3-7:その力の出所は


 悪寒を感じたエゼルは背後を振り返った。



 苔生こけむして半ば腐った民家と荒れ果てた道が夜の闇の中に溶けている。そこに人影はない。



 だが首筋の皮膚が縮み上がるような感覚は間違いなく本物だ。



 殺気。しかし。



 この恐ろしく無機質で、それでいて懐かしい感覚は、一体何だ?



 視界を巡らせ、とうとうその人物を視界に捉える。



 闇に溶けるほどの黒い外套を身にまとい、無造作に佇む一人の男。



 一目見てわかるほど肉付きに乏しく骨格も小さい。戦士の体格としては非常に貧弱であるにも関わらず、男は八尺(約二・四メートル)ほどもある巨大な槍を握っていた。



 穂先の根元に騎士団の刻印があり、誰かから強奪したものだとわかる。



 その過程で傷を受けたのだろう。男の両腕には無数の刺し傷が刻まれている。



 下半身が不自然に揺らめいているのは隠密魔法マソルタを解除した直後に現れる現象だ。



 男は真っ直ぐにエゼルを見つめている。完全に白濁した眼球は、夜のとばりの中で凄絶な存在感を放っていた。



 男の存在に今の今まで気づかなかったこともそうだが、その男が放つ威圧感の正体に気づいてエゼルは驚愕に目を見開いた。



 ――この感じは……リザ!?



 男が槍を振り上げた。まるで亡霊のように力みのない、強烈な一撃が襲いかかってくる。



 槍の長さと重量を利用して叩き潰すような攻撃に、エゼルの反応は若干遅れた。横っ飛びに躱すとほぼ同時に、槍の風圧が体をかすめる。



 穂先が地面を抉る。



 男は、まるで槍の重さを無視するように穂先の軌道を変える。地表をこそぎながらエゼルの胴体を両断しようと振り上げる。



 間一髪、地面に体を伏せてその一撃をかわすが、右の脇腹から背中にかけて薄く血線けっせんが滲んだ。



 ――考え事に縛られて動きを鈍らせるとは、不覚。



 鈍い痛みを歯を食いしばって無視した。闘志を全身に漲らせ、立ち上がる。



 だが、予想していた次の攻撃が来ない。



 槍の男を見たエゼルは小さく呻いた。



 男は、自らが持つ槍の自重と遠心力に耐えきれず、肩と肘の関節を外していた。



 力を入れようともがいているが、意志に反して両の腕は動かず、大地に落ちた巨大槍の穂先がわずかに揺れるだけだった。



 エゼルは動く。無言で相手の一歩前まで距離を詰めると、痙攣けいれんする男の腕を容赦なく蹴り上げ槍を奪う。



 石突きで胴を打ち据え、男が衝撃で後退したところを先端の穂で斬り裂いた。男は地面に突っ伏し、それきり動かなくなる。



「……何だったんだ」



 腐った肉を切れ味の悪い刃物で無理矢理叩き切ったような、掌に長く残る不快な感触。エゼルはさらに眉をしかめた。たおれ伏した男の体から異様な臭いが漂ってきたのだ。



 その独特の甘い香りには覚えがある。オリズイートだ。



 エゼルは手にした槍を一振りして担ぎ、踵を返す。部隊の人間が、何よりマクリエたちの安否が心配だった。



 一歩踏み出したそのとき、エゼルの背中を再び殺気が襲った。



 振り返ると、先ほどの男が焦点の定まらない目をしたまま突進してくるところだった。



 エゼルの槍撃そうげきにより右肩から鳩尾みぞおちの辺りまでを深々と抉られ、皮一枚で繋がった右腕の先が地面に付きそうなほどであるのに、まるで痛みを感じていないかのような猛烈な踏み込みだった。



 舌打ちし、迎撃のために槍を短く構えるエゼル。



 次の瞬間、突如として男が全身を痙攣させ、まるで地面に縫い付けられたように動きを止める。



 そして瞬く間に全身を燃え上がらせると、そのまま灰燼かいじんと化していった。



 エゼルの目の前の空間が揺らぐ。そこから美貌の女騎士が姿を現した。



 手に宿した魔法の光が松明代わりに周囲を薄く照らし、襲撃者を貫いた剣を浮かび上がらせた。



「遅くなりました、エゼル様。お背中の傷は大丈夫ですか?」



 隠密魔法マソルタを解除し、敬礼もそこそこに真っ先に傷の様子を尋ねるレアッサ。エゼルは大きく息をついた。



「助かったよ、レアッサ。私なら大丈夫だ。多少痛むが、どうということはない」


「いけません。すぐに治療を」


「かすり傷だと言うのに」

「取るに足らない相手に不覚を取るのはエゼル様が本調子でない証拠です。らしくない失態だったのですから、これからはご自愛いただかないといけません」



 そう言われては反論できない。大人しく魔法治療を受けることにした。



 甲斐甲斐しくエゼルの治療を始めながら、レアッサは言った。



「エゼル様が魔法を使う姿を見ておりました。あなたはこの系統の魔法が不得手でしたから、僭越ながら、補佐をさせていただこうかと。間に合って良かったです」


「すまない。手間を取らせた。ところでレアッサ。あれをどう思う」



 エゼルの質問に、レアッサは治療の手を一時止めた。二人であの襲撃者の男を見る。



 男はすでに、レアッサの火属性魔法により原形も留めず炭と化している。もちろん、動く気配はない。



 墓標のように地面に突き立てられたレアッサの剣と夜の闇が、男の亡骸と相まって不気味な空気を醸し出していた。



 レアッサの表情が強張った。



「まさかあそこで起き上がるとは思いませんでした。それにこの匂いはオリズイートですよね。何か関係があるのでしょうか」


「わからない。……が、おそらくあの男は私に襲いかかってくる前から、すでに死んでいたはずだ。肉を斬った感触が生者のそれと違った」



 エゼルの言葉にレアッサが絶句する。



 苦渋を滲ませながら、エゼルはつぶやいた。



「そういえばリザが言っていたな。天煌月であれば、あの禁呪で死者を操ることもできると」


「まさか。エゼル様は、この男が僭王リザの禁呪にかかっていたと仰るのですか!? 地下闘技場の奴らは、リザの晶籍を手中に収めているだけでなく、その能力すらも使いこなせていると!?」



 カラヴァンとの会談を盗聴したときに聞き知ったのだろう。エゼルの危惧する状況をレアッサは素早く悟った。エゼルは頷いた。



「レアッサ。一度部隊まで戻るぞ。あいつらが心配だ」


「わかりました。急ぎましょう」



「その必要はないですよ」


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