すべてを呑み込む者


 ジェヤンは小剣を弄びながらアゼルの用意が終わるのを待っていた。

 べつに正々堂々と戦うためではない。

 それは騎士や戦士がやればいいことであって護衛士の流儀ではない。

 待ったのは単に興味があったからだ。

 アゼルが本当に三刀を使いこなせるのか。が本当なのか。



 アゼルが近づいて行くと、ジェヤンは小剣を弄ぶのを止め、口を開いた。

「おまえを殺す前に聞いておきたいことがある。なんで俺だとわかったんだ?」

 アゼルは立ち止まると、悲しげな目でジェヤンを見た。

「ヤイツクの宿であなたに再会した時に、おそらくとは思っていました」

「……会っただけでか。俺はいったいどんなヘマをやらかしたんだ?」

 アゼルはあの時にはもう、今回の件はジェヤンの仕業だと思っていた。

きの道中、サルラン峠に向かう道には最近通った足跡も野営の跡もありませんでした。それらを覆い隠すほどの雪も降らなかった。俺はてっきり、あなたは違う峠を行ったものと思っていたんです」

 実際のところは、ジェヤンはサルラン峠に潜伏していたわけだが、足跡がついていたら誰かがいることがすぐにばれる。

 この時期に峠越えをする人間など早摘みに行く者しかおらず。それぞれが違う峠を通ることも決まっていた。そうなると残るのは直前に宿を発ったジェヤンしかいない。

 そのためジェヤンは麓から道を通らずに、サルラン峠まで行ったのだろう。かなり険しい道のりだが不可能ではない。

「先行する足跡がないのに、あなたはヤイツクにいた。説明がつかない」

 だからあの時アゼルは驚いたのだ。突然の再会に驚いたのではない。

「仮に足跡は雪や風が都合よく消してくれたと考えて、あなたがヤイツクに先に着いていたとします。そうすると今度は別の疑問が出てくる。宿で再会したあなたの第一声は『探したぞ』だったが、これはどう考えてもおかしい。俺たちは出発を一日遅らせ、リンボクの熱でさらに一日遅れ、計二日遅れでヤイツクに到着している。もっと早くに俺たちと接触できたはずなんです」

 ヤイツクに差配屋の宿が複数あるとはいってもたかだか四、五軒だ。全部に声をかけておいて言伝ことづてを残しておけばいい。だが宿に到着してすぐに主人と話をした時にも、そんなことは言われなかった。

 結局のところジェヤンの行動はすべてが不自然だったのだ。

「……なるほど。そもそも初めから無理があったというわけだ。まあ言い訳じゃないが俺も焦っていたんだ。この峠で待っている時もおまえたちは想定より一日遅れで来た。平原でおまえたちを追い越してヤイツクで待っていても、やはりおまえたちは一日遅れで来た。おかげであの使えない連中が疑い出してな、なだめたり脅したりして引っ張り出すのに苦労したんだぜ」

 ジェヤンは右手に持つ小剣二本を交互に投げ上げ始めた。

「これで知りたいことはすべて聞いた。おまえがよければ始めるとしよう」 

 アゼルは頷き、ジェヤンへと近づいていく。

 二人の距離が縮まり、あとわずかで間合いに入るというところで、ジェヤンが頭上に小剣を投げ上げた。

 同時にアゼルも鉈を投げ上げる。

 次の瞬間、二人の小剣がぶつかった。

 右、左と攻撃してからジェヤンは浮いている三本目の小剣を掴み振り下ろす。

 アゼルも左、右と攻撃を受け止めて、浮いている鉈を手にすると、ジェヤンの振り下ろしを弾き返した。

 左からの袈裟斬りを対角線からの逆袈裟で弾き、首を狙った突きを刃上を滑らせて受け流す。

 一見すると互角に見える攻防だが、やはり攻めているのはジェヤンであり、アゼルは受けに回っていた。

 ジェヤンは先程よりもさらに速さを増した手捌きで、次々と小剣を持ち替えては息をつかせぬ攻撃を繰り出していく。

 アゼルも小剣と鉈を持ち替え、その動きに懸命についていく。わずかでも判断が遅れたり手元が狂えば、そのまま勝負が決していただろう。

 それでも二刀同士の戦いの時と同じように、アゼルは致命的な攻撃をもらうことはなく、ぎりぎりのところで踏みとどまっていた。


 レシアは呼吸するのも忘れて、それを信じられない思いで見ていた。

 どう考えても一度見て真似できるものではない。ましてやアゼルには揃っていない武器を使っているという不利があるのだ。

 神がかっているといっていいだろう。


 長い攻防に先に根負けしたのはジェヤンだった。

 浮いている小剣を掴み取ると同時に後ろに下がり、間合いを空ける。肩で息をしながら額の汗を拭った。

 アゼルも同じように荒い息をついて呼吸を整えている。

 その体は満身創痍だ。左頬から眉にかけての傷は激しい動きで再び開いてしまったらしく血が流れ落ちている。

 腿や右肩、腹をはじめ、体中に斬り傷があり血が滲んでいる。

 だがその目からは光が消えていなかった。 

 アゼルとジェヤンは間合いを詰めると、再び斬り結び始めた。

 先程までと同じように互角の攻防が続いたが、ジェヤンは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 ――自分が押され始めているのだ。

 長時間戦っている影響でたしかに疲れはあるが、それでも速さが落ちてきているわけではない。

 ということはその要因はアゼルにある。


 そのことは見ているレシアにも感じられた。

 防戦一方だったアゼルが徐々にだが攻撃に転じ始めているのだ。

 三つの武器を操るその動きは、鉈が混ざっていることを感じさせない。

 むしろジェヤンよりも動きが滑らかになっていくのがわかる。


 その時、いままでの剣戟より一際高い金属音が響き渡った。

 ジェヤンの右手がくうを掴む。

 アゼルの攻撃が、ジェヤンが浮いている小剣を握るよりも早く、それを弾き飛ばしたのだ。

 ジェヤンは防御の姿勢を取り慌てて後ろに下がる。

 だがアゼルは追撃の姿勢をみせなかった。

 それを確認して、ジェヤンは雪に刺さった小剣を拾い上げる。

 体からは冷たい汗が流れ落ちるのに、口元は知らず知らずのうちに緩んでいく。恐怖が体を支配しているのに何故か笑いが零れてくる。

「噂は本当だったな。なあレイナスの息子」

 アゼルはそれを聞いても表情を変えることなく間合いを詰めていく。

 ジェヤンはそれを迎え撃った。


 形勢は完全に逆転していた。

 アゼルの攻撃をジェヤンは防戦一方でかろうじて受け止めている。

 疲れと焦りでジェヤンの剣捌きが鈍るのに対して、アゼルのそれはひと振りごとに練度を増していくのだ。

 そしてついにアゼルの攻撃がジェヤンをとらえた。

 逆手の左薙ぎがジェヤンの側頭部に当たったのだ。ただその時に握っていたのが鉈だったためジェヤンは命拾いをした。

 鉈の峰でこめかみを打たれ、意識が飛んで膝から崩れ落ちそうになるのを、意志の力で踏みとどまる。 

 それでもこめかみからは血が流れ落ち、衝撃で目が霞んでいた。なんとか倒れずに立ってはいるが、足に力が入らず踏ん張りがきかない。

 戦いの趨勢は決したと言ってよい。

 アゼルは何も言わずに、ただジェヤンを見ている。

「ふん。なんて顔してやがる」

 ジェヤンは口元を歪めた。

 目の前のアゼルは明らかに悲哀の表情を浮かべていた。

「……アゼル。最後におまえの誤解をといておく」

 疲れのせいか、受けた傷のせいか、声は掠れ聞き取りづらかったが、ジェヤンは構わずに続けた。

「おまえはレイナスの息子の名が、まずレイナスありきだと思っているらしいが、それは違う。おまえを知る連中はアゼルの名を出すのが怖くて、レイナスの息子と呼んで誤魔化しているのさ」

 アゼルの表情が固まる。

「レイナスに弟子ができたとたしかに話題になった。だがそれはレイナスが弟子を取ったからじゃあない。その弟子が薄気味悪い餓鬼だと話題になったんだよ」

 ジェヤンは表情の消えたアゼルの顔を見た。

「俺も噂はいくつも聞いた。なんでもその餓鬼は、一度でも見たこと聞いたことはすべて覚えて自分のものにしちまうらしい。そのせいで特殊な技能を持っている奴らは、おまえのことを露骨に避けていたらしいな」

 ジェヤンの語りを、レシアとリンボクも息を止めるようにして聞いている。

「本人の前じゃ誰も口にはしないが、おまえだってもうひとつの自分の異名を聞いたことぐらいはあるんだろう? 畏怖される〈すべてを呑み込む者〉という名を」

 それがアゼルのもうひとつの異名だった。

 アゼルがそれを最初に聞いたのはまだレイナスが生きていた頃だ。

 耳にしたのは偶然だったし、最初はそれが誰のことを言っているのか、わからなかった。

 だがそれが自分のことだと知ってからは、できれば聞きたくない言葉だった。

 ジェヤンの言うとおり、その名は恐怖と忌み嫌われるものとして語られていたからである。

「俺はレイナスの息子の名が羨ましいと言ったことがあったな」

 アゼルもそれは覚えている。ザヤの宿でジェヤンからレイナスの昔話を聞いた時のことだ。

「これがその理由だ」

 アゼルの怪訝な顔を見て、ジェヤンは微かに笑う。

「本来なら化け物まがいの異名で呼ばれるところを、おまえはレイナスの息子という名によって守られているんだよ。死んだ後までおまえの師匠は守ってくれているんだ。それを嫌っていたらレイナスが悲しむぜ」

「……レイナスが、俺を守っている」

 憑き物が落ちたようなアゼルを見て、再びジェヤンは小さく笑った。そしてすぐにその笑いを納め、手に持つ小剣を握り直す。

「こいアゼル。最後の勝負だ」

 アゼルも表情を引き締めると、ジェヤンに対峙した。


 二人の間合いが詰まり、同時に小剣と鉈が頭上に投げられると、お互いの攻撃が交錯した。

 残りの力をすべて解放したかのように、激しく先行したのはジェヤンだった。

 それは逆転した形勢を再び覆したかに見える。

 しかし攻め立てているジェヤン本人が、そうではないことを理解していた。自分が完全に限界を迎えているのに、アゼルの底はまだまだ見えないのだ。

 五本の小剣とひとつの鉈が、乱舞するように宙を斬り裂く。

 絶え間なく続く刃同士のぶつかる音が――半拍途絶えた。

 次の瞬間、ジェヤンの両手が同時に振り下ろされる。 

 その必殺の同時攻撃を、アゼルは腕を交差して両手とは反対の位置に浮いていた小剣をそれぞれ掴み取ると、左右同時の逆薙ぎで受け止めた。

 しかし受け止められた瞬間、ジェヤンは手首を返すようにして、自分の小剣でアゼルの小剣を巻き込んで落とす。

 そして頭上の三本目の小剣を両手で掴み取ると、渾身の力を込めて斬り落とした。

 二人の動きが止まる。


 アゼルの左手は鉈を握り、ジェヤンの小剣を受け止めている。

 そして右手は短剣を握り、ジェヤンの左胸を突き刺していた。


「ふ……。四本目かよ……。この……化け物め……」

 ジェヤンがゆっくりと仰向けに倒れていった。


 

 ジェヤンにとって不運だったのは、冬山用に重ね着をしていたこと、短剣の刃渡りが短かかったこと。そのふたつが重なり、心臓に届いた攻撃が即死に至らなかったことだった。

 だが致命傷には間違いなく、ひと呼吸ごとに口からは血が吹き出ている。

「剣を……よこせ……。おまえじゃ……とどめは……無理だ……。自分で……やる……」

 アゼルはジェヤンの傍らに膝をつく。

「――いえ、俺がやります」

「嬢ちゃん……には……見せない……ほうが……いい……。女……、後ろを……向かせて……おけ……」

 それに反応してレシアがリンボクを後ろに向かせようとした時、アゼルが大声をあげた。

「駄目だ、リンボク! ちゃんと見るんだ!」

 リンボクは声の大きさよりも、その声に含まれるものに身を竦ませた。

「ヤイツクの宿で俺は言ったはずだ。この道を行くことは三人で決めたことで、責任の一端はリンボクにもあると。どんなことが起きたとしても受け止める覚悟はあるかと」

 そのことはリンボクも覚えている。そして即答したのだ。――深く考えることをせずに。

「リンボクはあるとこたえた。ならば俺がジェヤンを殺すところを最後まで見ないといけない。それがこの道を選んだ者の義務だ!」

 リンボクは渇ききった口から無理やり言葉を引き出す。

「――わかった。ちゃんと見てる」

 その震える肩をレシアが抱く。

 アゼルは小剣の刃をジェヤンの首にあてた。

「――あなたとは、違う形で会いたかった」

「そう……いうのを……、くだらない……感傷と……いうんだ……」

 ジェヤンは小さく笑うと目を閉じる。

 アゼルは一気に小剣を引いた。

 鮮血が飛び散り、白い雪を赤く、赤く染めた。


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