第二十四話 古河朋は決心する

 放課後。


 結局朝のホームルーム以降、朋と言葉を交わすことはなかった。

 授業が終わる度に顔を伏せ、俺の言葉には反応すらしない。


 ――これ……。本当に、怒ってないのか……?


 不安を拭いきれないまま後ろを振り向くと、やっとのことで朋と目が合った。

 

「お、おぅ……」


 思いがけないことに俺は少し驚く。

 また目をそらされるかと思ったが、今回は違った。

 頰は先ほどのように染まっているが、覚悟を決めたかのような瞳で見つめ返してくる。

 しかし数秒の後、何かに耐えきれなくなったかのように、俯く形でそっと目をそらした。


 そして、いきなり朋は立ち上がると、


「――待ってるから」


 そう口にして、静かに席を離れた。


 ――怒ってるわけじゃ……ないのか


 今までにない朋の反応に少し……。いや、かなり焦っていたが、どうやら杞憂だったらしい。

 朋の今の反応は、怒っているわけではないように見えた。

 しかし、だとしたらなおさらわからない。


 朋……。

 


 ――お前はいったい、何を考えているんだ……?



 教室を出る際に、菜月に「じゃあね」と挨拶をされ、朋はそれに「またね」と返す。

 そして朋は、教室から去っていった。


「う~ん……。朋のやつ、まだ恋の悩みでも抱えてるのか?恋する乙女も大変だな……」


 いつのまにか隣に立っていた和真は、少し心配そうにそう呟く。

 

 ――いや……それは、違うはずだ。


 なぜなら今日の朝、今までにないほど仲良さげに、沢渡さんと話していたのだから。

 あの様子から見るに、あの二人に食い違いが起こっているとは思えない。

 むしろ、かなりうまくいっているはずだ。


 ――そういえば、沢渡さんはどこに……。


 俺が気づいたころには、すでに沢渡さんの姿はなかった。

 朋と付き合っているのなら、一緒に帰るとかするものだと思うのだが……。

 今日はどうしても急がねばならない用でも、あったのだろうか。

 それとも、やはり少し食い違いが生まれてしまっているのか……?

 だとしたら、朋が屋上で俺と待ち合わせるのも、他の人には聞かれたくない相談なのだろうと納得がいく。

 しかし、朝の二人からそんな様子は……。


「――あぁ、もう……。わけがわかんねぇ……」


「ふむ……。まぁ、何かあったら俺に相談しろよ!気兼ねなくな!」


 和真は携帯で時計を確認すると「じゃ、またな!」と言い、足早に駆け出した。


「おう~。さんきゅ~な~」


 俺がそう口にすると、和真は高く腕を上げてそれに応え、グラウンドへと向かっていった。


 ――さて……。俺もそろそろ行くか……。


 俺は立ち上がり、教室を出る前に「じゃあな」と菜月に言った。

 菜月はそれに「じゃあね」と返す。

 

 そして、俺は教室を出て、屋上へと向かう。


「――ちょっと待って!」


 ふと背後から、菜月にそう呼びかけられた。

 

 何事かと咄嗟に振り向き、俺は立ち止まる。

 菜月はあのときのように、前髪で表情を隠すようにしてうつむいている。

 うまく言葉がまとまらないのか、菜月は固まったようにその場で立ち尽くしていた。

 俺はただ、静かに菜月の言葉を待った。


 ふと、菜月は顔を上げて俺を見つめる。


 そして、



「――バイバイ、圭くん」



 先ほどとは違う別れの言葉を、菜月は口にした。


 菜月は、小さく笑っている。


 今の言葉には、どのような気持ちが含まれているのだろうか。

 先ほどの言葉と、何か意味合いが違うのだろうか。


 そんなことを考えたりもしたが、



「――おう」



 とだけ応えると、菜月に背を向け、俺はふたたび屋上へと向かった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 屋上への扉を開くと、朋は柵に手を当て、空を見上げていた。

 そして俺に気づいたのか、視線をこちらに向け、少しして体もこちらへと向ける。


「すまん、待たせた」


「――待ったよ」


 朋はうつむきがちに、そう答えた。


「えっと……。どうかしたのか?沢渡さんと……何かあったのか?」


 俺は単刀直入に、朋にそう尋ねる。

 すると、


「いや、そういうわけじゃないよ。沢渡さんとはむしろ……とても仲良くなったし、本当に彼女とは何もないんだ」


 俺の目をまっすぐに見つめ、朋はそう答えた。

 それを聞いて少し安心したが、俺には一つ気になる言葉があった。


 "彼女とは何もない"


 自分の好きな人に対して、この言葉は使われるものだろうか。

 俺にはその言葉に、どこか違和感を感じていた。


 すると、


「――圭って……好きな人、いるんだよね」


 朋は唐突に、そう呟いた。


 俺は、口をつぐんだ。

 なぜいきなり、そんなことを聞くのだろうか。

 俺には朋が何を考えているのか、全くわからなかった。

 俺は、ただうつむいた。


 少しの沈黙が訪れる。


 俺が何も言えないでいると、


「――圭の好きな人って……誰?」


 朋は俺に、そう尋ねた。

 うつむいたままの俺には、朋がどんな表情をしているのかわからない。

 ただ、朋が何を思ってそんなことを尋ねたのか、なんとなくわかった気がする。


 "今度は、圭のことを応援したい"


 恐らくそんなことを考えているのだろう。

 しかし、俺はその問いに答えることはできない。

 なぜなら、朋を困らせてしまうことが、容易に想像できるから。


 朋に嫌われる可能性を、恐れてしまうから。


「……言えない」


 だから、俺はそう答えるしかなかった。

 

 再び、沈黙が訪れる。

 

 朋はいま、どんな顔をしているだろうか。

 それを確認することすら、今の俺には怖かった。


「――そっか」


 朋は静かに、そう口にする。


 怒っているだろうか。

 俺が好きな人を、朋に教えないことに。


 嘘をつこうかとも思った。

 違う学校の元クラスメイトとか、なんとか個人名は伏せるようにして。

 しかし、それはいつかボロが出ると思った。

 そしてなにより、朋の気持ちを裏切るような気がして、できなかった。


 嘘はつきたくないけど、本当のことは言えない。

 俺は、どうすればいいのだろうか。

 

「朋……ごめ……」


「ねぇ、圭」


 俺は、朋に謝ろうとした。

 そんな俺の言葉を遮り、朋は俺の名前を呼ぶ。

 俺は答えを怖がるように、それでも顔を上げる。


「僕ね……」


 そのとき、朋のしていた表情に、目を疑った。



「――圭のことが、大好きだよ」



 夕日の光に頬を染めながら、朋は瞳を潤ませていた。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ついに、この言葉を口にしてしまった。

 この気持ちを、伝えてしまった。


 今の僕、どんな顔してるかな。


 本当に、ごめんね。

 せめて、その人と付き合ってるのか聞いてから、伝えるつもりだったのに。

 もしすでに付き合ってるのだとしたら、本当にただ困らせるだけだよね。

 

 はぁ……。嫌われちゃったかな。

 好きな人がいるのか聞いた挙句、こんなこと言うなんて……本当に自己中だもんね。

 人の気持ちも考えないで、最悪だよね。

 嫌われたって当然だよ。


 あぁ~。

 軽蔑されちゃったかな。


 いやだな。

 嫌われたくないな。



 ――嫌われたく……ないな……。




「――朋!!」




 その瞬間、僕の体は圭の胸の中におさまった。


 咄嗟のことに、僕は何が起こったのかわからなかった。

 しかし、抱きしめる圭の確かな温もりは、十分に伝わってきた。


「――なんで、俺なんだよ……。お前は……沢渡さんのことが、好きなんじゃなかったのかよ!!」


 抱きしめる圭の力が、少し強まるのを感じた。

 

「そ、その……沢渡さんに気づかされて……。沢渡さんは、僕の好きな人が沢渡さんだって知らなかったんだけど……。そ、その人と圭とで比べたら、どの人と離れたくないかって聞かれて……。その、えっと……圭と離れる方が、怖いって……思っちゃって……。だったらきっと、僕は圭のことが好きなんだよって、言ってくれて……」


 思いもよらない事態に戸惑いを隠しきれず、僕は混乱していた。

 しかし、僕の歯切れの悪い言葉を聞きながらも、圭は何も言わず、ただ僕を抱きしめている。


「僕は……正直、この気持ちに少し気づいてたんだ。でも、僕が男の人を好きになるなんておかしいと思ったし……。なにより、圭に嫌われるんじゃないかって……怖かったから。だけど、応援するって言ってくれた沢渡さんの気持ちを裏切りたくなかったし……僕の本心から、もう逃げたくなかった」


 抱きしめられている僕は、圭の胸にそっと顔をうずめた。


「――ごめんね。好きな人と付き合ってるか確認して……もしまだ付き合っていなかったら、伝えようと思ってたのに……。自分勝手で、本当にごめん」


「……なんで付き合ってなかったら、気持ちを伝えようと思ったんだ?」


 圭はふと、僕にそう聞いてきた。


「付き合ってないとしたら……まだ、圭を困らせないで済むかと思ったから。それに……」


 僕は圭の瞳をまっすぐに見つめ、頬の熱を感じながら、



「――もし、そうだとしたら……まだ、諦めたくないから」



 自分の本心を強く抱き、そっと言葉を紡いだ。


 僕の答えを聞いて、圭は口を閉ざして沈黙を選ぶ。


 胸の内が、熱い。

 押し付けていた額が、熱い。

 息遣いが、熱い。

 

 いつからだろう。

 自分の目からは、自然と涙が流れ出していた。

 それでも今は、とても落ち着いた気持ちだった。


 ふいに、圭の表情が崩れる。

 大きく見開かれていた瞳をわずかに細め、今にも泣き出しそうだった。


 そして、


「――俺は……今まで好きだった人を、これからも想い続けるよ」


 わずかに震える声で、圭はそう呟いた。


「……そっか」


 その言葉に、僕は涙を流したまま、微笑して応える。



「――だから」



 すると、僕の体を優しく抱きしめながら、




「――俺は、いつまでも……朋のことが、大好きだ」




 圭ははっきりと、それを告げた。


 

 ――え……?


 

 それって……どういうこと?

 あれ、僕……振られたんじゃないの……?


 戸惑いを隠しきれずに、僕はふたたび圭を見つめた。

 すると、圭が何かを察したのか、


「俺が好きな人は……前からずっと、お前だけだから」


 少し瞳を潤ませながら、迷うことなくそう言った。


 そのとき、未だに押さえつけていた僕の気持ちが一気に溢れだした。


 溢れ出てくる涙が、とても熱い。


 今まで、特別扱いされることは、人として平等に見られない差別としか考えられなかった。

 だから……こんなにも幸せな"特別"があるなんて、知らなかった。


 僕は、圭を強く抱きしめた。

 そして、強く願った。

 これから何があっても、ずっと一緒にいられることを。


 そしていつまでも、圭にとっての"特別"でいられることを。



「――圭」



 だから僕は、もう迷ったりしない。




「――僕、圭のことを……いつまでも、愛してるから」





 このとき僕は、女の人として生きる決心をした。

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