5.

 語り終えて、息を乱しながら胡桃の顔は青ざめていた。

 俺は今聞いた話を頭の中で反芻はんすうしながら、静かに問う。

「で、俺にどうして欲しいんだ」

「決まっているでしょう。西島を殺したいんです。だから鬼になるんです」

 目を見開いて胡桃は言った。

 ふん、と俺は鼻を鳴らす。

 ある意味では、こいつも狂っている。いや、一時的に正常な判断をなくしていると言うべきか。

「西島を、倒すための力が欲しい。鬼は最高の力を持つ怪物。故に鬼は鬼しか殺せないとさっき仰っていましたよね。私はそのために鬼になるんです。西島は殺さないと口では言っていますが、絶対に嘘です。次はきっと私か妹が殺されます。そんなの絶対に嫌。化け物と結婚するのもご免です。だから、殺される前にやるんです」

「俺に殺してくれって依頼しない理由は?自分の手は汚さずに済むし楽だぜ」

 この答えはまあ予想していたが、思った通りの答えが返ってきた。

「これは仇討ちでもあるんですよ、赤江さん。私は父を殺されたんです。実の家族を。だからこの手で西島を殺してやらないと気が済まない。決意は出来ていますが私にはその力がないんです」

 そう言って胡桃は挑むように俺を見た。

 その気持ちは分からんが、事情は分かった。「家族を殺された」、「女子高生」の気持ちなんて二重の意味で鬼の俺には分かるはずもないし、そもそも人間同士でさえ他人の気持ちなんか分からんだろう。

 だけど、最低限の状況把握は出来たってとこか。

 外見年齢は二十代半ばくらいで止まっているらしいが、俺はこう見えても千年近くの時の流れを生きてきた鬼である。時の流れを生きてきたというか、流されて生きてきたって感じだが。

 その千年の中では人間を鬼にしたこともあるし、諸々もろもろの理由からこの手で自分の血縁と言ってもいいその存在を葬ってきたこともある。

 まあ。

 なかなか良い気分じゃないわな。

 人を鬼にする方法は単純明快と言ってはなんだが伝承や説話にも登場する方法で、俺が相手の血を吸って、減った分の血を俺自身の血を飲ませて分け与えることでそれは成立する。それだけで人であったものは恒久の時を苦悩しながら、闇の世界を困惑しながら歩むようになる。

 気は進まんがやってやれんことはない。しかし、それにはルールがある。それをそのまま胡桃に伝えることにした。

「ルール?」

 突然ゲームについて話す審判のようなことを言い始めた俺に胡桃は首を傾げて訝しそうな表情をした。

「ああ。何も難しい話じゃない。どちらかと言えば簡単な話だ。対価を受け取ろうって訳じゃない。これはお前自身の話なんだよ、胡桃」

 対価は依頼として完遂すれば貰っても良いんだがな。それまで生きていれば。

 聞くか、と俺は胡桃に問う。

 胡桃は力を込めて頷いた。

「まず、お前を鬼にしてやることは出来る。俺にはその方法も分かっているし、力のある鬼だからな。……聞いたか聞いてないかは知らんが、全ての鬼が人間を鬼に変えられる訳じゃない。しかし、早い話俺にはそれが出来ると言っているんだ」

 期待した目で胡桃が俺を見る。勿論、甘い話ばかりじゃあない。

「ただし、お前を鬼にするには条件がある。まず、全ての鬼が人間を鬼に変えることが出来る訳ではないように、俺が血を分け与えたところで鬼になれない人間もいる。その場合、お前は死ぬことになる。それは承知しているか」

「覚悟の上です。もし、私が失敗したときはよろしくお願いします」

 何を、とは言わなかった。

 胡桃はきっぱりと答える。これは事前に聞いていたのだろう。どっちにしろ死ぬ道なら西島を道連れにしてでも殺してやりたいというところだろうか。そして、失敗のための保険もかけてある。

「いいだろう。では、もう一つの条件。これがルールだ」

 胡桃の言葉に頷いて、俺は続けて言う。

「お前が鬼になった後、ないとは思うが一般の人間を殺した場合。そして、西島を殺して仇討ちが完遂したその時には、。それについても承諾するか」

 その言葉は流石に予想していなかったようで、胡桃は目を見開いた。

「それは……、どういう意味ですか」

「言葉通りの意味だ。人を呪わば穴二つなんて鬼の俺が言う言葉じゃないが、それくらいの覚悟がないなら仇討ちなんてやらん方が良い。それに、ただでさえ俺たちは食糧問題が危機的状況なのに仲間内で襲われて共喰いでも始められたらかなわんからな」

 俺は冷ややかな表情を胡桃に向ける。

 沈黙。胡桃は考えているようだ。

 それでいい。存分に考えてくれ。天秤がどちらに傾くかは知らんが、今なら引き返すことも出来る。やってからでは遅すぎることが多いのだ。

「これは介錯かいしゃくでもある、胡桃。経験から語るが遅かれ早かれ人間から鬼になったものは時が持つ重みや人間を殺し喰う罪悪感に耐えられず自ら殺してくれと言い出すもんだ。身体がなまじ頑丈で回復力がある分、自殺も難しいからな。殺してやるのが情けだと思っているからその時は俺が殺してやるが」

 首を切り落とすか、胸に杭を打つか。あるいは、俺が自ら喰ってやるか。

 情け容赦なく。傍若無人に。

 生ではなく死が救いであることもこの世にはままあることなのだ。

「あなたは」

 その時、少し震えながら、それでも気丈に胡桃は言った。

 この女子高生も人を殺そうとしていようが化け物を倒そうとしていようが一人の少女であることには変わりないのだ。

「あなたはどうなんですか」

 俺か。

「どうとは?」

「あなたも元は人だったんですよね?人を殺しても何も思わないんですか。人を喰べても何も思わないんですか。何故、そんな普通でいられるんですか」

 普通。

 普通、ねえ。

 口から空気の漏れるような音がした。

「クハッ。ハハハハハハハハハハハ!」

 ビクッと胡桃が化物を見るような目で突然狂ったように笑い出した俺を見る。

 いいね、その目。それでこそ通常運転だ。

「ふつう。普通ときたか!久しぶりに言われたぞ。お前には俺が普通に見えるんだな」

 ああそうか。最強の鬼として名を馳せる俺も仕事をしたり名を売ったりしないと知名度が下がっていくってことか。

 まあどっちでもいいんだがそんなことは。目立つことは嫌いじゃないが夜の世界の住人が目立ったら困るしな。

「少なくとも西島に比べればあなたは普通に見えます」

 話を聞いている限り変態的な趣味をお持ちのようだからな。

「そうだな。質問に答えるとすれば喰う時に何も感じてない訳じゃあない。鬼に変えた人間を喰う時も考えることはあるしな。だが、俺には責任があるからおいそれと死ぬわけにはいかねえんだよ」

「責任、ですか」

 胡桃が不思議そうに聞く。

「ああ。なんでいただきますって食事の前に言うかくらいは学校で習っただろう。それと同じだ。俺は自分が喰い、踏み散らした死体の山の上に立っている。立つことで今日とりあえずまだ生きている。なら、その死体が俺と出会わず寿命まで生きられた年月くらいは生きるのが俺の役目で、やらなければならないことじゃないかって思う訳だ」

 まあ。そんな格好良いもんじゃないんだけどな。鬼なんてものは。

「納得しました」

 どことなく憑き物が落ちたように胡桃は言い、俺にこうべを垂れた。

「改めてお願いします、赤江さん。私を貴方の血族に、鬼にして下さい」

 見下げるように俺は胡桃の頭頂部を見る。小さな身体だ。この小さな身体に少女は死を背負っている。

「いいんだな」

「ええ、この命捧げることは出来ませんが貴方に預けます」

「全てを理解した上でか」

「ええ」

 胡桃は、何故か俺を見て晴れやかな顔で微笑んだ。

「最後は、貴方が私を殺して下さるんですよね」

 そこまで分かっているならもう十分だろう。俺にとっても異存はない。

「承知した」

 頷き、俺は二本の牙が生えた口を開けた。

 そして、俺は血を吸い、俺自身の血を与えることで。

 渡辺胡桃という一人の少女を鬼にした。

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