第一章 玉砕は始まりを連れて 5


「どうしたのぉ、ふたりともー」


 そんな第三者の声が届き、「うわぁ!」「ひぃ!」と同時にぼくたちはねる。リアクションの大きいぼくたちを見て、「そんなにおどろかなくても」と彼女は笑っていた。


 その人は校舎の中にいた。窓を開けて、そこからぼくたちにほほみかけている。窓のへりに両手を乗せながら。


 ふわふわとしたかみが印象的な女性で、やさしい性格がおもちやふんに表れているような人だった。眼鏡がその印象をより強くしている。


 大人しい服装が多い人で、今日は白のワンピースにうすい緑のカーディガンを羽織っていた。二十代半ばの若い先生なのだが、じつねんれいより若く見えるのはその童顔のせいか、おっとりとしたふんのせいか。


 ももりよう先生。ももちゃん先生だとかもも先生と呼ばれているこの人は、ぼくたちの担任教師であった。


 彼女は首をこて、とかしげながらぼくたちに問いかける。


「それであおくんにやまぶきさん。こんなところで何をしているの? ここ、何もないよ?」


 言われてみればその通りで、確かにこんな場所にいるのは変だ。先生が声をけるのも無理もないと言える。まさか本当のことを言うわけにもいかず、ぼくあわてて転がっていたゴミ箱に手を触れた。


「あぁええと、ゴミ捨ての帰りなんです。そう当番なので……」


「そういうこと。それはそれは、ごくろうさま」


 ふわりと笑って、もも先生はねぎらってくれる。うそを言っているわけではないのだが、素直にそう言われてしまうとちょっとだけ罪悪感がいてしまう。


「あれ、やまぶきさん、どうかしたの?」


 一言も発しないで地面を見つめていたやまぶきさんが、はっとして顔を上げた。

 まだ落ち着いていない彼女は、「あぁえっと、その」としどろもどろになってしまう。


 ……そこで気が付く。

 ぼくが「あ」と声を上げてしまう。やまぶきさんの顔には、未だあのなぞのマークがかびがったままなのだ。


 ぼくの様子でそれが伝わったのだろう。やまぶきさんはほおのマークを指でなぞった。彼女は自分の顔を見たわけでないが、みようなものが顔についているのはわかっている。


「あ、あの、これは……その……」


 やまぶきさんはごまかそうと何かを言いかけていたが、結局彼女の口から弁明が出てくることはなかった。無理もない。未だ混乱している中で、あの落書きのようなマークに上手い理由を付けられるわけがない。


「………………」


 もも先生はやまぶきさんの顔を無表情でじっと見つめていた。その視界には、ちがいなくあのマークが入っているはずだ。何と言われるだろうか。どう説明すればいいのだろうか。


 ぐるぐるとかきまわされた頭の中では、何もおもかばない。ただだまって先生の動向を見守ることしかできなかった。


 しかし、予想外にも彼女はふふ、と笑みをかべたのだ。


やまぶきさんはいつ見てもれいだねえ」


「あ、はい。世界一です」


 明らかに反射で答えるやまぶきさん。そんな彼女を満足そうに見ると、もも先生は「そうが終わったら早く帰るんだよー、寄り道はダメだからねー」と言い残し、その場を立ち去っていった。


「………………」


 やまぶきさんと顔を見合わせる。彼女の顔には今もみようなマークが刻まれている。気付かないなんてありえない。それにもも先生なら、気付いていて何も言わないということもないだろう。


あおくん、わたしの顔に何かついているって言ったわよね……? ももちゃん先生、何も言わなかったけど……?」


「うん……、明らかにおかしい。そんなマークを付けていて、何も言わないなんて変だ。ということは……」


「見えて、いない……?」



 バカげていると思うだろうか。しかし、ぼくたちはさっきからそのバカげた出来事に何度もそうぐうしている。のろいを名乗るけむりに、物をつかめないやまぶきさん、そして人には見えないマーク。おかしなことがらがひとつ増えただけだ。


「えぇ、その通りです。そのマークは、無関係の人には見ることができません」


 そして、それはどうやらもうひとつ増えるようだ。


 突然かいにゆうしてきた第三者の声。ぼくやまぶきさんは、同時に声がした方へかえる。


 声の主は少女だった。おそろしくインパクトのある容姿をした、がらな女の子。


 何より目を引くのが、陽の光を反射してきらきらと光る長いかみかがやきを放つかみの色はなんと銀色にももいろが混ざっていた。その豊富な銀のかみを三つ編みで大きめに束ね、足元まで垂らしている。地面に引きずりそうなほどの長さだ。

 三つ編みであれほどなのだから、ほどいてしまったらどれほどの長さになるのだろうか。


 その銀色のかがやきがより目立つのは、彼女のはだかつしよくだからだろう。銀とかつしよくのコントラストはわくてきでさえあった。


 眠たげなひとみみどりいろである。どこをどう見ても異国の少女だが、彼女はやまぶきさんと同じセーラー服にそでを通していた。だぼっとしたサイズの。


 けれど、こんな容姿の人が学校にいれば、だれもがかえってしまうだろう。見た目がエキゾチックすぎる。


 おかしな見た目の彼女は、なぜか桜の木の枝にぶらさがり、地に足を着けないまま口を開いていた。足と三つ編みがれている。



「あ、あなたは……?」



 やまぶきさんがこんわくした声でたずねると、少女はようやく地面に下りた。まるで体重がないかのように、ふわりと着地する。


「わたしも〝青春ののろい〟の一部です。のろいのせいれいとでも言っておきましょう」


 ……せいれいまで現れてしまった。うきばなれした容姿の彼女は、人外の存在だと言われれば確かになつとくできてしまう。はやおどろかなくなってしまったのは、もう頭がおどろつかれてしまったのかもしれない。


やまぶきあかさん。あなたは、〝青春ののろい〟をその身に受けました。わたしはそのしようさいを説明するために、現れたのです」


 彼女はたんたんと無感情に言葉をつないでいく。指を差されたやまぶきさんは、「あぁやっぱりあれは現実のことなのね……」と顔をおおった。ショックを受けている彼女の代わりに、ぼくは少女に問いかける。


「さっきからやまぶきさんに起こっている不思議な現象やあのマーク、それが〝青春ののろい〟?」


「はい。すでに体験してもらったとは思いますが」


 彼女はそう言いながら、地面に落ちていた石を拾い上げた。それをやまぶきさんに向かって放り投げる。やまぶきさんはあわてて、それをつかもうと手を出したが、その行動はに終わった。さっきのけいたいと同じだ。手をすりけて、石は地面に落下してしまう。そこに彼女の手があるはずなのに、存在を無視してすりけてしまう。


 ……何度見ても背筋が寒くなる光景だ。

 実際に体験しているやまぶきさんはそれ以上だろう。しかし、ぼくたちの心情を気にする様子もなく、少女は話を続けていく。



「あなたはこのように、物にれることができない。かんしようすることができない。あまりに他人へ多大なえいきようを与えるあなたには、かんしようすることに対して制限が設けられました。これが、あなたに降りかかったのろい、〝かんしようのろい〟です」


かんしよう……」



 やまぶきさんはぼうぜんとしながら、自分の手と地に落ちた石ころを見比べた。確かに彼女はれることができていない。

 ゴミ箱にも、自分のポケットに入っていた物にも、ぼくけいたいにも。彼女は物にれることができない。



 ぞっとした。


 彼女はこれから、どうやって生きていけばいいのだろうか。何にもれることができないのに。まともな生活なんて絶対に送れないではないか。


 それはやまぶきさんも思い至ったのだろう。顔を青くして、彼女へたどたどしくうつたえた。


「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなの、そんなの困る、よ。物にさわることができない? そんなのどうしろって言うのよ、わたしずっとこのままなの……?」


 不安と絶望が入り混じった声がやまぶきさんかられる。それはそうだ、このままではあまりにも救いがなさすぎる。


 しかし、彼女はそれに加えてさらに追い打ちをかけてきた。


「いえ。それだけでは済みません。このまま放っておけば、のろいはもっと強くなります。じようきようは悪くなっていきます。かんしようできなくなるのは物だけに留まらず、人にれることもにんしきされることもできず、地に足を着けることも許されず、ゆうれいのように宙をさまよい続ける。そのような結末が、あなたに訪れるでしょう」


 静かに、彼女はそのようなことをぼくたちへ告げた。さも当然のように。あまりにおそろしい現実を、何のえんりよもなくぶつけてきたのだ。


 背筋に寒いものが走る。せんりつに身体がふるえる。なんてことだ。ある意味、死よりもおそろしい結末が待っていると彼女は言っている。


「……え」


 たったいつしゆんの出来事だった。


 ぼくが彼女の言葉に感情をさぶられている間に、彼女はそっと手のひらをやまぶきさんに向けていた。手のひらをすポーズ。そのしゆんかんである。おどろくべきことに、やまぶきさんの身体がいつしゆんで消え去ってしまったのだ。


「……え?」


 突然の出来事に、ぼくは絶句する。まるで、そこには最初からだれもいなかったかのように、彼女の姿がれいさっぱりなくなってしまっていた。


「や、やまぶきさん?」


 思わず、彼女の名を呼ぶ。しかし、当然のように返事はない。彼女の姿はどこにもない。むなしくぼくの声がれるだけだ。


「……彼女に、何をした?」


 ふるえる声で、ぎんぱつの少女へ問いかける。彼女がやまぶきさんに何かをしたのは明白だった。


「一度、あかさんに体験をしてもらっているだけですよ。何物にもかんしようできない、のろいの行く末を。かんしようの世界を。身をもつて体験してもらった方が、きっと必死になれるでしょうから」


 のろいのせいれいは悪びれもせずそう言う。彼女の言葉を信じるならば、今、やまぶきさんは完全にかんしような存在になってしまっている。らしい。

 物にも人にもれられず、人の目にすられられず、地面にも立っていられない、という。


 そんなおそろしい世界に、やまぶきさんは放り出されたのだと彼女は言う。


「や、やまぶきさんはいつもどってくるんだ」


「一分後には。それで十分、彼女もわかるはずですから」


 ……軽い感じで言ってくれる。それが本当だとするならば、今やまぶきさんはとんでもないことになっているっていうのに。


 しかし、ぼくにできることは何もなく、ただ一分が経つのを待つしかなかった。おそろしく長い一分だった。



 そして一分後。ドサッという音とともに、やまぶきさんが現れた。転んでしまったかのような体勢で、彼女はその場にうずくまっている。ぼくあわててった。


やまぶきさんっ! だいじよう!?」


 彼女は返事をしなかった。その表情にぎょっとする。真っ青な顔で歯を鳴らし、あせを垂らしながら浅い呼吸をかえしている。絶句してしまう。

 たった一分間、たった六十秒でこんなことになるなんて、一体どんなものを見せられたというのだろう。


「……あ、あぁあおくん。よかった、わたし帰って来られたんだ……」


 やまぶきさんはぼくに目を向けると、わずかに表情をやわらげた。一度大きくむと、あせにまみれた額をく。空いた手はすがるようにぼくの方へ。


「空に投げ出されて、わたしそのまま……。あぁ、よかった。もどってこられて、本当によかった……」


 ぼくうでを強くつかみながら、彼女はそのままうなれてしまう。

 どんなものを見せられたのか想像もできないけれど、おそろしくしようすいしている。


「………………」


 ぼくの目は、自然とのろいのせいれいの方へ向けられた。可愛かわいらしい姿をしているのに、やることはずいぶんえぐい。たった一分間で人をここまで弱らせるなんて。


 ただ立っているだけなのに、彼女からはすさまじく不気味なものが感じられた。あぁそうだ。彼女はのろいだと言っていたではないか。彼女自身もあのけむりと同じく、人の激情を身にまとったのろいなのだ。おそろしくて当たり前だ。


 ぼくきようの宿ったひとみを向けるのと同じく、顔を上げたやまぶきさんにもおびえの表情がかんでいる。


 それを見て、なぜだかのろいのせいれいみような表情になる。困ったような顔だ。あまり顔に感情は出ないようだが、それでも「何とも言えない」表情になっているのは見て取れる。


「そこまでおびえられるとは思いませんでした。言い忘れていましたが、わたしはあなたたちの味方ですよ。信じてください」


「いや無理でしょ」


 すぐさま言い返す。どの口が言うんだ。敵も敵、これ以上ないほどの悪役っぷりじゃないか。


 しかし、彼女はぼくの言葉を聞いて首をる。


「先ほどあかさんに見せたのは、言わば最悪の結果。わたしはそれをするためにやってきました。こののろいを打ち消す方法を、わたしは伝えにきたんです」

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