第二章 文学少女の悩みゴト

第二章 文学少女の悩みゴト 1


 そうして、僕たちはこうやって『文学少女』を追っている。文学少女の瀬尾せお先輩をだ。〝青春ミッションボード〟に書かれていた、『理想の出会い』は果たした。残りは『彼女の物語を完結させろ』。この意味は未だに不明だが、瀬尾先輩と接触すればわかるかもしれない。だからこうして、ストーカーまがいのことをしている。


 彼女は渡り廊下を進み、旧校舎に入っていく。こっちの校舎は特別教室ばかりのはずだ。何の用があるんだろうか。


 階段を上がり、廊下を進み、瀬尾先輩はひとつの部屋に吸い込まれていった。扉が静かに締まる。


 扉の前に立って、僕たちは教室の名札を確認した。名札にはこう書かれている。


『文芸部』


「……瀬尾先輩、文芸部だったんだ」


 ぴったりというか、なんというか。なるほど、とさえ思う。ただ、うちに文芸部があったなんて僕は今知った。


 灯里あかりちゃんは名札を見上げながら、「わたし、いまいち知らないんだけど、文芸部ってどんな活動をするの?」と首を傾げる。


「小説を読んだり、書いたりって感じじゃないかな。文化祭では部員が書いた小説や詩を文集にして販売する……、とかだと思うよ。うちの中学にも文芸部あったんだけど、覚えてない?」


「それは覚えてるわ。友達が入ってたし。ん? ちょっと待って、きぃくん。今、文芸部は小説を書くって言った?」


 灯里ちゃんの言葉にはっとなる。そう、文芸部は小説を書く人もいる。瀬尾先輩が文芸部なら、彼女も小説を書いている可能性はある。


 小説を書いている。物語を、書いている。


「「『彼女の物語を完結させろ』!」」


 互いに指差し、弾んだ声を上げてしまう。灯里ちゃんは表情をぱぁっと明るくして、これだわ、と頷いた。


「文学少女である瀬尾先輩の小説を完成させれば、このミッションがクリアになるってことね。なるほどね。そういうことなら早速、瀬尾先輩に接触しなくちゃいけないけど――」


 そう言うや否や、灯里ちゃんは文芸部室のドアをノックした。ぎょっとする。急に何を。戸惑う僕をよそに、灯里ちゃんは平然と言う。


「いや、どうにかして瀬尾先輩とお近付きにならないといけないでしょ? じゃあ部活見学ってことで、中に入れてもらおうかなって」


「部活見学って、もう七月なんだけど……。まぁ、でも。そうか。そうした方がいいかもね」


 突然の行動に面食らったけれど、灯里ちゃんの言う通りだった。僕らは瀬尾先輩の物語を完結させなくてはいけない。どうすればいいのかはまだわからないが、接触すれば答えが出るかもしれない。


 よし、と気合を入れて、文芸部室の前で待つ。しかし、待てども暮らせども返事がない。ノックが聞こえなかったんだろうか。灯里ちゃんは不思議そうにしつつも、もう一度、扉を叩いた。


 すると、「……はい」と小さな声が聞こえた。よかった。返事をしてくれた。


 灯里ちゃんは「失礼します」と声を掛けてから扉を開ける。僕も挨拶を重ねながら、部室に入った。


 文芸部室は思ったよりも広い。教室の半分はありそうだ。部屋の中心には大きな机が置いてあり、周りには椅子が並んでいる。壁際にはしっかりした本棚が設置され、ぎっしり本が詰まっていた。本棚の上には段ボールが所狭しと乗っている。いくつかは床にも置いてあった。


 しかし、あまり雑多な印象は抱かない。物は多いが、片付いているからだ。窓が開いていて、カーテンが風で揺れていた。気持ちのいい風が入ってくる。いい部室だ、と僕は思う。


 瀬尾先輩は机の奥に座っていた。目の前にノートパソコンが置いてあり、彼女はキーボードに手を乗せている。瀬尾先輩は僕たちを見ているが、長い前髪と眼鏡のせいでいまいち目が見えづらい。ほかに部員の姿はなかった。瀬尾先輩しかいないのなら都合がいい。


「あ……」


「あ、どうも……」


 瀬尾先輩が僕に気付いて、驚いた声を上げた。ぺこりと会釈をする。彼女は困ったように目を逸らし、「そ、ソウケンの方たちですか……」とおどおどしながら言った。


「ソウケン……? いえ、あの先輩。わたしたちは、ちょっと文芸部に興味があってですね、見学させてもらいたいなー、と思って来たんですが……」


 灯里ちゃんがそう理由を述べたときだった。突然、瀬尾先輩は椅子を倒しながら立ち上がり、「ほ、本当ですか!」と大きな声を上げた。声量の差が激しい。僕たちが呆気に取られていると、彼女はわたわたしながら棚から紙を取り出し、それを僕たちに差し出してくる。


「あ、あのあのあのあの、わ、我が文芸部は小説が好きな人や書く人が集まってですね、あの、ぶ、文集とか! 出したり、あとは、ええと、そうですね、な、なんだっけ……、あの、と、とにかく! 楽しい部活なんです、よろしくどうぞ!」


 あまりにたどたどしく、そして声量の抑揚がありすぎる瀬尾先輩の声。これが部活の紹介だと理解するのに数秒を要した。そして、手渡された紙は入部届である。先輩に対してこう思うのもなんだけど、勧誘が得意ではなさそうだ。人によっては今ので回り右をしてしまうかもしれない。


 僕が反応に困っていると、灯里ちゃんが何やら目をキラキラさせていた。嬉しそうに瀬尾先輩の手を握る。「先輩、ゆっくりでいいのでもっと詳しく教えてください」と目を見つめながら言う。文芸部に興味が出たわけではない……。気に入ったのだ、瀬尾先輩を。


 灯里ちゃんはかわいいものが好きだ。かわいい人が大好きだ。瀬尾先輩は灯里ちゃんの好みなんだろう。実際、瀬尾先輩は綺麗な人だ。普通にしていると見えづらいだけで。


「あ、は、はい。あの、ではこちらへ座ってください。……? あ、あの。手を離してください……」


「おっと。これは失礼しました」



 ぱっと手を離して、にっこり微笑む灯里ちゃん。百点満点の笑顔に不意打ちでどきりとさせられる。楽しそうなのは結構だけど、目的を忘れてやしないだろうか。


 瀬尾先輩はパソコンの近くに座り、僕と灯里ちゃんはその対面に座った。そこで自己紹介をしてもらったのだが、瀬尾先輩は部長とのことだ。少し意外だった。


 僕たちも名乗ると、瀬尾先輩は部活の説明をしてくれる。


「ええとですね……、基本的に、普段の活動で何かをするっていうことはあまりありません……。雑談する人もいれば、小説を書く人も読む人もいて、そこは自由です。ただ、年に一度だけ部で文集を作って、文化祭で販売します。部員にはそこに何かしら書いて頂かないといけません」


 落ち着いて話してもらうと、瀬尾先輩の声はしっとりしていて耳に心地よい。頭にすっと入ってくる。


「書かないといけないっていうのは、小説ってことでしょうか。わたし、小説って書いたことないんですが……」


 灯里ちゃんがまっすぐに瀬尾先輩を見つめながら、疑問点を挙げている。「あ、大丈夫ですよ」と先輩が困ったように笑うと、灯里ちゃんもつられて笑顔を返していた。嬉しそうだ。


「小説を書く人が多いですが、書評、本の感想、エッセイ、イラスト……、何でも構いません。もちろん、小説を書いてもらってもいいです。あ、ちょっと待ってください」


 瀬尾先輩は立ち上がると、本棚から数冊本を抜き取った。それを机の上に並べていく。


「この分厚くてしっかりしている本が文化祭で販売する部誌です。参考にして頂ければ……。こちらのモノクロ表紙の方は、書きたい部員が集まって月一回出していた本で……、これも一応部誌ですね。部内で配るくらいですが……」


 部誌は二種類存在しているようだ。文化祭で販売する部誌はずっしり分厚く、綺麗なイラストがカラーで表紙に描かれている。月一の部誌は、販売用に比べると荒いけれど、ちゃんと本の形になっている。数も多い。


 僕はその中の一冊を手に取った。ぺらりと開いてみると、そこにはぎっしり文字が書かれている。普段読む小説と同じようにだ。


「瀬尾先輩も小説を書くんですか?」


「? はい」


 当たり前のことを訊かれたかのように、瀬尾先輩は不思議そうに頷いた。


「いや、すごいなぁ、と思いまして……。こんなふうに話を作れる人って。僕も小説を書いたことないですし、普通の高校生なら書けないと思います。僕と歳が変わらない人たちが、物語を書いて、本まで作ってるなんて、なんだか不思議な気持ちになります。すごいです」


 ぱらぱらと部誌を眺めながら、尊敬の念を伝える。瀬尾先輩は見る見るうちに顔が赤くなった。顔を隠すように手を前に突き出し、ぱたぱたと左右に振りながら、「い、いや、そんな……、わたしなんて、そんな、そんな……」と困っている。


 かわいい人だなぁ、と思う。思ってしまう。


 容姿は背の高いお姉さんなのに、どこか小動物っぽいというか、動きが愛らしいというか。こんな人を前に毎日部活をしていたら、すぐに恋に落とされるんじゃないだろうか……。部の男子はどう思っているんだろう……、と考えて、はた、と気付いた。部誌のもくじには作者の名前が並んでいる。決して少なくない人数が記載されている。


 ここにいるのは、瀬尾先輩だけにも関わらず。


「あの、先輩。今日はほかの部員の方はいらっしゃらないんですか」


 僕の問いに、瀬尾先輩がびくっとする。ただでさえ猫背なのに、さらに身体を丸めた。気まずそうに彼女は口を開く。


「……すみません。今はもう、文芸部にはわたししか残っていなくて……」


「え、え? 先輩だけなの? 部員ひとりだけ?」


 灯里ちゃんの戸惑いの声に、瀬尾先輩はこくんと頷いた。……なんてことだろう。それなら瀬尾先輩が部長なのも納得できる。ほかにやる人がいないのだから。まさか、部員がたったひとりの部活が存在するなんて……。この広い部屋がさらに広く感じてしまう。


「文芸部はあまり人気がなくて……、去年の時点で、二年生はゼロで新入部員もわたしひとりという状況でした……。三年生はたくさんいたんですけど……。だから、今年は勧誘を頑張ったんですが、結果は惨敗で……」


 瀬尾先輩はますます身体を小さくしてしまう。だからさっき、僕たちに必死で部活勧誘をしたわけだ。前のめりの部活説明にも納得がいく。そして、あれでは人は集まらないだろうということも。


 何が何でも部員を入れようとして、結果的に人を遠ざけてしまう。気合が空回ってしまう。たったひとりの先輩があのテンションなら、新入生はきっと困る。


 肩を落とす瀬尾先輩を見ていられず、僕は部誌に目を落とした。


 彼女の言うように、三年生は多かったようだ。多くの人の名前が並んでいる。そのほとんどがペンネームだ。全くの素人の僕からすると、こんなふうにペンネームを考えるだけでもすごいことに感じてしまう。


「ん?」


 ペンネームがずらりと並ぶ中、ひとつ、気になる名前を見つけた。『成実なるみ一木いちもく』。そう書かれている。瀬尾先輩の話を聞かなくちゃいけないのに、僕は誘われるかのようにその人の小説を読み始めてしまった。


 舞台は中学校だった。主人公はその中学に通う女の子で、彼女は校舎を歩いている。その様が描写されている。妙に日差しがきつい渡り廊下、廊下の窓から見えるグラウンドの光景、色褪せた交通安全のポスター。こと細やかに描写されていて、頭に光景が浮かんでくる。


 いや、思い出してくる、と言った方が正しいかもしれない。記憶が呼び起こされる。そして、記憶と小説の描写がぴったり合致し、妙な興奮を僕に与えた。


 この小説に出てくる学校は、僕が通っていた中学校だ。それだけじゃない。主人公の通学路も心当たりがある。途中まで、僕の通学路と同じだ。すぐさま風景が思い浮かぶ。


 実際の風景を小説に取り入れる、この書き方。そして、このペンネーム。記憶の奥から懐かしい気持ちが溢れていく。


「……僕、この人の小説、読んだことがある」


 思わず呟くと、灯里ちゃんと瀬尾先輩が驚きの声を上げた。「え、知り合いがいたの?」と灯里ちゃんが覗き込んでくるので、部誌ごと彼女に渡した。


「その小説、ちょっと読んでみてくれない? 小説の舞台が僕らの通っていた中学校。帰り道も途中までいっしょみたいだし、家も多分近いんだと思う」


「えぇ? 文章読んだだけで、そんなのわかる……?」


 灯里ちゃんは半信半疑ながらも、その小説を読み進めた。読みさえすればわかってくれると思う。


「あ、あの、青葉あおば、くん。その人の小説を、どこで読んだんですか?」


 恐る恐るといった感じながらも、瀬尾先輩は興味深そうに尋ねてくる。僕は記憶を引っ張り出しながら、思い出せるところから話していった。



「ええと、僕の中学校で読んだんです。文芸部の文集ですね。この『成実一木』さんと同じ学校だったんです。文集の中で、一番面白かったのがこの人の小説で……。小説の中に、僕たちが通っている学校や近くの街が出てくるんですよ。しかも、すごくわかりやすく、詳しい描写で。なんだかそれが不思議な感覚で、妙に面白かったんですよね」


 普段読む小説や漫画の中に、僕たちの周りの風景は出てこない。それが当たり前だ。けれど、この『成実一木』さんは小説に僕たちの世界を落とし込んでいる。小説の中に僕たちが住んでいる世界がある。そう描く。


 言ってしまえば、物凄いローカルネタなんだろうけれど、そのローカルネタが丸ごとハマってしまうのだ。面白くないわけがない。


「……本当だ。うちの中学ね、これ。うわ、懐かしい……、そうそう、音楽室の扉の建付けが悪いのよねー」


 灯里ちゃんが部誌を読みながら、はしゃいだ声を出す。そう、妙に楽しい気分にさせてくれるのだ。それに話だって面白かった。主人公の心理描写が巧みで、惹きつけられるのだ。


「でも意外ね。きぃくんが文芸部の文集を読み込んでいたなんて」


「文芸部に友達がいて、ことあるごとに文集をくれたんだ。全部読んでいたけど、やっぱりこの『成実一木』さんが書く小説が一番面白かった。文集もらえるのが楽しみだったよ。僕が三年に上がったらもう卒業しちゃって、読めなくなったのが残念だったなぁ」


 友達から文集をもらって、もくじを見て名前がなかったときに強いショックを受けたのをよく覚えている。卒業したらそれっきり。そんな当たり前のことをすっかり失念していたわけだ。


「あ、あう……。そ、そ、そんなに面白かった、んですか……? そ、そんなに」


 瀬尾先輩が落ち着かない様子で、僕に尋ねる。きょろきょろしているせいで、僕と目線が合っていない。顔も赤い。口元を押さえ、何かを耐えるような仕草をしていた。


 ……どうしたんだろうか。何か問題がある人だったんだろうか、『成実一木』さんは。とはいえ、ここで変に気を遣うのもおかしな話だ。素直に己の気持ちを述べる。


「面白かったですよ、すごく。図書室に部誌の感想を入れられる箱が用意してあったんですけど、僕いつも感想文を出してましたからねぇ。ファンレターっていうか。今思うと、ちょっと恥ずかしいですけど」


 つい照れ笑いしてしまう。あれはあれで青春っぽくはあったけど。まぁでも、やっぱりわざわざ感想文まで書いていたっていうのは、ちょっと若さの暴走みたいなところがある。


 僕の照れくさい話はしかし、瀬尾先輩に妙な反応を与えていた。さっきまでおどおどしていた瀬尾先輩が、びくっとして硬直する。固まってしまう。髪の間から、見開いた目が僕を見つめていた。口がぽかんと開いている。顔はますます赤く染まっていき、何かを言いかけて、ぐっと手で押さえた。


「そ、そうなんですか、あ、あなたが……、あ、あぁいえ、な、何でもないです……。そ、そうですか……。あ! す、素敵な先輩、でしたよ。卒業しちゃって、残念ですけど……」


 彼女は何度も眼鏡の位置を直しながら、ぼそぼそと言葉を並べた。褒めているように聞こえるが、どこか口調はよそよそしい。……何かあったんだろうか。瀬尾先輩と『成実一木』さんの間には、何か確執があるのかもしれない。


 しかし、この話は唐突に終わりを告げる。訪問者が現れたからだ。


 コンコン、と扉がノックされる。


 瀬尾先輩の身体がびくっと跳ねる。椅子の上で縮こまり、暗い表情で俯いている。なんだろう。なぜノックにこんなにも怯えるのか。灯里ちゃんがノックをしたときも様子がおかしかった。


「あの、未咲みさき先輩……?」


 心配そうに灯里ちゃんが声を掛ける。が、瀬尾先輩が返事をするより早く、乱暴に扉が開いた。

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