第二章 駆け抜けろ青春、まるで転がり落ちるように 4


 先生たちがもどってくる前に学校からさっさと退散し、家が近所なのでやまぶきさんとはいっしょに帰った。いっしょに下校なんて何年ぶりだろう。けれど、彼女はどこか上の空で、いつの間にかはるもいなくなっていたので、楽しい帰り道とはかけはなれていたのだが。


「ただいまー」


 げんかんとびらを開けながら声を上げると、「おかえりー、おそかったわねー」という母の声が遠くから聞こえてきた。それにあいまいに答える。外はすっかり暗くなっていた。ぼくは帰宅部なので、いつもならとっくに帰宅している時間帯だ。


 自分の部屋へ向かうために、リビングの横をとおける。中をのぞくと、ソファに妹があおけでころがっていた。あおぼくのひとつ下の中学三年生。顔はぼくとそっくりだ。


 あまり長くないかみを後ろでくくっていて、小さなポニーテールを作っているのがいつものかみがた。今は制服もえずに、けいたいをいじっている。


ー。ただいまー」


「………………」


 とびらの先から声をけても、反応がない。変わらずけいたいをいじっている。このきよだから、聞こえていないわけはないのだけれど。


 ぼくはリビングに入っていくと、彼女の耳元で大きく「たーだーいーまー」を突きつける。いやそうに顔をしかめると、頭の下にいていたクッションで「うっさい!」とぼくたたいてきた。


「ただいまって言っているのに、何も返さないからでしょう。はい、ただいま」


「おかえり。本当おにぃ、最近うつとうしいよね」


つうの高校生ならこんなもんでしょ」


 クッションを元の位置にもどしながら、ぎろりとぼくにらんでくるなまざかりらしく、最近こんなやり取りばかりしている。


「家にいるんだからえた方がいいんじゃない。制服シワになるよ。シワになって困るのはだからね」


「もー、うるさいな! わたしの勝手でしょ!」


 は声をあらげながらぼくたたくと、背を向けてしまった。ぜんぜん言うことを聞かない。仕方がないので部屋に向かおうとしたが、ふと思い立ってたずねてみる。


「ねえ、やまぶきさん……、いや、あかちゃんって覚えてる?」


 当時の呼び方を引っ張り出してきて、に問いかける。昔はよくウチにも遊びに来ていた。とも顔を合わせていたけど、どうだろう。


「………………」


 思った通り、しぶい表情をかべていた。覚えてなかったか、と思ったが、どうやらそうではないらしい。ぼくの顔を見ないまま、なく言う。


「あれでしょ。おにぃのおさなじみでしょ。よくおにぃがいっしょに遊んでいた」


 覚えていたようだ。よくよく考えてみると、そこまでが小さいころの話でもなかったし、覚えているのは当然かもしれない。


「あらー、なつかしい名前が出たわね。あかちゃんって」


 キッチンから出てきた母さんが、手をエプロンできながらやってくる。


「昔はいちろうとよく遊んでいたものねえ。ほら、あの頃はがお兄ちゃんにべったりだったから、家にあかちゃんが来るとひとりだけげん悪くなってねえ」


「お母さん! そんな昔の話しないで!」


 がーっとおこると、母さんはおかしそうに笑っていた。


 あぁそうだったっけ。何だか今とちがいすぎて、時間というものを強く感じさせられてしまう。今日は久しぶりにやまぶきさんと話すことができたけれど、きっと昔のような関係にもどることはないのだろう。


「……なに、おにぃ」


 顔を赤くしおこっていたが、まゆひそめてぼくにらんでくる。


「いや、も昔は素直で可愛かわいかったのになぁって」


 そう言い終わる前に、ぼくの顔にクッションが飛んできた。





「やめてよ、それあかりの! かえしてってば!」


 小学生になったばかりのやまぶきさんは、イジメとまでは言わないものの、クラスの男子からいやがらせを受けることがあった。これはその中のひとつ。

 何人かでやまぶきさんの私物をうばい、やまぶきさんにつかまらないようにしながら私物を仲間内でわたしていく。やまぶきさんは必死に追う。


 しかし、物を投げるほうが断然早い。だから、やまぶきさんはずっと追いかける羽目になる。意地の悪いいやがらせだ。


「ほら、こっちだよ!」


「へーい、パスパス!」


 彼らとて、本気でやまぶきさんにいやがらせをしたかったわけではないだろう。


 ただ、やまぶきさんに構ってもらいたかったのだ。好きな女の子に意地悪する。バカな男子のやりがちなことだ。こんなことをすれば、きらわれてしまうのはちがいないのに。


「こらーっ! あかりちゃんをいじめるな!」


 そこに現れるのがぼく。今では考えられないほどの積極性で、彼らを止めに入った。相手がガキ大将だろうと関係なかった。太った大きな身体におそれをいだきながらも、ぼくは必死でやまぶきさんをかばった。


「なんだよおまえ、あかりのことすきなのかよ」


「こいつら、できてるんじゃねーの」


 返ってくるのはそんな冷やかし。しかし、その程度だ。ガキ大将も周りの男子もぼくなぐおうとまでは思わない。「もういいじゃん、いこうぜ」と立ち去っていく。その程度の悪意。じやな悪意。この程度なら、ちょっとの勇気でかえせる。


 もしこれが、いん湿しつな悪意にまみれたものなら、きっとぼくの手に余っただろう。けれど、そうではない。しよせん、小学生の、しかも低学年がすることだ。


 あきひとも「いじめられっ子だったおれを助けてくれた」とおおに言うが、ぼくがやったことはそんな大それたことじゃない。


 クラスのみんながサッカーやドッジボールで遊ぶとき、あきひとは身体が小さかったから仲間に入れてもらえなかった。それにぼくが声を上げただけだ。「あきひとも仲間に入れようよ」と。せいぜいその程度のことしかしていないのだ。


 そんな少しの勇気だけで、ヒーローになれた。


 いじめられて泣いてしまったやまぶきさんの手を引いて、ぼくは彼女といっしょに帰った。


「きぃくん、あかりもうやだよ。いつもいじわるされてばっかり。きっとあしたもいじわるされちゃうよ」


 そう言って泣く。その度にぼくは「だいじょうぶだよ」とか「またぼくがたすけにいくよ!」なんて胸を張って言った。


「……きぃくんは、なんでいつもあかりのことをたすけてくれるの?」


「それはね、ぼくがあかりちゃんのことがだいすきだから!」


「……えへ。あかりも、きぃくんのことだいすき!」


 めそめそ泣いていた彼女が、ようやく笑顔になった。花が小さくくように。きっとそのときのぼくは、彼女にずっとこうやって笑っていてほしいと思ったんだろう。


 だから、こんなことを言った。


「ねぇ、あかりちゃん。ぼく、やくそくするよ」


「なにを?」


「あのね──」





「おにぃ。朝。起きてってば」


「……ん」


 身体をゆさゆさとすられたせいで、微睡まどろんでいた頭がじよじよに目を覚ます。妹の気だるげな声とともに、外から鳥の鳴き声が聞こえてきていた。朝か。窓から差し込む光がまぶしくて、つい目を細めてしまう。


 むくりと起き上がると、パジャマ姿のがさっさと背中を向けた。未だぼうっとしている頭で、「おはよう。ありがと」とだけ告げる。彼女はそのまま部屋を出ていった。さすがに朝からあいさつがどうの、と言う気にはなれない。


「……また、なつかしい夢を見たなぁ」


 ずいぶん昔の夢だ。本当に小さかったころの、やまぶきさんと仲のいいおさなじみをやっていたときの夢。


 昨日の出来事が原因だろう。目覚めが良くないのも、昨夜、つきが悪かったせいだ。あんなことがあって平気でられるほど、ぼくの神経は太くなかった。


 部屋を出て階段を下り、洗面所に入って顔を洗う。ねむを覚ますためにもザバザバと。歯ブラシに手をばしながら、頭にかぶのは見たばかりの夢のことだ。


 夢の中では、ぼくはヒーローだった。


 いじめっ子から彼女を助け、泣き顔を笑顔に変えられるヒーロー。ちょっとだけ勇気を持ったヒーローだ。


 そうじゃなくなったのは、いつのころからだろうか。鏡の中の自分を見つめる。ぱっとしないへいぼんな顔だ。やまぶきさんのようにかわいいわけでもなく、あきひとのように格好良いわけでもない。つうの、顔だ。


 やまぶきさんは昔から可愛かわいかった。世界一とは言わないまでも、子供心でも可愛かわいらしいと思えるような顔立ちだった。


 ぼくは当然、別段格好良いわけではなかったが、そんなことは気にならなかった。子供だったからだ。それに何より、あのころぼくはヒーローだったわけで。


 彼女がかわいいおひめ様だというのなら。


 ぼくはすげー格好良いヒーローなのだ。


 しかし、としを重ねればそれがちがうことに気が付く。子供ながらに理解する。自分は、それほど特別ではない。子供たちの中でさえ、特別になれないということに。


 ちょっとの勇気だけじゃ、どうにもならないことに気が付く。


 例えば、めちゃくちゃに足が速い子。勉強がとっても得意な子。クラスで一番背が高い子。容姿がすごく可愛かわいらしい子。すごい特技がある子。


 そういう子たちは特別だ。得意な分野で一番になれる子たちは、やっぱりヒーローだった。さらにとしを重ねれば、ばくぜんとしていたその基準がより明確になってくる。


 運動部の一年生でレギュラーになった子。へんの高い学校に入学した子。何人もの男子に告白された女の子。女の子からいつもきゃーきゃー言われるような男の子。


 もちろん、やまぶきさんはその特別側の人間だった。ふたりで遊んでいたときは気が付かなかったが、小学校に入学し、学年が上がっていくにつれてはっきりとわかった。


 彼女はねんれいが上がるたび可愛かわいらしく、女の子らしくなっていって、小学校高学年ですでに敵なしだった。きっといろんな男の子の初恋をうばっていっただろう。


 彼女がれいになればなるほど、彼女の周りには特別な人が集まっていった。格好良い人、かわいい人、勉強ができる人、運動ができる人。まるで特別な人間同士じゃないと関われないとさえ思えたくらいだ。



 彼女は特別だ。周りも同じように特別である。


 だけどぼくは、特別じゃない。



 ぼくはヒーローだ、と信じていたときならいざ知らず、へいぼんを思い知ったぼくはもう彼女のそばにいることができなかった。


 別にれつとうかんを覚えたわけではない。やまぶきさんのことがいやになったわけじゃない。ただ、やまぶきさんの近くにぼくがいることが、ちがいだと思えてしまったのだ。


 特別な人同士でいる方が、彼女のためだと思ったのだ。


 そうなってから、ぼくやまぶきさんの関係はじよじよえんになっていき、小学校を卒業するときにはすっかり交流がなくなってしまっていた。


 そして、今に至る。

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