第八章 魔女たちの戦い①

 ミリアムが儀式のために皆と鉱山に入った日、ミリアムと別れたトリクシーはエルテペの町に行った。イセルダからの指示でオルト婆に作ってもらう薬の材料を仕入れるためだ。そこで一泊した翌朝、すぐにソロ村へ帰りオルト婆の小屋を訪れた。ミリアムのいなくなったオルト婆の様子が心配だった。

 トリクシーのノックでドアを開けたオルト婆はすぐ笑顔を作った。しかし、体にはピリピリとした緊張を帯び、目にも普段にはない気迫が残っていた。魔法を使った時の魔導士のあり様だった。

 オルト婆はトリクシーに椅子をすすめ、自家製のハーブ茶を入れ、自分は大きな食卓を挟んだ真向かいに座った。

「来てくれて助かったよ。一人でいると気がせいてね。一度は腹をくくったんだが、やっぱり落ち着かないねぇ」

「なにか魔法を使っていたんですか」

 オルト婆は小さくうなり、そして大きなため息とともに肩を落とした。

「あの鉱山のことはただの鉱夫よりも知っているつもりだが、ミリィが行った深淵の所はいつも探査の魔法が通らない封印された場所だ。ロスアクアス家の大事な儀式なんだから大丈夫と思ったが、よく考えたらピサロが死んで最初の渡りなんだ。そう思い始めたらもうたまらなくなってね。万が一の用心はしておいたがそれで間に合うかどうか……」

「用心ってどんな?」

 オルト婆が左腕をあげると、袖がめくれて腕に付けている古い小手が見えた。

「これはククルトを封印するためにミリィがつけていたものでね。ぼろぼろになっても直す奴が来ないもんだから役に立たなくなっちまった。でもククルトの力にはまだ反応する。この小手の繊維をミリィの服に縫い込んであるから、なにかあってククルトが大きな力を使えば伝わる……んじゃないかと思ってね」

「どんなに離れていても?」

「作ったやつが私より腕のいい魔導士だから、私よりは伝わりやすいかもってくらいの予想なんだがね。私にできるのは、その反応でちょっとした仕掛けが動く紋を描くことぐらいだったよ」

 オルト婆は自分のお茶をずずっと一気に飲んで大きく息をついた。

「ああ、一息にしゃべったらさっぱりしたよ。私だってやるべきことはやっているじゃないか。これ以上あのおてんばに何ができるっていうんだ。呪われ子ってことは最高の守り神がいるってことなんだから。さあ、あんたの用事を聞かせておくれ。仕事を持ってきてくれたんだろう」

「やってもらえますか?」

「これ以上の気晴らしはないよ」

 トリクシーが薬のメモと買ってきた材料を食卓に広げると、オルト婆は袖をまくって(小手は付けたままだったが)メモと材料を吟味し始めた。薬作りに集中してすっかり元気になったようだったが、顔はまだ土色だ。トリクシーはミリアムが帰ってくるまで一緒にいることに決めた。

「おばあさん。今日は泊ってもいい?」

「いいよ。ここにいる分手伝ってもらうけどね」

 その反応があったのは、二人で晩御飯を食べている時だった。オルト婆が急に匙を取り落としたのだ。顔が真っ青になって体が震えていた。トリクシーはすぐにそばにいって背中を支えた。その時左腕の小手も触ってみたが、トリクシーにはどんな反応があったのか分からなかった。オルトは声を震わせながら言った。

「間違いないよ。一瞬つながった。ククルトがあんなに怖がるなんて。今から行って間に合うかどうか……」

「おばあさん落ち着いて。もう夜だから鉱山には入れてくれないかも」

「でもね、危ないのはミリィだけじゃないかもしれないんだよ。それを話せばきっと……」

「ミリィは、帰ってくるよ」

 きっぱり言い切ったトリクシーにオルト婆は目を見張った。

「どうしてそんなにはっきり言うんだい」

 オルト婆を手伝いながら、トリクシーはガナンの言葉を思い出していた。

『ミリアムはガナンに剣を突き立てる』

 それは、ミリィがちゃんと帰ってくるという意味だ。そのことに気づいた時すぐオルト婆に話そうとしたが、次に発したガナンの言葉が閃いて、トリクシーは口をつぐんでしまった。

『このことをここにいる者以外に話すと約盟が果たされない』

 約盟ってなんのことだろう──トリクシーはずっと考えていたが思い当たる節はなかった。今も分からない。もしそれがミリィたちにとって大事なことだったら──

 考え込んで止まってしまったトリクシーの肩を、今度はオルト婆が優しくさすった。

 オルト婆は立ち上がると竈の火に薪をくべた。火は青白い炎を上げて燃え盛った。

「おばあさん、それは……」

「ミリィを迎える準備さ。帰ってくるんだろう? 言えない事情があるなら言わなくていいからまた手伝っておくれ。帰ってくるのはいいが、ククルトの力を使ったとなるとどんなお客を連れて帰るのか……それは確かだろうから」

 オルト婆は薪の束から木の種類を選びながらくべると、火は七色に変化し、その前でオルト婆は印を結んだ。

「私としたことが忘れていたよ。魔導士はこういうときにこそ冷静に陣を描き、呪文を唱えながら前線の戦士を待つべきものだったってことを」




 なだらかな斜面を背中でするするとすべる生ぬるさがミリアムの意識を目覚めさせた。

 暗くて狭いトンネルを滑り終えてしりもちをついたところも真っ暗だった。地面は固い岩で、ちょろちょろと水の流れる音があたりに響き、ひんやりした空気が水と共に先へゆっくり動いているように感じる。今くぐってきたトンネルよりはずっと広い所に出たのは間違いないが、その水や空気がどこへ向かっているのかさっぱり分からない。

 ──ククルト、ククルト、ここはどこ?

 左腕からの返事はなかった。ククルトは深く眠っていた。力を使い尽くし疲れ果てたようだ。

 カンテラなどが入った鞄は失くし、持ち物は腰の剣だけだ。ミリアムは、そのたった一つ残った剣をぬいて、周りの闇を上下左右に払ってみたり、こつこつと床をつついてみたりした。地面と自分が出てきたトンネルのある崖のほかに剣に当たるものはない。かたい地面には細い水の筋が何本かあって、緩い傾斜にそって流れているから、この先がどこかに続いているのは確かなようだ。しかし、こんな自分の鼻先も見えない闇の中を独りで進んでいかなければならないのか……ミリアムは立ちすくんだ。カイエン人の巣はまだ明るかった。暗い坑道を走った時はククルトがいた。ククルトはまだ寝ている。本当の独りだ。

 どのくらいそのままだったか分からない。とっくに時間の感覚は麻痺していた。後ろからするすると滑る音がしてはっと我に返った。ミリアムは音のする崖の方に剣を構えた。

 崖の岩の間から光がちらちら漏れて、ミリアムがくぐってきたと思しき穴から頭に光の塊を乗せた人間が滑り下りてきた。その人間が立ち上がったとたん強い光が暗闇に満ちて、目のくらんだミリアムは動けなくなった。

「やあ、呪われ子さん。俺を家まで……ああ少し待ったほうがよさそうだね」

 声はカウロだったが、彼の言葉にしては違和感があった。

 ミリアムが痛む目を手の甲でかばいながら、現れた人物を見定めると、背格好はカウロだが妙な塊を頭に乗せていた。ピカピカと点滅する血晶岩塩の小石が集まってさざれ石のようになった塊で、それが顔の目の下まで覆っていた。

「動かないで!」

 ミリアムは剣を構え直して叫んだ。明るくなった洞窟内にミリアムの声が遠くまでこだました。

「あなたは誰? カウロなの?」

「そうだよ」

 さざれ石の下の口がにこっと笑うと歯が光を反射して、その輝きがさらにミリアムの目を焼いた。辺りを全く気にしてなさそうなカウロの様子にミリアムはぞっとしながら、なんとか言葉を絞りだした。

「それで、その……その頭は、どうしたの」

「特別な役目を任されてね。俺はロスアクアスの人間だから」

「役目って……それにファニは」

「ファニも役目を全うした。君も一緒だっただろう。ファニは戦った。戦う器官だったから。そして、君も戦うための器官で、まだ役目がある。一番強い毒針として俺を家まで送るんだ。ガナンと会うまで誰にも俺に手出しをさせてはいけない」

「帰るって……」

 ミリアムは構えを崩さずに首だけで辺りを見回した。カウロの光のおかげでミリアムの家がすっぽり入ってしまいそうな洞窟がずっと続いているのが分かる。濡れててらてらする固い岩の壁と卵型の天井にのみの跡がついている。この穴は人工物で、ミリアム達が出てきた狭いトンネルある崖が土砂崩れで埋めたのかもしれないと、ミリアムは考えた。

「ここを行けば帰れるの?」

「方向はあっているだろう。君が呼んだ魔導士の繋がりをたどってここに出たそうだ」

「出たそうだって、誰がそう言ってるの? ファニは死んだの? あなたの役目ってどういうことなの?」

「うるさいな。みんなを帰す役目だよ。そう、ファニも。俺が役目を果たさないとファニやみんなの働きが無駄になる。君に宿っている竜も。彼が集まった我々を守ってくれたからここまで来た。さあ早くいこう。追手はしつこい。必ず追ってくる」

 カウロが歩き始めたので、ミリアムもついていった。本当は不気味なカウロのそばにいたくなかったのだが、カウロの明かりが必要だ。ミリアムは石に覆われたカウロの後頭部から細い糸が一本出ていることに気がついた。蜘蛛の糸よりも細く、石の光を反射してようやくわかるくらいで、カウロが出てきたトンネルの奥へと伸びている。

「あの……後ろに何かついているけど」

「気にするな。それよりも前に出てくれなきゃだめだろう」

 カウロに促されてミリアムは気持ち二三歩先を歩き始めた。石の光を受けてできる自分の影が前に回り込んで前を暗くしないように。浅い流れとつるつるした底に足を取られないようにゆっくりと。影は斜め前を岩盤の壁にそってミリアムを先導しながらゆらゆらと進む。

 少量の水の流れる音とそれを踏みしめる音と天井の雫が垂れる音以外なにもない一本道が続いた。たまに緩やかにカーブを描くこともあったが迷うような横道はなかった。カウロもミリアムもしゃべらなかった。濡れた足先から体が冷えてくると、ミリアムは片手に剣を持ちかえ、もう片手で体をさすりながら歩いたが、カウロはそんな素振りは見せなかった。ただ時々頭をぼりぼり掻いた。血晶岩塩に覆われた頭がとてもかゆいといい、指先に血がにじんでも搔き続けた。

 やがて、単調な道行で研ぎ澄まされたミリアムの耳に水音と歯の音とは別の音がかすかに聞こえてきた。キイキイと何かがきしむ高い音だ。ミリアムはカウロの前に出てどんどん歩いていくと、石の光を遮った自分の影の先で上から一筋の弱い光が差した。前に垂れる黒い布に一本の針が刺さったようだ。ミリアムは急いでそこに近づいた。トンネルの天井に丸い穴が開いていて、そこから木の根っこが何本か垂れ下がり、その木の根が一握りの太さに縒られて掴む小さな木の椅子がミリアムの顔の前でぶらぶらゆれている。これがきしむ音の正体だった。その椅子にも見覚えがある。ミリアムが直したガナンの友達の一つ。ミリアムは木の根を引っ張ってみた。体を支える強度は十分ありそうだ。

 歩調を変えずゆっくりやって来たカウロがようやく追いついてきた。

「着いたかい」

「たぶんね」

 ミリアムは剣を腰に差し、椅子を足掛かりに木の根を股に挟んで登り始めた。

 かじかんだ手足がなかなか思うように動かず、体力も残っていない登りはつらかったが、あのカイエン人の汚い穴を進む時と比べたら気楽なもんだと自分に言い聞かせた。カウロと離れられるのもよかった。天井の穴に差し掛かると穴の周囲は石とセメントで補強されていて、木の根は石の隙間のセメントを割って出ている。木の根とその出っ張りを足場にやっと井戸から出ると崩れるように倒れた。

 井戸の縁にもたれかかって辺りを見ると──司祭の部屋だ。登ってきたのは司祭の部屋にあった井戸だったのだ。もともとは手漕ぎポンプで蓋がされていたが、ブランボのゴルディロックスと戦って部屋が壊れた際にポンプは吹っ飛んでしまっていた。

 井戸は司祭の部屋の中の台所の隅にあって、大部屋からは陰になっている。明かりのついた大部屋からは話し声が聞こえる。

 井戸の下からカウロが叫んだ。

「おーい。何してる。早く俺も上げてくれよ」

 大部屋の声がピタッと止んで、人が駆け付けてきた。隠れる時間もなかった。やってきたのは、ブランボの助手の二人だった。二人はミリアムを見つけて顔をこわばらせた。

「お前、どこから入って来たんだ」

「おーい。早くしてくれよ!」

「え、ここに誰がいるのか」

 二人が井戸をのぞき込んで目を丸くした。

「水がなくなったのか」

「ずっと歩きっぱなしなんだ。早く上げてくれ」

「その声はカウロさんか」

「おい、あれカウロさんなのか」

 ミリアムが頷くと、二人は隅にあった釣瓶を天井の滑車にかけてゆっくり降ろした。

 釣瓶の桶にカウロが足をかけてロープに捕まると、二人は力を合わせてロープを引いた。頭の光っているカウロが井戸から現れると、二人は一瞬ロープを取り落としそうになったが、すぐに気を取り直しカウロの体を掴んで引き寄せた。

「大丈夫ですか」

「ああ、大丈夫だ。心配かけたね」

「一体それはなんの魔法ですか」

「ブランボさんにかけられたんですか」

 カウロは二人の問いには答えず、大部屋の方へ少しふらつきながら歩いていった。そのまま大部屋を横切って、その奥のガナンのいる小部屋へ入っていく。カウロの後には後頭部から出ている細い糸が井戸からずっと続いていた。

「おい、どうなっているんだ」

 カウロに無視された二人は、代わりにミリアムに質問をぶつけてきたが、ミリアムにも分からないことだ。ミリアムは二人に首を振ってみせてから、黙って歩いて小部屋を覗いてみた。

 ガナンは相変わらず大きな球根ような体を素焼きの鉢の上にどっしり乗せていた。ただ、ミリアムが鉱山に入る前に先頭からするりとのびた枝は抜け落ちていて、枯れて何本かに折られて鉢の土の上に無造作に置かれていた。

 カウロはガナンの前に立って、両手でガナンの球形の体をカリカリ掻いいていた。ガナンの上皮が微かに乾いた音をたてたが、指はすべって皮に薄い線をつけるだけだった。それでも、カウロはブツブツ呟きながらひっかくことを止めなかった。

「この子、ずいぶんと堅くなったもんだ。守り過ぎてこんなに堅くなっちゃって。もういいんだけどな」

 しばらくすると、ガナンがくすぐったがるように少し震えだした。カウロは掻き続け、指先の血でガナンの表面がぬるついてきた。

 カウロがミリアム達のほうへゆっくり振り向いた。ひぃっと助手二人は短い悲鳴をあげて大部屋へ引っ込んだ。ミリアムも無意識に後ずさっていたが、カウロにゆっくり呼ばれて固まった。

「おうい、呪われ子さーん。なんとかしてくれ。堅くなりすぎて、ガナンにもどうにもならない、らしい。だれだぁ。こんなになるまで、ガナンをいじめたのはー」

 後ろで助手の悲鳴が聞こえた。ガナンの根に足を掴まれ転がされている。逃げられないらしい。ミリアムは意を決してカウロを見据えた。

「私は、どうしたらいいの」

「ガナンが守ってきたものを外に出してくれ。早く。かゆいなあ、頭が。かゆくてたまらん」

 ミリアムはおもむろに腰の剣を抜くと、振りかぶってガナンに切りつけた──が、ガナンの皮に刃がつるりと滑るばかりだ。そこで、枝が生えていたガナンの先頭部分に力いっぱい突き刺すと、剣先がざくっと拳ほどの深さに入った。そのまま自分の全体重をかけて剣を降ろす。ガナンの分厚い上皮がバリバリと裂けて、青臭くみずみずしい白い身が露わになった。傷口は白い身の奥まで進み、ついに、ガナンの奥のど真ん中にある黒っぽい物体を現した。

 物体は丸まった人の形をしていて、ゆったりしたドレスを着ていた。その人物は両手で膝を抱えており、手足は黒く硬く乾いた炭のようになっていた。赤を基調としたドレスには、ミリアムの衣より複雑な魔方陣が様々な色で刺繡され、その紋様は布をはみ出して堅い手足の先、人物を包んでいるガナンの中身まで広がり、刺繍そのものでガナンと人物を繋ぎとめているようだった。ただ、首から先の頭がなかった。

「これだこれだ」とカラカラ笑うカウロの声で、ミリアムは我に返った。カウロはミリアムを押しのけてガナンの中の人物と対面すると、自らの顎を両手でつかんで自分の頭を兜を脱ぐかのように取りあげた。そして、ご丁寧に自分の顔面を中の人物の向きに合わせてくるりと回すと、頭のない人の体に乗せたのである。

 カウロの体はそのまま前に倒れ、あふれる血とともに生気を失っていった。

 反対に首を乗せられた体は、見る見るうちに弾力と血色を取り戻していった。

 カウロの後頭部にくっついて井戸の下までのびていた線が熱を帯びるほど白く輝き始めた。首は新しい体にしっかりくっついた。頭の血晶岩塩は数回激しく点滅したあと、ぱりんと乾いた音をたてて砕け散った。

 血晶岩塩から現れた顔は、カウロではなかった。ミリアムは得体のしれない人物から離れようと思ったが、体が動かなかった。顔はミリアムの知らない若い女の顔だったが、どこかで会った覚えもあった。女は目だけをきょろきょろ動かして部屋を見回した。

「司祭の部屋だな。少し変わっているけど。ピサロが生きていれば『術式成功。ひゃっほー』と小躍りしてるところだな。ノリのいいじじいだったからな」

 女の呟く声はミリアムが夢であった影のものに似ていた。それで更に記憶をさかのぼってみた。あの顔は、ミリアムはイハラゴの下でブランボと司祭が話している時、現れていた腫れ物の顔と似ているのだと気づいた。女はミリアムをじっと見つめながら、柔らかくなってきた両手をゆっくり開いた。手のひらには白い魔石と赤い魔石が埋め込まれていた。

 女が棒立ちのミリアムにかけた声は優しかった。

「これを持って遠くへ逃げなさい。こことは縁のない土地で砕いてほしい。かけらは売ってもいい。ただし、あいつらには絶対渡さないで。術が解けてしまう」

 魔石に手をのばそうとしたが、まだ動かなかった。金縛りを解こうとミリアムは頭の檻の中で必死にもがき、なんとか口元を緩めることができた。

「あなたは……おばあちゃんの知り合い? どこかで会ってる気がする。覚えていませんか。オルト婆さんを」

 女は一瞬頬をゆるめたが、すぐに笑みを殺して言い放った。

「二度と会えない友人に伝えて。ガナンの時空に根を張る能力を使って、あいつらの神から力を……血肉にされた人の魂を解き放っている。だから、ガナンはもうただのゴルディロックスだ。未来を探るようなことはできない、と。早く」

 口の動きが手足に伝わり、全身が動くようになった。ミリアムはカウロの死体を乗り越えて、二つの魔石をほじくった。ミリアムは魔石を握りしめたまま部屋の入り口へ走った。助手の二人はいなかった。ガナンの根はちぎられていた。振り返るとガナンの白い身から青い茎と葉がするするとのび、天井を這っていくところだった。女の体はその茎の束が絡まり同化していっている。ミリアムは部屋を出て急いで階段を上がった。

 外は真夜中だった。館の中では誰にも会わなかったが、庭に出ると誰かの騒ぐ声が聞こえてきた。館を出る近道は、正門の小口を通ることだ。ミリアムは目立たないように庭の隅を歩いて門へ向かうことにした。

 ミリアムが疲れにまみれた体で星明りを頼りに植木の陰を歩いていると、館の裏から奥方とたいまつや魔石燈を持った男たちがやってきた。とっさにミリアムはしゃがんで様子をうかがった。彼らは奥方と共に館に入る集団と、門へ向かう集団とに分かれた。門の集団はミリアムに気づいていて、こちらに近づいてくる。剣はガナンの所に置いてきてしまった。ミリアムは魔石を懐へ隠し、立ち上がって門を目指した。いつもの調子なら走ってさっさと小口をくぐってしまえる距離なのに。動かない足がもどかしい。

「止まれ」

 門の直前で集団を率いている男に声をかけられた。

「どうしてお前がここにいるんだ。カウロさんは、ファニ……いや、シエラは、ブランボさんはどうした」

 ミリアムは手を合わせて男を拝んだ。

「私にはどうしてこうなったのかわかりません。お願いです。おばあちゃんのところに行かせてください。魔導士のおばあちゃんじゃないと、何が起こったのか分からないと思います」

 ミリアムが懇願していると、館から奥方の悲鳴が上がった。館から飛び出してきた男たちが叫んだ。

「ガナンが発芽している!」

「カウロさんが、死んでいるぞ!」

「そいつを捕まえろ!」

 男たちが一斉にミリアムに手を伸ばした。ミリアムはその手をかいくぐり、門の小口を開けようとしたが、寸でのところで門番に押し戻されてしまった。男たちに両手を掴まれてミリアムは引きずられた。

「離して! お願いです! おばあちゃんのところへ行かせて!」

 ミリアムは叫びながら足を踏ん張ったが無駄だった。その足も掴まれそうになって、ミリアムは夢中であたりを蹴りまくった。

「大人しくさせろ。頭に一発かませ!」

「ちょっと待ったー!」

 門の外からトリクシーの大声が響いた。

「門から離れて! 頭を伏せろ!」

 反射的にミリアムが地面に突っ伏した瞬間、ロスアクアスの大門が粉々に砕け、男たちが衝撃をもろに受けて吹き飛んだ。

「帰ってきてた! 予言通りだなんて、ガナンてすごいのかな」

 大穴の開いた門の外に、両手に肘まで覆ったガントレットと見まごう大きなナックルをはめたトリクシーが、右手の正拳を突き出したまま立っていた。

「ミリィ、迎えに来たよ!」

 トリクシーは素早く門の穴をくぐってミリアムのそばに来た。ミリアムに肩をかしながら左のナックルをガシャンと震わせると、甲のプレートの隙間から真っ直ぐな刃が飛び出た。

「動くな! 寄らば切るぞ!」

 トリクシーは茫然とする男たちを睨みながら、ミリアムを担いで門の外に出た。外にはミリアムの家のロバが一頭待っていた。トリクシーはロバにミリアムを乗せてロバの首をしっかりつかまえさせると、手綱を引きながら走り出した。

 ロスアクアス家の騒動は村にも伝わりつつあった。メイン通りの家に火が点り、何人かの村人が眠い目をこすりつつ、得物を持って外へ出てきた。

 トリクシーはナックルの刃を振りながら叫んだ。

「道を開けろ! 邪魔をするな!」

 ミリアム達は村を通り抜け、村の門のところまで走った。

 門の外では、オルト婆が杖を振りながら呪文を唱えていた。

「あんたたち、早く家に入んな」

「おばあさんも来て。ミリィがもうぐったりしてるよ」

「門を閉じたらね。これでしばらく誰もここを通れない」

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