#27 1人でも、大丈夫

「一緒くらい、か……」

 二本足で立った異形を見上げると、首が痛くなるほどだった。


「ヴォアアアアアアッ!」


 やはり倍どころの話ではない。ギアーシュと刺し違えたアイツと同じか、ひょっとしたらそれ以上か、優に俺の3倍はあるだろう。


 それ以外の身体的特徴は、他のアラトリーと一緒。手足は長く、眼球も耳もなく、頭上に角がある。


 ただ、その角の色は少し異なる。普通は白、4人で最後に戦ったもう1匹のリーダー格は赤、そして今回の相手は、青。



「まとめ役になると角に色がつくのかしら」

 自分の冗談に軽く笑うアイナ。かもね、とマティウスが返す。


「あれがリーダーの証ってわけ――」


 そこで止まる。喉が、それ以上の言葉を発することを拒否する。



 なぜこんなことに気付かなかったんだろう。

 なぜこんなことを忘れていたんだろう。

 そうか、そうか、そういうことなのか。

 運命ってのはどこまでも偏屈で、そうやってどこまでも俺達を追い回すのか。



「…………オリヴェル?」


 クックックと、自分勝手に声が漏れる。

 歓喜なのか怒気なのか、分類しづらい感情が腹の底でぐるぐると回る。


「ヴォオオオオオオオオ!」

「へへっ、お前か……」


 ただただ相手の顔をギリギリと睨みつける。


 、その顔を。



「2年ぶりだな」

 顔を覗き込んでいたアイナとマティウスの表情が、サッと変わった。




「そんな…………」

「……オリー……」

「大丈夫だよ、マティ。自分でもびっくりしてるけど、冷静だ」


 そして、彼の左隣に並ぶ。


「一撃必殺は期待できないな。作戦通り、二手に分かれるぞ」

「だね」


 話していると、緑色の光の膜がぐにゃりと3人を包む。それは、防御魔法。


「援護は任せて」


 俺の左に並んで、手探りで腕を掴むアイナ。

 「不可視の法術ダブル・インビジブル」、目の利かない暗闇の中で、その強い表情は、まるで視えているかのよう。


 この3人で、このパーティーで、立ち向かう。



「行くぞ!」

 冒険を締めくくる戦いが、始まった。





「オリー! まずは僕から行く!」


 真正面から突撃するマティウス。敵が掬いあげるように地面に伸ばした手を俊敏に避け、右斜め前に跳びながら抜刀した剣を横に払った。


「しいっ!」

 しかし、そこに斬撃の音はない。狙った足にぶつかっただけで、刀身は跳ね返された。


「……ふう。やっぱり中途半端な攻撃じゃダメだね」


 これまで遭遇してきた多くのアラトリーなら斬れたであろう攻撃。

 しかしここまでの巨躯だと、傷もつけられない。



「じゃあ、これなら……どうだっ!」

「ヴォオオオオオオオ!」


 動きの大きい敵の蹴りを低い姿勢でかわす。起き上がる反動を活かしてぐるんと横に回転し、振りかぶった刀に勢いをつける。


「斬れろおおおおおっ!」

 ザザンッと鈍い音。左足、人間でいう脛の部分に、大きな傷ができた。


「ヴォアアアアオオ!」


 叫びながら斬られた足を踏み鳴らす異形。「やった、マティ!」と喜ぶアイナに、一旦退いたマティウスが「ここからだよ」と武器を構え直した。



「オオオオオオ……」


 回転斬りで、マティウスの刀もその切り口も、相当な温度になったに違いない。

 灰色の血は液体として流れることなく、この戦場を包む煙としてもうもうと舞い始めた。



「自分の能力ながら、厄介だね……」


 自身を嘲るように、彼は笑った。

 三方を切り立った崖に囲まれたこの場所は、風の抜けも悪く、ほぼ逃げ場は無い。敵も、俺達も、そして煙も。



「まずいわ、どんどん煙が濃くなってく。オリヴェル、爆風で煙吹き飛ばせる?」

「ああ、そのつもりだ」



 切り立った崖の一角、この近辺で唯一の魔導陣。

 十分な準備時間の中で、


 その鉤についた長い紐は地面を這い、俺の手元にある。紐の先端に結わえた針を、腕にズブリと刺した。


 予め紐を持つことで動ける範囲は制限されるものの、それでもわざわざ陣まで走るよりは良いという判断は、間違っていなかったのだろう。



「よし、行くぞ」


 煙が立ち込めるその中心で爆発を起こせるよう、離れた場所に走る。まだ視界の利くここなら、煙の濃淡も掴みやすい。


 しかし。



「ヴォオオオオオ!」

 1人だけ急に動いた俺に気がつき、敵が向かってきた。


「オリー、来てる!」

「チイッ!」


 そんなに足は速くないものの、1歩1歩が大きいから走るスピードは人間と同じくらいだろう。このまま行くと、呪文を詠唱する前に捕まる。何より、発煙元が近づいてくるので、視界がどんどん悪くなってきた。



 その時。ほぼ灰色一色で見えない場所からマティウスの叫び声が聞こえた。



「アイ! オリーを助けに行って! 僕は後ろから狙う!」

「え、でも…………マティ1人じゃ……」

「僕は、大丈夫! !」



 その何気ない一言に、どれだけ勇気づけられただろうか。



 煙で見えなくなっているうちに仲間を失ったマティウスにとって、この煙幕の中を1人でいることは思い返して心を抉る一因に違いない。

 2日前はそれが原因で「行かないでくれ」と叫んでいたんだから。



 それでもこうして、戦いのために自分を押さえている。「平気」ではなくて「大丈夫」。

 辛いけど、耐えられる、耐えてみせる。そんな力が、願いが、込められている。




「分かった!」


 アイナが、アラトリーと並走して俺の方に向かってくる。敵の視点は完全に俺に定まっているのか、彼女には気付いていないらしい。


「行くわよ、オリヴェル!」


 敵の真後ろで立ち止まり、呪文を唱える。

 それは、さっきも聞いた、新たな魔法。



「縛るっ!」

「ヴォオオ……オオオオオ……」


 アラトリーの動きが止まった。首を僅かに動かすだけで、手も足も微動だに出来ないでいる。



「助かった、アイナ! まずは煙を消す!」


 呪文で場所も指定し、戦場のちょうど中央で大爆発を起こす。轟音とともに凄まじい爆風が吹き荒れ、血の煙を一掃した。



「もう一発!」


 今のは、ただ戦いやすくしただけ。出来たら追撃して、一気に形成を有利にしたい。


 だが、その願いを打ち砕くかのように、詠唱を始めたところでアイナの苦しそうな声が聞こえた。



「こ……れ以上は……クッ……無理……っ!」


 そう告げた途端に、膨らませたゴムがバシュンと弾けるような音がして、目の前の異形が動き出す。


 さっきよりも動きを止められる時間が短い。体が大きいと、制御する負荷も大きくなるということだろうか。



「ヴォオオオオオオオオ!」

「…………っ!」


 一瞬の判断に迷った後、そのまま詠唱を続ける。

 相手と自分、どっちの攻撃が速いか、予測がつかない。



「食らえ!」

「ヴォアッ!」

 敵の胴の右側が爆発で破けるのとほぼ同時、敵の爪が俺の左腕を貫通する。



「か…………あ…………」


 グチャリという音と共に、刃物のように長い爪が抜かれ、激しい痛みが襲う。だらんと下げた腕に血が勢いよく走り、地面に赤い池を作った。


「オリヴェル!」


 腕を押さえながらアイナの方に目を遣ると、片膝で両手をついている。さっきの魔法でよほど消耗したに違いない。



「あああああああっ!」


 アラトリーの真横にいたマティウスが、傷を負っていない右足を目掛けて突進する。が。



「ヴォオオオオオオオッ!」

「がっ……!」


 無造作に振り回した腕に当たり、地面に二度ぶつかりながら彼方へ飛ばされた。


「マティ!」


 さっきまで戦っていたアラトリーでは考えられない力。


 大きければ大きいほど強い。当たり前のことを目の前でまざまざと見せつけられ、畏怖で腕の痛みを一瞬忘れてしまう。



「そこにいて!」

 重症の2人がいる戦場を、白魔術師の声が駆け巡った。


「今、治すから!」

 片膝をついたまま、震える腕で、魔法を使い始める。



「……無理すんなよ」

 思わず呟きが漏れた。



 今、彼女の周りは誰もいない。見えなくなって、何にも見えなくなって、助けてくれる人はいない。あんなに体力も尽き果てていて、自分で逃げることもできない。



 きっとそれが、彼女なりの覚悟。そして、「助けてくれるはず」という信頼。独りになることをあれだけ嫌がっていた彼女は、もういない。



 腕の血が止まり、傷が治っていく。マティウスとほぼ同時に、立ち上がった。



「マティ! アイナを守ってくれ! 俺が攻撃する!」

「分かった!」

 言いながら、目の前の異形にすぐさま炎を放った。


「ヴォオオオオオオ!」


 胴を焼かれ、熱さに暴れる。だが、反撃されないことを最優先にして詠唱の短い呪文にしたので、大きな炎は出せず、大打撃には至らない。



 程なくして火は消え、アラトリーはその無表情な顔で俺を見る。




「…………手強いな」

 首を伝うのは、火に近づいたせいではなく、冷や汗に違いなかった。

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