天使の生まれた夜/9
真昼、少女二人が、新しく出来た廃墟を訪れていた。かつての母屋は味気無い墨と化して色味を失い、彼女らの思い出の中にある面影とは遠い残骸に成り果てている。
奔放な潮風がこの高台に吹き付けて、彼女らの髪を乱した。
一人は崩し気味のオーバーシャツを着こなし、後ろに結んだ金髪には赤のくすんだメッシュを入れている。逃げ場の無い青空の下、眩しさに細めた眼で焼け落ちたかつての太い梁に一瞥をくれて、熱に歪んだ瓦の欠片を憎らし気に踏みつける。
「これじゃ、後片づけも大変ね」
その後ろに控えるもう一人は黒いワンピースの少女。影のように控えめで、死者を悼んでいるかのように俯き気味な立ち姿は、彼女の印象そのものを薄めていた。
「はい。尤も、当分はこのままのようですが。下手に弄る訳にもいきませんので」
「――あ、そうね。そっちの片付けもままならないか」
「此方は粛々と」
「抜かりないわね」
その口ぶりには軽蔑と呆れが混じっていた。抜けていれば良いのに、と言わんばかりに。
「どれくらい回収出来たの?」
「半数は」
「何処」
黒い少女は答えない。
灰と煤に構わず、彼女は焼け跡へ踏み込んでいく。足場は不安定で、しばしば焼け残った柱をぞんざいに掴む。彼女の掌は黒く汚れていた。もう一人は淡々とそれに突き従う。
「あの子は?」
「器、としてのみなら」
「じゃ、私は必要無いんじゃあなくって?」
「中身が一切ありませんから」
「……ちぇ」
「お見舞いには――」「行かない。行く訳ない。意味無いでしょ」
少女はぶっきらぼうに言い放つ。立派だったろう庭も無残だった。細かな灰が未だに焦げ臭さを漂わせている。
「どう? 風宮は」
「特に」
「そ」
続かない会話に、機嫌の悪そうな軽い舌打ちが響く。
「友だちのひとりくらい、つくっても良いのに」
「……いますよ」
「え」
「毎日、とはいきませんが、楽しい日もありますよ。私にも」
「そう。良かったわね」
中身の無い言い方だった。二人は互いの顔すらも合わせない。少女の片方の眼つきは悪くなる一方だったが、もう片方は仮面のように表情を動かさなかった。そこら中に散らばった残骸の中には少女の記憶を呼び覚ますものもあった。しかし何れも野ざらしになって原型を留めていない。
彼女たちは口をつぐんだまま焼け跡をぐるりと見て回ると、その中央へと分け入った。周囲を中庭に囲まれた其処には、屋敷から切り離されたかのようにぽつりと佇む離れがあった。その離れは、やはり焼け落ちてはいたものの――それでも比較的元の形を保っているようで――社を思わせる造りをしていた。入り口はひとつ。低く幅の広い階段が観音開きの扉へ続いている。
「此処も無事では済まなかったか。そりゃあそうよね、火薬庫に火を放ったようなものだもの。貴女も忙しいでしょう。大変ね」
「勤めですから」
「そ。割り切り過ぎよ」
扉を前にして立ち止まる。彼女はジーンズの後ろポケットから取り出した煙草を手にすると、慣れた様子で咥えて火を着けた。
「煙草――」
「一本どう? それとも嫌い?」
「いえ、でも」
差し出されて、もう一人はそっと煙草を咥えた。
「吸って」言われるがまま。少しぞんざいな風に、火が着けられる。
途端に彼女はむせかえった。ひたすら沈鬱な面持ちのままを不器用に保とうとしながら、けれども涙眼になって激しく咳き込んで姿勢までが崩れる。火の着けられたばかりの煙草が足もとに転がった。
「大真面目に吸い過ぎよ。ほんのちょっとで良いのに」
吸い慣れた方の少女は自分の煙草を手にしたまま、膝を立てて片手を地にかざす。瞳に橙の煌めきが瞬いた。
「何を喚んだのよ。……いいえ、答えなくて良い。知らないんでしょう」
地面に手を突いたまま眼を瞑る。橙の光の粒が、涙のように閉じられた瞼から零れ落ちた。
手には小さな刀。鞘のまま地に突き立てていた。いつ間にやらもう片方の手には、精緻な細工が鞘に施された守り刀が握られていたのだ。鯉口は紫の紐で固く縛られている。
彼女はその守り刀を伝って、とある景色を探る。
「遡上してゆくとね、今は干上がった川のようなのだけど、濁流になってゆくのよ。溢れ返ってしまっているのね。なのに、一箇所だけ流れが途切れている。濁流の最中、穴が空いているみたい」
――彼女は黒い少女と共に夜を視た。
屋敷が燃え落ちている。焔が二人を包んでいる。雨をも焦がさんばかりの熱は感じられない。頬には、先程と変わらない潮風。彼女らは夜を視ているが、その身は陽に照らされている。雨は彼女らを濡らさない。
悲鳴と怒号。ヒトでは無いモノの気配が溢れた夜。火柱に真っ黒な影が蠢く。影の主は何処にも視えない。影だけが楽し気に踊る。甲高い鳴き声が降り注ぐ。一筋の光が、金色の流れ星のように夜空を駆けた。崩れる崖には、朧気な月に向けて空を歩く襤褸を纏うヒトならざる大小の人影。
焦点の合わない姿があった。白い翼と、白髪。その場所だけが濃い煙にまかれているように霞んで、濁っている。
黒い少女のただでさえ生白い顔から血の気が失せていた。
「姉様、あれは」
白い翼の妖、そして白髪の少年。一対の白が焔の向こうへ消えてゆく。焔に塗れながらも、まるで焔が彼らを避けているみたいにして、彼らは燃えない。
「――裁、か。となると、裁が従えているアレが白無垢?」
姉様と呼ばれた金髪の少女が冷静に呟く。
黒い少女は答えない。手は口元。戦慄きすらも控えめに、上品に。それだけで精一杯だった。
対して、『姉様』はつとめて冷静だった。
「國久は揃いも揃って莫迦ばっかりね」
繰り広げられるかの夜の光景へ忌々し気に吐き棄てる。
社からは新たな妖たちが次から次へと飛び出していた。赤茶けた殻を背負った異形。ヒトの背丈を超える巨躯の長細い蟲。月の隣に浮かんだ海月。――白い影が景色を遮る。ひっ、と黒い少女は息を呑む。瞼の裏の夜が掻き消えた。
「これ以上は視せてくれないか。用心深いのは結構だけれど、蚊帳の外なのが気に食わないわ。どうせ私の事なんてこれっぽっちも考えちゃいないんでしょうけど」
片や、彼女は変わらずの呆れた調子だった。身を起こすと膝を払う。煙草を捨てて踏みにじった。
「此処は嫌い。なのに不思議、こう燃え滓になってしまったら途端に寂しく思えるなんて」
「私は、此処をどうしても」
震え声だった。
「それで良いのよ、貴女は」
そう告げた金髪の少女は、か弱く揺れる細い肩を掴んでその顔を見上げる。
「私には今の貴女とお姉さまが一致しません。貴女はお姉さまなのですか。それとも」
黒い少女はそう言いながら肩の手を取る。一転して挑戦的な目つき、この暑さにも関わらず冷え切った手だった。
「あら、心外ね。私のアウトローは今に始まったことじゃないわ。根っからそうなんだって、それは貴女もよく知っている筈でしょう。
例え偽モノだったとして、だからどうしたって云うの。貴女っていちいち相手の真贋を確かめなきゃ気が済まないの?」
黒い少女は、やはり無言。先の目つきは死人のような瞳に落ち着いた。重々しい視線なのである。
「良くて? 此処に居る私が私じゃないのなら、こんな物吸ったりしてないわよ。貴女こそどうなの。貴女は本当に貴女なのかしら」
「いえ……そうですね、そうでなくてはなりませんから。きっとそうでしょう」
「思うのよ、私。どうせ代役なんだって。だから偽モノ。
瑕はつけない。この身体は私のものだから。私は私のものよ。瑕はつけさせない」
橙の瞳は、けれど本物の光を宿している。
「澪」
名を告げる。
「貴女は貴女の勤めを果たしなさい」
差し出した手には守り刀。
「はい。楓お姉さま」
蜃気楼のような、真昼のこと。
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