蝉真似

 暑い夏。焼けるような日光と、まとわりつくような湿気。じっとしているだけでもダラダラと流れ続ける汗。風はなく、ただただ蒸し暑い空気だけが地上を覆っている。

 そして耳をつんざくように鳴き続ける蝉の声。ミィィィン、ミィィィン、ジジジジジ。鳴いているのは一匹だけではなく、沢山の蝉たちが持てるだけの力を振り絞って、誰にも負けないように大声を張り上げ、戦わせているのだ。彼らにとってはまさに戦場で、子孫を残すために必死になってメスを呼んでいるのだ。より声の通る者が勝ち、そうでないものは負け、何も残せずに地面にひっくり返る。そんな厳しい世界の中で、蝉たちは叫び続けている。

 そこへ、一人の人間の男が参戦する。彼の名は瀬尾幹男、十七歳。彼は庭にある緑の葉を多く付けた桜の木に登り、幹にしがみつき、蝉に負けないような大声を張り上げる。


「みいぃぃぃぃぃぃぃぃん!!! みぃぃぃぃぃぃぃぃん!!! じじじじじじじ!!」


 その様子は、蝉だった。短い夏のためだけに長い年月の間眠り続け、今眠りから覚め、戦いに挑む蝉だった。瀬尾幹男は大木にがっしりと掴まって湿気た空に声を轟かせる。


「おばあちゃん、おばあちゃん! ちょっときて! お兄ちゃんが変なの! なんか……すごいことになってる! とにかく来て!」


 庭で大声を上げる幹男を見て、妹の蒲田桐子が慌てて縁側から祖母を呼んだ。妹といっても両親は離婚しており、幹男とは別姓だ。しかし、親が離婚しているからといって兄妹の仲が悪いわけではなく、むしろ良かった。しばらく会っていなかったので、せっかくの夏休みだし久しぶりに会ってみないか、という話になり、田舎にある父方の祖母の家に集まることになったのだ。両親が離婚した後も桐子と祖母との関係は良好で、時々会いに行くこともあった。彼女の母はできるだけ父とは会いたくないと言って祖母の家には来なかったが、桐子が父と会うこと自体は否定しなかったため、この場所は二人にとって集まりやすい場所だ。


「はいはい……どうしたんだい、桐子。そんな素っ頓狂な声を出して」


 祖母が家の奥から庭へ姿を現した。祖母は落ち着いていて、そう滅多なことでは動じない。今回の件に関してもそうで、気にしがみつき“鳴いている”幹男を見ても顔色一つ変えない。


「ああ……幹男かい。今年もやってるねえ」


 祖母は嬉しそうにこぼす。


「今年も……って、まさか毎年やってるのコレ!?」


 桐子は驚いて叫ぶ。その叫び声も、蝉と兄の声にかき消されそうだったが、祖母はしっかりと桐子の言葉を拾って答える。


「そりゃね、当然毎年やっとるよ。十三歳頃からずっとな。当然じゃ。幹男にとっては生ある限り避けることのできない儀式なのじゃよ」


 祖母はあっけらかんと言う。


「えぇ!? 一体何のためにやってるの!?」


 桐子はわけがわからないといった様子で祖母に訊ねる。


「まあ、桐子ももう十四歳じゃ。話しておいてもいいかもしれぬなあ……」


 祖母はしみじみと幹男のほうを眺めながら、どこか懐かしげにゆっくりと息を吐くように言う。


「それはなあ、わしがまだ独り身だったころの話じゃ。当時わしは十七歳。そのときからこの村に住んでおっての……田舎は結婚が早いからな、そろそろ結婚するように周りから急かされておったのじゃ。そんなとき、じいさんに出会ったのじゃ。じいさんは村でも有名なモテない男じゃった。特別ブ男というわけでもなかったのじゃが、何故かパッとせん。気付けば結婚する平均年齢を大きく越えておったわい。じいさんも相当焦っておったろう。結婚が当たり前の年齢で結婚してなかったからのう。お互い相手を探しているときに、出会うことができたのじゃ」


「おばあちゃんの昔話とこれに何の関係があるの?」


 桐子が途中で口を挟んだ。祖母は片手で桐子を制した。


「まあ、聞け。話の続きじゃ。わしとじいさんの出会いの話をするかのう。当時のじいさんは自分にはインパクトが足りないと思っておったようじゃ。何かインパクトのあることをして女性に強烈な印象を残そうと考えたのじゃ。それからというもの、じいさんはいろいろなことをやった。田んぼに裸で飛び込んだり、オニヤンマを捕まえて釘で木に打ち付けて林の中に標本を作ったり、あらゆるカラスの巣にちょっかいを出して村中大騒ぎになったこともあったな」


「いや確かに印象には残るけど! なんか根本的におかしいと思う!」


 桐子は蝉たちの声に負けじと声を上げるが、祖母はそれを無視して話を続ける。


「そこで、わしは村の者に彼を説得してくれと頼まれた。じいさんは結婚したいがためにこのような行動をとるわけじゃから、未婚の女性であったわしが選ばれたのじゃ。わしは嫌々ながらそれを引き受け、じいさんの家に向かったのじゃ。そして、じいさんの家に着いたとき、庭から変な声がすることに気が付いた。気になって庭を覗いて見ると、じいさんが木にしがみついて蝉の鳴き真似をしとったわい。これが、じいさんとの出会いじゃ。その姿に、わしは不覚にも一目惚れしてしまったのじゃ」


「不覚すぎる!」


 桐子は一言叫び、唖然として祖母を見る。そのような行動のどこに惚れたのか理解不能だ。


「そして、わしらはお互い結婚相手を求めているということもあって、めでたく結ばれたのじゃ。それ以来、瀬尾家では女性を迎え入れられるように、思春期の男子は毎年夏に蝉の鳴き真似をするのがならわしになったのじゃ」


「嘘だー!」


桐子は今の話を信じたくない。きっと祖母も兄も二人とも暑さで頭がおかしくなったのだ。きっとそうに違いない。


「おう、やってるな!」


 そこへ父が現れる。今は姓が違うが、桐子にとっては立派な父親だ。父は縁側にどかっと腰を下ろす。


「いやー、もう蝉の季節か。俺もやったよなあ」


 父は懐かしげに言う。


「えぇ!? マジでやったのお父さん!? おかしいでしょコレ?」

「ん? 何が? 俺もこうやって母さんと出会ったんだぞ? これのどこがおかしいっていうんだ」


「うっそだろオイ!」


 桐子は頭を抱え、今思い込もうとしたことを即座に否定されてやるせない気持ちになる。桐子の頭はパンク寸前だ。


「こうすることで、夫婦円満で過ごせるようになるといわれておる。わしもじいさんと最期まで円満に過ごすことができた。だから大事な儀式なのじゃよ、この“蝉真似”は」


 祖母と父はハハハと一緒に笑う。


「お父さんとお母さんは離婚したけどな!? 何が円満だ!」


 桐子は叫ぶ。蝉は鳴き続け、“蝉”もまた叫び続ける。両者とも、力いっぱい鳴き続る。太陽は照り続け、桜の葉は光を受け止めてその存在をひそやかにアピールする。夏という戦場は、目立つ者こそが勝ち上がる。勝者こそ正義。敗者はただ没するのみ。それは想像以上に険しく厳しい世界。目立つために、一瞬たりとも気を抜くことは許されないのだ。


「みいぃぃぃぃぃぃぃぃん! みん! みん! みぃぃぃぃぃぃぃぃん!!!」


 その声は湿気た空に轟き、ゆっくりと消えて行く。

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