第十六話 心の支え

 どれほどの間、朋は通話していただろうか。


 通話の間不吉な言葉を発していた朋は、別れの挨拶も言わないまま通話を終えた。

 朋は俺から背を向けた状態でうつむいており、表情を窺うことはできない。

 しかし、いつもと様子が違うことだけは、背中越しからでも十分伝わってきた。


「なぁ、朋。どうしたんだよ。お母さんが生きてるかどうかとか……聞くからに不吉なこと言ってたけど……。何かあったのか?」


 朋からの返事はない。

 ただ単に聞き取れなかったのか、ただ無視しただけか。それとも、聞き取るほどの余裕がなかったということなのか。

 

「おい、朋ってば。何かあったんなら話してみろよ。俺にも何か協力できるかもしれないし」


 今度は朋の肩に手を乗せそう言ったが、朋の反応は全くない。

 今まで見たことのない朋の様子に、俺は少なからずの不安とそれに対する焦りを覚えた。

 その間も、朋はうつむいたままピクリとも動かない。

 

「――朋?いったいどうし……」


 俺が不安感に駆られながら朋の顔を覗き込んだそのとき、俺は絶句した。

 

 


 目が死んでいるというのは、こういう目のことを言うのだろうか。


 

 

 常に感情を含んでいた朋の瞳は輝きを失くし、地面の方に向けられているものの、失明でもしたかのように、目を見開いたまま何も見えていないようだった。


 そして何をするでもなく、ただ立ち尽くしていた。


 何を考えているのかわからないような、はたまた何も考えていないかのような表情をしながら、見るからに生気を失った体を支え、ただ立ち尽くしていた。



「――おい、朋……。なぁ!しっかりしろよ!返事をよこせ古河朋!!」



 しゃがみこんだ俺は、下から朋の瞳をまっすぐに見つめながら、大声で叫んだ。

 俺の言葉がやっと耳に届いたのか、ピクッと体を少し震わせ、正気を取り戻したかのように俺と目線が合った。

 そして俺と目線を合わせたまま、朋は大粒の涙を瞳からこぼしはじめた。



「うっ……うううぅぅぅぅぅううううう!!」


 

 呻き声をあげ泣きながらも、朋は俺と目を合わせたままでいた。

 まるで「どうしよう」と俺に訴えかけるかのように。


 何もわからない俺は、朋が泣き止むまで、じっと抱きしめていた。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 泣き止んでから少し落ち着きを取り戻した朋は、理恵子さんという朋の親戚にあたる人との通話内容を、すべて俺に話してくれた。


 信じられないような話だしむしろ信じたくない内容だが、理恵子さんの様子からして間違いないだろうと、未だに涙目になりながら朋は言った。

 そしてその話を聞いて、俺の方のショックも計り知れなかった。


 小さい頃から朋のお母さんにはお世話になり、自分の子供のように俺をかわいがってくれていたため、自分の親を失ったかのように悲しかった。

 それでも今の朋の様子を見ていたら、俺はなんとか取り乱さずにいることができた。


 

 俺が朋を支えてやらなきゃ、朋は誰にも縋ることができないから。



 朋は俺よりももっとどうしようもなく悲しいに決まっているのだ。

 俺が取り乱している場合ではない。


「――朋、俺もついていっていいか?理恵子さんのところに」


「え……?で、でも、圭が来てどうするの……?むしろ、関係ない圭を巻き込むのは申し訳ないよ……」


 朋は心苦しそうな顔でそう答えた。

 俺を気遣ってそう言ってくれたのはわかってる。だけどさ、朋……。


「――関係ないわけないだろ」


「……え?」


「だから……。関係ないわけないだろっていってんの。俺にとって大切なやつがこんなことになってんのに、何もできないなんてむしろそっちの方が絶対嫌だ。こういう時くらい俺が支えさせてくれよ。いつだってお前のそばにいるから」


「……」


 朋は無言のままうつむいていた。


 ――ダメ、かな……。


 無言の返事が拒否と同意なのかと思ったそのとき、


「……ありがとう」


 そう小さくつぶやき、朋は瞳に涙を溜めながら小さく笑った。


「圭はこういう時くらいって言ったけど……。僕はいつも圭に支えられてばっかりだよ」


 その時の朋の笑みが自然と出たものなのか、それともがんばって作ったものだったのか、俺には分からなかった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 その後、僕と圭は二人で理恵子おばさんの家へ向かった。

 一人で来てと言われていたのだが、おばさんは圭のことを温かく迎え入れてくれた。


 そして、母が交通事故に会い、即死したことを告げられた。


 原因は大型トラックの居眠り運転。

 青信号で横断歩道を歩行していたお母さんは、信号無視したそのトラックにかれた。


 元父親には連絡がとれなかったらしく、親戚である理恵子おばさんに、お母さんの死亡報告が電話で告げられたらしい。


 最悪な場合の覚悟はしていた。


 しかし、そのことをおばさんに告げられた時、僕は我慢できずに泣き叫んでいた。

 そんな僕の隣で、僕の右手をしっかりと握りしめながら、圭は静かに見守ってくれていた。

 



 その時を境に、中学二年の頃の記憶はほとんど残っていない。




 祐や涼にはお母さんの死を誰が伝えたのか。どのくらいの間学校を休んでいたのか。

 そのようなことでさえ全く覚えていない。


 ただ一つ確かに覚えているのは、ほぼ毎日、圭がそばにいてくれたことだった。


 僕と祐、そして涼の三人がおばさんの家に引き取られた後、圭はおばさんの家に来てくれた。そして僕だけでなく、よく祐や涼の相手もしてくれた。

 理恵子おばさんとその夫の隆おじさん、そして僕たち三人が暮らす家は、お母さんの死後数日たっても重たい空気が立ち込めていたが、圭が来てくれた時は少し緩和されるようにみんなが明るくなった。


 圭も少なからず悲しかったはずなのに、それでも僕たちを元気づけようとしてくれた。


 ――いつもありがとね、圭。


 本当に、僕の人生は圭に支えられてばかりだと改めて感じる。


 ――今日も、そばにいてくれるんだね。


 僕のそばに圭がいることが、当たり前になっていった。



 ――あれ……圭、どこ行くの……?



 そして、いつからだろう。



 

 ――ねぇ……置いていかないでよ……

 



 一時でも圭がそばにいないことが、




 

 ――僕を……一人にしないで……!!





 これほどに、苦しくなったのは。

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