#2 夜の来訪者

「じゃあ俺どんどん拭いて棚に戻してくよ」

「おう、頼む」


 キッチンに戻ってギアーシュと片付けをする。

 器を拭く単純作業の中で、脳は久しぶりに冒険の記憶を手繰っていた。




 建国300年の歴史を持つ、グルネス王国。国の形は円に近く、縦断も横断も人間が普通に歩けば30-40日はかかると言われている。


 この王国に50年ほど前から棲み付いたのが、「アラトリー」と呼ばれる異類異形。普段はグルネス外周、人の住まない森や荒れ地で果実や動物を喰らっているこの怪異が、時折村の方まで来て人間を襲うことがある。


 それを討つために結成されるのが、宮廷直轄の討伐局の管理下にある、魔導士や剣士が組むパーティー。


 特別な資格などは必要なく誰でもなって冒険できるとはいえ、修行を乗り越えた強者、魔法を使える能力者など、特殊な力を持つ人間が4~5人で組むため、そこまで数は多くない。聞いた話だと、常時10~20くらいのパーティーが存在しているらしい。




 ガコンッ


「あ、悪い」


 落とした木の器がグワワングワワンと回る。その揺れは、俺の心を映し出しているよう。


「ちょっと、大丈夫? 怪我してない?」

 たまたま通りがかったらしいアイナが、ドアから顔を覗かせた。


「割れてないし、問題ない。洗い直すよ」

 あの日のことを思い出して、持つ手が疎かになった。




 パーティーだって、万能じゃないし、必勝じゃない。倒せないときもあれば、殺されるときもある。


 多くの場合、1人殺されてしまったら冒険を中断し、新しいメンバーを補充するなどして体制を立て直す。でも、それすら出来ない悲劇も、稀にある。


 剣士のガヤト、紅一点の白魔術師のイージュ、射手のアンギ。


 俺と一緒に組んでいた3人は、アラトリーとの戦いで、一気に全員殺された。

 生き残ったのは、俺1人。




「マティー! お昼魚釣り一緒に行くー?」


 洗い物を終えて2階の部屋に戻り、窓を開けて風を通す。男子の洗濯物を干しているマティウスを大声で呼んだ。


「うん、僕も行こうかな!」

「じゃあ終わったら竿の準備しようなー!」




 グルネスの南東端にあるこのハウスは、俺と同じように、1人になってしまった冒険者が住む場所。


 何年か前、やはり同じように自分だけ生き残ってしまったパーティーの先輩が、国からの弔慰金を元手に廃屋を改築して、この建物が造られた。


 条件に当てはまるからといって、入るのは強制ではないけど、寂しさや恐怖や後悔が鬱積し、1人でいることに耐えられない人にとって、ここは正に憩の住処。


 同じ境遇の人同士で生活し、普通の生活を取り戻し、少しずつ表情を緩ませる。出ていくタイミングも自由だけど、2~3年かけて心を整える人も多い。



 今いる人で長いのはやはり年長組。俺とアイナが丸2年、ギアーシュが2年半、マティウスが丸3年。




「これで全員かな? マティ、ギアーシュは?」

「暑いから家で本読んでるってさ」

「チェッ、みんなで行った方が楽しいのに」

 エントランスに集合した参加者6人。日除けのストローハットを被りながら、アイナが頬を膨らませる。


「ギアーシュ釣り上手いから、来れば夕飯の食材は安泰なんだけどなあ」

「完全にお前の都合じゃねーか」

 即座にツッコむと、みんなが笑って「そうだそうだ!」と相槌を打った。


「ったく、お前みたいなキャラが冒険してたなんて信じられないぜ」

「おおっと、朝に弱いオリヴェルに言われたくないわね」

「やっかまし」

 いつも通りの、ゆるくてほのぼのの会話。




 ハウスに来てからは、詳しい冒険の話はしていない。

 いつも一緒にいる3人のことだって、冒険に関しては役割と二つ名を知ってるくらいだ。二つ名だって、冒険していたときに噂で聞いていただけのもの。



 アイナの「不可視の法術ダブル・インビジブル

 マティウスの「血の無い所に煙は立たぬスモーク・オン・ザ・ブレード

 ギアーシュの「抜き打ちで打ち抜きハロー・ラピッドファイア

 そして俺の「制限内の規格外ストレンジ・ストリング




 3人にだって、きっと話したくないことがある。ああしておけばという後悔、襲われたときの恐怖、いなくなったときの孤独、或いは俺のように、自分のせいでこうなったという自責。


 箱に詰めて沈めたくて、それでもすぐに浮かんで蓋が開いて消えない毒を撒き散らす、そんな感情がきっとある。

 だからこそ、お互いそれには触れずに、傷は見せずに、



「それじゃ出発! 目指せ、1人3匹!」

「おーっ!」


 それなりの額の弔慰金があるので、数年はこんな生活をしていても生活には困らない。傷を癒すために、冒険から離れて健全な毎日を過ごす。


 いつ離れるかふと考えることもあるけど、この生活はとても心地良くて、もうしばらくはここにいたいな、と思える。




***




 その日の夜。存外に大漁だった成果が、1人1匹の焼き魚となって食卓に並べられた。


「わあ、上手に焼けたね、アイ」

「へっへーん、でしょ! マティにも頑張ってもらったからね!」

 繊細そうな手で、綺麗に骨を取るマティウス。


 マティウスは愛称で呼び合いたいらしく、オリ―・アイ・ギアといった具合に短くして呼んでくれる。お返しにマティと呼ぶけど、ギアーシュだけは「なんか違和感あんだよな」と言ってマティウスとそのまんまの呼び方。ったく、ひねくれたヤツだぜ。


「スープ美味しい! お替り!」

「もう無くなっちゃいましたー!」

「えーっ! もっといっぱい作っておけよー!」

「パンが余ってるって! パン食べる人!」

「なんか固くなってるからやだ」

「文句言うな! いっぱい噛んで満腹になれ!」


 相変わらず、10人全員で大騒ぎのひと時。



 その空気は、ちょうど食事を終えた時、1人の来客によって、大きく変わることになる。



 ガンッガンッ!



 入り口のドア、金具を打ち付ける、ノッカーの鈍い音が響く。

「誰だよ、こんな時間に」

 ギアーシュが苛立つように席を立ち、食堂を出てドアに向かった。


「どちらさまですか……ああ、どうも」

 その反応で、相手の予想がついた。


「トーヴァが来たぞ」

 食堂に戻ってきた彼の後ろをついてきたのは、女性にしては背の高い、赤髪のショートヘア。


「みんな、久しぶりだな」

「トーヴァさん、こんばんは!」

「お久しぶりです!」

「今日はどうしたんですか!」


 彼女の挨拶に元気よく返事しつつ、男子のメンバーはアイナと大きく水をあけるその胸のサイズに目のやり場を探す。



 宮廷直轄のアラトリー討伐局。32歳にしてその長官を務めるトーヴァは即ち、俺達がパーティ―を組んでいたときのトップの上司のようなもの。


 冒険を始めるときには彼女の前でメンバー登録をしたし、緊急で討伐に向かうときにも魔力のある水晶を通じて彼女から指示が来ていた。


 1人になってしまった俺達を心配し、忙しい合間を縫って、このハウスに時折遊びに来てくれる。凛々しい顔立ちだけど心は優しい、信頼のおける元上司。




「どうしたんですか、こんな夜に。近くで用事とか?」

 何気なく訊いた俺の問いに、彼女は軽く口を結んでから答えた。


「……いや、今日はちょっとお前達に話、というかお願いがあってな」


 この時間とその表情で、いつもの顔見せと事情が違うな、と感じた。

 マティウスやギアーシュも察したようで、他のメンバーにすぐさま片付けを促す。


「洗い物は後でやるんで、まずは話聞きますね」

「助かるよ、オリヴェル」

 浮かない顔のお礼に、事態の重さが感じとれた。



「さて……」


 綺麗になったテーブルに、いつものように2列で向かい合って座る。

 伝え方を探しているトーヴァに顔を向けると、やがて覚悟を決めたかのようにハッと短く息を吐いた。


「アラトリーが大量に北に現れている。今は全てのパーティ―が、そこで戦闘中だ」


 2年前まで何度も経験した、あの戦いを思い出す。俺達とは顔も体も、全てが違う異形、アラトリー。


「それが俺達に何の関係があるんだよ」

 治りかけのかさぶたを剥がすような話題に、ギアーシュが声を低める。するとトーヴァも、声のトーンを下げた。



「実は、南にもアラトリー群の目的情報が入っている」



「…………は?」

「同時に2ヶ所……?」

 皆が息を呑む。歴史上類を見ない、その出来事。


「今から北のパーティ―が向かったのでは間に合わない」

 頭を下げるトーヴァ。苦渋を飲み込んだ声で、その一言を絞り出した。



「お前達、南のアラトリーを…………倒してくれないか」



 さっきまでの賑やかな熱気は開け放した窓から逃げていき、驚嘆と静寂だけが俺達を包んだ。

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