1-2:流歴九月と職業と嘆き


 エゼルたちが野営するウェチル山岳地帯は、乾燥と湿気が同居している場所だ。



 山を登れば乾いた風が常に頬を打つ。その辺りはいかにも山岳地帯らしいが、山間の大地に目を移せばそこには鬱蒼うっそうとした密林が広がり、息が詰まるほどの湿気に包まれている。



 じっとしているだけでも汗ばんでくる環境での野宿は、慣れているエゼルにとっても居心地が悪い。



 マクリエたち三人はこの汗ばむ環境に耐えきれず、エゼルを残して水浴びに行ってしまっていた。



 ――夕餉ゆうげの支度は下僕の仕事、それがマクリエたちの言いつけだ。



 出逢ってから一年近く、この命令にはまったくもって変更の兆しがない。



 湯気を上げる鍋の前で、エゼルは額の汗を拭う。



「まったく。あいつら『義賊』の意味がわかっているのか」



 薪をくべながら、常日頃思っていることをエゼルはつぶやいた。



 エゼルたち四人は義賊『メヘロの鉤爪かぎつめ』を名乗り、この国――アクシーノ・リテアの各地を旅しながら行く先々で強盗まがいのことを繰り返していた。



 標的とするのはもっぱら、今回のような地方の小悪党ばかり。



 そういう意味では正義の集団と言えなくもないが、金や高価な品々以上に『暴れ回ること』の方に重きを置いているきらいがあるので、考えようによってはそこらの野盗よりも質が悪い。



 いや、義賊らしい『ほどこし』など一切していないことを思うと、やはり完全に似非えせ義賊だ。



 ――ま、あいつらにしてみれば『正義』ほど胡散臭うさんくさい言葉はないのかもしれない。



 時刻を計るため、エゼルは空を見上げた。視界の中に昼間と同じ形の流輪りゅうりんが映る。



 エゼルが生まれて二十五年。それより遙か昔から天空で輝き続けている流輪は、アクシーノ・リテアの象徴だ。



 太陽よりもなお大きな白金色の輪――これをげっかんという――と、その中で浮かぶ全部で六つの光玉――これをこくという――からなる流輪は、日ごと、月ごとにその姿を徐々に変化させている。



 今は消刻しようこく二つ半。



 世の家庭ならば夕餉の片付けまで済ませた時分じぶんであろう。



 消刻は真昼から深夜にかけて、文字通り刻の光が次第に消えていく時間帯、てんこくはその逆、真昼に向かって刻の光が次第に灯っていく時間帯のことだ。



 ――ふと、エゼルは手を止めた。薪を傍らに置く。



 火がぜる音とは別に、誰かが下草したくさを踏みしめる音が聞こえてきたのだ。



 眉間に皺を寄せ、エゼルはそちらの方向を見た。



 音からして、人数はひとり。マクリエたちの足音ではない。小走りに近づいてくる。



 やがて腰丈ほどもある雑草をかき分け、男がひとりエゼルの前に飛び出してきた。



 炊飯の火に照らされ、姿が露わになる。



 この湿気にも拘わらず、頭から足首までを隠す黒色の外套がいとうを身につけていることがまず目に付いた。



 よく見ると、男の外套はところどころ破れている。枝に引っ掛けたにしては、その数と破れ具合が不自然だった。



 彼はエゼルの姿を認めると、立ち止まって膝に手を突いた。荒い息を必死に整えている。



「た、助けて下さい!」


「はい?」


「女に……恐ろしく凶暴な女に襲われて」



 エゼルは天をあおいだ。





 男は自らを展月てんげつ生まれの商人だと告げた。



 自己紹介代わりに、耳に吊り下がっている晶籍を見せてくる。



 ややいびつな楕円形の結晶だった。表面の蒼い色が妙にくすんで見える。



「名についてはどうかご勘弁下さい。襲撃され、このような情けない姿で彷徨っていたという噂が立てば、私は商売ができなくなります」


「どうかお気になさらず」



 その襲撃者はきっと僕の身内です――という言葉をエゼルは飲み込んだ。



 商人は体の至る所に打撲や火傷を負っていた。



 罪悪感にさいなまれたエゼルが手当を施す様子を、商人は感心したように見つめていた。



 応急処置が終わると、エゼルは商人と向かい合って座った。



 商人の手には、エゼルが夕餉に作った汁物を入れた容器が握られている。



 一口すすり、商人は表情を緩めた。



美味うまい。これはそこらの料理人にも引けを取りませんよ」


「それはどうも」



 苦笑しながら自分の分を容器によそう。



 商人は食事の手を止め、エゼルの顔をじっと見つめてきた。「何か?」とエゼルは首を傾げる。



「いや失礼。あなたの生まれ月はいったいいつなのだろうと思いまして。応急処置の手並みを見るとていげつ生まれのようですが、料理の腕はそうげつ生まれに比肩します。実に興味深い」


「興味深い、ですか」



 変わった人だ、と内心で思いつつ、「あなたは流歴りゅうれき九月くげつに詳しいのですね」と控えめに応えた。



 流歴九月とは暦のこと。



 商人が口にした定月も相月も、みな流歴九月の一部である。



 そしてこの暦には、単なる時を表す以上の意味がある。



 商人は容器を握る手を膝の上に乗せた。遠い目で空の流輪を見上げる。



「実は私、たわむれで流歴九月について色々事例を集めているのですよ。別に研究者を気取るわけではありませんが、ほら、展月生まれってそういう人間が多いじゃないですか。何でも法則を見出したがると言いましょうか。私もその例に漏れずというわけで。商人ですし」



 エゼルは頷いた。彼が展月生まれであることは、楕円形をした晶籍を見てもわかる。



 アクシーノ・リテアにおいて、生まれ月がそのまま職業に直結する例は珍しくない――というよりも、そちらの方が普通だ。



 一方、世の親たちは我が子の生まれ月を自由にはできない。



 はらんでから出産するまで何ヶ月もかかる子もいれば、わずか数日で生まれてくる子もいる。



 どの月に生まれどんな職に就くかは、まさに運命が決めるのだ。



「生まれは人を規定する。能力だけでなく、将来も。その象徴が晶籍。だからこそ、晶籍には持ち主の魂が宿るとされているのです。ま、常識ですな」



 商人は言った。エゼルは曖昧にうなずく。



 商人の言う通り、それはアクシーノ人なら誰もが一度は耳にしたことのある文句である。何を今さらと思うほどの話だ。



「この国は生まれによって職業を法で決めておりますが、私は常々、それが不思議でしてね。もしかしたら楕円形の晶籍を持っていても商いをしていない人間がいるかもしれない、もしかしたら涙滴るいてき型の晶籍を持っていても医者をしていない人間がいるかもしれない……そう考えて、商売がてらいろいろ見て回っているのです」



 ――食事をするエゼルの手が止まった。



「……それは、晶籍の運命に抗うことができる人間を探してみた、ということですか?」


「ええ。まさに」


「結果は?」



 エゼルは尋ねた。商人は首を横に振った。



「さすが何百年も前から定められた自然法則だ、そう再確認できただけでしたよ。やはり生まれ月と晶籍の形、能力、職業適性は切り離せない。アクシーノの法は、たいへん合理的というわけです」



 皮肉を込めて、商人は言った。



 エゼルは落胆すると同時に驚いていた。



 生まれによって将来を規定されることがアクシーノの『普通』なら、それに疑問を抱かず、ただ純粋に生まれによる定めを受け入れることがアクシーノ人の『普通』だ。



 もしかしてこの男は何か特別な事情を抱えているのだろうか。自分やマクリエたちのように――そうエゼルは思ったが、口には出さなかった。



「その点、あなたの能力と適性はとても興味深い。ぜひ、詳しくお話を聞きたいです。失礼ですが、あなたの生まれ月は?」


「僕は」



 口ごもったエゼルを商人が期待の眼差しで見つめてくる。



 エゼルは自らの耳に手を当てた。昔を思い出すときのエゼルの癖だ。



 小さく息を吐き、彼は困ったように笑った。



「申し訳ない。僕はなんです。それに晶籍を失った際に、いくつか記憶も飛んでしまっているみたいで。だから自分の生まれがいつなのか、わからないのです。もちろん、自分の力についても」



 そう言うと、商人は深く頭を下げた。



「不躾なことを聞いて申し訳ありません。先ほどの質問は忘れて下さい」


「はは。気にしてないですよ。さ、どうぞ遠慮なく食べて下さい。まだたくさん残っていますので」


「では、お言葉に甘えて。しかし良いのですか? 料理の量を見るに、お一人の旅ではないのでしょう?」


「構いません。ええ構いませんとも。まったく!」



 急に語気を強めたエゼルに商人は怪訝そうにしながらも「いただきます」と汁物をすすった。



 商人にならい、自分も食事に手を付けながらエゼルは内心で自らを皮肉った。




 ――僕も嘘が上手くなった。






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