誰彼構わず傷つけて回りたくなる暴力的な衝動が理性を支配する。自制が効かない。だが自分でどうすればいいかも分からない。

 死するべき時に死ねることは本当に良いことなのだ。死ぬべき時を逃して無様に生き長らえている俺は、そう思う。

 俺はきっと仏にも、……神とやらにも見限られているから。

 夕立が降ってきた。

 最初は小雨だったのが一気に強まり、辺り一帯を押し流さんばかりに激しくなる。

 俺は地に膝を付いて嗚咽した。それは腹の中で反響して広がっていく。やがて俺は喉を反らして、空っぽの心のまま天に向かって狂ったように哄笑した。

 雨の音と俺の声が混ざって、天に吸い込まれていく。

 後には、静寂だけが残る。

 人の世はやかましすぎて、その静けさが心地良い。

 いっそ全て壊れてしまえばいい。

 たまに、そう思う。



 ガサリ。

 その時、背後の草むらが動いた。

 なんだ?

 ひくひくと鼻を動かしてにおいを嗅ぐ。

 まだ逃げない獣がいたのか。

 いや。

 これは人間の……。

 瞬間的に飛び退いた。

 つぶてがこちらに向かって投げられたのだ。


「何かいたか」

「いや気のせいだったらしい」


 おそらく村の衆だろう男たちの潜めた声が遠ざかっていく。

 まぐれだろうが気配に気付いてこちらを窺ってくるとは勘のいいことだ、と俺は念のため気配を消しながら思う。

 遠目から様子を窺うと男たちはひとかたまりになり、何かを運んでいるようだった。

 目を凝らすと汚れたずた袋を掲げているのが見える。

 中に入っているものまでは分からないが狩りで取った獣を収めるのに丁度いいような大きさだ。

 中がもぞりと動いた。

 まだ、中身が生きているのか。

 俺はそれを見て奇妙さを覚え、首をひねる。 

 獣をおびき寄せる生き餌か。はたまた、呪術的な目的で何かに捧げるために持って行くのかもしれない。

 男たちは森の奥に遠ざかっていき、やがて見えなくなった。

 俺はその方角をずっと見つめていたがややあって我に返り、穴蔵へ戻ることにした。

 雨が冷えてきた。

 どうやら村にも冬が間近に迫っているようだった。


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