第7話 俺、絶体絶命。

 

 おばさんは結局、すっごい深夜にタクシーで帰ってきた。そして2日後、俺はこってりと絞られた。


「ちょっと、岬君……いくら何でも、これだけはおばさん、見逃せないわ」


「……はい」


 俺は神妙な顔をした。アカウント乗っ取りはさすがにまずいだろう。


 やりとりしたメッセージを消せば、と思っていたら、さっさと消すことができなかった。意味不明な仕様だ。


 じっくり調べる前に、おばさんが帰ってきてしまった。そうこうしているうちに、おばさんはいつもパソコン持ち歩いてるし、チャンスを逃してしまった。今から思えば、ネカフェからログインして、消しときゃよかったんだが。ここは日本じゃないからなあ。一人でネカフェに出かけるっていうのが、すでにハードル高い。


 まあおばさんは抜けてるから、毎日ダイレクトメッセージをチェックなどしない、それだけが救いで、俺が帰ってから気づくかな、と思ったんだが……。案外、バレるのは早かった。仕事のアカウントだから、当たり前なんだが。



「おばさん、このアカウントを育てるのに、すごい真面目に仕事受けてきたのよ。おばさんの信用に関わるわけ……これって信用問題よ」


「……はい」


 俺は、エロチャットのルームオープンしてなくて、これまだギリギリセーフ、と感じていた。課金したエロのルームにエロチャット履歴、それはさすがにマズい。それに、ルームを開けてしまうと、それは削除不可能。俺は、ギリギリセーフじゃん、と自分で拍手した。たかだか500円といえど、おばさんの口座からお金が引き落ちることになり、さすがにそれはまずい。


 一応相手は、公開オッケーです、とは言ってた。さすがに公開なんて馬鹿なこと……でも、俺の中でネットというのは、「公開の場」という感覚だった。ネットに書き込んだら、いつか表に流出する。それが個人的なメールであっても、だ。ネットというのはそういうものだ。


ま、少なくとも、このアカウントでルーム作ったら、確実におばさんには「俺たちのやりとり」を見られてしまってた。ごめん、うさぎちゃん、まだ見られて困るほど話してなくて、良かったよ。


 俺は、自分自身のアカウントでルームをオープンしようにも、自分の銀行口座番号とか、ネットにそういうのを打ち込まなきゃならない、って気づいた段階で、これは無理、と感じていた。さすがに……ポケットから500円だと足がつかないが、口座から落ちるって、どんだけ証拠残るんだよ。銀行振り込みで何か買うとか、普段ないからな。せめて支払いが現金だったら……。


 

 「会う」ってとこまで、俺が引っ張らなかったのって、自信がないせいなのか?

「出会い系」ってやつ?


いや俺、そこまで堕ちたくないよな……。


 



 知らない他校の女に、電車の中で、何度か手紙もらったことある……俺。

俺は……そういうの、興味ねーんだよ。


返事書くとか、考えたこともねー。

だいたい、いちいち顔も覚えてない。


 俺は、好きな女に自分から行きたい。向こうから来る女はロクでもねー女……。だいたい俺、女のこと好きになるとか、やりたいとかそういうのもあんまなかった。


 なんだろう、急に。急にこんな気持ちになるのか?


自分で自分がよくわかんねー。とにかく俺は、うさぎちゃんとやりたかった。それだけ。



「2度とこんなことはしないって約束してよね」


「はい」


 おばさんはすっごく怒ってた。あのアカウントでエロチャットしてたら、取り返しつかないところだ。


俺は……ただただただただ、うさぎちゃんと、やりたかっただけです。今もやりたいです。


そうは言わなかった。いや、そんなこと言わなくたって、きっとバレてる気がした。


 おばさんは真っ青な顔してた。俺をいつまでも子供扱いしてたことにきっと気づいたんだろう。


 俺は、自分が引いておきながら、うさぎちゃんのことを全く諦めてないことに気づいた。俺がアカウント取ればそれで済む話。日本だと、なんとでもなる。

銀行口座がなくとも、日本に帰れば、コンビニ振込やいろんな方法がある。


問題はそう、赤ちゃんいるから、無理ってことなんだよな。


 気がつくと俺は、セックスできなくていい、と思ってる自分に気づいた。もちろんやりたいに決まってる。でもとにかく俺は、うさぎちゃんと話がしたいんだ。


 うさぎちゃんは、優しいとみんなが評価しているような子じゃなかった。もちろん優しいんだろうけど、なんというか、ものすごく真面目だ。


 俺が、良からぬことを考えてることに全然気づいてない気がした。


「本当にいいんですか……」って。


いつも一生懸命、何か、ちゃんとした答えを書こうとするうさぎちゃん。時間がない時は、次にお返事できるのはいつです、って。働いてるから当たり前だ。


適当に片手間に、お金のためにダベってる、そんな感じは微塵もなかった。


「わたし、お節介焼きで世話好きだから、辛い人がいるなら、私ができることを何かしてあげたいと思って……」


 看護婦さんにそんなこと言われたら、俺、いつまでも入院していたくなる。うさぎちゃんが、俺の担当看護婦さんだったら……俺、絶対、退院したくない。


 なのに、うさぎちゃんはとてもしっかりしていた。赤ちゃん二人見ながら、えっちなトークもできます、って、普通の女はそんな覚悟できない。


 え〜。。。そういうのはちょっと、とか、はぐらかされるのが関の山だ。


真面目に、「どんな話ですか?」「どんな感じの話がしたいですか?」と聞いてきたうさぎちゃん。俺は……うさぎちゃんとやりたいの、とは言わなかった。


最終目的はそこなんだけど、あまりにうさぎちゃんが真面目で一生懸命だから、俺、わかんないけど、多分一緒にいたら、我慢できないよ。


そうだ、誰かが言ってた。一応女の子にキスする時はな、キスしていいですか、って聞け、って。


俺そんなのできない。


そいつは、こう言った。「最近の女はやばいぞ、すぐ、無理矢理だったとか、レイプしたとか、後からややこしいぞ」


なにそれ、そんなもん?


俺無理かも。好きだったら、何にも考えられなくなりそうな気がする。


一応、確認取れよ、お前、お前ん家も病院の後継がなきゃならないんだろ?ややこしい女には気をつけろ。妊娠させたらアウトだから、避妊な。


俺はこの会話を思い出し、ダメだ、俺、うさぎちゃんになにも言わずにキスしてしまいそうだ、と密かに身悶えた。


 俺の場合、キスって、絶対、俺はうさぎちゃんの首から行くね。


これって妄想かなあ。俺はもうダメ、もう無理、とネットを落ちた。ネットの向こうで誰かと繋がってるのに、俺、もうほんと無理。


 一人になります。


 うさぎちゃんの白くて細い首に思わずキスしちゃう俺って、いや、それにしかもそんな、あっさりしたやつじゃないし。


 俺ってもしかして、ヘンタイかなあ……



ーーーー


コンコン……


ひッ!



俺は、いきなりのノックに、ベッドの中で思わず飛び上がりそうになった。いや、何もしてないよ、うさぎちゃんのこと、考えてただけだし。



「ごめん〜寝てた?」


そう言って、おばさんが入ってきた。


「なんかね、日本から国際電話。急用だから、って」



電話を取ると、親父だった。親父と俺が話すの、珍しい。


「岬……そっちでどうだ。ちょっとくらい反省して勉強してるか?」


俺は、まあ、と答えた。

「処分決まった。お前、次の試験で一科目でも赤点取ったら、退学処分だから頑張れな」


「えっ……」


 本当は今すぐ退学処分のところを、担任の先生がかばってくれたらしいぞ。死に物狂いで勉強するように。それと、担任の先生から専門家の「カウンセリング」にかかるように指導された。予約取ったから、帰ってきたら、行け。ちゃんと診断書を取ってくるように。



俺は、甘い気分が吹っ飛んだ。退学かよ。赤点取ったら、って、前回の赤点は、英語、数学、化学、物理だよ。俺に理系は無理なんだよ……。


 英語はどうにかなるにしても、あと三科目、無理。


俺の頭の中で、勘当されたら、何やって金を稼ごうか、考えた。俺……


父と母の言葉が響いた。


「勉強して、ちゃんと医者にならないと、底辺の職に就きたいの?」


 俺は職業に貴賎などない、と考えていたが、何度も何度も、幼い頃から同じことを聞かされた。今持っているもの、食べているもの、全て。俺の生活の基本、根底が、全く別世界になるぞ、という脅し。


 俺はそれを怖いと思ってるんだろうか。そうかもしれない。今持っているものを失くすこと。


 そんなもん一切いらねーわ、と心から思えたら、自由になれるだろうに、何も持たない生活というものについて、俺は想像がつかなかった。




最後に自分がネットを落ちる直前、うさぎちゃんが言ったこと……


うさぎちゃんは……俺は、何も自分のことを話さなかったんだけど「次にお話しする時は、是非、今よりも前にすすめたことをご報告してくださいね」と言った。


「わたしも、岬さんが頑張ってる、と思いながら、毎日頑張りますから」と。


俺は、そんなふうに言われちゃ、何か進歩しなきゃ、と毎日、ここまでできたよ、と、心の中でうさぎちゃんに話しかけてた。


うさぎちゃんは「わたしと話すことで、ちょっとでも今より、前に進んで欲しい、そう思って、サービスを出しているんです」と言っていた。


それから「そうやって、前にすすめた自分を、必ず褒めてあげてください。自分で自分のことを。毎日、そうして進んでくださいね」


俺は……


昨日まで、さっきまでの俺より、常に前に進みたいよ……



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