第一章 とれたて花火と夏祭り 4


 取り残された僕たちはその場に立ち尽くしていたが、灯里ちゃんの「帰ろっか」という言葉で帰宅の準備を始めた。花火の片付けをして、僕たちは神社をあとにする。


 しかし、そのとき。


「ひゃっ――あ、あれ、ちょっと、あれ、あ、これ、そういうこと!?」


 灯里ちゃんの口から頓狂な声が出てくる。

 見ると、彼女はなぜか右足だけ裸足になっていた。足が地面についている。あれでは、足の裏が土だらけになるだろう。彼女の履いていた草履はそばでひっくり返っている。

 何をしているんだろう、この人は。


「いや、違うのよ、きぃくん……。わたし、草履が履けなくなっちゃったみたい……」


「は……?」


 おかしなことを言い出す。

 しかし、灯里ちゃんが「ほら」と言いながら、草履に足を引っ掻けようとするのを見て、意味がわかった。足がすり抜けている。右足が草履を透過している。


 ……なるほど。彼女は物に干渉できない。草履に干渉することはできない。身に着けているものでも、一度自分の手から離れてしまえば、もう触れることができないわけだ。


「悪いんだけど、きぃくん。わたしに草履を履かせてくれないかしら」


 申し訳なさそうにそう言われる。灯里ちゃん自身が物に干渉することは不可能だが、僕の手から彼女に身に着けさせることはできる。僕は急いで、彼女のそばにあった草履を拾った。そのまま屈みこむ。灯里ちゃんの素足に目を向ける。


 白くて指の長い足が、土を踏みしめている様は妙なフェチズムを感じさせた。片足というのが余計。灯里ちゃんは履かせやすいように右足を上げてくれる。同時に彼女の手が僕の肩を掴んだ。


 草履を履かせようとして、その異変に気が付く。彼女の綺麗な足は土を踏んでいたせいで、足の裏が汚れてしまっている。このまま草履を履かせるのはダメだろう。


「灯里ちゃん。足が汚れているから洗った方がいい。ハンカチ濡らしてくるから、ちょっと座って待ってて」


「え? そんな、いいのに」


「よくないってば」


 強引に僕は立ち上がる。彼女は「ま、まぁ、きぃくんがそう言うなら?」と照れくさそうにしながら、大人しく従ってくれた。


 水道があるのでそこでハンカチを濡らす。早足で戻ると、彼女は階段に腰掛けていた。僕は数段下に座り込む。灯里ちゃんの足が見える位置だ。彼女は気まずそうに目を逸らすと、「お、お願いします」と緊張した声を漏らした。


 ……そんな声を出されると、僕も緊張してしまう。


 いや、今更気が付いたけど、この状況なんだかすごいかもしれない。わけがわからない。浴衣の女の子の足元に座って、汚れた足を拭くなんて。多分、人生でこれっきりの経験ではないだろうか。


 彼女の足に手を伸ばす。足を掴む。その瞬間、電流が走るようだった。形のいい足は想像以上になめらかで、みずみずしい肌の感触が強く残る。妙に触り心地が良い。肌の白さが眩しく、足の裏まで綺麗である。土で汚れていてもだ。


 普段、女子の足の裏なんて見る機会がないから、まじまじ見てしまう。土踏まずのアーチがしっかりしている。ううむ。


「き、きぃくん……、人の足裏を見過ぎじゃない……?」


 顔を赤くした灯里ちゃんに注意され、「ご、ごめん」と謝る。確かに見過ぎたかもしれない。そこまで注目されるのは嫌だろう。……嫌なのか?


「女の子って、足を見られるのは嫌だったりするの?」


「ううん……、そんなことない、けど。でも、じっと見られるのは恥ずかしくなる」


 むすっと言われてしまう。そんなものだろうか。まぁ嫌だというのなら、凝視するのはやめておこう……。やることをやろう。


 僕はハンカチを彼女の足に当てる。「ん……」と灯里ちゃんがくすぐったそうにした。身じろぎをする。ハンカチをすりすりと当てつけ、足の汚れを拭っていく。その度に灯里ちゃんは落ち着きなく身体を揺らした。


「こ、これくすぐったいんだけど……」


「ごめんごめん。もう少しで終わるから」


 少し土を踏んだだけなので、汚れはそれほどでもない。ハンカチで拭うとすぐに落ちる。


 しかし、指の間まで土が入ってしまっていた。指と指を開き、その間にハンカチを這わせる。くりくりと拭った。するとその瞬間、灯里ちゃんが声を荒げた。


「ちょ、ちょっときぃくん、指の間はいいでしょう!?」


 灯里ちゃんは顔を真っ赤にしながら暴れた。僕の手から足を抜き取ろうとする。


「え、指の間はダメなの……? 表面はいいのに? その理屈がよくわかんないし、せっかく綺麗にするならちゃんとした方がよくない……?」


「む、むぅ……」


 僕の疑問に、灯里ちゃんは適切な答えを持っていなかったらしい。顔を赤くしたまま、足を再びこちらに向ける。足の裏が出てくる。「ごめんなさい、お願いします……」と恥ずかしそうに言われてしまった。そんな言い方をされると、僕まで恥ずかしくなるんだけど……。


 しかし、中途半端では気持ち悪いので、僕はしっかりと指の間も拭った。どうやら強烈にくすぐったかったようで、彼女は何度か声を漏らしていたが、何とか無事に拭い終わることができた。綺麗になった足に、そっと草履を履かせる。


「あ、ありがとございます……」


「ど、どういたしまして……」


 彼女の頬は赤いままで冷めることはなかった。つられて僕も顔を赤くしながら、無言で帰路についた。なぜか気まずかった。


 そうして、僕らのお祭りは妙な形で終わっていった。




「ただいまー」


「おかえり。どこ行ってたの」


 玄関を開けると、お風呂場に向かう沙知と出くわした。僕のひとつ下の妹。いつも髪を後ろで括っていて、顔は僕とそっくりだ。

 ダボっとした大きなサイズのTシャツを着て、下はショートパンツというルームウェア。手には着替えのパジャマを持っている。


「ええと……、コンビニ行ってきた。で、そこでちょっと友達と会ったから立ち話しちゃって」


 適当な理由をでっちあげる。

 沙知にも「祭りには行かない」と言っていたし、説明も難しいのでコンビニということにしておいた。元々母さんにはそう言って出掛けている。


「ふぅん」


 沙知は興味なさそうに、そのままお風呂場に向かおうとする。「ちょっと待って」と呼び止め、ポケットのキーホルダーを手渡した。さっき輪投げでもらったやつ。


「はいこれ。あげる。景品でもらった」


「へぇ……? なにこれ」


「何かはわからないけど」


 本当に見たこともないキャラクターだから、何とも言いようがない。沙知はつまらなそうにそれをじろじろ眺めていたが、黙って受け取った。


「それをお兄ちゃんだと思って大事にして」


「排水溝に流せばいいの?」


「兄に対しての当たりが強すぎる」


 流れてほしいのか、僕は。沙知はそのまま風呂場に行ったので、僕も自室に戻ることにした。


 自分の部屋で、椅子に座ってふぅと大きく息を吐く。何だかどっと疲れてしまった。それもそのはずで、短時間であまりにも色んなことが起こりすぎたのだ。疎遠だった灯里ちゃんと仲良く遊んだり、青春ミッションに挑んだり、呪われていると言われたり。


 しかも、過去に僕たちは青春ミッションをクリアしたという。忘れているだけで。そんなことを一気に言われても、そりゃ頭はパンクするってものだ。


 結局、短冊をつるすこともできなかった。ポケットに入れていた短冊を取り出す。そこには僕が書いた願い事が書かれている。それをしばらく眺めたあと、そっと机の引き出しに仕舞った。そうしてから、そっと呟く。


「青春の呪い……、って言われてもな」


「はいどうも、呪いの精霊です」


 突然の侵入者に息が止まるかと思った。がらりと窓が開いたかと思うと、そこから白いセーラー服の少女が飛び込んできたのだ。小春だ。あまりにも脈絡のない登場に、椅子からひっくり返りそうになった。


「え……? ちょ、え、な、なに……?」


 頭がパニックになって心臓の音がうるさい。相手は呪いの精霊なのだから、常識なんて通用しないのかもしれないが、それにしたって限度がある。驚きを通り越して恐怖を感じた。


 彼女は平然と部屋に入ってきて、窓の下のベッドに着地する。靴は最初から履いていなかった。混乱しつつも、「家族に見られたらまずい」とどこか冷静になっている自分がいて、いつもは開けている部屋の扉をすぐに閉めた。


「な、なに。何か用なの……?」


 狼狽えつつも彼女に尋ねた。小春は呪いの精霊を名乗っている。突然、部屋にずかずかと入ってくれば警戒するのは当然だ。


 しかし、僕の警戒を全く気にすることなく、小春はマイペースに話を進めた。


「話があります。〝青春の呪い〟についてです。喜一郎さんにお伝えしなくてはいけないことがありまして」


 彼女は無機質な声で淡々と言う。


「僕に……? それは、僕だけにってこと? 灯里ちゃんがいるとまずい話?」



「そういう話です。実は、先ほど説明した〝青春の呪い〟についてですが、いくらか嘘が混じっていまして。わたしは本当の話をするために、ここに来たんです」


「………………」


 僕は椅子に座り直す。これは真面目に聞かなくてはならない話だ。何より、灯里ちゃんがいないときに来た、というのが引っ掛かる。


 僕が話を聞く姿勢を整えると、小春は僕を見据えて話し始めた。


「それでは、説明していきます。少し長くなりますが」


 小春はそう言いながら、ベッドの上にぺたんと座った。


「まず、灯里さんが呪われた理由についてです。わたしは『運が悪かったから』と話しましたが、そんなことはありません。原因は灯里さんにあります。灯里さんに対する負の感情が集まり過ぎて、それが呪いとなって具現化してしまったんです。灯里さんにフラれた人があまりにも多いのが原因です。彼女への愛憎が強く、そして多すぎました」


 ……なんだそれは。面食らう。嘘だろ、と口を挟みたくなる。だって、あまりにも理不尽な話だ。灯里ちゃんが交際を断わり続けた結果、それが呪いになっただなんて。そんなのバカげているだろう。灯里ちゃんは何も悪くないじゃないか。


 それに、いくらフラれたからって、そこまでの負の感情を持つだなんて、どうかしている。


「…………………………」


 そこまで考えて、いや、と思い直した。その激情は止めようがない。好きな人がいて、その人に勇気を振り絞って告白をして、それがダメだったとき。そのダメージはどれほどなのか。そこには凄まじい感情が凝縮されている。灯里ちゃんはひとりで何十人もの激情を集め続けたのだ。


 呪いに変わってしまった、と言われれば、どこか納得してしまう。


 何とか小春の話を飲み込んでから、僕は口を開く。


「……わかった。呪いの本当に原因はわかったよ。でもさ、それを灯里ちゃんに隠しているのはなんでなの? なんで、僕だけに教える?」


 これは当然の疑問だ。この事実は灯里ちゃんにとってはショックだろうが、それを小春が丁寧に隠していることに違和感を覚えた。気遣うタイプとは思えない。さらっと言ってしまいそうだけど。


 僕の疑問に、小春は呆れたように手を広げた。だぼだぼの裾を揺らしている。


「どうしても何も、これは喜一郎さんの指示だからですよ。あなたがそうするように言ったんです」



 ……なんだって?

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